2011年05月21日

賭・考察(1)

久々になるが、公営ギャンブルの核心に迫るために真面目に考察してみる。

歴史と言うと、まず思い浮かぶのは『事実』の集合体とのイメージ。
しかし、現在に生きる者全てが過去の歴史認識を共通のものとするのは困難だ。
ゲーテは、過去の出来事は『象徴』でしかないと言ったし、エルンスト・ベルトラムは
歴史は結局、『伝説』であると言った。
そうであるならば、公営ギャンブルの歴史もその当時に遭遇した者にしか理解出来ないことが
多いに違いない。
レース場の自然条件などの影響次第で、レースそのものの条件が同じであっても
単に羅列された着順やレースタイムだけでは語れない場合も多く
過去の記録だけに振り回されると収支の面でのマイナス要因を生みかねない。

大数の法則を持ち出すまでもなく、普通に賭け続けたなら公営ギャンブルで賭ける側の収支は
控除を除いた還元率前後に収まるだろう。
それでももし本気でプラス収支を目指すならば、自分以外の賭け人は友人も含めて全員が敵だ。
私の直感では、競馬にせよ競艇にせよインサイダーに限りなく近い投票が一定割合で含まれる
との印象を持つ。
つまり基本的には、自分自身が第一感として事前に想定していた人気(売れ方)より過剰に
売れている組み合わせ(単勝の場合は単独で)には何らかの根拠があると考えるのが合理的だろう。
それでも先に述べたように、過去は過去でしかないのだから同じ様な過剰投票だからと言って
同じ様な結果になるとは限らない。
私が主張したいのは、他者による投票行動を無視することは賢明ではないということ。

次に、各賭け人の投票行動のトータルがオッズを作り出すのだが、最終的に表れる数字は無機質であり、賭け人にはそこに肉付けする作業が待っている。
と言っても、その肉付け作業を怠る賭け人も一定数存在するはず。
オッズに対する肉付け作業だけでなく、レースが始まる前の分析においてもその作業を怠る
賭け人が存在する。また、同じ人間でも努力にムラがありながら各レースに臨むこともあるだろう。
そう考えると、事前作業が可能な項目を怠らないか怠るかにより、レースが始まる時点において
個々の人間の持つ期待収支が異なることになる(事前作業が期待収支に影響すると合理的に考えた場合)

それではもう少し具体的に考えてみる。


例えば、1番人気の組み合わせが400円、2番人気が600円、3番人気が800円とする。
このような分布をとるレースで、1〜3人気の組み合わせの3点張り均等買いを行なう場合
的中時の平均回収率は200%になる⇒各人気が均等に発生と想定(投入金額の2倍)。
もちろん合成オッズになるように各組み合わせに強弱をつけバランス買いをすれば約185%。
つまりこのようなオッズ分布のレースでこのように買い続ければ2レースに1レース的中すれば
収支はトントン。つまり回収率100%になる(バランス買いの場合に50%の的中率ならマイナス)。
しかしもし公営ギャンブルに手を出す目的が、利益を得ることならばほとんど意味のない行為。
恐らくだが私も含めて多くの賭け人が、利益目的だけでない目的を無意識に持っているのだろう。
1億円以上の金を横領して全て競馬に突っ込んでほとんどを失ったとの事件もあるが
冷静に考えたらその1億円を持ったまま何もしなければ1円も減らないのだ。
1億円は大げさなのでもう少しリアルに説明すると、20万円の自分の給料袋(古)から自分で
2万円借りるとする(表現はおかしいが)。
自分の金なのでどう使おうと構わないのだが、その2万円がゴルフなどと同じで、単なる出て行く
だけのお金なのか給料袋に戻すことを前提なのか、それとも2万円増やして22万円にすることが目的なのかで内容は大きく違ってくる。

公営ギャンブルの場合は、賭け人が直接走るわけではないため賭け人が努力可能な部分は限定される。
それだけに努力可能な部分を怠ることは致命的に収支結果に反映してしまう。

