2010年03月14日

意思の力で遺伝子を克服出来るか。

意思(意志)が強いとか弱いとかとよく言われるが、意思とはどこから発生するものだろう?

押井監督などが傾倒していると思われる ジャック・ラカンによると
人は成長と共に自らの不完全性を認め、不完全であるところの自己を積極的に確立させようとする。
しかし自我を確立させるために他者を鏡にしてそこに自分の真の姿を見ようとするが、
必ずしも「真の自分」と出会えるわけではない。

人は常に「出会い損ねている」存在であり根源的な空虚感が生まれると語っている。

ラカンはまた、人間の「欲望」とは突き詰めると、どこか特定の「外部」から訪れる「価値」を、
それが使命であるこのように「誤認」してしまうことを指してのものだと言った。
これを整理して「個人の要望(欲望)とは他者の欲望でしかない」と仮定した。

この「他者」についてラカンは、差異化競争の世間でもあり、神や運命であったり、国家や思想や英雄とか民族性や民族そのものであったりもし、
その超越的な他者性に誤認=幻想の正体を見た時、
人は己の「欲望の矛先」にそれまで輝いていた根拠や甲斐もなくなり、
「欲するもの」そのものがひたすら空回りしていることに気付く。この「空回り」が「切なさ」の正体だと。


意思を何らかの欲望に向かって発揮するものと仮定すると上記の分析ではないが、矛先を誤る可能性がある。

意思と遺伝子の関係についてはDNAの95%が未解明と言われる現時点で結論は出せない。

遺伝子情報の伝達手段や脳の機能や記憶装置は人間の肉体を用いているのだが仮にそれが「大容量」だとしても、
無限のパターンに対してプログラムすることやシナプスの形成をすることは不可能だ。

意思が生まれる場合、それは過去の経験に対する一定の行動パターンと言えるが、そのために想定される過去が無限のパターンになるため
己の内部の遺伝子情報や脳の記憶容量やシナプス形成能力を駆使しても
100%的確な意思形成のための仕事(肉体内)を望むのは不可能だ。

よく言われることに「魂」による命令が肉体に対して行われれるとの話がある。
しかしもし「魂」が非科学的なものなら、熱力学第一法則と相反する。
物理学の世界では「無」から「有」は生まれるのは有り得ないとなる。

意思をあえて「有」の世界ととらえると遺伝子情報という「ざる」の目をすり抜ける砂粒のようなものであり、遺伝子よりさらに緻密な高次元エネルギーとなる。

リチャードドーキンス博士によれば、生命活動はDNA内に記憶される遺伝子情報に基づくが、
意思については人間が認識可能な記録媒体であるもの(脳・紙・電波・磁気・電子)を通じての
memo情報にも基づくものであると。
人はもちろん遺伝子情報に従って生きるのだが、何らかの非常事態の際は、揺らぎが生じるため独自の意思が必要となるとの分析。

生物の進化の過程は環境の変化に対応出来たかどうかが大きな要素となる。
人間とて例外でなく、生まれた後の行動次第で死に方に天と地ほどの違いが出ても不思議でない。
常に最善の手を考え行動するべきである。

個人の、ある意思決定が例え遺伝子の影響を受けてのものだとしても、遺伝しない獲得形質もあるはず。

本田宗一郎はこう言った

「進歩は反省の厳しさに正比例する」

意思の持つちからを甘く見る必要はなくその可能性に賭けるだけの価値はあると考える。
振り返った時、後悔に繋がる選択はしたくない。





posted by tetsukazu at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 私的本質論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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