2013年04月30日

小悪魔完全体。

日本映画専門チャンネルで日本映画100年の100選をやっているが、1964年公開で20才当時の加賀まりこが主演の「月曜日のユカ=監督・中平 康」での加賀まりこの小悪魔振りは、そのまま現代に飛び出ても何の違和感もない位完全体と言える。
以下、ネタバレあり。


男の胸の中にジャストフィットしそうな体と視線を外さない愛くるしい瞳、そして甘えるような声。
艶やかで無邪気なのに上品。
奔放なのにどこか献身的。
どんなに相手にのめり込んでも自分自身はしっかり持っているところを知性と呼ぶならばこれで死角はない。
そして魅力的な男しか近寄れない凛とした佇まいまである。

とにかく小悪魔としての必要条件はほぼ全て兼ね備える完成形であり完全体と言える。

物語の中で、中尾彬演じる若い男が加賀まりこ演じるユカに対して結婚しようと迫り、一緒に住むアパートを借りるために10万円が必要だとユカに告げた。

ユカにはパトロン(今で言うスポンサー)が居て、そのパトロンが商売のために商談相手と寝て欲しいとの話をユカに持ちかけるのだが、ユカは引き受ける条件として10万円を要求することに…


私にはこのあたりのユカの思考回路を台詞にして表現したところにリアリティーを感じる。
恐らく脚本家(若かりし日の倉本聰が共同脚本家として参加)は小悪魔の特徴を理解しているのだろう。
と言いながら私にもかなり理解出来る(汗)。

小悪魔にも二種類あり、複数の相手を自分の欲望のためだけに利用するタイプと、時には危ない橋を渡りながらも、自分を愛してくれ、そして自分も愛している男のために純粋に力を注げるタイプ。

その二種類のタイプを共に小悪魔と呼んでよいのかどうかはわからないが、私がもし惹かれるとしたら間違いなく後者。

しかし私にはやがて相手のポテンシャルの高さを持て余す時が来る。そしてその時は相手を嫌いでなくてもきっぱりと別れを告げるだろう(ん?妙にリアル?)。

私が今葛藤する依存対象もそんなポテンシャルの高さを秘め、私は持て余しているのかもしれない。

美しい薔薇にはトゲがあると言うが、恋愛に限らず自分自身のポテンシャルを超えたものに近付いた大きさと同じ規模の返り血を浴びることになるのだろう。

そしてこの映画もまたそんな結末を迎える。
北野武の映画「ソナチネ」で、「死ぬのを恐がると死にたくなるんだよ」との台詞がある。
覚悟のない者に輝きはない。



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2013年04月29日

もう一人の自分。

自分の中にもう一人の自分がいると思わない限り説明がつかないことが多すぎる。
親愛なる人からのメールで元気になったはずなのに、無意識にダークな私のスイッチが入ってしまう。

世の中の人々はこのような時、どう自分を制御するのだろう。

私はコーヒー党でもないし飲みに行く時以外はタバコも吸わない。
その分私はある特定のことに依存してしまっている。
それでも上手くコントロールしてきたのだがこの2〜3日で突然深刻なことになってきた。

直感としては長男の就職により完全ひとり暮らしになったこととGWの影響に思う。
ダークサイドの自分が顔を出し始めたことには恐怖さえ覚える。

誰かと抱きしめ合えば収まるのかもしれないが、そんな都合良くは行かない。

離婚ストレスの末に暴飲になり仕事も健康も失い孤独死した私と同世代の知り合いの話をしたことがあるが、どこか他人事にしていた。

ブログを見て下さる女性から「てつかずさんの記事からはまだ吹っ切れていないことがよくわかる」とこの前指摘を受けたが、このことなのかと改めて感じた。

私は直ぐに相手の都合を考えてしまうので素直に人に甘えることが出来ない。
離婚の時だって「私の幸せを願うならハンコを捺してね」と言われ本当に捺した。
そこに自分の感情はないのかと言われても相手の勢い以上のものを示せない限り説得など無理だと思った。

