2013年01月30日

雑感−53

今週は感じることが多過ぎて逆に書き出せない状態が続いている。

先日、報道ステーションに出ていた作家の高村薫さんが言ってたことも考えさせられた(私の記憶の中で私の言葉に変えて再現)。

「今は、個人で発信可能なツールが身の周りに多く存在するので、思いついた言葉を簡単に発信する傾向にあると思います」
「しかし生きることが考えることであるならば、そう簡単に言葉は出てこないはず」
「心の底で感じたことや言いたいことを搾り出す過程を辿る場合は、必ずどこかで行き詰るはず。その時に試行錯誤して次の言葉を搾り出すことが考えるということ」
「ひとまずの結論が出たとしてもその結論が正しかったかどうかを常に自問自答しながら前に進むことが重要と思います」
「一人の人間を取り巻く環境のそれぞれの要素においては何一つとして一言で説明出来るものは無く、複雑な構造や関係性の中にそれぞれが絡み合うもの」

「私はやはり生きることとは考えることだと思うので物事に対して極力疑問を持ちながら考え続けたいですね」


高村さんは作家なので、思考することに関しての含蓄は私も共感する。
ただ、動きながら考える場合もあるはず。
私は、「抑えられない気持になった時に人は大きく動くもの」 との考え方でずっと来たしこれからもそうだろう。
人の行動動機は 「善悪・損得」 なども大きな要因となるが、一番影響するのは 「好きかどうか」 になると思う。
株に手を出す人間は、損得を念頭に事を始めるが結局多くの者は得をしない。
やはり株に手を出すことが好きだったからとの客観的分析の方がしっくりくる。

どうして山に登るのですか? に対して、そこに山があったからと答えるのは古典的問答。
しかし一般論としては、山が好きだからと答えるのが自然だし強弱はあるが好き以外の複数の理由もあるだろう。
ただ、人を好きになるのは少し違う(特に愛や恋)。
あなたのことを愛していますとの言葉の裏には、私のことを大事にしてねとの感情が大きい場合もあるだろう。
それよりも、あなたのそばに居たいんです。と表現するべきに思う。
そうであるならば、嫌いになった時でも 「そばから離れたい」 と言えばわかり易い話となる。

複合的(様々な事柄)な抑えられない気持に対して理性を武器に優先順位をつけるのだが、最後に残る抑えられない事柄が正しい選択の結果であることを祈るしかない。


話は変わるが、競馬の安藤勝己騎手の引退が発表された。
ネットでの感想の中で、「アンカツは巧いし色気があって格好良いんだよね。闇に咲く華という感じ」 というのがあったが共感した。
あの武豊も 「アンカツさんを見てると自分が小さな人間に思えます」 と言うくらいなのだから別格の存在だったのだろう。
寂しくはなるが、今まで多くの感動を与えてくれたことに重きを置き、アンカツの未来にエールを送りたい。 お疲れ様でした。ありがとう。元気に過ごして下さい。


アンカツのことを考えていたら何故かカイジが頭に浮かんだので少しだけ語ってみる。
福本伸行は 『カイジ』 の物語の中で言いたいことが多くあったと思うが、カイジが地下労働を行う中で、給料日に馬鹿高いビールや焼き鳥を買う場面はかなり強いメーっセージ性があるように感じる。
つまり、リアルな社会でも一般の労働者は給料日を含め一ヶ月に数日しか贅沢出来ないほどギリギリの生活しか出来ていないと。
では、その解決方法をどう示しているかだが、「真剣に、本気で、真面目に生きろ」 との精神論になってしまう。
「大人は質問に答えない」 との台詞も出て来るが、どうしたらよいかは自分で考えろとのメッセージに他ならない。
でも、アンカツを見ていると真剣さや本気さや真面目さは感じないし他の騎手のように節制して生活しているとの話も聞かない(あくまで私見です)。
それらの要素より、男はだまってミッションをこなすとのイメージが強いし良い意味で肩の力を抜いているように思う。
リーディング争いなどに目もくれず、賞賛される場にはまず居ようとはしない。
1999年の東海Sで12番人気で単勝39倍の8歳馬キョウトシチーを勝たせた時など、
「キレないけど前に行けばしぶといイメージだったのでそう乗った」 とクールに言っただけ。

馬に乗り続けたいとの抑えられない気持が最後に残ったアンカツの判断は結果として正しかった。
私も今後、様々な抑えられない気持に直面すると思うが、心の底から望むことを最優先して選択して行きたい。




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2013年01月27日

賭け続ける男(急)第2話

テツは最近特に、物事の成果が直ぐには出ない事を実感しているようだ。


マサ‥テツさん。この前の津村の騎乗はどうしたんですかね。
左ムチを入れて左によれたのは右手の手綱の操作が甘いために馬を左前方に誘導してしまったよに見えましたが…

テツ‥なるほど。そのあたりが一流とそうでない騎手との違いなんかな。
それでもここでブレるのはかえって良くないんで今日も地味な厩舎と騎手を狙ってみるわ。

マサ‥地味と言うと石橋守騎手を思い浮かべますが。

テツ‥惜しい! その石橋が尊敬する河内洋が管理する馬が狙い目や。

マサ‥なるほど。京都メインのシルクロードステークスの7番ニシノビークイックですね。

テツ‥そうや。騎手がまた地味なイメージの丹内ときてるんで地味な俺にはピッタリやな。

マサ‥(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

テツ‥あれ? お前体調でも悪いんか?

マサ‥人間はあまりにショックな時は体調が急変するんですから言葉には気をつけて下さいね。
地味な人間は10代で50万も60万も馬券を買いませんから。

テツ‥まーそこはちょっぴりお茶目なところと思って大目に見てくれや。

マサ‥お、お、お茶目。チョイ悪でお茶目なのは今ヒット中のテッドのようなキャラのことを言うんですよ。

テツ‥まーええわ。 とにかくこの前迷惑かけたんで今日はその分を取り返して貰うで。
今の京都は冬場のせいもあって時計が出難い状態や。昨日の競馬でも1200m芝で1分9秒5程度の時計やしな。
北海道の洋芝でも好成績を残してるニシノには好条件に思うな。
丹内にはデビュー2年目にテンジンムサシに乗って後方一気にブリリアントステークスを制したことを思い出して欲しいな。
人気は高くないやろから複勝でもそこそこつくやろ。
去年はハクサンムーンに迫ったレースもあるし、年明け早々にはあのカレンブラックヒルの2着にも来てるしな。
「やっぱり競馬は騎手やで」 とか言うてここでリーディング上位騎手を狙うようなブレた買い方したらグランドシチーを狙った意味が無くなるしな。

マサ‥わかりました。それはそうと鍛えてる成果は出てるんですか? それとオッサンの恋の行方の方は?

