そこで自分自身を見つめ直す絶好のチャンスである今のうちに集中して生活パターンの改善に取り組んでみます。
実は昨日までの5日間に結婚生活を営まれている方々の苦悩を知りたいと思い調べてみました。
すると、結婚10年で子供もいるけれど妻とセックスをする気になれないしたまに相手が積極的に迫って来る時もどうしてあんなに興奮状態になれるんだと醒めてしまうとの悩みを打ち分ける男性がいました。
民法では、婚姻関係においてセックスの回数に規定や罰則はありません。
あるのは同居の義務や子供に対する扶養の義務や家庭生活維持のための平等な分担の項目だけです。
アメリカなどでは夫婦の夜の生活の頻度が原因で離婚につながるケースもあるようですが、日本の場合は性格の不一致などとオブラートに包まれます。
そしてそんな悩みを持つ男性に対しての一般的アドバイスは「夫婦生活は細くて短いロウソクの炎をいつまでも消えないようお互いに努力することだし、いかにしたら相手が喜ぶかを考え続けること」のようなものになります。
木曜日からの5日間は私の人生の中で稀な位人と触れ合った日々でした。
そして今日は誰からもメールや電話が来ないし私からも連絡しないひとりの生活に戻ったのですが、何故か「ん?変な感覚やな」との思いになりその原因を考えるに至り、ひょっとして自宅に帰った時に「お疲れ様、先にご飯食べる?」的なものが不足しているのでは?と離婚後初めて感じました。
もし、帰って来て誰かがいて一緒にご飯を食べたりテレビを見たりしてそれが幸せならば誰だって一歩も外へ出ないよな…
そう、結局私は今日も外へ出ていったのです。そして出て行った先はあえて伏せます。
昔の話になりますが、私の父親は夕食時や休日に自宅にいることがほとんどありませんでした。
それでも私が小学校高学年から中学時代にかけての一時期、毎週のように日曜日にいることがありました。
私には6歳下の妹がいるのですが、両親と妹と私とで日曜日にトランプやボードゲームで遊ぶことが私にとって最大の楽しみであり永遠に日曜日が続けばよいのに… と思っていました。
全く私らしくないないエピソードですが、私の幸福の原点はここにあります。
しかし幸せな時代はそう続くものではなく、やがて母親と父親は12年にも及ぶ別居生活が始まりました。
父親が母親のところへ帰ってきたのは母親が精神的に参ってしまった結果すっかり変わり果てた時でした。
母親は家事をする気力もなくただただ父親の作る食事を食べるだけでした。
私は両親が別居期間中の10代の時に母親から家を出なさいと告げられひとり暮らしを始めていたので、父親が戻った時にはそこにいなかったのですが、父親から家を移すので一旦戻って来いと言われたためアパートを引き払い合流しました。
そう、10数年振りに4人家族復活です。母親はただいるだけで毎日たっぷりの薬を飲むだけの存在でしたが、妹は自分の部屋がやっと出来たと喜んでいました。
ただ、妹はあっという間に結婚したため4人での生活は一瞬でしたしその後は私も結婚して家を出ました。
別居と簡単に表現しましたが、父親は会社の独身寮に12年間寝泊まりしていました。
あまり言いたくはないですが、別居開始時に母親の精神状態は既に問題をかかえており父親が母親のそばにいれば何が起きるかわからない状態だったためその手段をとるしかなかったというのが実情です。
先程の男性の悩みに件に当てはめると、正に消えかけたロウソクの炎を細々と燃やし続けたことになります。
父親は死ぬ直前まで母親の食事を作り続け、洗濯をし続け、掃除をし続け、通院に付き添い続けました。
わけのわからぬまま家を出された父親の心境ははかりしれないし、普通の男なら離婚しているでしょう。
でも、母親がそうなったのは自分に非があると言い続け、一切の愚痴をこぼさず人生を全うしました。
そして私はその息子です。
こうして長年ブログを更新している私を文章を通じて知って下さっている方には今日書いたエピソードがどういう意味を持つのか察して下さることと思います。
あの父親の息子だけに私も辛かったことは胸に秘める性格です。
けれどもしその性格が無理のあるしんどい人生になっているならば父親と同じ道を進む必要はありません。
父親は自分が死ぬ直前、私に対して最初で最後のお願いをしました。
それは、「お前達にお母さんを残して死ぬわけにいかん。俺がお母さんを遠いところに連れて行って一緒に死ぬからお前の承諾が欲しい」と。
今から思う返しても父親とそこまで真剣に向き合ったのは初めてでしたし一緒に過ごした期間があまりに短かかった(私が生まれてすぐの時も結核になり長い闘病生活期間あり)ので相談事などしたこともなかっただけに父親の言葉に一瞬絶句しました。
私は、「ちょっと待ってくれ、お母さんの両親のこと知ってるよな?俺が親父に望むことはふたつだけや。離婚しないで欲しいことと自殺をしないで欲しいこと。一生に一回に頼みや。それだけはやめてくれ。それと母親のことを考えて心中するって言うてるけどそれがホンマにお母さんのためになるんか?ボロボロになってもお母さんはお母さんの人生を自分の力で全うするべきなんや。お母さんのことは俺と妹に任せてくれたらええから」と声を振り絞り伝えました。
親父は「わかった」と一言だけ言葉を発しました。
元妻のことも含め私が日頃から自殺と離婚は何としても家系から断ち切りたいと強く思うのも私の子供達に負の連鎖を起こして欲しくないからです(離婚については残念なことになりましたが)。
前にも書いたと思いますが、前述のやりとりの前後に私が、「親父とお母さんには迷惑かけっ放しやったな。悪かったごめん」と伝えたら、父親は「家族の間に迷惑なんて言葉は存在せんのや。気にするな」と。
私はこのやりとりを父親の葬儀の喪主挨拶の時しましたし私の息子達も列席してその言葉を聞いています。
その後、母親も天寿を全うし父親との約束は守りました。
前の記事でリミッター解除しますと宣言していなければ唐突な記事になったと思いますが、私の幸福感の原点を思い出すことで私の今後に繋がる気がしました。
私にとっての幸福は恐らく万馬券をとることでも一億のギャラを貰うことでもありません。
笑いながら家族で楽しんだトランプこそが私にとっての永遠の幸福です。
私は少し肩に力を入れすぎていたかもしれません。
思い出に浸ることだけは避けて来ましたが、思い出と向き合うことは無駄ではないと思います。
怒涛の5日間。そして過去と向き合った今日。
未来は過去と現在と無縁ではないことを信じて明日に希望を持ち生きて行きたいです。