2015年01月31日

遅くなりましたが。

日常に追われている間に、1月15日が過ぎてしまって自分に少しがっかりしています。

短い間でしたが女性オートレーサーとして精一杯戦っていた『坂井宏朱』さんが練習中の不測の事故により亡くなられてから今年の1月15日で3年になりました。

彼女の所属していた船橋オートレース場は選手の署名活動が行われる中、廃止の方向で進んでいます。

大人の事情とは言え、希望を胸にオートレースの世界に飛び込んだ坂井さんは今頃どんな心境なのでしょうね。

デビュー後、私のブログで何度か触れていたのに時の経過と共に彼女の命日をスルーしてしまう自分の余裕のない人生と口ほどにない偽善性には自己評価を下げる他ありません。

彼女が生きられなかったこの3年間、私は胸を張って精一杯生きたと言えるのだろうか。

彼女の命日は来年も再来年もやってきます。

ブログ上でどんなに綺麗事語っても彼女に対する想いの風化振りが露呈することで値打ちは半減します。

本当の意味での人間の評価は、こんな事柄と誠実に対峙しているかで成されるものだと思います。

来年の今頃、私は彼女に対して「無駄に生きていないよ」と言えるのだろうか。

合掌。


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2015年01月29日

やってしもた。

またまたのバカエントリーのためどうぞスルーして下さい。

人との出会いを単なる『偶然』と位置付けない私にまたひとつの出会いが…?


夜の街卒業宣言から10日。自分自身との約束はどうなっとるんや!状態なのは認めますが宣言前の約束もあり色々あって昨夜三軒梯子しました。

そして梯子三軒目は十数年振りとなるクラブ遊びでした(お店の内容はご想像にまで)。

この5年、彼女も作らず風俗も通わずの私には、あともう一歩で風俗の領域に入る直前のぎりぎりのラインです。

自称初勤務から三日目の25才不思議ちゃん系女性(見かけは21才⇒お店の責任者も伊達に面接していない)と一緒にはしゃぎました。
帰り際にはLine交換してくれます?
と言われましたが、「悪い、ガラケーやねん」と言ったら私のケータイを手に取り自分のスマホに電話をし結果的に番号交換となりました。

その不思議ちゃんは「今度付き合うとしたらその人が結婚相手のつもりで付き合う」と言ってましたが、私は速攻で「いやいや、それなら大多数の結婚対象外の男を相手にする職業を選択するのはおかしいやろ!」と突っ込みました。
すると「じゃあ30才位で結婚しますね」と不思議アタックで返して来ました。

彼女は、メイド喫茶(カフェ)に一緒に行こうとも言っていましたが、男と言う生き物は女に安心感を持たれた者勝ちやなと勘違い込みで感じました。

更に不思議ちゃんらしく延々と一人暮らし時のホルダー(ポルダー?)ガイスト現象とお祓いをしに来た謎の男性のことを語っていましたが、100人いたら98人まで「話なげ〜〜それでオチは?」と突っ込むでしょう。

そしてそんなこんなで朝6時に帰宅して目覚ましなしに8時に完璧に起床して何事もなかったかのように仕事に向かう私こそ不思議ちゃんかも?
私は最近では、「どうして昔あんなに女性とのスキンシップを求めたんやろ」と感じ始めていましたが、お仕事とは言えスキンシップを拒まない不思議ちゃんを見ていると、「そうか、守備範囲の年齢で守備範囲の女性が、グローブに向かって飛んできたら普通にキャッチするよな」と思いました。

ポジション以外のところに飛んだ球にも食らい付く奴もいるけど、基本はフィールドに立つからこそ球も飛んで来るわけであり、堅実な守備力なら一試合に一球程度はキャッチ出来ますよね。
夜の世界は留年の可能性もありますが、せっかくなので足跡のひとつ位残してみようかな…
posted by tetsukazu at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月27日

悲劇はどうして繰り返し起きるのか。

この場では今まで何度も男女や親子にまつわる事件を取り上げて来ました。

そしてそれらの事件は今も起き続けています。

最近では、26才の既婚男性警官が、交際相手であった23才の女性を殺害した事件もまた衝撃的でした。

人間は、どんな近くに存在する場合でも他者の気持ちを完全な形で理解するのは物理的にも困難です。

だからこそ人は自分の気持ちに正直でいたいと思うし、被害者の女性も相手を好きな気持ちが抑えられなかったのでしょうね。

一方、男性はと言うと結果的に相手を殺してしまったわけなのですから、どこか深層心理の上での『殺人願望』が闇の存在として心に巣くっていたのかもしれません。

被害者の女性にはお悔やみ申し上げますが、不謹慎ながら愛する男性に殺されたことで他の男性を愛することも出来なくなったのですから『殉愛』を貫いたことになりました。

そうであるならば、加害男性が被害者の女性に対してどのような『質』の愛情を持っていたのかが同性としては気になります。

仮に『性のはけ口』の要素があったとすれば、いかに自分の頭で考えることなく生きて来たのかが推測出来ます。

週刊誌の『美しくなるためのセックス』などの特集は無責任としか言えないし、バージンロードという言葉の語源と資本主義社会の概念がいかに解離しているかがはかり知れます。
23才の女性にとってはバージンロードを歩き始めてたつもりが、目線の先に別の女性がいたようなものだったのでしょう。


以前にも書きましたが、人間も動物なので『メリットの法則』に従って生きているおり、原理的に『他者への愛情』を優先するのは困難です。

加害者にとって被害者女性が『デメリット』な存在となった瞬間、『眠っていた原始的な動物本能』が目覚めてしまったのでしょうね。

そして殺害のその時、理性に理性を積み上げで出来た人間社会の法律・ルール・道徳・礼儀と言ったものを動物本能が凌駕したのでしょう。

動物の要素を捨てることで人間になるのか?それとも「他者を愛することこそが本能をも満たす究極の自己愛の裏返し』なのか?

