2013年10月19日

雑感-72

毎日のように運動をしていると、「やっぱり正しい方向性ってあるよな」との心境になる。
絶対善や絶対悪とは言わないがイメージとしてはそれに近い。
相対善や相対悪については時代背景や住んでいる環境により変化があるので一概に善悪を語ることが難しい。
生き方は人それぞれ。知り合いの女性はブログなどやっていないのだが「もしやるとしたら毎日どれ位の文字数を書き込めますか?」と聞いてみた。
すると、「2行程度かな。今日は暑かったわとか今日食べたお菓子は美味しかった程度の日が多いと思います」との答えだった。

ネット上に書き込むことが万人にとって正しい方向性でないことは確かだが、心身を健康に保つために努力することはかなりの確率で正しい方向性に思う。
私の場合は「身」については努力しているが「心」についてはまだまだだ。
その「心」を絶対善の方向に導くためには私がまだ気づいていない知恵を獲得する必要がありそうだ。
そのためにもこの場を利用してああでもないこうでもないと葛藤しながら前進したい。

以前にもこの場で、私は重大犯罪と出産(物理的に無理)と刺青以外は経験してきたと言っているが、勿論正確には他にも経験していないことはある。
ただ、私以上に経験が豊富な人間もいるだろうが大人が100人いたら私はベスト10に入る自信はある。
このブログでもそれらの経験に基づいて語っている側面が大きいのだが流石に不適切なことを書き込むのは避けてきた。
女性に関することなどはその最もたるもので、ひとつ間違えばただの自慢になるしもし私に批判的な方がいるとするならば虚偽の事柄を書いていると思うだろう。

ドラマなどを見ていると、そこそこ仲の良い男女がいたとしてそのうちの女の方が別の仲の良い男と会話を交わすシーンが出てくるが、
大抵の場合、そこそこ仲の良い男との会話内容を別の仲の良い男に伝えるシーンが流される。
それが相談という形もあれば愚痴の場合もある。
それは男女を入れ替えたとしても成立する設定なので、女の方が口が軽いとまでは言うつもりはない。
それでも、ふたりだけの会話としてどちらもが誰にも内容を漏らさないとの関係を保つのは困難。
そうなると愛する男女の関係においても言葉選びは大事になる。
本当のことを言っても他者の耳に入るし嘘をついても同様に耳に入ってしまう。

話を戻して、私は様々な経験もしてきたが様々な人間とも接点を持ってきた。
その中で思うことは、自分以上に口の堅い人間と仲良くなることはないということ。
相手から「こいつは信頼が出来る」と判断されて初めて親密な会話が成立するわけでありそれはこちらからしても同じこと。
私は結婚生活もそこそこ長かったし夫婦間の話として留めていることも多かった。
そしてそれ証明するように夫婦どちらの親や兄弟や親戚や友人に最後まで実際に漏れなかった。
えっ?どうしてそんなことを親戚が知ってるの?という局面はあったがそれは夫婦以外に知り得る立場の2〜3人の口から漏れたものだったようだ。

私は別に「秘密主義」というほどの人間ではないが、ブログ仲間と会う時にも自分のプライバシーをほぼ明かさない。
だからこそ色々な話が出来るのだが、飲み屋に行くと「お仕事は?年齢は?」と聞かれることもある。
まー私以外の多くの人はそんな時でも気さくに答えるのだろうが、聞いたからどうなると言うのだろう。
例えば、「どこの大学を出られているんですか?」と聞かれた時に俗に言うFランク大学だった場合はどのように会話を繋げるというのか。
「凄いですね」とはまずならないし「馬鹿大学ですね」とはもっとならない。
障害者手帳を持っている人も想像以上の数いると思うが、「あなたは健常者ですか?」と聞くことはないし自分から障害を持っているとも言わないだろう。
つまり聞ける範囲だと思うことを自分の基準で聞いているだけであって、人の持つ底知れない可能性に想像が及ぶことがない。
私のごく身近にいる町の有力者にしても私に対して「橋下市長の父親がああいう筋の奴やから橋下もヤクザ気質なんや」と言ってくる。
私の父親がその筋の者である可能性がゼロでないことなんかに想像が及ぶこともなく屈託なく会話を進める。
このエピソードひとつとっても人間同士の会話は奥が深いし想像力に乏しい人間の場合は会話が上滑りになる。

