2015年09月25日

ウシジマくんの表情が変わるとしたら。

いつも面倒くさい文章ばかりと言われ続けて長年経ちますが、誕生日を目前にして少し異質の内容で書き込みます。



今更ですが、お金の性質上『遊び』の要素が入っている場合は出て行く一方になります。

『遊び』をキーワードとすると読書などは微妙ですが、遊興費・娯楽費・教養費を『非仕事・非労働』と捉えると読書もまた生産性はありません。

『仕事・労働・たまにウサギや亀」の闇金ウシジマくんは日常生活を営む上で、基本的に笑顔はなく他の感情も抑制気味です。

お金が人生の99%を左右するなら私達はウシジマくんの生き方や考え方に学ぶところがあります。


で、そんなポーカーフェイスのウシジマくんが「マジか!!」と表情を変えるのはどんな時かを考えてみました。


例えば、110円つくはずだった競馬の複勝馬券が、自分の買った金額が大き過ぎて最終的には100円になった瞬間。

例えば、たまにはあっちの方のデリバリーでも頼もうと「痩せてるよりはぽっちゃりの方がいいです」と電話をしたけれど、派遣されて来た子が3桁体重だった時。

例えば、螺旋(らせん)階段を軽快に2段飛びで駈け降りていたら、なぜか最後の1段の幅が広かったため『ガクン』となった時。

地域振興のプレミアム商品券を買うために朝の9時から2時間並んでいたら「7時にお配りした整理券をお持ちの方が優先になりますと言われて、自分のふたつ前の人間で商品券が完売した時。


センスがあればもっと想像出来るはずですが、今回のタイトルを思いついてから直ぐに書きはじめたのでこの程度しか例を出せず、爆笑記事を期待した方々には謝罪いたします(誰も期待してないしそもそも訪問者ありきとは傲慢な奴→街の声)


そんなグダグダはさておき、要はウシジマくんにとって人生はそんなに華やかなものではないし、きゃぴきゃぴはしゃぐようなものではないのだろう。


きゃぴきゃぴと馬券を買い続けて借金まみれになるより、無表情でも自分の稼いだ金で毎日の食事代を賄うとの当たり前の生活を続けることこそが人間としての最低限の在り方だとの自覚があるからこそ信念を持ち自分の生き方や考え方を貫けるのだろう。

たかが漫画の主人公と揶揄(やゆ)するのは簡単ですが、空飛ぶ乗り物があればいいなーと夢想しながらノートに飛行機の落書きをしたところから飛行技術は発展しました。

「ウシジマくんになりたいな」が具現化したとして何の違和感もない。


posted by tetsukazu at 14:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月22日

人生クソゲー理論の考察(1)

以前に長男が「人生なんてクソゲーや!」と語ったことを記事にしましたが、ネット上で見つけたコメントで「なるほど」と思えるものがあったので一部を引用させてもらった上で考察したいと思います。


その「なるほど」と思った言葉は、「人生というゲームのエンディングはもれなく[死]であり、いち早くゴールするためのキーワードはどうやら[樹海]らしい」


以上が要点です。

確かに人生というゲームにおいては早くゴールにたどり着くのが勝者なのか、最後まで盤面のイベントを楽しんで同世代のプレイヤーの最後にゴールするのが勝者なのか微妙です。

長く楽しんでも最後の方で身体はガタガタだわ認知症になるわでは楽しむ余裕もなくなります。


最近のトピックと言えばラグビー日本代表が南アフリカを撃破したことですが、彼らはマップ上の「ワールドカップ参加券」とのアイテムを手にして戦いに臨んでいる最中です。


我々は、同世代と共に『ポン』とマップ上のスタート地点に放り出されたところから人生が始まります。

ナビゲーターだったはずの親が亡くなった後は自らの経験を脳に保持しその経験値を武器にコマを進めます。

以前、人間は成長を目指しながらも同時に死に近づくとの永遠の矛盾の渦中にいると語りましたが、「人生クソゲー理論」はそれを更に平たく表現したものなのでしょう。

これも以前に書きましたが、元競輪選手の松本整氏が「人間それぞれの背中には寿命を表す『砂時計』があるのだが、背中だけに自分自身はまだ落ちていない砂の量を確認出来ない」と語ったことは有名です。

それを考えると我々が進むマップの先は一人一人には見えず、「俺(私)が歩いた後に道が出来る」とのイメージが適切かとも思います。
つまり生きて行く上での未来のイメージとは、ボードゲームの人生ゲームのようなものでもアナログ時計でもなく、暗闇の中で手探りで前に進むお化け屋敷か表示されて初めて時を刻むデジタル時計のようなものかも知れませんね。

宵越しの金は持たねぇの解釈は様々あると思いますが、今日で人生が終わるとすれば間違いでもありません。

「そうは言っても明日は来る」と言われたところで個人にとっての明日など何の保証もありません。

人生という名のロープレのパーティーの先頭だと思っていましたが、長男が先頭に立とうとしている今、そっと群れを離れるか群れの後ろから進むかの選択に迫られます。 (2)に続く…
posted by tetsukazu at 01:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月14日

徒然に(10)

前回の更新からあっという間に1ヶ月近く経ちました。

この期間に下腹部に思いもかけない変調が発生したため慎重に時を過ごしていました。

と言っても私がそんな急に大人しくするはずもなく6割程度の割合では好きなこともこなしていました。

そんなこんなの状況の中、今年も誕生日が近づいて来ました。
先日、いつもの議論相手と話す途中で「資本主義社会では経営者は従業員に対し、食べて寝て着る費用の他は僅かな教養費・嗜好品費・娯楽費程度しか余分には給与に盛り込まんよな」で意見が一致しました。

つまり一般労働者が貯蓄しようと思ったら娯楽費を削るしかないとの話。

『貯めるか遊ぶか』のニ択ですね。
まさにリアル『カイジ』です。

小学生の頃から他の子供が遊んでいる時にも勉強に励み、デートなども我慢した末に安定した職に就く。
しかしそれが終着点ではなくそこからまた延々と競争が続き、そこまで努力を続けてやっと30代半ばでローンで自宅を手に入れる程度の貯蓄が生まれるとの話。


プロテニスの全米オープンの車椅子の部で国枝選手が連覇しましたが、彼ほどの実績でも月収にしたら40万ほどにしかならないそうです(遠征費をスポンサーや協会が負担する分を除く)
同じく車椅子の女子の方も日本の上地選手が決勝に進出していますが彼女は更に厳しい状況だろうと想像します。

彼や彼女らにとっては貯蓄と夢のニ択のうちの夢ややりがいを選択したのだと思います。


このブログでは人生の選択での優先順位が必要だと言い続けて来ました。

しかし選択以前に『リソース→資源・供給源・財源』が大前提になります。
ある意味、健康や家族や友人知人もリソースになり得るし、やる気の供給源としてなら好きなアイドルやら好きな趣味もリソースと言えます。


本当に賢い人間は本質的に何が重要かを無意識下でも悟っているはずです。

元旦や誕生日は過去に自分が賢い生き方をしたかどうかと向き合う日でもあります。

何のためのリソースなのか?
それはどう考えても中長期的な将来に向けてのものです。

それが破滅に向けてのものでなく幸せに向けてのものであり続けるためにも『謙虚』な気持ちを失いたくはありません。


それにしても来年から京成杯オータム田辺ハンデと名称を変えてはどうですかね。
ハンデキャッパー仕事出来すぎ(笑)


posted by tetsukazu at 11:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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