テツ‥オッサンで悪かったな。 まー真面目に答えると何でもそんな簡単に成果は出ーへんわ。
俺がずっと応援し続けてるボートレーサーの平山智加も今年の始めの男女混合GTで優勝したんやけど、何度も何度も大レースの準優勝戦や優勝戦の1号艇で負け続けた末の結果やしな。
2006年の5月(20才時)にデビューして7年目(現在27才)の偉業が早いか遅いかで言うたら、「あの平山でも7年かかるんか」 との印象やな。
平高奈菜にも注目してるけどまだまだレースが荒いし甘い。せやけど平高の目を見てると獲物を狙うような輝く目をしてるんでいつか華開くやろ。
ちっちゃい存在の俺かもわからんけど身体を鍛えるのも恋絡みの2度目の人生も俺なりにあせり過ぎず前を見て進むつもりや。

マサ‥やっぱりテツさんは戦う人間が好きなんですね。俺も頑張りますわ。
森山君と満島ちゃんの舞台を観た報告を期待してますよ。
そうそう、まさか一人で行くことになったとか言わないですよね?

テツ‥ご心配おかけします。何とか二人で観に行けそうやわ(汗)。
二人共が日本アカデミー賞の優秀賞を受賞した直後なんである意味奇跡のタイミングで観る事が出来るんで刺激を受けてくるわ。


競馬の結果も気になるテツだが大阪国際女子マラソンも気になるようだ。本当にテツは肉体を躍動させて生きている奴らが好きなんだろう。  
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2013年01月26日

雑感−52

先日、たまたまテレビで(最近よく観すぎ−笑)女性芸能人がそれぞれのお気に入りマイバッグ
ベスト3を語るとの企画を目にした。

渡辺直美さんや安田美沙子さんなどがそのバッグの値段も含め語っていたのだが、私には違和感ありありだった。
渡辺さんは25才、安田さんは30才だが稼ぎは相当あるので高価なバッグを持っていることに文句はないのだが、もし自分の嫁が彼女達だったらと思うと(まずあり得ないが)ぞっとした。
一位にしたバッグは確か30〜40万だったはずだが、私は恐らく死ぬまでそんな高価なバッグは買わないだろう。
その一つだけならまだしも二位も三位もあるし二十位くらいまでありそうだ。
女性は慰安旅行に行くと決まっただけで服やバッグを買いたくなるらしいが、男に生まれてよかったかもしれない。
彼女達と将来結婚することになる男性には彼女達の欲望をずっと満足させ続けるぞとの意気込みでいて欲しい(私にはとても無理)。
ブログ上にひとつのレースだけで20万円分の馬券をアップしている私に何の説得力もないのも事実だが…


それにしても尖閣の問題が緊迫化している。
米軍が戦闘機などの配備増強に向かっていることを考えると不測の事態もあり得る。

中国は共産党の一党独裁体制。
そもそも共産党の持つ政治思想の根本は社会主義の実現。
身分による抑圧政治から資本家による経済支配に変わってきた歴史の中で、圧倒的多数の労働者が団結して資本家を逆支配しようとしたのが共産革命。
ピラミッドの頂点が大資本家だったとすると、共産革命はピラミッドをひっくり返して多数の労働者が少数の資本家を支配しようと試みたとの構図。
どちらにしても人が人を 『支配』 する構造に変わりはない。
支配しない人間関係は 『無政府主義=アナーキズム』 として理念上は成立するのだが、それぞれが自由に振舞うことで秩序を保つのは非常に困難。
人間関係の中では、必ず出し抜けをする者が出るし裏切り者も出る。
性悪説がデフォとなってきた現代においては 『管理・法規』 などの道具を駆使しないとカオス(混沌)な状態となるだけ。

話を戻すと、資本家から私有財産を奪い公有化して共産党の幹部達(主な例は旧ソ連)が理想の世の中を作るために身を捧げるはずだったのだが、ひとたび権力の座につくと、「人・モノ・金」 が面白いように集まることを実感してしまい、資本家以上に権限や富の集中を招いてしまうという皮肉な結果になり最後は崩壊した。

そんな世界の潮流の中、今の日本はブルジョア資本主義であり、ブルジョア政党の代表である自民党にプロレタリアートであるはずの一般国民が投票するのだから、真の意味での賢者による政治の実現までにはあと数百年はかかるだろう。

賢者の支配が良いのか、富者の支配が良いのか、武者の支配が良いのか。
それとも支配などとは無縁の世界がユートピアなのか。

尾崎豊はかつて言った。 「この支配からの卒業」 と。

武者である中国。富者であり武者である米国。賢者であり富者である日本・ドイツ・スイス・北欧諸国など。
連立方程式を解くには、賢者と富者と武者が協力するしか方法はない。
個人が生きて行くためにもこの構図は当てはまるし個人として賢く豊かに強く生きることが出来るように努力するしかない。


最後に、Hさん お店の開店予定が決まりおめでとうございます。やりがいある仕事に就くことは素晴らしいことです。陰ながら応援しますわーい(嬉しい顔)


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2013年01月23日

雑感−51

息子達から 「とんだ茶番やで」 との言葉を聞くことが多い。

日本の若者(特に男)の質が低下したと言われることも多いが、『茶番』 との表現を日常で用いるセンスを私は評価する。

ある意味世の中の出来事は、ほとんどが 『茶番』 かもしれない。

小学校から親しむ教科書にしても世の中で役立つ事柄がどれだけあると言えるか。

むしろ真面目に学び過ぎてしまう方が将来にとってマイナスに成りかねない。

それでも社会に出て仕事をしたり家庭を持ち子育てをする行為は茶番ではない。

だが、パチンコ店における三店方式の黙認やストリップ劇場の定期的摘発などは警察ぐるみの茶番であり、
NHKの受信料がいつまで経ってもスクランブル方式にならないのも政官一体の茶番。