ここまで書いて「心の絶対善」について何かひらめくことがないのかと自問自答するが、私のウィークポイントはやはりひとりになっている状態の時の自己コントロールに思える。

「言ってはいけないこと」は徹底して守り通せるのに「やってはならないこと」を守り通せない。
何故かは自分が一番わかっっている。
『甘さ』以外のなにものでもない。
仮に拳銃をこめかみに突き付けられ続けて、「やったらあかんということをやった瞬間に引き金を引くで」と言われ続けてそれでもやってしまう奴は少ないだろう。
人間は突き詰めると「命」がかからない限り本気になれない生き物なのかもしれない。

私に足りないのは間違いなく、ひとりで行動する時の「緊張感」
緊張感を持ち甘さを克服するしか「心の絶対善」は獲得出来ない。
せっかく「肉体の絶対善」に気づこうとしているのだから心身をセットとしてそれを獲得したい。

言ってはいけないことを守れる私に、やってはならないことを守れないわけがない。

明日は菊花賞。全く予想をしていないが、角居厩舎というだけでフルーキーに期待してしまう。

来月は久々の再会が待っている。あまり時間も残されていないが万全の調教を積んだ上で出会いの場を迎えたい。





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2013年10月18日

雑感-71

「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ」4時間一挙放送スペシャルがMBSで10月26日(日付は土曜日-実際は25日深夜)にあるが、噂では大人が観ても人生観が変わる位の内容なそうなので起きていられれば観ようと思う(エエおっさんが何言ってるの?とのツッコミは御遠慮下さい)

それにしても時代は猛スピードで様々なものを消費して行く。
三鷹女子高生ストーカー殺人のニュースももう少しすれば忘れ去られるのだろう。
我々は、衣食住を通じて大量且つ猛スピードで自然界の動植物を消費している。
しかし我々もまた一個体としてあっという間に消費されるのが真実。

ある武道の師範は、「他者に対して減点法で評価するべきでない。100点満点の人間なんていないのだから100点がどういったものかなど理解出来る奴などいない」
また、「鍛えるとの考え方はよくない。常に自分が弱い存在だとの意識が伴うからだ。そう考えるより体を動かすことで気持ちいいと感じ結果として強くなるとのイメージの方がよい」
そして「相手が弱さを見せることで相対的に自分が優位に立てるとの考えも好ましくない。強い相手であるからこそ自分も強くなる」と。

ある意味自然体のすすめのように聞こえるが、見方を変えれば師範自体が減点法で他者に接する人間に対してマイナス点を与えているようにも思える。
100点を理解出来る人間がいないとの前提であるなら、他者に対してアドバイスが出来る人間もいないとの認識が真っ当だろう。
したがって、師範が言いたいことの本質は「私の見解も評価する必要がない」となる気がするが恐らく師範自体が意識しているわけではないだろう。
つまり私が何を言いたいかというと、言葉により誰かに何かを伝えきるのは困難だということ。

それよりもきゃりーぱみゅぱみゅのバックダンサーを見て「凄いダンスやな。キレキレやん」と感心・感動することが「伝わる」ことの本質に思う。
もちろんファッションも含めてきゃりーさんのパフォーマンスも人を魅了するが、やがて彼女も消費されて行くだろう。
浜崎あゆみさんなども消費のされ方に加速がついてしまっている印象。
私自身も危うく肉体が賞味期限を迎えそうだったが、ここ数年の鍛錬(師範的に言うと、楽しく体を動かした)の成果で何とかまだ最低10年位はやりたいことをやって、行きたいところへも行けそうだ。