こんなことを言いながら、ランチでも行きましょうとのお誘いに乗り気でなかったりする私。

人に流されているのか流されていないか曖昧だし、自分の意思があるのかないのかも曖昧。

ただ、何かに疲れているのは事実。
何となくだが、以前にこの場で言ったように誰かと温泉にでも行けば目に見えない疲れがとれる気もする。

後一年位の間に一度は本来の意味でのデートと呼べるようなことをしてみたいな。

話は逸れますが、お付き合いする前はお互いの価値観を持っていたのに、お付き合い後に相手の価値観に染まることってあるようですね。
ファッションであったり家庭の在り方であったりとか。

あれこれ理屈を考えるより思い切って誰かと付き合うのも良いかもですね(あっ!?その誰かがおらんのがそもそもの問題やろ!)。

とにかく、人と触れ合うことでしかこのモヤモヤは解消出来ない気がします。

GWが終わる頃に「何とかなりそうです」と報告出来れば最高です。

では今から気分転換に部屋の整理でもしてみます。


posted by tetsukazu at 13:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月27日

好きな歌に。

私のカラオケの定番はくずの「全てが僕の力になる」だ。

別れた妻は今でも心の闇と戦っているのだが、私は以前にこう言葉を投げた。
スマップの大ファンの彼女に対し「今こそ大好きなスマップの歌から生きる力をもらうべきだろ」と。
くずの歌の歌詞も「君の声が力になる 君の笑顔が力になる」との内容。

つい最近も知り合いの主婦(専業ではない)がメンタルのバランスを崩して病院通いを始めた。

見かけからは何の変化も感じないのにだ。

経済的な問題もあるようだし息子さんのことでも長年苦労されている。

そんな彼女に好きな歌で励まされて下さいと言ってもそんな心の余裕はないだろう。

それでもあえてそう語りかけることは必要な気がする。

彼女達と私のメンタルに大きな差があるわけでもない。

私の耳に聞こえる声、メールなどを通じてもらう勇気や自信、そして何より力を与えてくれる笑顔。

考えてみればこれらの行為には一円のお金もいらない(通信料はいるが)。
昨夜はほぼ寝ていないせいか反動でテンションがグンと下がりネガティブな感情が支配しそうだったため少しでも落ち着けるよう今入浴を終えたところ。

知り合いとのメールのやりとりでも力をもらった今日だったが落ち込みマックス時に一瞬とんでもないネガティブ記事をアップしてしまった。
知り合いのメールで「ハッ」となり直ぐに削除したが、数年振りの感情が支配した瞬間でもあった。

私はキャラ上仕事関係外の周囲の方々には仕事の話などプライベートな話はほとんどせず涼しい顔で会話をするのだが、その分だけ蓄積されるものがあるのだろう。

そして気がつけば好きな歌の歌詞など頭にない状態で勝手にコケて勝手に落ち込む。

以前に当ブログで次男が高校生だった頃の担任の熱血教師が心の病にかかりその後に八百屋さんになった話をした。

私の親戚にも20才前後で自ら命を絶った人間がいる。

それらの人達に誰かの声やメッセージは届いたのだろうか。

くずの歌は「君の声を聞きたいから 君の笑顔が見たいから 何もかもを抱きしめたら それが僕の力になる 全てが僕の力になる」 で終わる。
やはり人の力に成り得るのは人の力なのだろうか。

昔、「地に花を 心に愛を 唇に歌を」というフレーズが好きだった。

くじけかけた時、ダークサイドの自分が顔を見せた時、誰かの声、誰かの笑顔が浮かぶだろうか。
無理であればせめてあの歌を口にしたい。
posted by tetsukazu at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

命を削る。

すっかりギャンブル系のエントリーから遠ざかっていますがとにかく書きとめておきたいことを中心にエントリーする状態が続くと思います。
日により、ですます口調になったりそうでなかったり一定しませんがそこはツッコミなしでお願いします(見てくれている人がいるとの前提かのような思い上がりですが)。

