2015年08月17日

徒然に(9)

4日間の夏休みもあっと言う間に終わりましたが、来月にはまた誕生日が来るためそろそろ自己確認が必要な時期かなと思っています。

昨日(15日)はEテレで京大総長の山極氏と冒険家の関野浩一氏が対談していましたが、人類の祖先の誕生から700万年の歴史の中で我々の種が最も大事にして来たのは『安定した生活』だとの見解に刺激を受けました。

それと言うのも私が常にかかわっているギャンブルは、「安定とは真逆」のものだからです。

それを考えると私は人類の王道を歩んではおらず、サブでありイレギュラーな存在なのかもしれません。
ただ、その一方では二人の息子を育てたしギャンブルにおいても『張りぼて本命の呪縛』から抜け出せません。
つまり完全にアウトローになったわけではなく、結局は常識の範疇の中でしか生きていないのでしょう。

数時間前に見たテレビ番組で世界的なボルダリングの選手(女性)が足に大きなタコを作っている映像を目にしましたが、どんな世界でも肉体の一部が変形する位でないと『一流』にはなれないのでしょうね。

長男は社会経験を積むにしたがい「世の中クズだらけ」と語ります。
そんな中で私までもが信頼に欠ける存在になると長男の絶望の度合いは上がってしまいます。
癒しの役割も含め、『安定した生活』の確保も私の残された使命なのかもしれません。
土曜日も日曜日も長男は一日中仕事でした。
私は、せめて自宅に居て「お疲れ」と言うべきかなと思いどこにも出掛けませんでしたが、『生活の安定と心の安定』がセットであるならば『家庭』の意義は大きなものであるはず。

生活の安定と好きなことの共存は難しいですが、今日のエントリーの内容の一部に私の目指すべき方向性が示唆されているかもしれません。

そしてこんな思いに至ることこそが夏休みの大きな意義なのかもしれないし、こうして人並みに休みをとれる私は収入は別としてある意味勝ち組かもしれないですね。

これからの私が体や心のどこかに大きなタコを作る位本気になれた場合に限り、来月に来る私の誕生日が違ったものになることでしょう。



それにしても日曜日の新潟競馬の関屋記念は難しいレースでしたね。
同じメンバーで10回走れば5頭か6頭の勝ち馬が出てもおかしくありません。
当たった人間も外れた人間も『過度な自信や過度な失望』を持たない方が良いと思いますね。



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2015年08月13日

徒然に(8)

インターネットの発達も伴い、誤魔化しも人のせいにも出来ない時代が来ているように思います。

「こんな立場・こんな環境で生まれ育っていなければこんな状況にはなっていなかったはず」と言いたい心を『ぐっと』おさえて『ギリギリ』のところで自分自身がやって行くしかありません。

金にもならない理屈を言っているその瞬間にも己の命が尽きるかもしれないし、誰かを誹謗中傷したりしているその瞬間にも人生が終わるかもしれないし、最近亡くなった元力士のように妻以外の女性と密室にいる時に息を引きとることだってあります。


そもそも太平洋戦争時は、自分の意思とは別に国家の意思が優先していました。つまり国家として与えられたものの一部が国民であり国家のためならば国民の命さえも犠牲にしても仕方がないとの仕組みです。

このブログを通じて私が主張して来たことのひとつに「人は己に与えられた要素をどう利用するかにより人生の方向性が大きく変わる」があります。

与えられたものとは、命や時間や生まれ持った容姿や資質や家庭環境や収入やパートナー等々です。
幸い、今は自衛隊を通じての志願兵が一般的なので一個人の命が全て一国家に委ねられることは無くなりました。
それでも世界では経済的背景の下で生活のために軍隊に志願する者もいることでしょう。

日本人として日本に暮らす中で、国家のために死んでくれと言われることもなく与えられた明日という一日をどう活用するのか?
何のために誰のために生きるのか?