そんなことを考える中、相変わらず知人の大学講師と議論を交わすのだが先日も「人間なんかたんぱく質のかたまりなだけで、男と女やら大人と子どもの違いなんて些細なことや」と言葉が返ってきた。
私が「俺は思うけど、子どもから大人になると言うけど大人になりきってない奴があまりにも多い気がする」と言ったことに対しての答え。
確かに子どもと大人の違いにしても男と女の違いにしても声高に言うほどの差はない気もする。

その知人は毎度毎度「寂しさの本質はお金がないこと」と言うので、私は何とか「お金とは関係なしに俺は意識を高めることでいくつになっても成長出来ると考えているし、思考することや努力することが重要やと思う」と反論する。
するとこれも毎回、「意識って言うても抽象的な表現やし俺にはわからんな。時間とかお金とかもっと具体的な表現で示してくれ」となる。

三鷹の事件に戻るが、恋愛の本質を履き違えると地獄になるとの例となってしまった。
「愛情」とは家族間でもあることであり、本来は近親相姦的な側面があり仲良くなればなるほど攻撃性や破壊性を秘めた性行為とは遠い存在になるはず。
つまり、他者を対象とした異性間においては、家族間で発生するような愛情も培って行かなければならないし、一方ではエロスの対象としての他者として性行為に及ぶことになる。
それを考えるとあまりに安易な交際では、そのような愛情の劇的な裏返りもなく底の浅い恋愛になる気がする。
そしてこのような事件の当事者に残る感情は「攻撃性」だけになり「愛情」には裏返らないのだ。
これほどまでに人が恋愛に熱を上げるのは単に子孫繁栄だけのためでなく、人間のあらゆる感情が凝縮するからだろう(家族間では通常攻撃性がスポイルされる)。
ギャンブルなども感情の凝縮という意味では恋愛に近いものがありそうだ。

今日の話の結論が見えなくなってきたが、人生の中では自己主張すればするほど他者からの意見(反論含め)も出るし、かかわる人数の多さだけアンチも出てくるもの。
タフな精神を養うためには経験を積まなければならないが、自分の思うようになる時ばかりでないことを学ぶ機会を出来るだけ早期に持つことで少しは養えるし、優しくもなれるはず。

アナログ人間と言われようが私は原稿用紙にすれば10枚以上の走り書きを毎日している。
活字中毒なのはほぼ確実で起きてから寝るまで何らかな文字と向き合っている。
世の中の仕組みも知りたいし恋愛の本質も知りたいし寂しさの本質も知りたい。
そしてそれらを知るためにはいくら時間があっても足りない。
運動もしないとだめだし気がつけば誰かしらの誕生日も毎月のようにやってくる。
土日になれば競馬もある(笑)。
とてもでないが攻撃性だけの感情で他者に対峙するような暇はない。

「たかがたんぱく質でも意識を高く持ちたい」との気持ちに変わりはない。




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2013年10月15日

主観的価値と客観的価値。

以前から価値についての話を煮詰めようと試みているのだが断片的にしか分析出来ていない。
そこで、もう一度原点から考えを進めてみたいと思う。

ご存じの通り経済学と言えば近代経済学が席巻しており新自由主義なるものが勢いを得ていてマルクスが分析した頃の経済(社会)理論を信仰する学者は今や絶滅危惧種化している。
マルクス達が主張したのはあくまで客観的分析であり主観的要素の入る余地は少なかった。
例えば、一時間で釣れるサンマは二匹で鯛なら一匹とする。その場合の価格差は倍でしかない。
マルクス達は価値や価格というものはどれだけの労働力が投下されたかで決定されるものだというわかり易い理論。
ところが近代経済学の出す結論は、鯛の方がサンマの5倍美味しいから価格も5倍で良いだろうとの考え方だ。
世の中にはサンマの方が美味しいと主張する者も存在するはずだが、それは無視して鯛の方が美味しいに決まっているとの主観が価格に反映してしまっている。
言い方を変えれば鯛に対して本来の価値以上の付加価値を与えているわけだ。
竹中氏なども価値の源泉は効用もしくは希少性だと力説して来た。