4月からは残務処理や会合やらで仕事絡みで繁忙を極めていたが、昨夜は少し大きな仕事にひと区切りがつき「そうだ、飲みに行こう」となり、行きつけのお店に連絡した。
その際ママに「何々ちゃんはいる?」と聞いたら、「みんな揃ってるわよ」との返事」
で、行ってみるとお目当ての子は体調不良で早退していたらしく、「えっ?」となったが帰るのも大人気ないのでそのまま飲むことに。

それだけならまだしも何と2月に独立したばかりの旧スタッフが来ていて(自分の店の営業中に少しだけ来ていたよう)まだ一度も行ってなかった私は=焦と汗あせあせ(飛び散る汗)
で、ビールを二本ほど飲んで同じビルの新ママの店に直行した。
そして横を見ればさっきまで行っていたお店のママと同伴しているというカオスな状態に。

10分しても20分してもお店に戻らないママに対して「店クビになるで」との団塊世代もビックリするだろうベタなツッコミを入れつつ飲み続けた。
結局ママはピストン輸送のように3往復して戻るたびに自分のお店で飲んでいたお客さんを新ママのお店に連れてきた。

そして連れられてきたお客さんもまたママと一緒にお店に帰るというスーパーカオスな展開に。

久々に顔を見ようと思って行ったことが始まりだったのに人生は何が起きるかわからない。
新ママのお店でボトルキープしなかったため「もう来る気はないのね」と言われてしまったが、とにかく怒涛のように時間は過ぎ久々に痛飲してしまった。
また今日から忙しい日々が続くのでこんな日はしばらくは来ないと思うが流れに身を任せるとはこのことかと勉強になった夜だった。

一時間ほど睡眠をとり朝から仕事で今に至るのだが、流れに身を任せる点では結婚はその代表格かなと思う。
結婚して子供が生まれた後は、親は命を削りながら育てて行くことになる。
飲み屋の往復など足もとにも及ばない過酷な日々が続く。
大多数の親は20年30年と食べたいものを食べたいだけ食べるなど夢の夢。
それでも真理は常に具体的現象として現れる。
50才を過ぎても「独身が一番」と語る男に男の魅力は感じない。


posted by tetsukazu at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月26日

初めての。

つい先ほど長男が家に来て、生まれて初めて作った名刺を嬉しそうに置いて行った。

スーツも取りに来たので急に父親の顔に戻りアイロンをかけて渡した。

時には1〜2時間の睡眠で働く日もあるようだか、以前には考えられないような高い意識で仕事に取り組んでいるようだ。

次男の方も順調に行けば後2年で社会に巣立つ。

貯蓄ゼロ世帯が三割にも及ぶ大変な時代だし、亀井静香氏が大臣の時に実施したモラトリアム法案の期限も既に迎えた今、中小企業の経営者や住宅ローンをかかえるサラリーマン達は日々が戦いだ。

新聞やテレビではそんな一般庶民の資金繰りなど日々報道するわけではない。

人間が本来一番大切にすべきことは、自分自身の命を持続させること。そしてそんな命をつないで行くことだ。
人生を楽しむことも大事ではあるが、心身の健康を損ねたり安全な生活が営めなかったりでは本末転倒である。

先日のエントリーでも書いたが、人間以外の動物に救済措置などない。
恐らく人間社会も今後は自助もしくは家族間の共助などが中心になって行くだろう。

私にはそれを身を持って息子達に教えて行く役割が残されていそうだ。

とにかく長男の元気で前向きな姿を見て頼もしく思えたし私自身の生きてきた証しでもあると感じた。

最後に、この場を借りて「これからも健康に気をつけて頑張れよ!」


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2013年04月24日

総合力。

総人口に占める65才以上の割合が21%以上になることを超高齢化社会と呼ぶそうだが、日本は既に23%以上になっているようだ。

それは近くの商店街を歩いていても実感する。
選挙が始まればそれらの人が投票の中心になるのだから高齢者による高齢者のための政策になって何ら不思議でない。

このような世の中では自分自身が社会の中でどのような役割を担うべきかが見えにくくなる。
自分のために生きるのか、人のために生きるのか、人のためにも生きるのか。

個人的には今年に入り自分自身の能力を全開に近い形で発揮出来ればとの思いで日々過ごしているが、90点の部分もあれば自己評価として10点程度の評価しか下せないところもある。
肉体のトレーニングに関してはほぼ満足だか、自己評価が低い部分に関しては工夫が必要なためその対策として、公私合わせての1ヶ月分の予定表をつけるようにしている(極力常に1ヶ月先までの予定が入っている状態に)。
そうすることで、こなすべき事柄への準備がたった1日であっても早く出来る。
準備を早くすることでアクシデントがあった際のリカバリーもきくようになる。

