過激でない肉体の調整機能とは何か?
大まかな結論を先に言います。
「宇宙に文化はなく小宇宙の人間の肉体にも文化は異物となる」です。
繰り返しますが、この一連のエントリーはどこかからのコピペでもないし引用もしていません。
だからこそ稚拙な文章になっていますが、ブログを始め8〜9年にして最大量の書き込みかもしれません。
話を戻し、文化の件てすが一般的な動物であれば酒を醸造したり競馬場を作ったり映画館を作ったり遊園地を作ったりはしません。
不倫文化位はあるかもしれませんが、人間社会のように背徳の扱いはされないでしょう。
この一連の記事を書いていてついさっき「文化」とのキーワードが出て来たので上手く説明出来るかわかりませんが努力してみます。
仮定としてもし文化が本当に本能と深いつながりがあるならば生命維持にプラスに働かなければならないはずです。
その点では「労働文化・労働活動』は生命維持に確実に貢献しています。
働き・食べ・寝る の繰り返しは冒頭で語った規則的活動です。
しかしいつの時代からは「人はパンだけを食べる存在にあらず」となりました。
ただ、私が思うには人体機能としてはパンだけを食べる存在だった頃と大して変わっていないはずだと考えます。
話を整理します。
まず、ほとんどの文化には人間の肉体にとって異物になり得るというこど。
原点はあくまで、食べる・寝る であり、働くがブラスされその延長線上に生殖活動がある位ですね。
残念なことですが、自分自身の内包する機能だけでは、飲み過ぎをセーブしようとかパチンコは月一回にしようとかを貫き通すのは困難と言うより不可能です。
以前、「私はこれで会社を辞めました」のコマーシャルがあったり「覚醒剤止めますか?人間辞めますか?」との啓蒙活動があったりしましたが、そんな啓蒙するより国単位で酒煙草の販売禁止やギャンブルの完全廃止の方向に行った方が人間を辞めずに済む人が多くなるんじゃないですかね。
さすがに疲れて来たのでひとまずこのWのエントリーでひと区切りにします。
最後に、様々な文化が氾濫する時代のひとつの防御策としては、自分自身で自分自身を洗脳することだと思います。
つまり、「規則的・規律的・献身的な我が身を守ることが自分自身が与えられた最大で唯一の使命」だと己に叩き込むしかない。