2014年02月04日

雑感-77

怒涛の5日間が過ぎ、「失恋は人を成長させる」などと勝手に妄想していましたが、失恋と言っても告白もしていないわけなのだから勝手に遠くから見つめていて勝手に失恋したと言い張っているだけなので、とにかく妄想抜きの『成長』を遂げないと、私はかつてあんなおっさんに好かれていたのかと思われかねません。

そこで自分自身を見つめ直す絶好のチャンスである今のうちに集中して生活パターンの改善に取り組んでみます。
実は昨日までの5日間に結婚生活を営まれている方々の苦悩を知りたいと思い調べてみました。
すると、結婚10年で子供もいるけれど妻とセックスをする気になれないしたまに相手が積極的に迫って来る時もどうしてあんなに興奮状態になれるんだと醒めてしまうとの悩みを打ち分ける男性がいました。
民法では、婚姻関係においてセックスの回数に規定や罰則はありません。
あるのは同居の義務や子供に対する扶養の義務や家庭生活維持のための平等な分担の項目だけです。
アメリカなどでは夫婦の夜の生活の頻度が原因で離婚につながるケースもあるようですが、日本の場合は性格の不一致などとオブラートに包まれます。

そしてそんな悩みを持つ男性に対しての一般的アドバイスは「夫婦生活は細くて短いロウソクの炎をいつまでも消えないようお互いに努力することだし、いかにしたら相手が喜ぶかを考え続けること」のようなものになります。

木曜日からの5日間は私の人生の中で稀な位人と触れ合った日々でした。
そして今日は誰からもメールや電話が来ないし私からも連絡しないひとりの生活に戻ったのですが、何故か「ん?変な感覚やな」との思いになりその原因を考えるに至り、ひょっとして自宅に帰った時に「お疲れ様、先にご飯食べる?」的なものが不足しているのでは?と離婚後初めて感じました。
もし、帰って来て誰かがいて一緒にご飯を食べたりテレビを見たりしてそれが幸せならば誰だって一歩も外へ出ないよな…

そう、結局私は今日も外へ出ていったのです。そして出て行った先はあえて伏せます。
昔の話になりますが、私の父親は夕食時や休日に自宅にいることがほとんどありませんでした。
それでも私が小学校高学年から中学時代にかけての一時期、毎週のように日曜日にいることがありました。
私には6歳下の妹がいるのですが、両親と妹と私とで日曜日にトランプやボードゲームで遊ぶことが私にとって最大の楽しみであり永遠に日曜日が続けばよいのに… と思っていました。
全く私らしくないないエピソードですが、私の幸福の原点はここにあります。
しかし幸せな時代はそう続くものではなく、やがて母親と父親は12年にも及ぶ別居生活が始まりました。
父親が母親のところへ帰ってきたのは母親が精神的に参ってしまった結果すっかり変わり果てた時でした。
母親は家事をする気力もなくただただ父親の作る食事を食べるだけでした。
私は両親が別居期間中の10代の時に母親から家を出なさいと告げられひとり暮らしを始めていたので、父親が戻った時にはそこにいなかったのですが、父親から家を移すので一旦戻って来いと言われたためアパートを引き払い合流しました。
そう、10数年振りに4人家族復活です。母親はただいるだけで毎日たっぷりの薬を飲むだけの存在でしたが、妹は自分の部屋がやっと出来たと喜んでいました。
ただ、妹はあっという間に結婚したため4人での生活は一瞬でしたしその後は私も結婚して家を出ました。

別居と簡単に表現しましたが、父親は会社の独身寮に12年間寝泊まりしていました。
あまり言いたくはないですが、別居開始時に母親の精神状態は既に問題をかかえており父親が母親のそばにいれば何が起きるかわからない状態だったためその手段をとるしかなかったというのが実情です。
先程の男性の悩みに件に当てはめると、正に消えかけたロウソクの炎を細々と燃やし続けたことになります。
父親は死ぬ直前まで母親の食事を作り続け、洗濯をし続け、掃除をし続け、通院に付き添い続けました。
わけのわからぬまま家を出された父親の心境ははかりしれないし、普通の男なら離婚しているでしょう。
でも、母親がそうなったのは自分に非があると言い続け、一切の愚痴をこぼさず人生を全うしました。
そして私はその息子です。
こうして長年ブログを更新している私を文章を通じて知って下さっている方には今日書いたエピソードがどういう意味を持つのか察して下さることと思います。