一時、画期的方法と話題を呼んだ 『レーシック手術』 についても政官業一体となって知らんふり。
欧米では、レーシック手術(近視矯正)後の副作用(トラブル)について警笛を鳴らしているのに日本では情報隠蔽が著しい。
これなども眼科医の利益保護を優先する茶番に映る。
因みに、レーシック手術を受けると角膜をレーザーで削ることになり近視は改善されても極度の遠視になり易い。
また、角膜にある無数の神経やリンパ液を通す細い管が断裂するためドライアイにもなり易い。
将来、白内障になっても手術出来ないし、緑内障になった場合はレーシック手術前以上の近視になる。
角膜の混濁により視野がかすむなどの影響があったり、頭痛や肩こりを引き起こしたりもある。
このように、政官に影響力を持つ団体や天下りによる利益共同体の影がちらつくケースは正に 『茶番』 が横行する。
薬害エイズの問題発覚後もこのような状況なのだから一般国民が知らされることのない隠蔽が日常的に行われているはずだ。

私が知る限り、日本の大手商社で50才位まで勤め上げる社員の多くは、億に及ぶ裏金を手にしている。
何十億。何百億のプロジェクトに関与するわけだから帳簿に載らない裏金があるのは当然。
そのうちの数%〜数十%が政官に流れていても何ら不思議でない。これも茶番。

ソフトバンクの孫氏は若者の間ではカリスマらしいが、上場時の創業者利益にかかる税は当時の法律では源泉徴収による10%のみ。
現在進められている法案が成立すると20%になるが(訂正⇒20%へは既に移行しているかもしれない)当時は儲け得だったと言うしかない。
ホリエモンだってあんなことが無ければ今頃は孫氏と並ぶ位な立場になっていたかもしれない。

茶番を世界規模に持って行くと、第二次世界大戦もある意味茶番。
そもそもモンロー主義だったアメリカはドイツや日本の破天荒な戦い振りを傍観していた立場。
恐らく、イギリスあたりから 「アメリカさん。ちょっと助けてーな」 的な話があり重い腰を上げたというのが正しい歴史認識かと(少なくとも私はそう思う)。

今、アフリカでの軍事政権が問題となっているが、第二次世界大戦時の日本も大政翼賛会の政治状況に乗じる形で東條ら軍事官僚に牛耳られた歴史がある。
近衛内閣の誕生自体が茶番(みこしを担ぐとの意味で)だったとしたら日本の歴史の側面は茶番の歴史も秘めている。

私は、イラク戦争時に小沢一郎主導で税金を原資として巨額の戦費をアメリカに振り込んだことに対して未だに納得がいかない。
戦争終結後に日本がアメリカ合衆国政府に対して明細書の提出を求めたが却下されたとのエピソードも茶番以外のなにものでもない。
とにかく相手になめられていたと言うしかない。



茶番茶番と連発してしまったが、私は茶番を悪いと言っているわけではない。
どちらかと言えば茶番を楽しむしかないとの立場。

結婚を茶番とは言いたくないのはやまやまだが、男にとって結婚することのメリットがあるとすれば、子供が生まれることを除くと、
妻が家事をこなしてくれるお陰で仕事に専念出来ることと、性欲を安定した状態で満たせるという点。
ところが、10年もするとパートナーの体形がみるみる変わってしまう。
別に男側からだけでなく女側からも意見があるだろうが、肉感的な妻であり続けるからこそ一刻も早く自宅に戻ろうと思うわけであり(例により女性訪問者を減らした)、
人類のトド化の研究をしているわけではない(これで女性訪問者ゼロ)。

話を戻すと、今時の若者は男も女も自分で家事が出来て仕事も持っているならパートナーが必要ではないことに気付いてしまったのだろう。
私は個人的にはその考えは正しいと思う。
男の収入が、一人で暮らすには多すぎるという状況なら 「女子供を養うことが男の本分だ」 のような心境にもなるだろうが、
現実は、核家族化の中で自分の食い扶ちを確保するのが精一杯の状況。
仕事を持つ女の方も結婚後に生活レベルがダウンする位なら独身で構わないと考えるのは極自然。

資本主義社会は茶番を楽しめる人間に向いているシステムに思う。
茶番を楽しんでいない人間が、一日でギャンブルに数万円突っ込んだり数時間のキャバクラ滞在で数万円も散財しないだろう。
茶番を提供する資本家と茶番を喜んで受け入れる庶民で成立するのが資本主義社会であり大衆消費社会。

茶番と距離を置きシニカルに社会を観察しニヒリストとして生活する若者はある意味資本家にとっては迷惑な存在。
神様が存在するとすれば、結婚するのは人間としての使命だとのメッセージを発し続けていたはずだが、日本人に対しては 「勝手にしろよ」 となっていそうだ。

そんな神からも見放された日本人は今後どこへ向かうのだろう。
その答えは、私が好きな森山未來君が、 「エンターテインメントの世界で真剣に楽しむことの出来る仲間と仕事がしたい」 
と語った言葉にヒントが隠されていそうだ。

細かい理屈は抜きに今を精一杯楽しみつつ、衣食住は最優先にすることだけは忘れないようにしたいし余裕があれば性欲も満たしたいね揺れるハート

こら茶番! どっからでもかかってこいや(笑)
 



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2013年01月21日

雑感−50

「自分を好きになって下さいね」 
と言いながら一筆書いた色紙を渡す路上筆人がいる。

「弱さを見せる強さを持って」
と書いたポストカードを手にしたのが2012年の初頭。

そして私は去年一年で、自分を好きになり強くなったのだろうか?