ヴィトンのバッグが国産の名も無き製品の10倍もの価格でも売れるのは需要と供給がマッチしているからなのだが、過剰な付加価値と言えるし広告媒体を通じての「ヴィトンのバッグを持つ貴女の価値も上がりますよ」的な洗脳の結果でもあると言える。
ただ、希少性と言ってもそのバックを強く欲しいと思う人間の主観が価値を生んでいるだけであり、興味のない人間にとっては価格ほどの価値は無い。

近代経済学はあくまで資本主義が未来永劫に続くとの前提の下に成立している理論であり、それは形而上学的なものだし弁証法的なものではない。
以前から何度も説明しているが、形而上学とは「水は水、氷は氷」との考え方であり。弁証法とは「水はやがて氷になる」との考え方。
普通に考えれば弁証法の方が科学的であり、日本人やドイツ人などもこの考え方に共感して来たはず。
それが、「神は神。人間は人間」のような考え方を支持するどこかの国を中心に広がった形而上学的考え方が現代の日本をも巻き込んでいると言える。
いつから日本は主観を重視する国になったの?
資本主義のまま経済体制が変わらないなどと考えるのはご都合主義にも思えるし思考停止にも思える。
私の予測としては国内の雇用における非正規社員比率は全体の5割程度にまで増えると見ている。

近代経済学的に言えば、資本から利潤が生まれ(株主配当など)土地から地代や家賃が生まれ労働から賃金が生まれるとの三位一体的思想。
つまり労働者の持つ所有物は「己の労働力」しかない。
では、その労働力が資本や土地のように武器と言えるのかというとそうではない。
企業に採用されて初めて労働力は武器化する。

人類の歴史は変化と発展の歴史でもある。
原始時代の長さに比べると資本主義時代の長さはしれたもの。
そんな体制を持って永遠に持続するかのようなアナウンスはミスリードであるはずのだがまだしばらくは革命も起きず、為政者・資本家の思うように国は動かされて行くのだろう。

資本主義が発展する中での問題点のひとつは「人と人との関係が物(モノ)と物(モノ)の関係になって行くところ。
女性から見た場合、目の前の男との関係を築くのではなくその男の財布の中身との関係を築くとの構図が出来上がってしまっている可能性があるし男もまた女性の肉体に価値を見出している可能性がある。
打算の感情を恋愛との言葉で包んでいるとすれば切ない。
それほどに裸の人間と人間の関係を結ぶのは困難になっていると言える。
あえて人生に価値を求めるならば「より素晴らしい他者と出会う可能性を高めるために努力を重ねる」ことにあるはずなのだが、それが「利用価値」のある他者選びになっているなら何かが狂っている。

寂しいから人と触れ合いたいのだが、寂しい顔をしている人間には誰も寄り付かない。
寂しくない人生の送り方は人それぞれ模索するしかないのだが、自宅で一人で過ごすことイコール寂しさではないことだけは間違いない。

今日もまた断片的に終わってしまったが、私の表情から寂しさが消えた時にまた記事を更新しようと思う。
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2013年10月13日

賭け続ける男(急)第7話

テツがこだわっていた誕生日が過ぎたが、宣言通りの日々は過ごせているのだろうか?


マサ‥テツさん今日は秋華賞ですよ。

テツ‥まーね。

マサ‥あれ?何か様子がおかしいですね。脚に異常が出たのですか?

テツ‥うん。ちょっと放牧に… って、今どきダビスタネタかよ!

