2013年06月25日

雑感-64

月2回ペースの更新になってきましたね。

閉じられた空間での自由や欲望と開かれた空間の自由や欲望は違う。
開かれた空間の中では自分と他の人間の違いはほとんどない。
そんな状況で自信を持つことは困難。
学校のクラスや特定の職場の中での比較ならば自信を持てる場合もあるだろうが。

私は人から「難しく考えなくていいよ」とアドバイスされることが多い。
難しく考えないとは、何も考えないと同義語のようで私には理解し難い言葉だ。
「やってみて結果が出てから考えたらいい」と言う人にしてもそれは何をやってもよいとは思っていないはず。

結果が出てからでは遅いことも多くあるだけに「正解」を出し続けることは難しい。
まして「大正解」を目指す場合は遠い遠い道のりになる。

誰とも遊ばない(飲みにも行かないし誰かとお茶することもない)日々が20日以上になり一人で日々を過ごすことに慣れかけてはいるが、何かが足りない気もする。
今の私にとっての正解とは何なのだろう?

女性の多くは自分自身を磨くことに熱心に映るがそれは何のためなのだろう。
お化粧をして服装にも気をつかいアクセサリーにまで興味の範囲を広げる。
男の場合もそれが正解ならば私は明日から毎日ファッションビルに通うのだが…

私は以前、「必要条件と十分条件は違う」と言った。
テストで0点をとるための十分条件は答案用紙に自分の名前を書かないことで、テストで100点を目指すための必要条件とは例えば努力するということ。
努力したからといって100点の確約はないのだから必要条件にしかならない。
つまり100点をとるための十分条件とは事前に問題内容と答えを知ることとなるがそんなことして100点をとっても達成感など生まれないだろう。

成功が約束されていることに取り組んでも達成感の面では得るものが少ないのは皮肉な話。
先日最終回を迎えたドラマ「ラスト・シンデレラ」で主人公を演じた篠原涼子は、一緒に居て落ち着く藤木直人ではなく一緒に居てドキドキする三浦春馬を選んだ。
脚本家の願望も含まれているかもしれないが藤木直人の気持ちを思うと切ない。

恋愛は成功が約束されていないから必死になれるのだろうか。
相手との恋が成就するための十分条件はなく、必要条件の積み重ねでもありタイミングでもあり相手に対する熱量でもあるのだろう。

毎日働いて毎日鍛えて毎日食べて毎日寝るだけの生活に満足出来るのならばさぞかし健全な日々ではないかと一見思うが、人間は健全なだけの存在でもない。
「自分を表現する」ことに対してどのような手段で臨めば良いのか?
体を鍛えること以外の表現手段を模索する日々は続く…




posted by tetsukazu at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月10日

雑感-63

お久し振りです。
なかなかの忙しさで日々過ごしていました。
国民的大イベントのアイドル総選挙も終わり世間は夏に向けて充電中かと思われます。
その選挙では、私が「こいつはしっかりしてるよな」と思っている子は第6位でしたね。

さて、最近の私は忙しさの中で時間を見つけては「日本は何故負ける戦争をしたんだろう?」
との疑問を解消するため文献を参考にしたりしながら課題に取り組んでいます。

砂糖水は当然、砂糖と真水が混じったんものです。
国にせよ人間にせよ何かの要素と何かの要素が合わさった出来ていることに違いはないはずです。
日本の歴史を辿れば、明治維新の前後からヨーロッパの国々などの法制度や議会制度を良い意味で真似て近代化を遂げました。
それなのにどうしてか昭和に入る頃から自国の国力を客観視する目線を失い自爆への道を進んでしまいました。
それは何故なのか?

当時は、ソ連の南進の防衛のためにも中国大陸の一部の権益は確保しておきたいというのが政府・陸軍・海軍、そして国民・マスコミの共通意見だったように思われます。
そうした背景の中、参戦にあたり決定的決め手となった米国による中国大陸からの撤退要求に対し、御前会議で対英米蘭開戦を決定したのも仕方がないことだったのかもしれない。
ただ、皇道派と呼ばれる者の中には米国を敵にした場合は物量面でかなう相手でないことを認識している者もいた。
しかし二・二六事件などがあり、皇道派の中心人物は開戦時には国の中枢から外れていた。
結局、肝心の開戦時にはオールジャパンで戦う体制が出来ておらず、東條英機にしても押し上げられるようにトップに立った状況だった。

その他にも天皇が時の首相を叱責したりしたことが歴史を変えた一因だったとか諸説はあるが、要は人格・人望・見識・学識・統率力に秀でた人材がいれば歴史は違ったものになっていたかもしれない。
だがそれは、国民やマスコミをも敵に回す覚悟も合わさってのものであり天皇をも懐柔するだけの器量が必要だっただろう。
天皇・政府・陸軍・海軍の間での闘争があり、それぞれの組織内での闘争もあり、流され易い国民・マスコミの存在もあり、成熟した近代国家と呼ぶにはまだまだ欠けている要素があったのだろう。


そして、平成25年となり今の日本はどのように変化したのだろうか。
成熟とは書いて名の通り、時間をかけて初めて辿りつく境地。
我慢して我慢してもういいかなと思ってもそれでもまだ我慢を続けて成せるもの。
飲む打つ買うにうつつを抜かす者とそうでない者の差は、暇があるかどうかの差に思う。
成熟した大人になるために、もし暇があっても寝る前に一人ウイスキーをロックで嗜む程度の格好良さは持ちたいものだ。

成熟した国に住み、成熟した大人として生きる。
砂糖水は湯せんにかけて水分だけを蒸発させると砂糖だけ取り出せる。
人間ももし不純物が精神に入ってきていると感じたら、何かの触媒により不純物を排出したいものだ。

最後に、誰かに届けこのメッセージ。ごめんなさい今月は最後まで忙しいです。
posted by tetsukazu at 22:33| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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