「ダンスのように抱き寄せたい」 は、松任谷由実の作品。

歌詞

ダンスのように もう踊れない

誰もがいつか 気づいてしまうけれども

あなたとなら それでいい

あなたに会えてよかった




あなたに会えてよかったとの歌詞ではあるが、個人的には 「私に巡り会えた」 との思いも含まれるように思う。

自分を好きになれないのに人を好きになれるわけがないと言った素敵な女性は未だに独身だ。

その女性は今、恋をしているのだろうか。

それとも自分を好きになるために努力を続けているのだろうか。



話が繋がるかどうかはわからないが、年末に行きつけの店に行った時の常連の女性の一言には少しドキッとした。

私がポツっと 「僕は恋愛体質なんですよ」 と言ったのを受けて、

「でも私は対象ではないんですよね」 と、5つ位向こうの席から言葉が返って来た。

失礼な言い方をすると、そんな言葉が出て来るイメージの女性ではなかったのでビックリした(パートナーらしき男性と来ることも多い)。

私はいつもカウンターの中の女性ばかり意識して飲んでいるため、まさかの言葉に上手く反応が出来ず 「そう来ましたか」 と言うしかなかった。

3年も通っている店でありその女性とも何回も顔を合わせていたのだが、私から話しかけることはまずなくこんなドラマのひとコマのような展開は予期していなかった。

これまでもそうだったしこれからもその女性に恋愛感情は起きないと思うが(恐らく人妻)、スタイリッシュな夜のひと時となった。

私はこのブログを通じてこれでもかと理屈を繰り返すが、日常なんてこのようなエピソードの連続であり理屈だけで構成されているわけでもない。


CSでの特集でも誰かが語っていたが、ユーミンの出現位から女性がする恋の絶対量が増えて来たのは事実に思う。

そんな女性達に太刀打ちするための私達男の武器は乏しいのが現状(ひょっとして俺だけ?)。
自分のことを好きになれるほど真っ直ぐにひたむきに生きることは出来るだろうか。

そんな中、森山未來がキネマ旬報の主演男優賞を受賞したのは私の中ではかなり嬉しい出来事。

私と一重繋がりの森山君(向こうは迷惑かも)であり、身体を鍛えることでも共通点がある(これも勝手に)彼にはこれからも活躍して欲しい。
一重と言えば他に有名なところでは、高橋克典やX JapanのYoshikiがいるかな。

気のせいか一重芸能人はストイックな人が多いかな(ホンマ気のせい)。
夜のひと時だけでなくストイックでスタイリッシュに生きることが出来たら最高だしそばに素敵な女性がいてくれたらもう後は何もいらない。

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2013年01月20日

賭け続ける男(急)第1話

テツの人生にとっての第二章が始まったようだが、どんな変化があったのだろうか。


マサ‥遅くなりましたが今年も宜しくです。

テツ‥こっちこそ宜しく。去年の暮れは有馬の勝利でお前との約束やった忘年会も出来てよかったわ。

マサ‥あの時はご馳走様でした。
それにしてもテツさんの様子が少しおかしかったですね。
ママの店で3年位勤めていた女の子がやめたからですか?

テツ‥いやいや、やめるのは知ってたけど、最後の出勤日は知らせてくれくのかなと思ってたら連絡がなかったんや。
それでその子にメールしてみたら、ママから 「もう来なくていいわ」 と告げられたとの内容の返信が来たんや。
本人は、「まさかのフェードアウト」 と大人の対応を見せてたけど内心はきつかったと思うわ。
近くで独立してお店を出すみたいなんでママからしたらこれからはライバルになる相手なのはわかるけど、
常連さんは最後に気持ちよく挨拶したかったと思うわ。
ホントやったらその最後の日にお前を連れて行くはずやったけど結局その子がいない時に行くことになったというわけや。

マサ‥そうですか。で、あれからドリームには行ったんですか?

テツ‥行ってないし新年会以外は飲みにも行ってないわ。
人間は最後は自分のことしか考えないのはわかるけど、『情』 は無くしたくないわ。
何か見たくないもんを見せられたようで複雑やったわ。

マサ‥でもそんなこと言ってたらKちゃんにも会えないじゃないですか。

テツ‥ううっ(泣)。 それでも男には譲れないもんがあるんや。
Kちゃんには伝わらんかもわからんけど、俺も心の整理がつくまで気持ち良くは通えんわ。
Kちゃんがどう思うかわからんけど俺がKちゃんを想う気持ちは変わらんのやから時間が解決してくれるやろ。
ただ、今月末の舞台は予定通り一緒に観に行って欲しいな。

マサ‥グッドラック! しかしどうしてテツさんは見かけによらずそんなナイーブなんですかね。
無茶をする日頃の行動を見る限り人の気持ちになって生きているようには見えないんですけどね。

テツ‥ええんや。俺は俺なりにこれからも前に進むしかないし良い意味でブレたくはないんや。
長男が社員として内定が決まったんで、暫くは大人しくせんと父親としても恥ずかしいし体調維持のためにも飲む打つ買うのうちの一つは減らすわ。

マサ‥ちょ!ひとつだけかよ! 前振りはわかったんで東海ステークスの予想でもして下さい。

テン‥そうか。そない期待されると俺も弱いな。ほんじゃ、昔とったきねづかでちょっとだけやで。

正直最近は新聞も買ってないんで予想もしてないんやけど、パソコンで出走表を見てたら 4番のグランドシチーが馬券に絡みそうやな。
改装後の中京競馬場はダートでも直線400mあるし差し脚が届くような気がするわ。
あのアドマイヤロイヤルも差し脚中心の馬やけど中京の直線で最後届いてるし、武蔵野Sでもあとちょっとで3着やもんな。
騎手に不安が残るけど乗り慣れた馬やからその点は有利やろ。
オッズ的にももしルメールあたりが乗ってたらもっと下がるやろけど津村やしそこそこつくやろ。

マサ‥で、やっぱり今年も予想はグランドシチーの複勝ですか?

テツ‥やっぱりは余計やろ! ま、当たってるけど…

マサ‥予想さえ聞いたら俺はこのへんでさっさと去りますけどテツさんにとっての三大欲のうちのひとつでも欲が薄れるように祈っときますね。


年末からのトレーニングに手応えを感じているテツのようだが、周囲の人間はテツが何のために鍛えてるのかわからなくなる事態だけは迎えないように祈っているようだ。
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2013年01月17日

雑感−49

期待以上にドラマ 『最高の離婚』 が面白くなってきた。

今日の回で真木よう子が瑛太に言った 「死ねばいいのにと思っていた」 には度肝を抜かれた。

過去に一緒に暮らしていた頃のことについて瑛太が 「最高の思い出」 だったと言ったことに対して返した言葉なので余計にだ。

真木よう子、尾野真千子、綾野剛、といった個性派揃いの出演者なのでこれからも楽しみ。



さて、前々回のエントリーで触れたが、過去の記事で言いっ放しになっていることも多くそろそろ続編のようなものを記して行きたいと思う。


そこで、ジャンルは横断するが今まで書いてきたことを集約出来そうなヒントらしきものが見えてきたのでそのさわりだけ…


「解釈が言葉の意味を決めるのでなく、行為による言葉の裏付けが言葉の解釈を確定させる」 との仮説をまず立ててみたい。

つまり、何を言ったかどうかでもなく、何を行なった(あえて送り仮名に[な]を加えた)かでもなく、ある行為により何が起きたかが重要なのだ。

競馬で儲けると豪語しても馬券を買っても 「勝つこと・儲けること」 の証明にはならない。

馬券を買った上で実際に利益を上げる以外に 「馬券を買えば儲かる」 ことの証明は出来ない。

土曜日の時点でタイムマシンに乗り日曜日のメインレースを観たとしてもそのメインレースを観戦する自分の状況が馬券で負けた状況とすると、
土曜日に戻ってきて日曜日になった時に、メインレースの馬券を買ったとしても外れることになる。
その外れる状況は、タイムマシンを信用出来なくて別の馬券を買ってしまうか、現実の日曜日の結果がタイムマシンで観た結果と異なるケースの2通りになる。
タイムマシンに乗った行為により何が起きるかは何かが起きてからしか説明は出来ない。

