2010年09月28日

他者との共鳴関係へ

誰しも一度位は、尊敬する人は誰ですか?と聞かれたことがあるだろう。
しかし即答出来る人もそう多くはいないはず。
かなりの昔なら二宮金次郎などが挙げられたかもしれないがシステム化された現代においては効率・合理性などが優先され、一個人の持つ相対的影響力は減少するばかりでカリスマは生まれにくくなっている。

私自身もその意味では個人崇拝した時期もなくきたし誰かが頑張っているから俺も頑張ろうといった感情がモチベーションの中心になったことはなかった。
だがここにきて身の回りにあまりにも様々な出来事が起きてしまい、さすがの私も一度立ち止まる必要を感じ出した。

そこで頭に浮かんだのが、運命を受け入れることと他者との共鳴関係である。

ネットなどでもそれをキーワードにして検索してみたが、宮台真司氏が『日本の難点』という著書で他者との関係性について多角的に捉えていて興味深かった。
彼が語るには、人間相互の信頼関係に基づいて運営されていた生活世界が、市場経済や行政福祉といった『金銭や制度を介在とするシステム』に変わったと。
そしてそれは人間関係の煩わしさ(負債感)を回避したいという我々の希望に基づいて起こってきた変化だと。

宮台氏は、人間関係について『関係の履歴から事件(シーン)の羅列へ』とも語る。
恋人関係においても相手と過ごした日々の積み重ねではなく、その場限りの刺激・興奮を生む事件こそが、目の前の恋人を好きと感じる証拠になってしまっていると。
そうした場合、『その人でなければいけないという唯一性』は弱まるとの分析。

また、宮台氏は他者を感化(共鳴)させるという意味で『感染』という表現をとる。

他者の自由や尊厳を侵害せずポジティブな価値観を持っている人物が、どの程度の高い人間的魅力や求心力を持っているかにより他者への共鳴度が違ってくるとの分析。
親や教師と子供や生徒との関係も当然良い意味での説得力を伴う共鳴関係であるべきだ。

私が運命を受け入れることをまず重要なことだと強く感じているのは間違った方向性ではないだろう。
しかし真に努力する人間に運が味方するとの考え方も見当違いではないはず。
仮に私が大女優の夫として、濃厚なラブシーンがある作品に出る妻を冷静な態度で送り出せるだろうか。
妻はその作品に出演するにあたり努力を惜しまず力を出し尽くすはず。
表層的に物事を捉えるのではなく本質を見抜く洞察力を磨くためには、年齢・性別・国籍を超えて真に努力を重ねる他者に対して尊敬の念を持つことや意見を素直に聞く姿勢を保つことが重要なのは間違いない。
そしてそれを真に意識し実行することで本当の意味での個人としての成長に繋がるはずだ。






posted by tetsukazu at 03:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 私的本質論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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