ただ、いくら気合いを入れて今年のスタートを切ったところで、4ヶ月を経過しようとするこの時期でもこのように一つか二つ程度の要素しか進歩はしていない。
それでもこのような進歩の積み重ねが総合力となり力強く生きて行ける自信につながるのだろう。

謹慎中の次男もあと5ヶ月ほどで元の生活に戻る予定。
次男を社会に送り出すまではまだ父親としての矜持は守らないとならない。
次男からも大学入学時に「卒業するまでは父親してや」と言われたしね。

最近は意識的に自分自身の良いところは良いところとして自己肯定しようとしている。
せっかく様々な経験を積み重ねて来たのだから自ら台無しにしないよう総合力をアップさせ人生のピークはを未来にあるとの思いで過ごして行きたい。


posted by tetsukazu at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月23日

自分次第。

ケータイの投稿は文字数が限られるので簡潔になり良いかもですね。

我々人間だって動物なので掟に関しては他の動物と変わりありません。
つまり産まれ落ちた瞬間からどう生きるかは自分次第ということ。
とは言え人間の場合、4〜5才頃まではさすがに親または育ててくれる人間なしではどうしようもありません。
これが例えばメダカに生まれたなら、個体となった瞬間から生存競争にさらされます。
産み落とした母にしてみても子供達一匹一匹に名前を付けている暇はありません。
それどころか産み落としたうちの僅かな数の子供しか完成された状態まで生き抜けないのが現実です。

人間の世界では、成長過程における親の育て方が悪かったんだとか個人が生きて行く上での様々なケースの挫折に対する擁護が成されますが、それは社会の秩序を守るための知恵であったり、擁護する立場そのものが職業であったり、他人事として捉える場合が多いはずです。

大きな魚に喰われたメダカには救済措置などありません。
喰われた原因があるとすれば、逃げ足が遅かったとか隠れ場所を見つける能力に欠けていたとか単に運がなかったからとかでしょうね。

では、そんな動物達と我々人間の違いはそれほど大きなものなのか?
私にはそうは思えません。
人権とは本来、40K制限を守って走行する者にとってのルールを守る権利に対して与えられるべきです。
タバコを道路上にポイ捨てする大人に人権を語る資格はありません。
私から言わせれば犬猫の方が人間より遥かに必死に生きているように映ります。

結局、自分自身の生き方の評価は自分自身でするしかありません。
40K制限の道路が50Kで流れている時に運転者である自分自身はどういった判断をするかについて誰も正解など教えてくれません。
ブラック企業に入り自分も染まりきるのかそれとも一日も早く抜け出そうとするのか、それも自分次第です。

私は離婚問題が起きた時に家裁の調停等は一切受けませんでした。
お互いの言い分をぶつけるのは簡単ですがそれよりも一日も早く気持ちを切り替えて子供達の生活を重視することを優先しました。
ただ、いまだに教育ローンの支払いをひとりで行っているおかげで彼女が出来ません(明らかに言い訳=笑)。

それでも家計が苦しいとの言い訳をせず幼稚園、高校、大学と二人の息子に私立へ通わせたことには胸を張れます。
後は、自分自身の今後の生き様にも胸を張れれば最高かな!



posted by tetsukazu at 19:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月22日

器の大きさとは?