3点買いの話に戻すと(基本的には私論でしかないが)、的中に関してどれだけの期待を持てるかをレース毎に導き出すための方法論をある程度確立させないと、同じオッズ構成のレース同士の比較を行なうための技術・感性が身に付かない。
投入金額の2倍になる買い方をしたレースを3レースに2レース的中させれば当たり前だがプラス収支。
長くやっていると(競馬の場合)1.5〜1.7倍程度の単勝支持率の馬に対してどの程度の信頼を置けるかはおのずと感じるものがある。
しかしここがポイントなのだが、過去と現在と未来のレースを並べて1.5〜1.7倍の支持がある馬の信頼度を比較してレース選択を行なうのは不可能(過去は物理的に無理)。
そうなると現在のレースと未来レースの比較になるのだが、未来のレースに狙いをつけて未来が来た時、その時点になると過去のレース(比較した瞬間は現在だったレース)の方に信頼性を感じてしまうというような事態も有り得るだろう。
そのようなことも考慮すると、短期的には(競馬の場合)直近の土日のレースにおいて
ある一定基準に達した馬(組み合わせ)が存在すると考えるレースを視野に入れ、レース自体を
絞った上で、基準プラス直感や自分自身の調子等も考慮してその週に勝負するかどうかを判断し確信を持てない場合は無理に勝負するのではなく翌週以降に勝負を持ち越すことも必要。

さて、ここまで書いてひとつ位は具体的戦略を示さないと次の考察にも繋がらないので頑張ってみる。


私はご存知に通り、競馬の場合は複勝が中心で競艇に場合は、3連複または2連単中心。
しかし何故そういう投票行動をとるかは、やはり先に述べた事前作業や資金事情や当日のレース間の間隔(次のレースまでの物理的予想時間)の影響もある。
本当に数は少ないとは思うが、日本国内に存在しているであろうプロ(またはセミプロ)馬券師の中の一定数の賭け人は 『単勝戦略』 をとっている(周知の事実)。
もちろん資金量等により勝負に行く間隔(毎月1回・半年に1回等々)は異なるだろうが
本気で利益を得ようとするなら恐らく数少ない戦略になる。
こんな私でも1年に何回かは、「このレースでこの馬なら5馬身はちぎってもおかしくない」
と言えるレースは発生する(競艇ならどう考えても1号艇と2号艇の一騎打ちなどのケース)。
しかし、そんなレースが来るまでだまって他のレースを見逃し続けるほどストイックには接していない。
人よりはストイックに振舞って結果を出したいとは思っているが、中途半端な決意でしかない。
知人から誘いを受けて楽しく観戦しましょうよと言われた時でも簡単に3〜4万突っ込む自分が居る。

もう一度言うが、私にも年に何回かはこれは確実と思えるレースに出会う。
しかし長期戦略で10万程度の利益を得るのなら、長期戦略で実業に専念した方がずっと効率的。
公営ギャンブルで利益を得たいとのスケベ心は短期的に(最短で5分程度)10万程度の利益を
得たいからに他ならない。 そうスケベ心が敵なのだ。
一ヶ月必死に仕事をして20万前後の収入を得られることを考えるとそんな安直に10万もの金が
稼げるわけはないのだ。

私における過去は確かに事実の羅列なのだが、そう象徴であり伝説であるとも言える。
既に過去の収支を数字で表すことには大きな意味はないのかもしれない。
未来に向けて努力の象徴や勝利の伝説を残して行ける可能性はゼロではなく、ゼロからの積み上げは私次第である。

見送る余裕。分析する能力。選択への自信。勝負する勇気。結果への達観。
実人生で必要な要素はギャンブルの世界でも要求される。勉強や仕事が出来なくても博打は達人は幻想。
ギャンブルで結果を残す者は実人生でも結果を残せるだろう。

マルセリーナの単勝は勝負するに値するのだろうか? 単勝1点では今の私には怖くて勝負出来ないしその馬券に確信を持てるだけの事前作業も怠っている。
どんなことでも試されるのは常に自分自身である。












posted by tetsukazu at 02:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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