あの父親の息子だけに私も辛かったことは胸に秘める性格です。
けれどもしその性格が無理のあるしんどい人生になっているならば父親と同じ道を進む必要はありません。
父親は自分が死ぬ直前、私に対して最初で最後のお願いをしました。
それは、「お前達にお母さんを残して死ぬわけにいかん。俺がお母さんを遠いところに連れて行って一緒に死ぬからお前の承諾が欲しい」と。
今から思う返しても父親とそこまで真剣に向き合ったのは初めてでしたし一緒に過ごした期間があまりに短かかった(私が生まれてすぐの時も結核になり長い闘病生活期間あり)ので相談事などしたこともなかっただけに父親の言葉に一瞬絶句しました。

私は、「ちょっと待ってくれ、お母さんの両親のこと知ってるよな?俺が親父に望むことはふたつだけや。離婚しないで欲しいことと自殺をしないで欲しいこと。一生に一回に頼みや。それだけはやめてくれ。それと母親のことを考えて心中するって言うてるけどそれがホンマにお母さんのためになるんか?ボロボロになってもお母さんはお母さんの人生を自分の力で全うするべきなんや。お母さんのことは俺と妹に任せてくれたらええから」と声を振り絞り伝えました。

親父は「わかった」と一言だけ言葉を発しました。


元妻のことも含め私が日頃から自殺と離婚は何としても家系から断ち切りたいと強く思うのも私の子供達に負の連鎖を起こして欲しくないからです(離婚については残念なことになりましたが)。
前にも書いたと思いますが、前述のやりとりの前後に私が、「親父とお母さんには迷惑かけっ放しやったな。悪かったごめん」と伝えたら、父親は「家族の間に迷惑なんて言葉は存在せんのや。気にするな」と。
私はこのやりとりを父親の葬儀の喪主挨拶の時しましたし私の息子達も列席してその言葉を聞いています。
その後、母親も天寿を全うし父親との約束は守りました。

前の記事でリミッター解除しますと宣言していなければ唐突な記事になったと思いますが、私の幸福感の原点を思い出すことで私の今後に繋がる気がしました。
私にとっての幸福は恐らく万馬券をとることでも一億のギャラを貰うことでもありません。
笑いながら家族で楽しんだトランプこそが私にとっての永遠の幸福です。

私は少し肩に力を入れすぎていたかもしれません。
思い出に浸ることだけは避けて来ましたが、思い出と向き合うことは無駄ではないと思います。
怒涛の5日間。そして過去と向き合った今日。
未来は過去と現在と無縁ではないことを信じて明日に希望を持ち生きて行きたいです。








posted by tetsukazu at 22:44| Comment(30) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

雑感-76

更新頻度が極端に低下しているにもかかわらず今訪問者数を数か月振りに確認したら頻繁に更新していた頃と大差ない事実に驚きました。
コメント欄を利用して都度の思いは綴って来ましたが、やはりきちんと記事にするとなると意識に違いは出ます。

今日の更新は、ここ数年に渡るトレーニングの成果が肉体や精神にようやく影響を及ぼし出したとの実感を持てたのことと自分の中のある種のリミッターを解除しようと思ったこと、そして好きなドラマのスペシャルが2月8日に放送されるのがきっかけです。

離婚して4年強、私のバイブルはそのドラマ『最高の離婚』です。
中でも尾野真千子演じる結夏の台詞の数々にはぞっとさせられます。
「あなたの好きなのは自分だけなの」「好きな人とは気が合わないし気が合う人は好きになれない」等々。

好きだから一緒に暮らすはずなのにどこかすれ違って行く男女。
ドラマの中のひと台詞ひと台詞が心に突き刺さります。
先程、リミッターを解除すると宣言したのはひとつの理由があります。
このブログを始めて以来、リアルな私を知った上で訪問して下さる方はごく少数でした。
しかしそれでもその方達を意識しながら更新する時もありました。
ただ、それも今回を起点に自由に書き連ねようと思います。
もしそんな生々しい私を見るのは避けようと思われる場合はそうして下さい。
わざわざこんなことを語るのも大きなお世話かもわかりませんが私の中の何かが変化しようとしているのは事実なのでこの後の文章である程度理解していただけると考えています。
では、話を進めます。