私達は今日も己の肉体と心をもて余し、そしてつまずきながらも誰かと互いを磨き合いながら生きて行くしかないのだろう。
posted by tetsukazu at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月26日

自分が変わらないと何も変わらない。

今の私は、誰かと会話したいと思っても夜のお店に行く位しか術がありません。
ギャンブルにうつつを抜かしていたこともあり、同世代で親友と呼べる人間もいないし唯一継続した話し相手であったパートナーも今は側にいません。

人嫌いで一人でいるのが何より好きと言うほど孤独を愛しているわけでもないし、それどころか歌う歌は「あなたに出会えて良かった」的なものが中心。

息子に言わせると私のようにブログを続けるのは『自己顕示欲』の反映らしいし、私自身もこの場で「かまってちゃん」であることを否定していません。

そして夜の街の女性達は、そんなかまってちゃんを絶好のカモとしてターゲットにするのでしょう。

私は、昔から活字中毒だし映画やドラマ好きでもあります。

しかし、生身の女性からの影響を受けることで自分自身を変えて来たのも事実です。

夜の世界の女性に今まで何回か、日本の人口って何人?と聞きましたが、「三億人」とか「六十億人」とか「五百万人」とか「百万の上の単位って何人やったっけ?」とかの返答で、私は「日本の人口を知っていることと幸せとは全く関係ないし、人間の魅力とも関係ないのかな?」と思わされます。

ブログでも語りましたが、数年前にある女性から「AやらBやらの例え話されても頭がついて行けないしそんな面倒くさい話はお願いなのでやめて下さい」と言われました。
そんな時、私は素直に言うことを聞くんですよね。
それ以来、女性に対してはただの一度も「例えばAとBがいたとして…」などの話はしていません。

確かに、日本の人口や都道府県の名前に全く興味ない人間にAとかBとかの話は無理があります(特定の女性を揶揄しているのではなく、自分自身が物事を掘り下げ過ぎなことの反省も含めてです)。

日本の人口を知らなくてもその女性は私の目の前で半端ない位のレベルで楽曲を歌い上げますし私の心を揺さぶります。

私は他者から「もっとシンプルに考えるべき」と言われ続けた人生でしたが、同時に偏ったジャンルで超シンプルに欲望を開花させて来た人生でもありました。

全く違う価値観を持つ男女であっても触媒になるものがあれば溶け合えるだろうし互いを高め合うことも出来るでしょう。

私にとってのちょうど良い『シンプル』が見つかった時、私の人生はようやく転換するのかもしれませんね(小保方さんと笹井さんの関係などは融合未遂としてアンチテーゼになるかと)。
posted by tetsukazu at 05:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月25日

切なさを抱きしめて。

何だかとても疲れていますが、リンク先の方の記事を見て少しは元気をもらいました。

オデキさんは辛い状況の中、前を向いて生きて行こうとされているし、けん♂さんは心を打つ記事を書き続けられています。

そんなけん♂さんの今日の回顧記事の中での『強い意志を持った騎乗』との表現にはハッとしました。

この五年間、流され続けて来た私には耳の痛い言葉です。

新しい家庭を持つために努力したわけでもなく、復縁を望んでアプローチしたわけでもなく、かといって一人で生きて行くぞとの強い意志があったわけでもありません。

行き付けのお店の女性スタッフから「来週必ず来てねハート」とのメールが来て、行ったとしても「お先に帰ります」と先に去られた時など「俺は何でここにこうしているんやろ」と思ってしまいますし、かといって最後までいてアフターでどこか行った場合は満足かというと、翌日は死んだように戦力ダウンするしそれはそれで昼の世界と健康に支障をきたします。

今、流星ワゴンという良質のドラマの第2話を見終えました。
運命は変えられないけれどものの見方や考え方は変えられるとのメッセージは伝わりますし、人生は楽しくないより楽しい方がいいんだぜとのメッセージ性も感じます。

JUJUのありがとうやELTのフラジール(あえてカタカナ)やMISIAの逢いたくて今を歌いまくる今の私の気持ちが現実の反映ならば、既に出会った人達との様々な形での交流を通じて私は孤独でも何でもない状態になっているのかもしれません。

とは言え、しっくり来るとまで表現出来る女性はそう多くはありませんし相手もまたそうでしょう。
私は、スナックなどに行き、気に入った女性の前で好きな歌を歌う時が幸せな瞬間です。

そして、私が楽しそうに歌う姿を同じように楽しんでくれる女性のことも大好きです。

確かにお金はかかりますし、コスプレ衣装のプレゼントやなんやで出費が重んだりします。

それでも私は私の人生を演出して楽しんでいます。

先週で夜の世界から卒業しようと思った気持ちは本当です。
ただ、今日のような辛さを味わうと人恋しさが増すのも事実です。

それにしても『結婚』という制度は凄い制度ですよね。
恒久的な話し相手を得られるわ永遠の孤独からも解放されるわ良いことだらけですよね。

私はそれをどうして手離すことになったのだろう。
きっとこれからもその原因を探すための毎日になるのでしょうね。
posted by tetsukazu at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