「君を一生幸せにする。だから僕と結婚して下さい」 とのプロポーズが正しかったかどうかの証明は50年かかる。


もし言葉そのものに意味があるとするならば、「儲かる可能性がある。幸せにする可能性がある。」 程度だろう。

面接での会話の正しいやりとりがあるとすれば、「私は御社に多大な貢献をする可能性があるので採用して下さい」 に対して、
「我が社は君の将来に対して大きな力になれる可能性があるので是非我が社で活躍して欲しい」 と言うべきだろう。


時間がある時に今までに語ってきた、決定論・自由意思・運命論・時間の概念、等々について更に掘り下げてみたい。


1月17日は忘れもしない関西で大震災があった日。今こうして生きていることに感謝の気持ちを持ち続けたい。









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2013年01月15日

あれから1年。

去年の今日、第31期で女性オートレーサーの坂井宏朱選手が殉職した。

私のブログでも彼女のことは記事にしただけに、1年経ったからといって簡単に忘れるわけにはいかない。

同期の青山周平選手が今日付けのブログで触れていたが私の何十倍・何百倍も彼女のことを忘れず過ごしていくだろう。
(追記:やはり同期の岩田裕臣選手もブログで書いていました)

今年の夏には第32期のオートレーサーがデビューする。20人中5人が女性レーサーだ。

今回の5人はバイク経験が豊富なので、悲惨な事故を起こさないことを祈るのみだが(財)JKAの方々には安全な運営に力を注いで欲しいと願う。

私自身、1年前の記事で彼女の純粋な気持や頑張りに負けないよう生きて行きたいと言った言葉を軽いものにしないためにもこうして記憶に残したい。

人は、多くの人に応援され期待され生きて行く。しかし感謝の気持ちを持続させることは難しい。
とは言え、自分一人だけが感謝の気持ちを持続させることが出来ないのではなく、人間は少なからず自分中心に生きてしまう。

しかし、誰かを通じて笑顔や勇気を貰ったなら、自分も誰かに笑顔や勇気を送ることがお返しになる。

短い期間だったが、坂井宏朱選手に笑顔と勇気を貰ったことは事実。
感謝の気持ちをいつまでも忘れず私も輝き続けたい。


坂井宏朱さん。天国で安らかにお眠り下さい。



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2013年01月13日

雑感−48

昨日のエントリーを終えて言いたいことはほぼ言い尽くしたはずだったのに、グーグルやヤフーのワード検索を通じて訪問して下さる内容を確認したら再び書く気が湧いた(勝手ですいません)。

その気になったのは、たまたまワード検索分をチェックしていたら、2010年の7月12日にエントリーした 「欲望と時間」 というタイトル記事に対しての訪問者がいたこと。

「欲望 時間」 「時間 欲望」 のどちらで検索しても私の記事が1番目か2番目に出てくるのだが、これは意外だった。
もう2年半も経過しているのにそんなに上位に出てくることに驚いた。
それだけなら書く気には繋がらないのだが、その記事の内容の最後に 「書ききれないのでまたの機会で…」 と書いていた。
考えてみれば、このエントリーだけでなく様々なエントリーで 「またの機会」 と書いているように思う。
そう言いながらも続編らしきものを書いた例は少ない。 「栄養の話」 などは5回位に渡り書かないと書ききれないだろう。


ただ、今回の動機となった 「欲望と時間」 については私が常に掘り下げているテーマだし、ある意味人生は時間と欲望の追いかけ合いでもある。


そこでまず復習の意味で以前のエントリーの冒頭部分を再掲してみる。
    ↓




アンリ=ルイ・ベルクソン{(1859〜1941)フランスの哲学者 }は時間の量と質の違いを説いた。

ベルクソンは、我々の「意識の流れ」それ自体を「流れる時間」といい、時計で示される時間を「流れた時間」と呼んだ。「流れた時間」は空間的な量を示すものであり、時間そのものを表現してはいない。本当の時間は、意識における質的な「流れる時間」のことであるとベルクソンは主張する。そのような流れる時間を、彼は「純粋持続」と名づけた。
 「純粋持続」は音楽を例に考えると分かりやすい。音楽においては、音の流れ=メロディーを一瞬で聴くことはできないが、始めの音と次の音とのつながりを意識の中で持続することによってメロディーを理解することができる。通り過ぎてしまった音はすでに消え去っているにも関わらず、意識の中でつながりを保持しているからこそ、我々は音楽を鑑賞することができる。1つの音を記憶し、思い出して次の音との関係を考えて我々は音楽を理解しているのではない。ゆえにその瞬間の音だけしか聞くことができなければ、我々は流れるメロディーの存在を認識することができない。
 このようにベルクソンは実際に我々が意識において感じている「流れる時間」を「純粋持続」と呼んで、空間的に規定される物理的時間と区別したのである。

以上、ネット記事参考。

   ↑
ここまでが前回のエントリーの冒頭部分。



この 「純粋持続」 についてはロジカル(論理的)に思考する者が言葉を整理しても他者に伝えるのは困難に思う。
そこを長いブログ生活の経験を駆使して挑戦してみようと思う(今日のところは一言だけ)。

まず、ベルクソンの述べる、流れる時間(純粋持続)を基準とした 「音楽への理解」 を他の要素に置き換えてみる。


「人生への理解」「仕事への理解」「性への理解」「愛情(恋)への理解⇒感情への理解」「年齢への理解」「自己存在への理解」「他者への理解」 など。


1分間の音楽の中身が濃くて10分間の音楽の中身が濃いというわけでもない。
同じ様に、10年の人生より100年の人生が充実していると言い切れるものでもない。

意識の中で繋がりを保持している事柄については、無理やり意識から排除しようとしても排除は出来ない。
問題は、それぞれの事柄が 「美しいメロディー」 かどうかである。

