2011年07月29日

何でもありかよ。

民主党政権の江田法務大臣が、死刑制度の議論を続行中に死刑の執行は出来ないと語ったようだ。
江田氏は「人間というのは理性の生き物なので理性の発露として人の命を奪うのはちょっと違う」
執行については「法務大臣に与えられた権限をどう行使するか世界の趨勢を睨みながら考えている」とも述べたよう。

ちょっと待てよ。権限はあるがそれは在職中の個人の自由意思に委ねられる性質のものなの?職務上の義務違反にはならないの?

人間が本当に理性的な存在であるならかつて仇討ちが認められていた頃から現在の死刑制度への移行は理性を背景とした進歩のはず。
江田氏が何が言いたいのか不明だが、ひとつは人間が頭で考えて行動する生き物と言いたいのだろう。

言葉とは、前提や定義があり初めて他者に伝わるもの。
理性という言葉を使うにあたっての前提や言葉そのものの定義を仮に「基本的に間違いは起こさないしより良き方向に進む機能を有するものが理性」とする。

となると、理性とは機能性を有する有機物になる。 つまり形あるものとなる。
理性が形あるもの??

いや、私の知識の及ぶ限り理性が形あるものと認識に至るような情報に触れたことはない。
江田氏が語る「理性の生き物」とは何のことなのか?
呼吸をする生き物とか栄養素を体内に取り込み不要物を体外に排出する生き物だ。とかなら理解可能だが、
「理性の生き物」って何なんだ。自然を征服し地球上の盟主となり過去から延々と人間同士の殺戮を繰り返すのが理性の発露なのか。

私個人を例にしてみても理性の生き物とは全く思えない。
本当なら年齢を重ねて経験を積めば積むほど成長するはずだが実感はない。
恐らく、経験が足し算であるならその和をゼロの解に繋げてしまうゼロの性格を帯びた要素をどこかのタイミングで掛けてしまうことが原因だろう。

(経験+経験)×ゼロ要素=0  が公式。

オリンピックのメダリストや入賞者がその後犯罪に走るケースもある。
芸能人として輝かしい経歴を持つ者の中にもやはり転落者がいる。
人間が本当に理性ある生き物なら過去に積み上げたものをゼロにはしないだろう。

子供の頃に積み木を積み上げるのもひとつの楽しさだが、同時にそれを崩すことも楽しさだったかもしれない。

私がこの場で何度も繰り返す、マルクス主義に代表とされる俗に言う「左翼」は性善説の立場。
一方、資本主義経済・自由貿易体制・私有財産制を堅持する者達は性悪説の立場。
江田氏についてどの立場か私が語る必要もないが民主党とて資本主義経済を維持する立場であるのは間違いない。

「理性」を語る場合、「欲望」と切り離すわけにはいかない。
資本主義体制の中では欲望は無制限に開放されてしまっている。
援助交際をすることで誰に迷惑を掛けてるの?と語る女子高生を説得する言葉は直ぐには出てこない。
体は大事にしろよと言う位が精一杯である。

かつてアメリカ合衆国に原子爆弾を落とされた我が国だが、米国に対して
「理性があるならお願いだから原爆を落さないでくれ」と言葉で何万回も訴えれば落ちなかったと言うのか。
小さな存在の私でも、「家族のことを考えるならお願いだから出て行く前に一度だけでも家族会議に応じて欲しい」と訴えたがだめだった経験を一昨年した。

かく言う私も元妻から、「お願いだから博打はほどほどにして」と言われても聞く耳をもたなかった。
結局お互い様だ。当時の日本と米国の関係も何%かはお互い様の部分はあったであろう。

足し算だけで前に進むなら個人も国家も確実に成長し進歩する。
しかしよからぬ要素を掛けてしまうためにそれまでの蓄積を無駄にすることがある。
江田氏が語る「理性の生き物」とは叶わないから敢えて言っているのだろうか。それとも…
民主党政権が私が計り知れないような大きなフリを見せていて今後その種明かしをしてくれるのならそれでも良い。
ただ、人生も国家も時は待ってはくれない。あまりに大きなフリなら完結するまでにタイムアップとなる。

死刑制度維持か終身刑を設けて死刑を廃止にするのか。人間が本当に理性ある存在なら簡単に結論は出るだろう。
もし出ないとすれば理性とは時間がかかるわりに正解も出せない粗悪品とも言える。

そうであるなら粗悪品でなく欲望に打ち克つことを目的としたもっと良質なものを活用してはどうか。

例えば 「個体維持本能重視への特化機能保持」

イギリス連邦はかつて大英帝国と言われた時代と比較すると今やほとんどの領地を失った。
しかし1982年に起きたフォークランド紛争ではアルゼンチン相手に勝利を収め領有権を確保した(私の知る限り)。
当時、サッチャー首相は巧みな外交手腕を発揮して米国大統領のレーガンや国連を味方につけ自国の権益を守り切ったのだ。
個人としての個体維持(個益優先)も国家としての国体維持(国益優先)も優先度をどう考えるかの点では共通するはずだ。

菅氏、江田氏は最早何でもあり状態。もしそのスタンスが国益優先なら問題はない。
しかしあくまで個体維持(個益優先)ならば現在の職業からアシを洗ってもらおう。
政治家は個益と国益を両立させるべきだしどちらかひとつを優先するべき局面では文句なしに国益優先だ。
一家の主も同じ。両立が望ましいがどうしても選ばねばならない時は家族益優先だ。

私は現在、経済的には私自身の身を賄えればよい状態になった。
携帯代も晴れて今月から5人分⇒1人分となった。この7〜8年はほぼ 4〜5万払ってきたなぁ。

個体維持目的に向けて肉体と精神の機能を特化させることにしばらくは力を注ぎたい。
そうすることで結果的に関係性のある人間に手を差し伸べる日が来る気もする。


経験そのものは何でもありでよいが、ゼロの要素を掛けて答えが0になることだけは意識して避けたい。
何を足してもよいが何を掛けてもよいわけではない。
個体維持本能を理念でなく有機物(実際体内に存在するもの)として意識し視野に入れないと中身は伴わないだろう。
人間は具体的なものからしか生体に反応しない生き物なのかもしれない。頑張るのひとことだけでは結果は出せない。












posted by tetsukazu at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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