またまた訂正です。

悲しい…

毎回毎回のエントリーで誤編集の繰り返し。

前エントリーでも
『帰れる家』を何回繰り返しとんねん!水々しいの表現も『瑞々しい』の方が良かった気がします。
申し訳ありません。
m(_ _)m


それにしても次男の勤務地が我が家から近い場合、次男までもが帰って来る可能性もあり、のほほんと一人暮らしをしていた時期もそろそろ終わりそうです。

訂正に便乗して今日の競馬の東海ステークスに言及しますが、ナムラビクターの56kは恵まれましたね。

ナムラビクターの単を70%ほど買って、コパノリッキー⇒ナムラビクターの馬単を30%ほど買っとけば安心してレースを観戦出来そうですが、レースは水ものですしね。

実際に金銭上ギャンブルにかかわるかどうかは、前エントリーで使った表現を引用すると「未来に対しての自分自身の瑞々しい感性と向き合いつつ賢明かつアグレッシブでもある選択をすること」ですかね。


posted by tetsukazu at 12:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『こじらせ』は誰にもあるけれど…

久々に長男と待ち合わせをしてハンバーガーショップで食事をしました。

と言うのも長男の空気を察してこちらから声を掛けて現在の心境を吐き出させようと思ったからです。

するとやはり私の勘は当たっていて、「親父のところに戻ろうかなと思てるんや」との話を聞き出せました。

戻れる家があるから言えることであり,私は戻れる家があるから言えることであり私は、「戻るんやったらいつでも戻って来い」と声を掛けました。


先週で5年に渡る飲み屋通いを一旦卒業した私ですが、私にとっての『イイ女』とは何かを改めて実感する期間になりました。

その期間、30代や40代の女性とも多く接点がありましたが、知り合った中で誰かと結婚したのは結局、一緒にボウリングデートをした20代後半の女性だけでした。

そう考えると言いにくいながら、「結婚する女性とそうでない女性にはやはり違う点を感じるな」です。

『こじらせ女子』との言葉もありますが、私もまた30代以上の未婚女性から「こじらせ感」を抱きました。

そしてそれは夜の女性だけでなく、昼間に接点のある女性にも言えることで、「自分から男性を好きになったことない」とか、「自己中心思考」から抜け出せない女性を見ているとやはり『こじらせ』風が吹いて来ます。

昨日も全国レベルのゲーマーである長男が、「人生や恋愛は最高難度のロールプレイングゲームやと実感する」と語っていました。

私は、そんな高難度のロープレで結婚までは一旦クリアしたのですが、それは20代で数百万の蓄えがあったこそであり、20代で結婚と仕事上の独立が出来たのもヤクザな日々直後の真っ直ぐで王道と言える日々を過ごした賜物です。

10代後半から20代前半でのこじらせ度に関しては、全国レベルの私だったので、周囲のこじらせ女性にも私なりに感じることはあります。

そんな30代女性に送った最近のメールは次のようなものです。

「君(実際は名前で表現)は素敵な女性だけど、しっかりした男性の影響を受けることで更に素敵な女性になると思います」


本当はその女性がまだ20代の時に上記内容の言葉を送るべきなのでしょうが、失礼かそうではない境界の観点からは、「ぎりぎりセーフ」との判断で送りました。

私は何も一方的に女は男の言うことを聞けと言っているのでなく、男もまた女に影響を受け成長するとの真意も含んでいます。
後は個々人の持つ水々しい感性次第です。
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2015年01月24日

批判ついでに。

前記事で、資本主義社会が悪の塊と語りましたが、プチ資本家であるスナックやクラブのママ達が深層心理上「泥棒してでもカード使い倒してでも家売り飛ばしてでも良いから店に来なさいよ」との状態になっていたとしても資本主義社会上の論理では、倫理観欠落とまでは言えないし、客側もそういった仕組みを事前に理解した上で来店するべきです。

そしてそれはギャンブル場や株取引の場にも言えることです。

悪とまでは言えませんが、結婚した途端に結婚産業絡みで、一千万ほどの貯金があっという間に無くなるのなんて平常運行(日常茶飯事)です。

『孤独』とどう向き合うかは人生を決定付ける可能性さえあります。

前記事での神をも欺く既婚者に比べれば、一見孤独な30代から40代の独身男女の方が遥かに誠実です。

綱渡りを渡るかのように戦場を駆けぬけるのが人生ですが、これからも私は、『自分の頭で思考する』という武器を携帯しながら戦場で戦います。
posted by tetsukazu at 13:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前記事に続く。

相変わらず私の記事に誤字等が目立ちます。

前記事の佐藤泰志品の品は間違って付け足してしまっています。

それもあり、ネット上で佐藤さん関連の記事を拾い読みしていたら「鋭いな」と思った作品評・人物評があったので少し引用します(書かれた方お許し下さい⇒一部表現は私が脚色)。

孤独には、脚色された孤独と、人に見せられない孤独があり、更にはその中間辺りに存在する孤独があることが彼の作品からひしひしと伝わる。

特に中間に存在する孤独は宙ぶらりんとなりそれに苦しむことが多いことが作品から感じるが、それらの孤独のどの部分にスポットライトが当たるかでその深さや濃さに差が生じることがわかる。

