2011年07月13日

少し言い足りないので…

何故だろう? 
急激に生きる支えや生きる上での励みになるものが必要となってきた。
ホント何故かわからないが急にだ。

今時の若者(使い古した言葉だが)は恋愛も損得で考えるようだ。
男に言わせれば、女と付き合うにはイニシャルコストとランニングコストがかかり過ぎるらしい。
男と女の関係もコストパフォーマンスで語られるのか。
モノ・ヒト・コト問わず魅力無きものは廃れるのであり、魅力無きものは振り向かれないということか。

また、向上心とのワードも否定的に見られる場合もある。
分相応に満足して向上心を控えて満足感を養い
射精を控えて精(精力・精液)を養い
散財を控えて財を養う。
こうして力を溜めれば落ち込むことなく勇気凛々と力が漲(みなぎ)る。
快楽を求めるのは当然だが、その前に苦しみを避けることを求めるべきである。

リスクを極力負わずにメリットが薄い事柄とは関わることを慎むとの思想か。
まぁ確かに個体の維持だけで言えば正解かもしれないが、誰かのため・何かのためとの方向には向かい難い。
全力で物事に立ち向かおうとの台詞は最早精神論の類になったのか。

確かに、若くて豊満な肉体を持った君が好き!との男達と
稼ぎが多い貴方が好き!と内心で考えている女達との交差点の数は激減していそうではある。
肉体関係も 「愛情を確かめ合う手段」 とはほど遠いところにありそう。
ある意味動物としての原点に戻り、本能が色濃く残る者達限定での子作りの手段や快楽としての位置づけになっているのかも。
安定した世の中で、年長者が管理する社会になればなるほど若者の性のエネルギーはスポイルされるのか。

第二次世界大戦後、日本の国では表現の自由(精神的自由権)を主張することは当然とされてきた。
しかし表現の自由にも価値の高い自由(政治的・文化的・芸術的表現等)と
価値の低い自由(わいせつ表現・自己中心的快楽選択・他人への暴力的表現等)がある。
いざ裁判になれば価値の低い表現の自由へは一定の制限を持っての基準となる。
声高に価値の低い自由を主張する者への抵抗手段は裁判以外の方法では非常に困難である。
ある意味、そんな輩と関わる運命を嘆くしかなく嵐が過ぎ去るまで耐えるしかない(理不尽さと総合利益との天秤)。

恐らく若い奴らはこのように理不尽な経過を辿るような事柄を予め避けて行くことへの知恵が付いているのだろう。
結婚を考える際に既に離婚時のデッメリットまで考えているとすれば未婚率上昇は自明の結果。

このように現代に生きる者の過半が個人の利益を中心に考えていると仮定すれば、信じられる者は己とお金だけ(+ペットもか)となっても不思議でない。

モンスターペアレンツや各種のクレーマーなどの存在も時代が生んだ必然だろう。
あげくが、行き過ぎたセクハラ問題や行き過ぎた医療過誤問題に派生した医者不足。そして教師達の精神疾患。

一瞬、子供達の存在を頑張るための糧にしようとも考えたが、息子も例に漏れず 「メリットを生まない奴は切って行く」 との醒めた発言。
私は既に時代に取り残されたのか?
普通は仕事でつらいことがあっても 「〇〇のためにも頑張る」 とかになるのだが、
連れ合いに出て行かれて以来、子供が大きいこともあり心の枷(かせ)への意識が薄れてしまった。

ここ数日、改めてそのことについて考えてみたが、今時の若者のように 「俺のために頑張る」 となかなかなれない。
それが理屈ではない現実。 物欲があまりないこともひとつの原因なのだろうが熱くなれない。
きっとギャンブルにあらゆる感情を依存していたのだろう。 やってさえいれば特にいらないことは考えずに済んだ。
皮肉なことだが依存からの脱却のために別の依存を探している気分。
こんな不器用な生き方は普通はしないのだろうが、私の場合は生育過程での屈折度合いが半端でなかった。
大人になるまでだけで数えられない程の引越しの連続。結婚してからでさえ10回近い移動。
最早遊牧民のようであり末永き友人を作る間もなく移動の繰り返しだった。
ようやくひとところに留まったと思ったら今度は人だけが移動してしまった(泣)。

誰かのために作る晩御飯は頑張れるが自分のために作る晩御飯が頑張れないのには気が付いた。
元妻はそれにも疲れ果てたが…

先日、誰かのために串カツを作ってみて充実感はあったが疲れ方も半端でなかった。
仕事をしながら特定の人に手作りの晩御飯を作り続けるのは至難の技。

あー このままでは今時の草食男子路線まっしぐらになるのかなぁ。
最近少し思うのは、クラシック音楽の存在と意義について。
歌詞がある歌は確かに思い入れは持てるもののその点が裏目に出て妙に感傷的になってしまう。
その点、クラシックやフュージョンやジャズなどは心の安定に繋がる気がする。
休日に整頓された部屋でそれらの音に包まれながら時を過ごすことをちょっと想像する自分がいる。
間違ってもガーデニング路線には行かないだろうが…


スマップの中居君が結婚しないのは、女性がみんな金目当てに見えるらしいからだそうだが探せばイイ女は居ると思う(あくまで探せば)。
彼ほど稼いでも 「俺のために頑張る」 になるのかなぁ。

ルパンやゴルゴ13は何のために頑張ってるんやろ。寅さんは? イチローは? 菅直人は?
シンジは綾波のために頑張るの?
宮崎駿は父親目線であり庵野秀明は息子目線で物語を作るそうだ。
大人は現実の中で戦い、子供は理想の中で戦う。それを見守る女性は強さこそ優しさだと語る。
現実と理想の中で強くしなやかに生きる。守るものとは? 自分なのか? 愛する者なのか?
映画では崖等で片腕一本で他者を救い上げるシーンがある。
しかしもし現実にそのようなことがあったら救い上げるのはまず難しいだろう。
本当に人が人を救えるのだろうか? 人は人のために生きてそして死ねるのだろうか?
宮崎氏や庵野氏がメッセージを送り続ける目的は自分のためなのか他者のためなのか?
そして出したメッセージにより何が生まれ何が変わったのだろうか?
少なくとも次男にとってはエヴァンゲリヲンの存在がなければ人生に絶望していたかもしれない。
それほどに一時の彼は精神的に疲弊していた。
今次男は芸術系の大学に通い技術を磨いている。
彼の通う大学の女子学生は在学中は恋人を作る暇もないと聞く。課題を仕上げるのに日々追われるかららしい。
きっとそんな環境の中で4年間を過ごせば大きく成長するだろう。
学長は言う。最近の学生は地図を見ての移動が苦手だと…
地図に沿って移動するためには上方から俯瞰して広い視野で見る必要があると。
これからは私が息子達に教えられることも多いはず。
反面教師であれ私が彼らの近くで他者性を持って存在することで彼らの人格形成の一助になればそれはそれで私の存在意義がある。
ひょっとしたら私の生きる励みは? などと肩肘張るのでなく私が元気に毎日過ごすことで気が付かないうちに息子以外の人の役にも立っているのでは?

長男の分もついでに洗濯してるし白飯もついでに炊いてる(今だにちょくちょく帰ってくる)。
無意識にはやっているがこんなことでも元妻には羨ましいのだろうか?
こうして書き込んでいるうちに長男が姿を見せ横でオカキをほおばっている。
私が元気に過ごすことで例え少しの人のためであれ反面教師も含め僅かな支えになっていると妄想すれば頑張れるかも。
宮崎氏や庵野氏のように…










posted by tetsukazu at 01:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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