まず、ここ数日にあった出来事と私の心の移り変わりから語ります。
私は結婚前も結婚中も自分の意思の通り過ごして来ました。
それが、離婚をきっかけに人に流されるのもいいかな?との思いで飲み歩いたりしていました。
先日も離婚後直ぐに知り合ったママ(当時はお店のスタッフで一年前に独立)から「絶対に絶対に一周年には来てね」と言われていました。
昔の私ならそんな言葉も気にかけず自分が行きたいかどうかだけ考えていたはずです。
正確に言えば、そんな昔の私も20年以上連れ添った元妻との関係だけは我を通していませんでしたね。
で、結局お店にお祝いの品を持って来店し日付が変わるまで飲んでいました。
トレーニングを続けるためにはそんな時間の過ごし方はマイナスなのですが、この4年間で私も少し変わったのかママの気持ちに応えようとしたのは事実です。
そして結果的には行って正解でした。
行ってなかったら私の今の心境に至らなかったしこうして再び意欲的にブログを更新する気にもならなかったでしょう。

当日の時間的経過を辿ると夜9時頃に二人で来店し、2時頃に連れを送り届け再びママの店に舞い戻り、3時過ぎから5時過ぎまで次の店で死にかけながら飲んでいました。最後の店は飲み放題だったのに2時間でグラス半分のビールを飲んだのみでした。
最後の店をフラフラで出て自宅に帰りかけたその時、最初の店のママから電話(2年振りかな)があり、私の店に舞い戻った時に既に様子がおかしかったけど大丈夫?と気遣ってくれました。
電話で会話するなんて4年で3回目位かな。同伴もしたことないし休みの日に会ったこともないけど最初に会ったその日から私の下の名を呼び捨てにし今でもそのまま。
年齢はかなり下で初対面から呼び捨てなのに違和感がない不思議な感覚。
実は、ママが独立前の店にいる時に別のお客さんが「俺も呼び捨てにしてくれ」と言ったことがあり、当時は一スタッフだった彼女が実際に呼び捨てにすると「やっぱりやめてくれ」とのオチがつきました。

人間関係は「しっくりくるかどうか」の要素が大きい気がします。女性だって「お前」などと軽々しく呼んで欲しくない相手もいるでしょう。
テレビなんか見ていてもビートたけしが後輩にお前と言ってもしっくりくるのにタモリが後輩にお前と言うと違和感がありますよね。そのへんの違和感の中身は私には説明出来ますが、一般的には「しっくり」感覚の共有は難しいですね。
話を進めると、木曜日にママのお店に行った時に「肝臓の数値が悪いから日曜は休肝日なの」と言っていたので日頃から体に気を付けてねと言って来た私は改めてそう伝えました。
そして日曜日、私は何気なく行きつけのショットバーに入るとそのママが先に来ていました。
「えっ?」実際に店でアルコールを飲んでいたかどうかは確認していませんが、家でゆっくりしてたらいいのにとの思いになりました。
私はレッドアイを一杯だけ飲むとママに「お先です」と声をかけて20分程で店を出ました。
私の精神状態を心配して電話までくれたのに自分の体のことは考えないのかなぁ。と言うより一緒に居た男に言いたい「お前ホンマにママの体のこと考えてるんか?」と。
その男とはママを巡って取り合いしたこともないしママにしたら大きなお世話になるけど俺がママの男なら来ると言っても家でゆっくりしてろと言うけどなぁ。まーしょうないわ。
でも肝臓の数値が正常値の2倍超えなのはどう考えてもやばい。
ママが昼の仕事と夜の仕事のダブルワークをしている時、どちらかに絞るとすればどっちが良いかな?と相談されたことがあるけど、その時は自分の体のことを最優先にして、自分が無理なくやれる範囲で後悔しない道を選べばいいとアドバイスした記憶があります。
そして、もし夜の仕事を選ぶなら肉体関係を迫られた時にそれを受ける位に覚悟はいるよとも伝えました。