かと言って、孤独と言う暗闇や生活上の暗闇が全くない場所なんてこの世にないし、もしそんな場所がありそこに人が居続けたら人は壊れてしまうだろう。

そう、必要なのは『光の調整』

暗闇に対して光の当て方は調整可能だ。けれども世の中にはそういった調整が苦手な人がいて、佐藤氏もまたそうだったのかもしれない。

佐藤氏は、「10年先のことなどわからない」と繰り返し語っていたが、ひょっとしたら彼は明日のことも、「いや」今日のこともわかっていなかったのかもしれない。


以上がその内容です。

古今東西の作家(映画制作や舞台芸術等含む)の中には生い立ちに恵まれていない方も多いと聞きます。
あの宮崎駿さんなども複雑な生い立ちのようですね。

だからこそ作品での追体験を通じで自分自身の心身のバランスをとろうとするのでしょう。

賛否両論あるとは思いますが、私はいつも語る通り良い悪いは別として、資本主義社会は『悪の塊(かたまり)』との解釈です。

ただ、自分自身も確実にそのフィールドに存在するのだから、『普通の塊』として悪への対処を怠るべきではありません。

それと、これは女性蔑視というのではなく率直な感想ですが、教会で結婚した時に神父が「病める時も苦難の時も死が二人をわかつまで共に暮らしますか?」に対して「はい」と言いながらやがて家を出て行き、「あの時はそう思ったのよ。若気の至りだったわ」と語る女性の言葉を何ひとつ信用する気にはなりません(結果的に元嫁批判にもなりますが覚悟の上です)

何も男を擁護するつもりはなく、去って行く男も同罪だし信用が置けません。

引用を繰り返します。
「自らの一部の孤独に当てた一時的な光はやがて他の孤独を照らすだろう」

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言葉を超えて…

モーニング娘もそうだしAKB48もそうですが、グループを抜けた途端に人気が落ちますね。
その中でも大島優子さんなどは子役出身なこともあり踏ん張っています。

昨夜は中谷美紀さんが対談番組に出ていましたが、メイクが薄いのか痩せ過ぎているのか昔の面影がなくて少し複雑でした。

さて、このブログでは「幸せ』について10年近く語って来たように思いますが、それを言葉にした途端に全ての表現が陳腐になる気もします。

41才で自殺した芥川賞候補作家の佐藤泰志品さんの作品で映画化された『そこのみにて光輝く』に出演した女優の池脇千鶴さんがついこの前、毎日映画コンクールで女優助演賞を受賞しましたが、佐藤さんは幸せな人生だったのかそうでなかったのか?

かつて著名な作家は、「人生をトータルで考えてどうでしたかなどの質問は愚問だし意味がない」と言いました。

この発言も『トータル』と誰かが言った時点でその言葉は無力化するとの意味を含んでいるように思えます。

映画は、映像と台詞で観客に訴えかけ、観客はそれらを自らの感受性を持って心に残します。

私が映画『ルパン三世 カリオストロの城』が好きなのも最後のシーンのルパンの男の美学に共感するからであり、実際に離婚時もあっさりと言って良いほど印鑑をつきました(その後がいまだに大変で、美学を貫くのも命掛けです)

損得勘定で生きる生き方が資本主義社会で正しいのは理解していますが、私は財布に一万円しかなくても行き付けのお店のお気に入りの女性から「来てくれないかな」と言われれば飛んで行きます。

で、その結果が今です。
ただ、強がりであれ今の自分自身の状況に対して、私は誰の責任にもするつもりはありません。
その考え方は息子達にも徹底的に叩き込んで来ました。
と言うより息子達にはそれしか言っていません。

私は、漠然とはしていますが、人にはそれぞれ『天の運』『地の運』『人の運』があると思っています。
私は比較的『人の運』には恵まれていますが、「類は友を呼ぶ』と言われる通り自分自身の生きざまと他者との関わりがつながって行くのは間違いないでしょう。

話を戻すと、『幸せ』を言葉で表現出来ないとすれば、幸せもまた『言葉上の概念』だからだと思います。「悲しみを越えて」と表現するのと同様に「言葉を超えて」幸せを認識するならそれは、「今日という一日の私の生きざまを自分自身が選択出来る事実」に尽きます。
posted by tetsukazu at 10:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月21日

俺は天才か!笑

昨夜、突然テレビの音声がイア(ヤ)フォンでしか聴こえなくなり、今日も仕方なくそうして聴いていました。

ただ、手持ちのそれは1mのものしかなく、何とかならんかなと頭を悩ませていた時、「そうや」ボリュームを50以上にして自分の方に向けて側に置いとけば良いのでは?と考え、そうしたところ、感度の良いやつだったことが幸いして普通に10程度の音量で音が漏れて来ました。

「俺は天才か!… なわけない」

ひとまずは、フット後藤的な『耳キーン』状態からは脱しました。
どちらにしても新しいテレビを買うかこのまま斬新な方法で視聴を続けるしかありません。

それはさて置き、夜の街関係については燃え尽くしやり尽くし状態であるのに昨夜から今日にかけて「今日なんてどう?」との一行メールが三件相次ぎました。

返信はさりげなく送りましたが、推しメンにだけは、件名欄に「あ」と入力し、本文欄に縦に一文字ずつ「い」「で」「す」 と入れ、最後に、「きゃっ!」と入れて送っときました。

営業メールへの今日は行けませんとの返信に対しての更なる返信が「いつも美味しいお土産ありがとう。何かこっそり足してます?」だったので、それ対する内容が先に書いた内容だったのですが、最後に「相変わらずお茶目な方ですね」と返って来てやり取りは終了。

夜の街からは遠ざかることは伝えていませんが、自宅に居ながらにしてスタイリッシュな夜を過ごせました(ただのチャラいおっさんかも?)