マサ‥まー関西人としては合格です。

テツ‥あのな、つかみがないと会話が始まらんのが関西人の悪いクセやで。
そんなことより桜塚やっくんは37才の若さで逝ってしもたな。
飯島愛は36才、尾崎豊は26才、横山やすしは51才でこの世を去ったし俺も日々精一杯生きとかな後悔するよな。

マサ…なんだかテツさんらしくない発言ですね。

テツ‥尾崎の歌はいつまでも歌い継がれるし、やっさんだってゲームのパワフルプロ野球の中で阿畑やすしとして出たり桃鉄で漫才師(スリの銀次の変装)として出てるやろ。
俺が生きた証は残せてるんやろか?

マサ‥何を言ってるんですか。お子さんもいるしテツさんが愛した女性もきっと覚え続けてくれますよ。
それに何より俺が忘れませんから。

テツ‥えっ?こんな俺でもか。

マサ‥ASKAの薬物問題が話題になっていますけど才能や魅力がある人はある種の狂気と隣合わせなんでしょ。
テツさんが破滅に向かおうとする状態を俺は何度も見ていますが、そのパワーと同じ量の優しさや明るさも持ってるから人が寄って来るんですよ。特に子供には大人気ですもんね。

テツ‥あの、出来れば大人の女に人気やったらええんやけど。

マサ‥そうそう元の奥さんは元気にされているんですか?

テツ‥うん、病気が病気なんで波があるみたいやわ。
俺の誕生日におめでとうと電話してきた数日後に、「生きるのが辛くなって来ました。子供に会いたい」と何カ月振りかにメールが来たわ。
それで適切かどうかわわからんけど「誰しも一喜一憂しながら日々を過ごしているんですよ。でも一晩寝たら次の日にちょっとだけ良いことがあるかもしれませんよ」と返したんや。

マサ‥テツさんらしい返信ですね。今のテツさんは自分の気持ちを素直に表すようになってるんで今ならきっと女性と上手くお付き合い出来ますよ。
例えばKちゃんなんかと。

テツ‥やっぱりそう来るか。
実はこの前少しアクシデントがあって結局朝まで寝られへんかったわ。恋の病は恐ろしいな。

マサ‥そうですか。やっぱり恋愛スキルは中学生並ですね。何があっても相手を信用しないとだめですよ。
俺とテツさんだって半年連絡しなくても心は繋がってるじゃないですか。
テツさんはいつもKちゃんが幸せになれば俺はそれでいいと言ってるのに自分がいつも幸せな気分じゃないとだめなんですか。

テツ‥↓ 結局元妻に返したメールの内容が自分にはね返って来たわ。ホンマ一喜一憂するのはしんどいな。
せやけど一喜一憂度で言うたら博打の方が何百倍も大きい気がするから人を好きになるのにも慣れるしかないな。

マサ‥一応聞いて欲しそうなことは話を振ったのでそろそろ秋華賞の話題に行ってもいいですか?

テツ‥ん?俺の恋バナはただのフリやったんか。まーええわ。1分で結論出したるで。
オークスの3強の再戦やったはずがスマートレイアーの評価が上がって来て、エバーブロッサムと入れ替わりよったな。
ここは、オークスの1〜3着馬の3連複1点を10%とスマートレイアーの複勝を90%の割合で買うたらまず的中するやろ。

マサ‥スマートレイアーとデニムアンドルビーとメイショウマンボの3連複とエバーブロッサムの複勝ではだめなんですか?

テツ‥そのパターンやとティアーモあたりの複勝の方が面白いかな。

マサ‥ほんじゃ俺はティアーモの複勝でも買って観戦するとします。
で、テツさんはどうするんですか?

テツ‥人間辛抱が一番。

マサ‥はぁ??

テツ‥そんなこんなでKちゃんにまだ誕生プレゼントを渡せてないんや。もし負けた状態で渡したらこんな顔もうやだ〜(悲しい顔)になってまうやろ。
というわけで俺は今から貝になって潜伏する。

マサ‥またまた、貝だって生きてるんですよ。気が付いたら脚が勝手に馬券売り場に行ってるんとちゃいますか。

テツ‥愛は勝つ!

