偶然ですが、私の少し前の記事の中で「楽しむとの言葉が楽するとの意味を込めていた場合は意味が違ってくる」と語りましたが、五郎丸選手もまた「スーパーラグビーでオーストラリアのチームにに入りますけど楽しんできます。ただ、楽しむといっても趣味を楽しむなどとは意味合いが違います」と言っていました。
五郎丸選手は、結婚後のプロ契約でのヤマハ所属時の廃部危機に社員として残った時がありました。
一流のスポーツ選手でさえ資本主義社会の論理の中では個人は時に埋没してしまうんですよね。
そんな五郎丸選手ですが、僅か数年前までは「俺は日本代表として必要とされている選手なのか?」と思っていたそうです。
そんな状態の中、エディジャパンに召集されていた現場でコーチから「お前がいるからチームを安心して見ていられるんだ」とのメッセージを受け取ったらしいです。
そしてそれを見た五郎丸選手はその場で号泣し「生まれて初めて自分が誰かから必要とされている人間なんだと感じた」とのエピソードを語りました。
長男は「皆、知ったような口ばかり叩きすぎる。何億通りもあるうちのたった一通りの人生を歩んだだけで人生を語りすぎ。最近ならイスラム国(通称)の問題について語る大人も多いけどちょっとシリア近くまで行って現実を肌で感じてくるわと言っている奴など皆無や」と。
確かに五郎丸選手はプロ野球選手はお金を貰いすぎなどと言いません。
それは自分がプロ野球の内情を知らないからだろし彼らしい態度です。
彼には黒歴史もあり、高校時代に花園のフィールドに立った時に舞い上がり、能力以上のものを出そうとしチームにも自分が自分自身に対してかけていた期待も裏切ることになったと。
その時の映像は一生観ることはないとのことですが更にステップアップした時には向き合えるかもしれませんね。
ただ今は名の通り前だけを見て『歩んで』いるのでしょう。
五郎丸選手がワールドカップの舞台で語った「ラグビーに偶然や奇跡などありません。これは必然です」と語った裏には彼にしかわからない過程があったからなんだと改めて理解しました。
果たして私はいつになれば良い意味でこの現実は必然だと言えるのだろう?
タイトルと記事との整合性については次回(3)以降で…