その後、私の知らないところで彼女は独立しました。1年前までは「どこも悪いところがないの」と言っていたのにやはり毎日店に入り酒の抜けない日々が続くことでダメージが蓄積されたのだと思います。

そして月曜日、私は昔からまず夜のお仕事の女性との同伴はしません。やったのは20年で3回ほどかな。
月曜日の午前中「今日7時にカラオケのあるバーに行きませんか?」とメールが来たので、これはその後に同伴しろということやなと思い、5時間後位に「同伴は無理やけどバーだけなら行くよ」と返しました。
すると、「わかりました、では夜に」と返信が来て私はややとまどいながらも行くことに決めました。
そして1時間飲んで歌って恵方巻きを食べて「じゃあまた」と言って別れました。
「ん?一体何が起きたのか?」とわけもわからぬままかなり久々にパチンコ店に入りパチスロAKBを打っていました。

ざっとこんな流れですが、金曜日には一年に一度ほどお茶する年上女性(年末にはギフト券もくれた)とお茶もしたし土日は久々に競馬も楽しんだしこの5日間は中身の濃いものになりました(そうそう金曜の夜に長男も泊りに来ました)。
月曜のメールの主はママの店に行った後にへろへろで辿り着いた店のスタッフの女性だったのですが、半分位は記憶になく、かすかな記憶として「またカラオケに行こうね」と会話が交わされたようなそうでないような。
とにかくバーに行ってその子の年齢を改めて考え「あかん、俺何してるんや」とハッとしたと同時に、そのあとのパチンコ店で鏡を見た時鏡が「おいおい、お前自分の歳わかってるんか?」と言っているようでおぞましかったですね。
それにしても、同伴は出来ないと言ってるのによく一緒に行く気になったよな。
そのくせあっさり「またね」と帰るし相変わらず女心はさっぱりわからん。

12月に何人かから来ていたお店に来てねのメールも私が全く行く気がないものだからとうとう誰からも来なくなり飲みにも行かなくなり1月は順調にトレーニングを積んでいたのですが、この5日間はペースがガクンと落ちました。
さて、明日からまた日常に戻ります。前述のママの誕生日の11月までは圧力がかからなさそうなので、やっと夜の世界の呪縛から抜けられそうです。

話がえらく長くなった割に、最高の離婚の話とリミッター解除の話がどっか行きました。
出て行った元妻はきっと「こいつとは話が合わんな」と思っていたことでしょう。
コメント欄にちらっと書きましたが、人間はどれ位生きられるかなんて保証されているわけではありません。
物事である意味一番大事なのは『前提』です。
命が約束されていないことが前提なのにあまりに当たり前過ぎてそのことに目を向けないのも人間。
私が表現するリミッター解除とは、今日一日でそんなことまでするの?出来るの?との限界を取っ払うことであり、そんなに人に流されていいの?という境界も取っ払い、そんなに自分の意見を主張していいの?との抑制も解き放つということです。
そのためには体力・精神力・経済力が必要でした。
精神力については12〜13歳でほぼ完成していた私なので、その後にある程度の強化をすれば良いだけでした。
体力についてもこの一年で自信を持てるレベルまで来ました(この年齢で一日10キロを一年以上走り続ける奴は日本中でさがしても少ないはず)。
最後に経済力ですが、ネックになっていたのは子供達の教育ローンと私の飲み代と私の博打代でした。
ふたつまでは何とかクリア出来そうですが、飲み代または博打代のどちらかが残るかその二つが女代に変わるかの可能性は残ります。

今年こそは温泉に行くぞと言いながら丸4年。さすがに今年はそれに近い状態にしたいですね。
彼女いない歴4年超えの私としては体力・精神力・経済力が揃いそうな夏頃にはせめて誰かと一日デート程度はしてみたいものですね。
結局、大したことは書けなかったですが、明日が約束されていない人間としての自覚を強く持つことになることだけは間違いありません。
これもコメント欄に書きましたが、一時的な結果も意味がないし結果につながらない過程も意味がない。
結果を出し続けるということは命の火を燃やし続けるということでもある。精一杯生きたという結果を出し続けるためにも我がままでも良いから自分だけのストーリーを作り続けたい。そして誰かのストーリーにも少しだけ顔を出したい。






posted by tetsukazu at 01:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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