マサ‥あかん。重症や。


人間はそう簡単に変われるもんでもないけどあのテツが相手のことを思って徹夜するなんて今までになかったはず。
ひょっとしたら本当に変われるかも?



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2013年10月08日

雑感-70

月曜日の深夜はちょっとした衝撃があった。
何気なくスペースシャワーTVを見ていたら[岡村靖幸]のPV特集がやっていて思わず見入ってしまった。
私は彼の曲をまともに聞いたのはドラマや映画の「モテキ」を通じて位のもので、30分近く視聴したのは初めてのことだった。
現在は48才位のようだが、薬物摂取により数度に渡り司法の世話になっている彼の実際の活動期間はそう長くない。
私があまり知らないだけでサブカルに精通している人なんかだとカリスマに近い人なのかも?
いや、そうではなくバリバリのメジャーなのに私が気付かなかっただけなのか?
まー私のかかわりは置いといて、驚いたのはダンサーでもあるということ。
ダンサーというと、橘慶太や三浦大知が頭に浮かぶが、格好良さの点では岡村靖幸が遥かに勝る。
何度もの逮捕歴がなかったならBoowy位のメジャー性を持てたのかそれともそんな破滅型だったから才能を凝縮出来たのか。そのどちらなのだろう?
野外フェスやクラブイベントなどに縁が薄い私が本物の音楽シーンを見逃していたことを悔いても仕方ないので、違う形で格好の良い最近の彼の映像を見ることが出来ただけでも良かった。

それにしても尾崎豊や岡村靖幸が私の目に魅力的に映るのは私の中にも共感するものがあるからに違いない。
煩悩は108つあると言うけれど、そんな数多くの煩悩と戦うためにはそれに対抗する108つの何かが必要に思える。
それが仕事なのか好きな女性なのかお金なのか友情なのか理性なのか経験なのか無の心なのか何かはわからない。
ただ、人間らしい生き方とは最初から悟りを開くことではなく、煩悩との葛藤の中で知恵をつけて行くことかなと思う。
それでも私が名前を挙げた二人はその「知恵」をつけることさえ拒絶しているようにも見えるし私自身もまた小さくまとまることを否定して生きてきた。
とは言え本当の意味で自由に生きて好きな道を進むには、誰かに迷惑をかけ続けることとセットでは良くない。
大人になりきれない方がある意味魅力的に映る場合もあるだろう。
だが、108つの煩悩に対抗するためには「大人」というアイテムが不可欠なのは間違いない。

魅力的であり続け大人でもあり続けるのは難しいが、難しいが故に到達する価値もある。
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2013年10月07日

雑感-69

オルフェーヴルは完敗でしたね。
規格外の馬を優等生として教育した結果がこうであるなら複雑な気持ちになる。
ただ、勝った馬が強すぎたための結果でもあるので、オルフェ−ヴルとキズナにはお疲れ様とありがとうしか言えない。

それにしてもいつのまにか日本は様々な分野で世界と戦うことになっている。
TPPの交渉も農業分野の5品目の関税維持を断念する方向になっているようなので産業・教育・スポーツ・文化・人材交流・その他、世界を意識しなければ取り残される時代になった。

そんな話と関連があるかはわからないがつい先日、長男が仕事のことで私に話がしたそうだったため食事に誘った。
私は、人間というのは年齢や経験に応じてスポンジが水分を吸収するようなタイミングがありそのタイミングを逃さず言葉をかけないと効果が薄いと思っている。
子供達に対しても私があれこれ指図することはないが、ここぞという時には手紙を書いてでも伝えるようにしている。
今回の件は面接時の話と実際のシフトでのギャップについて納得いかない部分があったようなので、「それはお前が事前リサーチや面接の時点での確認が足りなかった結果でもあるのだからもう少し細部に気を配って日々を過ごさないとだめだと思うよ」と言葉をかけた。
更に「くれぐれも甘い見通しで社会を捉えるのはよくない」とも伝えた。
そして「とにかく最終的には自分自身の心身が疲弊して前向きになれない状況を招く前に何が大事なのかをよく考えた方が良いよ」と話をして食事を終えた。