実は、そんなメールのやり取りの少し前に日本映画専門チャンネルで『ハラがコレなんで』を見終えたところだったので、ラストシーンの「私はひとりじゃない」と絶妙につながりました。
その上、やはり映画視聴直後に、この二日間一歩も外に出られないとの元妻へ、カラ元気と言う元気の声を肉声で届けていたので、映画を視聴したことが偶然には思えませんでした。

彼女には、「引きこもる気持ちを理解したいとは思うけど、子供達や僕だって言わないだけで泣いている夜もあるかもしれへんで」とは伝えました。

そして「ありがとう」の一言を聞き私は電話を切りました。

ギャンブル・夜の街を全うした後にもドラマはあるし学ぶ場もあります。

日本映画専門チャンネルで深夜一時からやる『逆噴射家族』も視聴予定です。ハラコレも逆噴射も何回目かの視聴ですが、映画は『誤魔化し効かない』人生の最前線にいる大人の男にも有益なヒントを示唆してくれます。
posted by tetsukazu at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

一度限りの自分だけの人生。

前エントリーでは『全力』について語りました。

昔、アニータという女性に入れあげた男が14億に及ぶ公金を横領した事件がありましたが、アニータは全力で男の金を吸い上げました。
一方で男の全力は、アニータへの思いと横領へのエネルギー注入が中途半端な割合になり最悪の結果を招いたとの印象です。

ただ、アニータも吸い上げた金の管理には全力を注がなかったようで、その後本国で破産したと聞いています。

今期の月9ドラマは、「結婚は契約であって愛情とは関係ない」と言い合うカップルの会話から始まりましたが、親子関係は別として他人である大人の男と女に『愛情』という定義付けが曖昧な概念を持ち込むのは得策ではないようにも思えます。

ただ、愛情という言葉は便利なため建前や方便や世間体の観点からすると有用なものとも言えます。

ドラマはリーガルハイスタッフが関与していることもあり、今後の展開が楽しみです。

アニータは別として、私も飲みに行った先の経営者が全力で売上を意識するところをうまく交わしながら通うわけですが、そんな時の私は『全力で楽しむ』ことがテーマになります。

『恋愛感情』という曖昧な概念抜きでそんな場を楽しむのは綱渡り的なセンスが要求されますが、楽しみのひとつが『駆け引き』にあるならば私は全力に近い形で飲み屋に通っていると思います。

そしてそんな駆け引きや恋愛感情抜きで接することが出来る20代前半の現役ミュージカル劇団員との馬鹿騒ぎを貫徹したからこそ『やりきった感』が生まれたのでしょう。

その劇団員女性(コスプレっ子)からは、「歌が上手ですね。何か楽器を演奏されてたんですか?」と「お付き合いする候補は何人もいるじゃないですか」との言葉をもらって、その後の私の勇気と自信につながりました。
それはある意味恋愛感情より満たされる感情であり持続する感情です。

私もそんな彼女に対して「自制心を持って前に進んでね」と声をかけ「そうですね。今年の私の課題とします」と言ってくれました。

「愛」が人生や世界を制する可能性は否定しませんが、勇気や自信や努力や全力で取り組む姿勢がそれらを制する可能性の方が高い気もします。

誠実さは最終的に顔や物腰や佇まいに出るように思いますが、それは預金額とは関係ないところで培われるもののはずです。

胸を張り『与えられた自分だけの人生』を歩むためにも『小さな一歩』を積み重ねます。
(o~-')b
posted by tetsukazu at 15:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

言葉の重みを胸に…

俗に言う爪楊枝少年の問題は考えさせられますが、ネット上で見る限り『心の飢え』に注目している人が多いようですね。

そしてその心の飢えは他者から何かして貰って埋めるのではなく、自己解決するしかないとの意見が大半のようです。


世間ではおっさん中のおっさんの私も『心の飢え』は存在します。

それに対し、ある時は肉体を通じて、ある時は言葉を通じて満たそうとはしますが、そう簡単に埋まるものではありません。

少し前に書きましたが、去年知りあったある女性に私が何気なく言った言葉が心に残り続けています。

「そこそこの仕事なんてない」

そう言った私ですが、胸に手を当ててみると私こそが『そこそこ』しか努力せずに仕事やその他のことに取り組んでいた気がします。

だからこそ遊びに関しても精一杯取り組もうとの思いで、先週末に燃え尽きました。

その結果、あれほどまでギャンブルや飲み屋通いの欲望に負けていたのに、『やりきった』からか、不思議なほど外出する気が起きません。

きっと『ほどほど』にしか遊んでいなかったからこそ遊び心が渇いたまま満たされていなかったのでしょうね。

確かに懐の中は寂しくなりましたが、遊びでのここまでの『やりきった感』は人生で初めてかもしれません。

仕事の上で今まで『やりきった感』まで行ったこともありますが、事業の上で独立した日に最初の顧客を迎えた瞬間や、外国人も多く来店する300席レベルのレストランで、独自に英語の接客マニュアルを作成した時(オープン時には故中内オーナーの目の前で私が壇上に立ちグループの誓いを先導して唱和)などそう多くはありません。
当時のダイエーグループと言えばそれなりの学歴の人間が本部筋におり、私が作成したマニュアルにダメ出しする人間はいるわ、職場仲間からは「そんなマニュアル作りなんて誰も頼んでないのになにスタンドプレーしているの」と言われながら強引にやりきりました。