「雑音」 の中で生活していると心の平静は保てない。

まず、子供の頃から持続して 「美しいメロディー」 と感じている事柄を中心に生活をする中で、人生の純粋持続時間を 「快適」 に過ごしたい。


余談として、もうすぐ映画版 「ストロベリーナイト」 が公開されるが、西島秀俊と大沢たかおとの間で揺れる竹内結子は 「快適」 な時間を過ごしたんやろな。



*最後に、武豊騎手 3500勝おめでとうございます。4000勝を目指しますとの言葉に打たれた。





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2013年01月12日

恥ずかしい話ですが思うことあり。

私は男なので、女性の人生を語る資格はありませんが、男の人生は基本的に [喰う・寝る・出す] に尽きます(以下、ですます調で)。
[出す] について詳しく語ると下品になるのでお察し下さい。
その3要素以外はオマケのようなものと考えています。

近代になり、女性が男性の助けも借り自分達の魅力を商品化したため他の文化などに比べて女性の価値が相対的に上がってきたように思います。
その結果、当然のように経済力のない男は女性に縁が無くなってしまいます。
それなのに一夫一婦制を堅持しているのですから婚姻率が低下するのは必然かと。
冬場は特に感じますが、街を歩いていると女性のファッションが華やかです。
それを見る若い男性が、 「彼女が出来たとしても欲望を満足させる自信が無いわ」 と思っても不思議はありません。

幸い私は一度は結婚出来ましたが、さすがに二回目はしんどい。
それでも喰う・寝るだけで今後一生を終えるわけでなく恐らく死ぬまで [出す] の要素も付きまとってくるので、やはり備えはしておこうと思います。

長男の以前の口癖は 「人生なんてクソゲーや」
ガンダムのアーケードゲームの世界では全国的ゲーマーの長男(一時ブログをやっている時は軽く数千アクセスだったが2ちゃんでのリンクで炎上)の台詞なのでそれなりに説得力あり。
そんな長男の最近の口癖は 「親父が想像する数十倍、ゆとり世代はくずや」
そんな感想を持つ身近な若者を見れば見るほど、自分が自分の人生を意義あるもので素晴らしいものと捉えない限り誰ひとりとして自分自身の人生を賞賛などしないと思います。


ガンダムであれエヴァンゲリヲンであれ魔法少女まどかマギカであれ何らかの 『世界観』 を示した物語。
それらに影響を受けるにせよ受けないにせよそれぞれの持つ世界観によりこの世界の景色は変わるのでしょうね。
世界がどんな景色に見えるのか。それはひとりひとりの捉えかた次第だと思います。

「女性にとって我が子は、自己愛の具現化だ」 とかつて分析したのは岸田秀。
男にも父性があると言われますが、少なくとも私の現状において子供達が、喰う・寝る・出すを上回る存在までにはなっていない。
目の前に現れれば今でも料理を振舞ったりはするが、彼らにも 喰う・寝る・出すの毎日があります。


知り合いの女性にいつも言われるのは、「仕事なんて女にも出来るのだから偉そうに言うほどのもんでもないのよ」 とのこと。
つまり出産が可能な女性こそが価値のある存在であり男なんてそのサポート役でしかないということ。
違う言い方をすれば、仕事を持つだけの女性もその女性に言わせると半人前となる(事実娘さんはまだ未婚であり直接この話をぶつけるらしい)。


女性に尽くして尽くして尽くし続けて死んで行くのが本来の男のあるべき姿なのかもですね。
それもただひとりよがりに尽くすのではなく、相手の幸せを願って尽くすべきかと。
相手の幸せに繋がらないなら身を引くのも男らしさかと。
事実私も元嫁から 「私の幸せを願うならここに判を捺して下さい」 と言われたので躊躇なく捺させていただきました。
彼女が私と結婚していなかったならもっと幸せになっていたのかもしれませんが、彼女だってどこかのタイミングで道を選択したのは事実。
私達だけでなく同じ様な結果になった人達もお互い過去のことは過去のこととして未来に向かうべきと思います。


どちらにしても対人関係においての相手の幸福感は相手が考えることでありこっちで一喜一憂しても仕方がない。
この前テレビを観ていたら、仁科克基曰く、妻の多岐川華子からメールでいきなり別れて下さいと言われ、は?となったと述べていた(多岐川華子は否定)。
彼は今でも彼女のことを嫌いにはなっていないようなので次の恋愛には進み難いだろうな。
結局、理屈を越えたところで何らかの感情が生まれるのでしょう。


と、ここまで考えると恋愛を語る歌や書物や映画などは綺麗事なのかなぁ。
ただ、別れの歌があるのがポイントで、女性はひと泣きしたら次に進める器用さと柔軟さを持っているのかも。
やはり永遠の愛などこの世に存在しないのかな(ううぅっ…悲しすぎる)。
恋の歌を作りながらあっと言う間にひとりに戻った宇多田ヒカルにでも聞いてみるか。
そうそう宇多田ヒカルの両親は手続き上は同じ相手と何度も結婚・離婚を繰り返していると知った。
これは永遠の愛ではなく永遠のループなのかな。


私のつたない人生において女性からは、「楽しみたかったらそうすれば良いし、くすぶりたかったらそれはそれで勝手にくすぶれば」 とのアドバイスをよく聞く。


私はナイーブなせいか女性を人格で評価しようとしがちだけれど、知人から受けた影響で容姿だけを評価することが正しいのかなと思う瞬間もあります。
どちらが正しいかどうかではなくそれこそ 「好きなように評価したら?」 で済まされそう。


先日のエントリーで、肉体強化グッズ(ゴムチューブ)を買ったことを報告しましたが(12月末頃購入)、約2週間休まず続けています。
表紙に、毎日チューブトレーニングと書いてあったので毎日やっているけれど、本来なら同じ部位のトレーニングは2日に1回が望ましいらしいです(高負荷後に筋繊維が壊れそれを超回復効果で壊れる前より強化される)。