竹内義和氏の言葉を借りれば「自分のことをわかってもらえないという人がいるけれども、それはあくまで自分のせいであって、他人のせいじゃないわけですよね。例えば女の人にモテたいのにモテないのであれば100人の女の人に声をかけるとかしないとね。100人でだめなら1000人に声をかけるとか自分で努力することで願望に近づけるわけでしょ。それをその努力なしでいきなりモテたいとか思っちゃうわけでしょ。自分は注目されたいと思っていても努力しないなら思うだけ無駄。努力出来ない人は無能な立場のままでいるしかないわけですから。世の中は残酷なんですよ。そしてその残酷さをそれぞれが意識しないとだめなんですよ。能力のない人はどうしたらいいいの?との質問をするような奴には、そりゃ知らんがな、お前の勝手やん。と答えるしかない」


日本が世界を相手にするように学校も職場もライバルが同性や同じ国の者だけではなくなって来た。
もはや才能だけで通用する場所などないのかもしれない。
ただ綺麗なだけの女性やただ力持ちの男性の居場所がどんどん無くなる時代だとするならば日々やるべきことは山ほどありそうだ。
内面を磨けていない男が外見を磨く女性を批判する資格などない。それならまだ外見だけでも磨く方がましではないだろうか。
どちらにしても世間は「見た目」や「結果」で判断する場合が多い。本当の意味で「自分を大切」に出来た時、誰かも大切に出来るような気がする。




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2013年10月01日

頭の良さって何だろう。

前エントリーで恋愛を語ったが、吉本芸人の宇治原君がやらかした。
結婚を目前に20才の女性と浮気をしたことは私の記事からすると???

頭の良さが売りだったはずの彼がそのような行為に走るということは神の仕業としか説明がつかない。
私の記事で説明すると、言葉と肉体と心で愛を確かめ合ったはずなのに他の女性と肉体で何かを確かめ合ったのだ。
結婚相手以外の女性との肉体関係で何を確かめあったのだろう。
私の記事で、肉体だけが目的の男なら「君が欲しい、僕と付き合ってくれ」位のことは言えると書いた。
悪いことは言わないから宇治原君の結婚相手の女性は今からでもお別れなさってはどうか?
ただ、養うことが最大の愛情表現であるなら彼が奥さんに対してやることはひとつしかない。

私と言えばギャンブルだが、頭の良い人はまずギャンブルにのめりこまないと想像する。
皆さんご存じの2ちゃんねる創始者のひろゆき氏などはまずギャンブルにのめりこまないだろうし、
売れっ子芸人の有吉君などもそうだろう。オードリーの春日(春日に君付けはしっくりこない)やタモリ(タモリにさん付けもしっくりこない)なんかも堅実なイメージ。

とにかく男の場合、酒・女・博打・暴力・ドラッグなどにのめりこむタイプがいるが、過度にのめり込む男はやはり頭が良いとは言えない。
となると私は間違いなく頭が良くない部類に入るが、毎日関わらないと心が落ち着かないほどではない。

最近、パチンコ・パチスロメーカーのセガサミーの社長の娘が経済産業省のキャリア官僚と結婚したとのニュースを目にしたが、
安倍首相や森元首相や小泉元首相らが結婚式に出席したとの内容だった。
このブログで何度もパチンコの換金システムは違法性が極めて高いと主張して来たが、この有様だと改善するまで程遠いだろう。
それどころかカジノ誘致の際の中核企業としての足場固めのための政略結婚の匂いまでする。