字数制限があるもののケータイからでも投稿出来そうなのでしばらくはこのまま続けます。

ここ二週に渡り観月ありささん主演の「ご縁ハンター」というドラマを観ています。

それを観ていて感じたのですが、男女共にパートナーを求める際はどこかで相手に対して「器の大きさ」を求めているように思えました。

「器の大きさ」の定義ですが、大胆に言うと「相手のゴミのような部分を余裕でキャッチするゴミ箱でいられるか」ではないかと…

そうであるなら相手がゴミばかり投げ捨ててくるならこちらの器もやがて満杯になるのは当然。
もちろんそれは自分が相手に対してゴミを投げる場合も構図は同じ。

心の病にかかる人間はきっと誰かのゴミ箱にされたか自分自身のゴミの捨て場を見誤った人なのだろう。
うつ病などだけでなく、広い意味で言えば様々な依存症も心の病の範疇かと。
そう考えると人間の器なんて大きければ大きいほど利用され兼ねない気もする。

依存症の場合は有料のゴミ箱を利用しているからまだいい(例えばギャンブル場、例えば飲み屋、例えばブランドショップ)。
しかし親子関係や夫婦関係や恋人関係などにおいてはパンパンのゴミ箱に対して更に容赦なく投げ捨てる場合があるのでは?

どちらにしても個人として何故そんなに多くのゴミが発生するのかも考えた方がいい。
お金を大切にしない心、健康を大切にしない心、時間を大切にしない心、人の気持ちを大切にしない心、世間や未来をなめた態度などが自分自身のゴミの素となりどこかに向けて発散されるのだろう。

器の大きな人間を目指すのも良いが、まず小さくても壊れない器作りを目指しその器には自分自身のものも含めて愛情が注がれるべきだ(うまいこと言い過ぎた)。
posted by tetsukazu at 04:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月20日

アップ出来たかな?

去年の秋からパソコンとケータイ共通の認証で自分のブログにアクセス出来るようになったので、試しにケータイから記事をアップしてみます。

金曜日は、大阪ミナミにて重鎮の方数名と飲み会に参加しました。
このブログにも何度か登場し可愛がっていただいているライオンズクラブの元会長さんや現役国会議員の親父さんとは今回も含め何度も同席しているのですが、他にも街の実力者がいらしたので、緊張が抜けないまま飲み会は始まりました。
それでも料理の注文を一手に引き受けていたため何とか居場所はありました。

ただ、せっかくのお誘いなので今回のようなピリピリする場であれ笑いのひとつも取りたかったのですが、「口の堅い人とならお友達になりたいんですが…テヘ」の下りに対して、「アカン、それなら無理や…ハハハ」の返しが唯一ウケた場面でした。

2時間ほど飲んだ後はお約束の二次会のお誘いがあり、そこはガチで歌わせていただきました。
えらいもので、ここ数年の夜の授業料支払いの成果か、ベタほめされたのが素直に嬉しかったです。

どちらにしても私自身はただの一般人ですが、地域の奉仕活動を通じて街の有力者と知り合う機会があるため時たまそこに混じってしまっています。

ただ、社会的な成功者とご一緒する機会は貴重なもので、気を引き締めるためには必要な場と思っています。
今回も前述の議員の親父さんから「彼は周囲のほとんどの人間から支持を得ているよ」と皆さんの前で言ってもらえました。
これは素直に喜ぶべきことで、10年以上に渡り共に活動して来ての言葉だと考えるとより一層感慨深いものがあります。

飲み会の最初は遥か年上の方々を前にして緊張していましたが、二次会の終了頃にはすっかり馴染んでいました。

かといって私は別にそんなお歴々達の威光を利用してうまい汁を吸ったことはなく今後も変わらないと思います(ひょっとして吸うべき?笑)
そんなこんなで遅くに帰宅したのですが、日課のトレーニングをしていなかったので、アルコールが残る中先ほどノルマを果たしました。

話は変わりますが、いつもの経済学の教授との話の中で、「試行錯誤を繰り返しながら悪習慣や安直思考を取り除く作業に力を注いでいるのに振り出しに戻る時があるんですよね」と語ると、「スパイラルしながら上に伸びていってると思うよ」と言われました。
なるほど…

最後に、土曜日の福島牝馬Sはマイネイサベルの複ですかね。

posted by tetsukazu at 03:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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