オペレーションとしては、ホステスと呼ばれる女性スタッフが来客者の配席を行いシーターと呼ばれる人間が席まで案内するのですが、それらの役割の人間には特に感謝されました。
オープン前、マンション一室を借り上げオフジョブトレーニングを行い実際の店舗でオンジョブトレーニングなど行うのですが、独自に来客者との想定問答集を作成し徹底的に鍛え上げ、一日250万以上の売上を数ヶ月持続させました。そんな自分を遠い昔の思い出にはしません。
posted by tetsukazu at 01:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月19日

カタルシス。

image/2015-01-19T21:05:59-1.jpg添付写真の影響で全文が反映されなかったら二回に分けます。

今夜はCSムービープラスで『ブラックレイン』を観ました。

画像は、高倉健さんが生前にある映画の撮影中に衣服に忍ばせていたものらしいですが、健さんは、「人生は切ないからこそ…」と語っていたそうです。

ブラックレインで共演した松田優作さんも同映画の完成後にこの世を去りました。
優作さんが健在であれば、ロバート・デニーロとの共演もあったと聞きます。

健さんは、そんな経験も踏まえて『切なさ』を常に意識して生きて来たねだと思います。

カタルシス(精神の浄化)を届けるのが映画の役割であり魅力だし、宮崎駿さんなんかもラストシーンまでの心象風景を入念に描くことで最後のカタルシスがよりインパクトになるのだと思います。

私の離婚後の切なさなんて写真の少年の心情に比べると雲泥の差です。

物事は多面的で世界(広義な意味での世界)も多面性で形成されています。

私が訳知り顔で、「俺は物事を三面にも四面にも捉えて視野広く対応するんや」と言ったところで、実際には、三面や四面とかの話でなく、三百面や三千面を遥かに超える無限の側面があるのでしょうね。

不意に起こり我が身に降りかかる災害なども、自分の人生と自然のリズムが奇跡的にリンクするからこそ起きるのであって、私達はそんな無限の接点の中で日々を過ごすのだと思います。

私達に出来ることは、日々己と向き合うことだけです。
切なさをちからに変えて進むしかありません。
posted by tetsukazu at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

喧騒と静寂。

喧騒の時を過ごし精も根も尽き果てた私でしたが、静寂の時を取り戻したここ二日間も心の解放感との面では裏表の違いだけで変わりはありません。

ただ、しばらくするとまたストレスが蓄積され5年後か10年後の馬鹿盛り上がりで発散するのでしょうね。


そんなこんなで今朝はお世話になっている社長に素直な疑問をぶつけました
「僕は、女性に対して肉体を求めてるのか話し易さを求めてるのか一生食べさせて行くぞとの思いになるような相手を探しているのかわからなくなってるんです」
と質問すると、「いつも言うけど難しく考えなくていいと思うで。要は仲良くしたいとの気持ちを大事にしたら良いのであって、一晩だけ仲良くしたいのか一生仲良くしたいかの違いがあるだけやと思うわ」
との返答でした。

確かに『仲良くする』はシンプルな表現ですが、仲良くする期間に応じて生じる中身は雲泥なのでしょうね。

高橋ジョージさんと三船美佳さんが受賞したベストカップル賞は、今となっては皮肉でしかありませんが、仲良さを持続させることは難しいですね。

特に女性同士の社会は見栄や嫉妬や同調性が渦巻くのでしょうから、男はやはり女性に対して精神・物質両面での支えが欠かせませんね。


社長はこうも言っていました。
「あんたなんかどうせ女に相手されないとは思うけど、もしそれはそれで外に女が出来たら見直すわ」と妻が言ってたとして、「嬉しいことに相手してくれる女が現れたんや」なんて言おうもんなら命を差し出す覚悟はしておいた方がええで。と。

「とにかく女の言うこと全部を間に受けたらあかん。かと言って無視したらそれ以上にえらい目に遭う」
「この人は私のことをいつも大事に思ってくれているわ」と思わせるだけの態度・言動・行動が必要なんや。

「一晩だけ仲良くなりたいと思える女がいるならガンガン行ったらええし、心からこの女を幸せにしたいと思った時は、仲良さを続けるための努力を惜しんだら駄目や」

「それらの気持ちを形にする時に中途半端な気持ちでいるからあかんのや。男側がどのベクトルで仲良くしようとしているかを自覚してそれぞれに対して強い気持ちを持ち続けないとな」

その社長に日頃私が「良いなと思っても相手の幸せを考えたら一歩前踏み出せないんです」と言うと返って来る言葉はいつも「遠慮せんと気持ちをそのままぶつけたたらええんや」です。
今年の残り期間。私は肉食化と単純化に向かえるのだろうか?
posted by tetsukazu at 16:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月18日

恋愛する資格。

これからもマイペースで更新します。

飲み屋通いをしなくてもギャンブルにかかわらなくても私が気になる情報が世間には満載されているので書くことに困ることはないでしょう。

オタキングが最初に出したコメントの「偽物の写真」の後で出した「ほぼ事実です」の格好悪さや、桑田佳祐さんの勲章オークションの浅はかさや、高橋ジョージさんのあきらめの悪さなどには突っ込みどころ満載ですね