頭の悪い我々がパチンコで金を散在して頭の良い経営者やそれを取り巻く官僚や政治家が美味い汁を吸うという構造は江戸時代からまるで変わりがない。
私の知る限り、江戸時代というのは一般庶民が結婚することは非常に困難であり平成の時代の未婚・非婚などより深刻だったのが現実。
明治になりあからさまな身分制度はなくなったとはいえ、武士が刀を捨てただけで学校の先生などはそう簡単になれるものではなかった。

前述のひろゆき氏は、アメリカを指して「自国の利益にならなければ日米同盟など簡単に反古にするだろう」と言っている。
国際連盟を提唱しながら自らは参加しなかったり、環境問題を議論した京都議定書には最大の当時国でもあるのに署名しないとかやりたい放題だ。
日本政府にしてもパチンコ問題だけでなく、公営ギャンブルの寺銭はいつまで経っても25%を上回る控除だしオートレースに至ってはとうとう30%になった。
ガソリン・酒・ビールなどにおける二重課税問題などもなかなか改善されないし、円高の際に輸入品が下がらないくせに円安になるとたちまち上がるのも政府の怠慢だ。
政・官・財の癒着の構造は未来永劫に変わらないかもしれない。
政党助成金だって私の見解では違法性が高いが、共産党を除く各党が平然と受け取っている。
解散時に消滅する政党にまで配る構造は盗人も顔負けだ。
維新の党は候補者が自腹で立候補したはずだが、当選後に政党に交付されたお金の一部をきちんと渡したのだろうか?
と、そんなことを言っても多くの有権者が自由民主党に投票するのだから多くの国民は長いものに巻かれたいのだろう(私は同党には投票しないが)。
TPPに反対していたのは一体どの党だったんですかね?選挙が終わると手のひら返し。
原発に一発でもミサイルが飛んで来たら日本は終了なのに原発推進派の自民党は中曽根政権(訂正)⇒中曽根康弘元首相と読売グループが(中心となり)アメリカの在庫整理のような原発設備を導入したことを忘れたのだろうか。
ただ、私は戦争に負けたためにアメリカ合衆国の属国になったことは仕方なかったとは思うので、指摘はしても現状は受け止める(世界の中ではましな国の筆頭)。
それでも現幹事長の娘が東電の社員であるように政・財の癒着がある限り情報の隠蔽は続くだろう。

ここまで書いて頭の良さの話がどこか行ってしまったが、行きつけのお店から独立して自分でお店を起こした女性から遅ればせながら誕生日おめでとうメールが来た。
その内容は、「これからも素敵男子で居て下さい」だった。
その女性の頭が良いと言いたいわけではなく、「素敵男子」なんていう言葉をチョイス出来るセンスに脱帽する。
残念ながら宇治原君は「素敵男子」でないしかつての陣内君もそうでない。
結局、「生き様」がどうであるかが肝心であって「頭の良さ」が人間としての魅力につながらないのであれば宝の持ち腐れ。
ただ頭が良いだけでは、人に対して表現するものが乏しいように思う。
「素敵男子」「素敵女子」と呼べるような魅力的な人間が周囲にいるだろうか。そして自分自身はそう呼ばれる生き方が出来ているだろうか。

最後に、「素敵男子と呼んでもらえる券は100万円ほどで買えました=笑」


追記⇒素敵男子で思い浮かんだのはノーベル賞受賞者の山中教授。
それと頭の良さの基準のひとつで言えば、「ぎりぎりの選択を誤らない」ことかな。
私は今トレーニングを重ねているが、もっとスピードを出せるのはわかっているけれどこれ以上早く走るとどこかに負担がかかり過ぎるとの予測も立つ。
そのぎりぎりの状況の中で判断をして行くのは困難な作業になる。
本番のレースだと更に無理が必要な局面(競い合い)が出てきそうなので自分の限界について緻密に知っておく必要がある。
それはギャンブルなどの遊びにおいてもそうだし酒や恋愛においても同じこと。
調子に乗って限度を超えてしまうのは自制心の欠如に他ならないのでやはり頭が良いとは言えないと思う。



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