大切な瞬間のために集中力を高めて行くのは当然として、特に大きなイベントのない明日に向けては集中力を高める必要がないと言えるのか?
いや、きっとそんなことはないはず。

個人の命が国家に委ねられていた時代の緊張感と自由過ぎるほど自由な選択が可能な今とで比較した時、自信を持って個人個人の振る舞いの質が向上したと言えるのだろうか?

70年前に国家(伝統・国土・子孫)のために死んで行った方々からの恩恵の一部を享受しているとの自覚を少しでも持つならば、今を生きる私達にも緊張感や集中力がよみがえるようにも思えます。
そのためにもこの夏に少なくとも自分自身の本当の意味での尊い生き方や毅然とした生き方を考えてみても損はないと思います。

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2015年08月09日

徒然に(7)

競輪の児玉選手が自殺したようです。
今年は、競馬の後藤騎手・オートレースの片平選手と自殺だと思われる訃報が続きます。

私は、このブログを通じて「人間は自分勝手だし自分のメリットに応じて選択を繰り返し生きている」と述べ続けています。

そうであるならば前述の三人は自殺がメリットだったのだろうか?

児玉選手がストーカー行為を行ったとされる女性は私も知るキャスター。
彼女の告発の後、児玉選手は斡旋を保留されその期間に死を選んだのですが、生涯賞金獲得金額が11億円の彼は何を望み何を求めたのだろう。

南こうせつは「心が傷ついても信じる気持ちを忘れない」と歌いますが、収入の多少にかかわらず誰しも心がずたずたになる時があります。
前述の三選手は、やりたいことを仕事に結びつけたように見えるのにこの結果です。
多くの人間は生活の糧として仕事に従事するのですが、その過程では手段と目的が曖昧になりがち。人生の目的のひとつが結婚と仮定する場合、二十代での結婚ならば自分勝手に生きているだけではパートナーを見つけるのは難しいでしょう。
もしかしたら理想的なのは、自分の意思を貫き通した末にそんな異性を容認するパートナーと巡り合うことかもしれません。

今日はボートレースのGTレディースチャンピオンの優勝戦です。
デビューから私が応援する香川支部の平山智加選手は惜しくも優出はなりませんでしたが、同じく応援している同支部の平高奈菜選手は優勝戦の2号艇で出場します。

いつの間にか30才になった平山選手は既に香川支部の先輩レーサーの福田選手と結婚していますが、平高選手は独身です。
「心を込めての走り」のキャッチフレーズで有名な平山選手の人生の目的の中では結婚も大きな位置を占めていたのだと思います。

一方で平高選手は以前に自分自身で「ワイルドヤンキー」と言っていた位なので、軟弱な男を寄せつけない雰囲気を持っています。
私もストイックにレースに打ち込むそんな彼女が好きです。平高選手はここ数年、フライングとレース中の事故点に悩まされており彼女にとっては辛い時期が続いたと思いますが、28才の現在になり「自分を信じて」レースに臨むはず。
香川支部先輩の山川選手が進入で内をうかがえばインが深くなり2号艇有利。ジャンク全開で墓穴を掘った今日の私ですが、レースギャンブルとの文化を守り続ける今夜の彼女を眩しく見守ります(負け金を通じて私も文化保護に貢献)
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2015年08月02日

徒然に(6)

前エントリーからの続きです。

『私益・私欲・私心』の話ですが、何かにはまるとの個人的現象はある意味「生きている意味』と繋がっている気がしてなりません。

例えば『でんぱ組.inc』の最上もがにはまる人間にとっては、だれが何と言おうが彼女らの音楽に触れる時こそが至福の時です。
そう言う私も彼女らの楽曲のクオリティの高さに驚きます。
とにかく他者がはまるものに対して何を感じようが、それは他者にとっても同じこと(家族であれ)です。

話を前エントリーに戻し、私の件を思い出したとの具体的内容ですが、私のブログでの競馬予想が人気サイドに偏っていることに対して「ブログ主さんは超うまい饅頭を売る店を探す努力をしていないし探す気もないのでは?」と指摘されたことがあります。
当時の私は、その指摘に対して素直に吸収するだけの器量に欠けていて反論内容にも説得力がなかったかもしれません。

