絶対善や絶対悪とは言わないがイメージとしてはそれに近い。
相対善や相対悪については時代背景や住んでいる環境により変化があるので一概に善悪を語ることが難しい。
生き方は人それぞれ。知り合いの女性はブログなどやっていないのだが「もしやるとしたら毎日どれ位の文字数を書き込めますか?」と聞いてみた。
すると、「2行程度かな。今日は暑かったわとか今日食べたお菓子は美味しかった程度の日が多いと思います」との答えだった。
ネット上に書き込むことが万人にとって正しい方向性でないことは確かだが、心身を健康に保つために努力することはかなりの確率で正しい方向性に思う。
私の場合は「身」については努力しているが「心」についてはまだまだだ。
その「心」を絶対善の方向に導くためには私がまだ気づいていない知恵を獲得する必要がありそうだ。
そのためにもこの場を利用してああでもないこうでもないと葛藤しながら前進したい。
以前にもこの場で、私は重大犯罪と出産(物理的に無理)と刺青以外は経験してきたと言っているが、勿論正確には他にも経験していないことはある。
ただ、私以上に経験が豊富な人間もいるだろうが大人が100人いたら私はベスト10に入る自信はある。
このブログでもそれらの経験に基づいて語っている側面が大きいのだが流石に不適切なことを書き込むのは避けてきた。
女性に関することなどはその最もたるもので、ひとつ間違えばただの自慢になるしもし私に批判的な方がいるとするならば虚偽の事柄を書いていると思うだろう。
ドラマなどを見ていると、そこそこ仲の良い男女がいたとしてそのうちの女の方が別の仲の良い男と会話を交わすシーンが出てくるが、
大抵の場合、そこそこ仲の良い男との会話内容を別の仲の良い男に伝えるシーンが流される。
それが相談という形もあれば愚痴の場合もある。
それは男女を入れ替えたとしても成立する設定なので、女の方が口が軽いとまでは言うつもりはない。
それでも、ふたりだけの会話としてどちらもが誰にも内容を漏らさないとの関係を保つのは困難。
そうなると愛する男女の関係においても言葉選びは大事になる。
本当のことを言っても他者の耳に入るし嘘をついても同様に耳に入ってしまう。
話を戻して、私は様々な経験もしてきたが様々な人間とも接点を持ってきた。
その中で思うことは、自分以上に口の堅い人間と仲良くなることはないということ。
相手から「こいつは信頼が出来る」と判断されて初めて親密な会話が成立するわけでありそれはこちらからしても同じこと。
私は結婚生活もそこそこ長かったし夫婦間の話として留めていることも多かった。
そしてそれ証明するように夫婦どちらの親や兄弟や親戚や友人に最後まで実際に漏れなかった。
えっ?どうしてそんなことを親戚が知ってるの?という局面はあったがそれは夫婦以外に知り得る立場の2〜3人の口から漏れたものだったようだ。
私は別に「秘密主義」というほどの人間ではないが、ブログ仲間と会う時にも自分のプライバシーをほぼ明かさない。
だからこそ色々な話が出来るのだが、飲み屋に行くと「お仕事は?年齢は?」と聞かれることもある。
まー私以外の多くの人はそんな時でも気さくに答えるのだろうが、聞いたからどうなると言うのだろう。
例えば、「どこの大学を出られているんですか?」と聞かれた時に俗に言うFランク大学だった場合はどのように会話を繋げるというのか。
「凄いですね」とはまずならないし「馬鹿大学ですね」とはもっとならない。
障害者手帳を持っている人も想像以上の数いると思うが、「あなたは健常者ですか?」と聞くことはないし自分から障害を持っているとも言わないだろう。
つまり聞ける範囲だと思うことを自分の基準で聞いているだけであって、人の持つ底知れない可能性に想像が及ぶことがない。
私のごく身近にいる町の有力者にしても私に対して「橋下市長の父親がああいう筋の奴やから橋下もヤクザ気質なんや」と言ってくる。
私の父親がその筋の者である可能性がゼロでないことなんかに想像が及ぶこともなく屈託なく会話を進める。
このエピソードひとつとっても人間同士の会話は奥が深いし想像力に乏しい人間の場合は会話が上滑りになる。
ここまで書いて「心の絶対善」について何かひらめくことがないのかと自問自答するが、私のウィークポイントはやはりひとりになっている状態の時の自己コントロールに思える。
「言ってはいけないこと」は徹底して守り通せるのに「やってはならないこと」を守り通せない。
何故かは自分が一番わかっっている。
『甘さ』以外のなにものでもない。
仮に拳銃をこめかみに突き付けられ続けて、「やったらあかんということをやった瞬間に引き金を引くで」と言われ続けてそれでもやってしまう奴は少ないだろう。
人間は突き詰めると「命」がかからない限り本気になれない生き物なのかもしれない。
私に足りないのは間違いなく、ひとりで行動する時の「緊張感」
緊張感を持ち甘さを克服するしか「心の絶対善」は獲得出来ない。
せっかく「肉体の絶対善」に気づこうとしているのだから心身をセットとしてそれを獲得したい。
言ってはいけないことを守れる私に、やってはならないことを守れないわけがない。
明日は菊花賞。全く予想をしていないが、角居厩舎というだけでフルーキーに期待してしまう。
来月は久々の再会が待っている。あまり時間も残されていないが万全の調教を積んだ上で出会いの場を迎えたい。