昨夜、飲み屋を離れた後、一緒に店を出たお店のスタッフの女性から「あれっ?今日はこの前のお店に寄らないの?」と言われましたが、一軒目でボトル一本空けた私にはとても無理な選択でした。
ゴルゴやブラックジャックまでは無理にしても、本物の男なら鈴鹿サーキットで8耐(今でもあるのかな)を完走する位の体力は持ち合わせたいですね。
後は財力ですか…

財力を有するにはなかなか険しい道のりですが、体力・気力に関しては努力次第ですね。

実際、過去に私が仕事で同僚だった男には、ボクシングの元日本ランカーが二人と大きな大会で入賞経験のある元バイクレーサーや元キックボクサーや名の知れた元空手家やなどがいました。
私は、小学生の時に府内陸上400mリレーを制した程度の経歴なのでショボいものです。

その中でも元ボクサーの体力にはびびりましたね。
一時期引っ越し会社の営業マンで近畿地区を車で走り回っていた頃にいた元ボクサーは、体力だけでなくビジュアルと口の上手さもあったので、独身女性の引っ越し見積りや離婚時の奥さんだけの荷物の見積りなどでお宅を訪問した時「こいつならその気があれば、僕もサービスでつけときます位言ったとしても相手は落ちるんやろな」と思っていました。

口だけなら引けをとらないからこそ採用された私(面接時に100人いたら95人以上に好感を持たれる方と思いますよとの嬉しい評価)でしたが、最後は体力勝負なんですよね。
引っ越しの仕事とその後の24時間営業の書店チェーン(半分はアダルト関連)での勤務は、未成年飲酒による警察沙汰後の一時的緊急措置でした。

営業マン時代は休みの日は警察での長時間の取り調べでその他勤務日は朝7時半頃から深夜2時前までの毎日。
書店チェーン勤務時も最終電車に乗るなど夢の話で車での仮眠かサウナでの仮眠が精一杯でした(エリアマネージャーとして年収一千万保証)
男の人生はタフさなしでは語れないしタフでない男には恋愛する資格さえない気がします。
posted by tetsukazu at 13:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

区切り。

予告の通り(誰も見ていなかったら予告の意味がないですがー笑)夜を制覇して来ました(自己基準)
私のプレゼントのコスプレ衣装に対してそのコスプレっ子が一週間前から昨夜のコスプレデーを告知したようで、お店は満席でした。

そしてコスプレっ子が10時に出勤し彼女と客の双方がいい感じに酔っぱらった11時半頃に着替え完了。
その瞬間から店内は大盛り上がりのまま3時も超え、昨夜の演出担当の私は役割を終え家路に急ぎました。
横にはコスプレっ子でない先週一緒に帰った女の子がいましたが、どこにも行かず真っ直ぐ送り届けました。

帰宅後はほぼ3分ほどで爆睡。
朝起きたらとんでもない頭痛でしたが、二度寝三度寝の末、ようやく今、日常生活を始めました。

昨夜はアルコール度数25度で720ml入りの焼酎をほぼ一本空けましたね。

ビール換算だと3600mlなのでロング缶約7本になります。

ただ、体感としては焼酎一本空ける方が酔いが大きい印象です。

例によってどさくさで一口飲んだだけのカクテルを捨てた上でもう一杯同じ女の子に入れていたのでママには「哀しかったです」と野暮なメールを送ってしまいましたが…

ダントツ推しメンがいる日ではなくコスプレ絡みでの流れ上のことだったためとにかく来店を迷っていましたが、行くと決めた限りは「どうしてこんな義務感で高いお金を使っているんだろう」などとは考えず、馬鹿騒ぎの中心になり燃え尽きました。

推しメンはそんな最中にも「私もSちゃんのコスプレ見たかったな」などとメールをくれたし、「あー俺の行動を気にしている人がこの世に一人でもいるんだな」と幸せな気持ちになれました。

そんな彼女に会うためにはこれからも夜の街に行かないとだめなのですが、毎回2万前後が飛んで行く生活を続けるわけには行きません。

昨夜は、行くと決めたら夜遊びは今日が最後の気持ちで行くとの覚悟だったので、その気持ちは一夜明けた今も変わりません。
気になる子はいますが、普通に考えたら付き合っている彼女に会うために待ち合わせ場所に行った途端、「まず4千円ね」とはなりません。

推しメンの子が「あの人最近来なくなったな」とは思うかもしれませんが、やがて彼女も一線引いた中での関係性だったなと思うはず。

夜の全国制覇(コスプレ遊びでほぼ一通り終了)とギャンブルの完全制覇は達成したので今日からは別のベクトルでエネルギーを燃やします
(^o^)/
posted by tetsukazu at 11:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月17日

10年に一度の。

思考錯誤はありましたが、結局今日はクラリス?に会いに行きます。

この5年、飲み屋で本格的に酔うことはありませんでしたし行く時間も12時を過ぎてからでした。

ただ、このへんで一度区切りをつけるべきと考え、明日のことを一切考えず酔って来ます。

Kちゃんがこの記事を見ていないことを祈りますが、今日のお店のスタッフは、「彼女候補は一杯いるじゃないですか」と言ってくれた子と私のことを好意を持って接してくれる子です。