ただ、最近は長男と競馬の予想をすることも多くなり、長男の超うまい饅頭探しの行為が眩しくなって来ました。

馬券に関しては自分の予想を信じようが、息子の見解や新聞の印に引っ張られようが結果が全て。

「そもそも俺はそこまで饅頭好きだったっけ?」も含めて、考えさせられます。

あれだけ行っていた夜のお店だってここ最近行かないことで、そこまで好きでなかったことに気付かされます。


どちらにしても今まで生きてきた中では、私がはまった最大のジャンルは『ギャンブル』になるため、それを物差しにして私が饅頭好きなのか焼き肉好きなのか寿司好きなのかピザ好きなのかを自問自答するしかありません(勿論食べ物は例えです)。
そして同時に超うまいものを欲しているかも自問自答するのが賢明ですね。

結婚に例えると、綾瀬はるかや長澤まさみと何としてでも結婚すると決意してやれるだけのことをやるとかです(長渕剛が早い段階で当時アイドルの石野真子と結婚すると決意して実際に結婚したように)。
本当に超素敵な女性としか結婚しないと決意したなら妥協などあり得ないのだから超素敵な女性と仲良くなれなかったら独身を貫く覚悟はセットになります。

このように人間は私に限らず自分自身の認識を曖昧にしていることが多いように思います。
せっかく長男と刺激し合う関係が成立したのだから一歩踏み込めればいいですね。

というわけでアイビスサマーダッシュは超うまい枠(笑)を引いたセイコーライコウ一択で。
posted by tetsukazu at 05:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

徒然に(5)

『国益』という言葉がありますが、私が感じる限りその言葉が具体性を持った言葉には思えません。

日本は中央官僚が支配する国と言われますが、俗に言う『無謬性』信仰がひとり歩きしているとの印象です。
それは、日本人が根底に持つ『性善説』なしでは語れません。

知識も何もない一般人に国を任すより学力に優る霞ヶ関の官僚に行政を任せる方が間違った方向に行かないとの漠然とした思いの結果なのでしょう。

勿論、建前としては政治家(稀に民間人)が各行政機関のトップなのですが、本当の意味で国益を考えたのは岸信介や吉田茂までさかのぼらないとならないかもしれません。
日米安保は当時の学生を中心にかなりの非難を浴びましたが、現在の状況を考えると他に選択があったのかと思うしかありません。
それほど『負けた』事実は重かったと言うことです。

第二次世界大戦(日本にとっては太平洋戦争)の時、スウェーデン駐在の武官だった小野寺信が大本営に対して送った密電を大本営の幹部だった瀬島龍三らに握り潰されたとの話(ソ連が電撃的に参戦とのヤルタ密約暴露話)を聞くにつれ国民を道連れにした罪の重さを感じます。

暴言覚悟で言えば昭和天皇も敗戦(終戦ではない)後に責任はとっていません。
日本での今に至る責任者不在(新国立競技場問題など)の件も当時の日本の有り様とどこかで繋がっているのかもしれません。


話は変わり、芸能人の(元)ほっしゃんがネット上で騒動を起こしていますが、私は自分自身のことを思い出してしまいました。

彼は自分に対して批判的な発言に対して「下の下の下の[奇]太郎 」との言葉で応戦するのですが、私が冒頭で語った真に『国益』を考えている者などいるのか?との話を当てはめると、(元)ほっしゃんは何に向かって怒りをぶつけているのかわからなくなります。

『私益』がどの範囲に及ぶのから曖昧ですが、(元)ほっしゃんは何を守りたくて現在の心境になっているのか理解出来ません。
彼が国益を考える人間なら批判的な人間も含めての日本だし、ただの内輪もめです。
家族を守るためならば過去の女性問題との辻褄が合いません。
となると彼も多分に漏れず『私益・私欲・私心』の侵害に憤っているのでしょう。
仮に、自身の立場を擁護する者との連帯を考えているならそこにも『裏切り』はあるでしょう。

携帯からの投稿なのでエントリーの長さに制限があるので徒然に(6)として連投します。
posted by tetsukazu at 04:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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