2011年01月02日

見返りについて。

昨年に身内の不幸があったためおめでたいご挨拶は控えさせていただきます。

さて、昨年エントリーした記事でのコメントの中で、ずっと引っかかっている言葉があったので触れてみます。
『人間は怠け者』との記事での、けいけん豊富な毎日の けん♂ さんコメントなのですが、
「見返りに関係なく熱中することが=楽しむ=ということ」 との内容でした。

その後、ずっと考え続けて年末に息子が帰ってきて、ポツンと「ギャンブルを続けていることは感心しないなぁ」 と言われ、はたと気がついた。

考えてみれば、ギャンブルは見返りを求めるという意味では際立っているなと(賭け行為)。
息子がこのブログをみているかどうかは知らないが、何らかの形で知っているのだろう。

妻が去った後、多くの人から「女性の知り合いのひとり位いてもバチはあたらないよ」と言われたので、話が結構合う女性と少し親しくなった。
私は、その女性に対して決して気に入られようと必死になった訳でもなしし見返りも求めていなかった。
しかし、自然な形で少しの時間を共有する程度には発展した。
良い歳をして恋愛感情と呼ぶのも気が引けるし、私は一度女性に見切られているため現在の距離感でも十分楽しい。

そこで、『見返り』をキーワードにギャンブルに当てはめて見ると、やはり私とギャンブルとはどう考えても不自然な関係と言える。
先の女性との関係で言えば、会っている時は確かに楽しいが、かといって四六時中一緒にいたら良い関係でなくなる気もする。
それは先方も同じだろうし、先方にお金持ちの男性が現れた途端、私が視界から消えることだって大いにあり得る
しかし、現在楽しいのであれば先のことなど必要以上に考える必要もないのもまた事実。
ところが、ギャンブルというものは関わるたびに楽しいとは限らない。
とんでもなく落ち込む時、自暴自棄になる時、自己嫌悪になる時、その他マイナス要素も満載である。

では、どうしてここまでのめり込むことになったのだろうか?
私は、このブログを通じ『ギャンブルは性欲の代償行為』と語ってきた。
そうであるならば、性欲を満たすこととギャンブルの共通性がないとおかしい。
もしくは、性欲を満たしているのにギャンブルを続けるのもおかしい。

『性欲』 と 『見返り』 の関係は?
心理学などの分野では、『メリットの法則』との用語があり、人間の行動はメリットが動機になっているらしい。
トイレに入る時に、照明のスイッチを入れるのは、明るくなるとのメリットがあるかであり、
出る時に消し忘れるのは、電気代の節約といった要素以外にメリットがないかららしい。
メリットが生まれるまでの期待時間も1分以内でないと大きなモチベーションとはならないらしい。

では、ギャンブルで負けた時でも『メリット』は発生しているのだろうか?
論理的に考えてそんなことはないはず。恐らくギャンブルに関わる瞬間に脳内から快感物質が分泌されて
その時点でほとんどのメリットは完結しているように思える。
勝った時には確かにまた別の物質が出ているのだろうが、意外と冷静だったりする場合もあるので事前の快感が主であろう。

私が日頃主張(根拠は自分自身??)する、ギャンブルは性欲の代償行為だとすると、男女間の恋愛感情も、事前のドキドキ感こそが快感の主なのか?

話が逸れないうちに本題に戻ると、『見返り』を求める求めないのレベルではなく、けん♂さんが言うように見返りに『関係なく』熱中することが楽しいということならば、
仮に結果として見返りがあったとしても、結果自体は楽しさの主ではないのかもしれない。

メリットを求めて行動するとの人間の本能と、見返りに関係ないべきである楽しさは矛盾してしまう。
寒いから服を着る→メリット。腹が減るから食する→メリット。
ただ寒さをしのいでも楽しいとは言えない場合もあるし、ただ満腹になったからと言っても楽しさと一致しない場合もあるだろう。
同様に、ただ寂しさを紛らわすためだけに風俗通いをしても虚しさが残る。

何とか結論に向かいたいが上手くまとめられない。
誰かにアドバイスをしていただければ助かります(願)。

やはりけん♂さんが仰るように『熱中出来るもの』を見つけたものが幸せなのだろうか?
それは人に対してでも良いし他の物事に対してでも。

私は今まで何に熱中して何に見返りを求めてきたのだろう。そしてこれからも。

やっぱりギャンブルは何かの代償行為でしかないし、お金の力だけで愛を買うのも違う気がするなぁ〜

誰か教えてくれぇ〜。





posted by tetsukazu at 20:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 私的本質論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
どもです(^^)/
今年もどうぞよろしくお願いいたします♪

話が根本的に違ってしまうかもしれませんが、
私は「ギャンブルの本質」は「時間の圧縮」だと
考えています。
生きていればそれなり色んな出来事があり、
嬉しかったり、悲しかったり、緊張したり、弛緩したり・・
を繰り返すことになるわけですが、ギャンブルは
短時間の間にその感情の起伏が圧縮されているわけで
そのために脳に大きな刺激=快感、があるのだと思っています。

見返りを得ることも快感ですし、
何かを失うこともある意味快感。
ギャンブルの前に思い悩むことも快感ですし、
心を決めて勝負に出る瞬間も快感なのではないでしょうか。

そのときどきによって「どの部分」を楽しむかは
個人差があると思いますが、ギャンブルも恋愛も
濃密な時間が脳に過大な刺激を与えるという意味で
似ているかもしれませんね。
あくまで私見です。失礼いたしました(^^)
Posted by けん♂ at 2011年01月04日 22:17
>けん♂さん
コメントありがとうございます。本年も宜しくお願いいたします。

せっかくのご本人の登場なので話がまとまるよう頑張ります(嬉)。
>「ギャンブルの本質」は「時間の圧縮」…

なるほど。やはり人間は有限である人生の時間の中で、より短期間
より短時間で快感を得ようとするのでしょうかね。
人間の快感は、自己実現に伴う感覚・感情といいますよね。
一般的動物であれば何も考えない中での快感が中心でしょうが
人間に限っては、じっくり考え抜いた末に得られる快感もあります。
ただし、人間も俗に言う五感を中心とした感覚を経て快感に繋がる
場合が多いはずであり、プチプチをつぶす快感は触感を通じてです。
車の運転や食事やセックスなどは五感を刺激しているため快感に繋がり易いかと。
ギャンブルについて言えば、パチスロなんかは光などの色による視覚
大音響による聴覚、コインを扱うことによる触覚、などが刺激されますね。
競馬などのレースギャンブルの場合は、第六感の範ちゅうとも言える
未来を予感する能力・感覚と向き合うことが快感のひとつの要素かと。

将棋などで、勝利に向け理詰めに手順を進めることと、
恋やギャンブルで結実を願うことの共通点もありそうです。
人間はプロセスそのものにも快感を得ることが出来るのでしょうね。

今回の記事は「見返り」をキーワードにしましたが、「快感」を軸に
考えた方が整理がつき易そうな気もしてきました。
私は今、結構本気で体作りをしているのですが、ガチで楽しいです。
何をするにも考えるにも体力・気力が基本です。
動物的な欲望も人間的な欲望も、まずそれを果たすためのポテンシャルは持ちたいものです。

今回の結論は、「健全な肉体と精神と財布にカオスな欲望と快感が宿る」でどうでしょう?
長々と失礼しました。けん♂さんもけい♀さんもお体を大切にお過ごし下さい。

Posted by tetsukazu at 2011年01月05日 01:25
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