以前からゴムチューブによるトレーニングは考えていたのですが、わざわざスポーツショップに買いに行くほども強く考えていなかったので今回の購入となりました。
私は若い時はあの伝説のブルワーカーフリークだったのでかなり熱心に肉体作りに取り組んでいました。
サウナではたまに、アイソメトリックトレーニングされてます?言われた位です。
ただ、責任ある仕事をしたり独立したりする中で気がつけばトレーニングとは無縁になっていました。

そこで離婚を機に(複雑ですが…)トレーニングを再開したということになります。
ただ、私は腕の骨が細いのかどうか腕に筋肉が付いてもボリームに限りがあるので腕のトレーニングについては失敗の連続でした。
腕立て伏せを毎日50回×3セットとかしていた時も結局筋を痛めて数ヶ月休養するはめになったりとかです(現在は体幹強化のため一回一回腕を伸ばす際に勢いをつけ地面から手を離すようにして毎日30回程度)。
そこで今回のチューブトレについてはまだ高負荷はかけていませんが、前腕部に変化は出てきています。
今年一年でどれだけ筋肉強化が出来るかが今から楽しみです(理想は夏服の時期までに成果を)。



本当に人生はクソゲーなのかどうか?その答えは自分自身で出すしかありません。


横道に逸れてばかりの人生ですが、身体を鍛えることと女性の素敵な笑顔を見ることが好きなのは昔も今も変わりません。
それプラスお金を貯めることが好きになるなら最強ですよね(笑)。


年末年始でほぼ言いたいことを言い尽くしたので、今後ブログ上で語りたいことがなくなるかもしれませんがその時は私が充実した生活を送っているとお思い下さい。


これからの一年は、現在の仕事の整理と新たな展開への準備で忙しくなると思います。


では、皆様の人生が素晴らしいものになりますようお祈りいたします。

























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雑感−47

新年会

新年会終了(写真はコースの一品目)。


いつもホテルの一室で行うので係の女性が一人つくのだが、今回の女性は年齢が高目で、一瞬ん?とも思ったが、
接客が始まると満面の笑みが出だして私の印象は180度変わってしまった。やっぱり笑顔は大事やな。
現金なもので時間と共に料理が下げられる瞬間に、「とても美味しかったです」 と声を掛ける私がいた。


無事に会は終了し、さぁ〜次は?と歩いていたら、あれっ? 2次会は? あっそうか。いつもの呼びかけ人がおらんようになったんやわ。
と思っていたらあっと言う間にバラバラに。
私以外の人達は自宅に帰れば誰かが待っているので何も不思議ではないのだが、私は完全に浮いてしまった。
で、仕方がないからフテ寝していたが、せめていつも二次会に行くメンバーのひとりに連絡しようと思ってしたフテ寝前のメールに返信が来て起こされた。
内容は 「あら、ゴメン。今、娘とカラオケの最中なのよ。誘えば良かったわね」 と…


えっ?? 何という噛み合わなさ。やっぱり今日は俺が声を掛けるべきだったのか(涙)。
仕方がないので、ガテン系(今時死語かも)が好きな娘さんに夏までにはムキムキの肉体をお見せしますとのメッセージを伝えて下さいと返信をしておいた。


というわけで、中途半端に目が覚めてしまいこうしてブログを更新している。


このまま起き続けるなら何とか夜をやり過ごさないとならないが本当に男のひとり暮らしは性質(たち)が悪い。


飲みに行く義務などないのに誰かの顔を見たり誰かに話を聞いて欲しいとの一心で夜な夜な飲み屋に繰り出してしまう。
お酒を飲まない男はこんな時どうしてやり過ごすのだろう?恋愛シミュレーションゲームでもするのかな?
でもそれやと益々悶々とするのでは?


先程話に出した女性は10年以上前に御主人を病気で亡くされているのだが、それ以降男性とお付き合いする気になったことは無いそうだ。
家で同居の娘さんのこともあるだろうが(息子さんは既婚)そっちの欲望と決別出来た彼女がある意味羨ましい。
男の場合は一定のサイクルで生理的に女性を意識するしかない肉体を持つため、いくら頭から異性を排除してもゾンビのように沸いてくる。


生まれ変わるなら男と女のどちらが良いかとの質問に答えるのは難しい。
普通なら男に生まれて一杯稼いで多くの女性とお付き合いしたいとなるのだろうが、私の場合は一杯稼いでも女性以外につかいそうなので男に生まれる意味はあまりないのかも。
因みに和田アキ子は、男に生まれ変わったら結婚せずに女をものにしまくるらしい(納得)。


木曜日は楽しみにしていた 『最高の離婚 フジ系午後10時』 を観た。
予想通り 「わかるわ〜」 の連続だった。
私は小学校の低学年位までは、教科書の折り目をつけるのも嫌な位神経質だったのだが、同級生に貸すたびに折り目だらけで戻ってくる苦い経験を経て、
高学年の頃から180度考え方を変えて、一切細かいことには気にしないようになった。


それが良かったのかどうかはわからないが、結婚してみると様々な生活習慣の違いに驚きの連続。
折り目が気になる昔の私のままだったなら3日と一緒には暮らせなかっただろうしそもそも結婚が出来ていなかっただろう。
他者と暮らすためにはガチガチのこだわりは邪魔になるだけの気がする。


この3年は女性とお付き合いする気がなかったのではなく、する気はあったのだが身の回りの状況が揃わなかったとの表現が正しい。
身の回りというより私の身そのものと言った方が良いかも?
加藤茶パターンなら相当あっちの方で頑張らないとならないし、八嶋智人パターンなら結婚を意識する相手の女性が働く夜のお店に一年間毎日通い続ける根気と熱意は必要。
どちらにしても経済的なバックボーンは大前提だが、そこは自分自身の年齢により必要量も変わる。


今の私は、結婚を前提としないお付き合いならしたいが玄人相手の割り切った関係は勘弁との心境。
一言で言うと 「おととい来いよ」 との突っ込みが的確なほど現実味がない。
一般的には、結婚を前提のお付き合いもしくは割り切った関係でのお付き合いの二択だろう。
やはりどう考えてもリセットするには10年遅かった。せめてあと10年早く独り身になっていたら再婚に向けて意欲も出ただろうに(髪の毛に対し少しはやる気を出せと言いたい)。


ぐちぐち言っていても始まらないので、ムキムキ化計画を着実に進行させるか3月にあるハーフマラソンにエントリー(参加料4000円以上)するかどうかの選択に力を注ぐか…





