ママに対しては前回の来店時に「俺に惚れ直して欲しければぶりっ子に徹して下さい」とネタフリしています。

予感では今日の夜は10年に一回レベルのカーニバルになりそうです。

コスプレっ子のまぶしいさを目に焼き付けて、今日で最後になるかもしれない夜遊びを満喫して来ます。

年齢的にも体調的にもタイミング的にも今日の機会が全てのマックスが重なる瞬間になるでしょう。

戦国時代に国を統一した武将のように私も一瞬でも夜の世界を制覇してひとつの達成感を味わいます
(^_^)v
posted by tetsukazu at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自分らしく(笑)

自分らしく生きるなどの台詞は安易に使用したくありません。
例えば戦争が起きて戦地に駆り出されそうな時に「自分らしく生きたいのでやめときま〜す」など言ってたら張り倒されます。

実際、先の戦争では15〜16才で戦地に行かされ、12〜15才だと軍需工場などで働いていたようですね。
11〜12才の男は町や村を守る中心だし、やることは大人の代わりの仕事なので、その年齢(11〜12才)でタバコを吸い酒を飲むのも珍しくなかったようですね。

高橋ジョージの自分らしさは嫁を籠の鳥にしておくことだったかもしれないし、オタキングにとってはサブカル好き女を洗脳することが自分らしさだったかもしれません。

ただ、これだけ情報化が進むと、自分らしさ(笑)のような感覚の方が時代と共にしなやかに歩めるような気もします。

自分らしさの主張は置いたとして、結婚も離婚も経験した私は思いますが、ひとりで生きて行くか、二人三人四人で生きて行くかや、自分がS気質なのかM気質なのか、そして気になる相手の気質は? 程度は意識していても良い気がします。

寂しさなんて相対的な感覚であり、体を壊した時は誰しも誰かがそばにいて欲しいと思うはずです。
女の子からのメールや息子達からのメールでやたら短い文章があるということを以前語りましたが、その傾向は変わりません。

ネット上で、「三行で宜しく」と人に依頼したりするなどの例を多く見ますが、以前にも語ったように、女の子や息子からのメールでの「今暇?」とか「今どこ?」とかの内容は短くまとめたと言うより、思っていることの1%も伝える気がないようにしか感じないし、返信がなければないで別にええわ程度の淡白さが漂って来ます。

コミュ障との用語が一般的に使用される時代ですが、徒弟制度がほぼ崩壊した現在、意思疎通の王道は残存しているんですかね。

守破離と言われる師匠と弟子との技術伝承関係なしに現代人はどう人格を築くのだろうか。

一周目で技術を学び、二周目で技術を編み出し、三周目で無心になる。
そんな過程で人は成長して行くはずだったし例えばひとつの成長の形が結婚だったように映ります。

実際、無心でなければ全くの他人と同居生活など送れませんよね。

さっき「今日もスーパーフライ 笑」とメールが来ましたが、無心の境地になり1%の情報から残り99%の真意を汲みとることが「デフォ」な時代について行くしかありません(^_^)v
posted by tetsukazu at 18:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

訂正。

前記事の中の「対局」は「対極」に訂正いたします。

最近の記事で誤字が多いのは承知していますが、携帯から編集すると元記事の一部が消えてしまうんですよね。

ご訪問の方々には「こいつ間違いっ放しやな」と思われているはずですがこの場を借りて改めてお詫びいたします。
m(_ _)m


それにしてもルパンとクラリスの美談を語ったタイミングで、高橋ジョージさんと三船美佳さんの離婚訴訟のニュースが流れました。

やはり美談は架空の物語でしか成立しないのでしょうか。

ロードを歌う歌手が愛を貫けないでは悲しいですが、三船美佳さんが今頃年齢差にストレスを感じ出したなら話は変わります。

私はいつも思うのですが、結婚式にいただいた物理的な気持ちは離婚時にお返しするべきと思います。

ちなみに私の結婚式の私側の出席者のうち友人知人関係はゼロです(新婦側は多数)。
どこで聞いたのか職場の元同僚がふらっと立ち寄りましたが、何かを持参して来たわけではないので返すものはありません。

私側の出席者は結局、両親と妹夫婦と母親の弟など数名でした。

それにしても新婦側の出席者は驚いたでしょうね。

私の仕事仲間で日曜日に休める人間などいないため最初から呼びもしなかったのですがそれにしても少な過ぎます。

私のライフプランにそもそも結婚が入っていなかったこともありますが、元妻は勇気があると思います。

結婚当時は廃人真っ盛りの時だったので式の途中に何度も倒れかけました。
当時は散髪の途中で休憩を入れたり、駅を五つ進むのにひと駅ごと休憩が必要だったため30分で済む通勤に2時間ほどかけていました。

結婚と同時に彼女は退職したため退勤後は職場近くまで迎えに来てもらい時には職場まで送ってもらいました。

それでも医者の言った通り結婚後一ヶ月ほどで嘘みたいに回復しその年の暮れには独立開業しました。

今でこそ「パニック障害」と名前がついていますが、当時はそんな病名もついておらず私は「わがまま病」扱いされつつ会社内で左遷に次ぐ左遷の目に遭いました。
そんな時にも元妻は文句ひとつ言わずじっと私を見守っていました。
デートは来る日も来る日も喫茶店てのお茶のみ。

私にとってはそれが限界で、救急車を何度呼んだことか(恐らく過呼吸と不安神経症の合併)
10代からのヤクザな生活の末路と言えど天使に巡りあった気持ちでした。彼女への恩返しはまだまだ終わっていません。
posted by tetsukazu at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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