昨日(15日)はEテレで京大総長の山極氏と冒険家の関野浩一氏が対談していましたが、人類の祖先の誕生から700万年の歴史の中で我々の種が最も大事にして来たのは『安定した生活』だとの見解に刺激を受けました。
それと言うのも私が常にかかわっているギャンブルは、「安定とは真逆」のものだからです。
それを考えると私は人類の王道を歩んではおらず、サブでありイレギュラーな存在なのかもしれません。
ただ、その一方では二人の息子を育てたしギャンブルにおいても『張りぼて本命の呪縛』から抜け出せません。
つまり完全にアウトローになったわけではなく、結局は常識の範疇の中でしか生きていないのでしょう。
数時間前に見たテレビ番組で世界的なボルダリングの選手(女性)が足に大きなタコを作っている映像を目にしましたが、どんな世界でも肉体の一部が変形する位でないと『一流』にはなれないのでしょうね。
長男は社会経験を積むにしたがい「世の中クズだらけ」と語ります。
そんな中で私までもが信頼に欠ける存在になると長男の絶望の度合いは上がってしまいます。
癒しの役割も含め、『安定した生活』の確保も私の残された使命なのかもしれません。
土曜日も日曜日も長男は一日中仕事でした。
私は、せめて自宅に居て「お疲れ」と言うべきかなと思いどこにも出掛けませんでしたが、『生活の安定と心の安定』がセットであるならば『家庭』の意義は大きなものであるはず。
生活の安定と好きなことの共存は難しいですが、今日のエントリーの内容の一部に私の目指すべき方向性が示唆されているかもしれません。
そしてこんな思いに至ることこそが夏休みの大きな意義なのかもしれないし、こうして人並みに休みをとれる私は収入は別としてある意味勝ち組かもしれないですね。
これからの私が体や心のどこかに大きなタコを作る位本気になれた場合に限り、来月に来る私の誕生日が違ったものになることでしょう。
それにしても日曜日の新潟競馬の関屋記念は難しいレースでしたね。
同じメンバーで10回走れば5頭か6頭の勝ち馬が出てもおかしくありません。
当たった人間も外れた人間も『過度な自信や過度な失望』を持たない方が良いと思いますね。