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2013年01月10日

雑感−46

明日は新年会なので今日は大人しく過ごすためにもブログ更新に励もう。

一昨日は久々にやさぐれてしまい取り乱してしまったが、昨夜ホンマでっか!TVを観て少し落ち着いた。
男性は45才〜55才位にかけて、意欲(幸福感)が急激に低下することがあるそうで 「ミッドライフクライシス」 と呼ぶらしい。

私の年齢はさておき(勝手にさておくな!)名前が付く位なのだからそれなりに信憑性があるのだろう。
私の場合ははっきりしていて、急激な目的意識喪失によるものなのかもしれない。
「お前が子供を育てるなど何のギャグやねん」 と言われながら二人の息子を大人になるまで見守ってきた。
計算が狂ったのは、次男がまだ高三の時に母親が家を出て行ったので次男の弁当のレベルが低下したことと私の肉体変化(KBTからのKHY⇒急な弁当作りからの急な8k痩せ)。

未だに体重は元に戻らないが、開き直って筋トレを3年続けている。
それだけならよかったのだが、飲みトレも博トレも続けてしまい気が付けばあっという間の3年間だった(にょトレはなかった)。
しかし、昨年末ふと我に返ると3年間何ひとつやり遂げていないことに愕然とした。
飲み屋に通い博打を打ちブログを更新しトレーニングをし最低限の仕事をするだけの日々。
予定では子供がそれぞれ家を出て行くタイミングで会社とは契約関係を切り事業に専念するはずだった。
ブログ上では格好いいことを述べてきたが、ショックの大きさの分だけ散財しまくった(生活費外の貯え分などから軽く500〜600万)。
このままではやばいので、この一年は軌道修正して本来向くべきだった方向に照準を合わせようと思っている。

そんな折、世間では大変なことになっている。
大阪の市立高校でのバスケットボール部員自殺問題だ。

新聞紙上やテレビ番組などでも幅広く意見が出ているので今更私の見解を述べても仕方が無いが、やはり若者の命が失われるのは悲しい。
体罰の問題は、戸塚ヨットスクールにおけるスクール生死亡事件の頃から議論されてきた(戸塚ヨットスクールを支援する会の会長は石原慎太郎氏)。
石原慎太郎氏と同じ政治グループである橋下徹市長の行政下で起きた問題なのは皮肉でもある。

戸塚ヨットスクールの場合は、戸塚宏校長の「本能が弱い子の本能を呼び起こすためには時には痛い思いをさせないといけない」
との持論を実践したため事故に繋がり本人も4年間服役したのだが、彼は今でも 「量と質のうち量を間違ったことに反省の気持はあるが正しい体罰はある」 と述べる。
私も数年前にこのブログ上で、戸塚氏が主張する脳内から分泌される物質(セロトニンなどの分泌を活性化させる)について調べた上で見解を述べたが、必要で身につけるべきことを体罰ではなく本来の手段であったはずの訓練で身体に覚えこませるのはひとつの手段だとは思う。

例えば、いつも肩からショルダーバッグをかけているとしてその中に貴重品を入れているとする。
それがたまたまバッグが見当たらず、そのへんにある紙袋の中に貴重品を入れ手に持ち出掛けた場合に、ふと気が付けば紙袋を持っていなかったとのようなことはないだろうか?
貴重品だから気も付けるが手帳程度位しか入っていなければどこかに置き忘れてもおかしくない。
他にも、雨が途中でやんだ後に傘を忘れるとか携帯を忘れるとか…
携帯電話(今はスマートフォンか)の場合は、人類の遺伝情報として携帯を持ち歩くという情報がまだ刷り込まれていないから身に付かないらしいが。

私も仕事を始めた頃の師匠(上司と呼ぶにはいかつ過ぎる)に言われたのが 「とにかく何かを使用したら必ず元の場所に戻せ」 とのこと。
それを守らないと毎回強く指摘されたため身体が反応するようになった記憶があるしその習慣は今も変わらない。

結婚や恋人関係なども、相手がいることが当然になってしまうと、お笑い芸人のTKO木下のように、奥さんと別れた後も風呂場に入る際に娘の名前を呼んでしまうことが続いたとの話のように身体が先に反応してしまうのだろう。

私のような人間に対して土日になると出馬表に目を向けさすJRAはちょっとした週末限定の 『愛人』 のようなもの。
愛人らしく毎週のようにお手当まで要求しやがる(笑)。


少し話がずれてきたが、今回の出来事に対する捉え方は人により千差万別だろう。
「ぬるいこと言うな!本当に愛があるなら教え子の前で死んでみせろよ」 との意見にはちょっと共感しそうになる。
愛のある体罰であるなら究極の愛情表現は相手のために死ぬことなのだろうから…

「結果や責任を語る奴ほど自分の招いた悪い結果については目を背ける」 との意見は私のブログのタイトルをディスってるのか?

「結果が全てのこの世の中で結果を出せる強い人間を育てるには殴ったり罵声を浴びせるのは当然」 との意見は今度は私のブログのタイトルを評価しているのか?

「所詮、言うことを聞かない犬を蹴飛ばすような奴と同じメンタリティ」 との意見も辛らつ。

「指導者が教え子に強さを教えると言うのなら、自分が殴られて強くなったとしても自分は絶対殴らない位の意思の強さが無くてどうする」 との意見もなるほど。


しかし私が一番しっくりくる意見は、「名コーチ兼暴力コーチとのレッテルが妥当。どちらかの要素を否定する必要は無い」 だ。

頭の良い人の意見はこのように冷静かつ客観的視点に立ってのものになる。


どちらにしても死んでしまった高校生はもうこの世に戻っては来ない。
そして指導者の方は一生この問題をかかえて生きて行くのかそれともそれを忘れる位の太い神経の持ち主なのだろうか。


人を育てる親の役割は、加害者になっても自殺しない心を育てるべきなのか、自殺してでも加害者にならない人間に育てるべきなのか。

三島由紀夫の身長(推定163cm)がもう少し高かったなら自殺はしなかったのでは?との説(他でもない私の説)もある。
人が命を絶つには近因・遠因があるとは思うが、今回の部員のケースは指導者との関係によるものが遠因と言うには無理がある。
仮に絶対的要因ではなかったにせよ日時上の因果関係を考えても状況証拠的には反論材料が乏しいのではないか。


話をまとめるには根深い問題過ぎるが、良い意味で何かを身体に覚え込ませるのは悪いこととはどうしても思えない。
自分の問題に置き換えて私がやれることは、俺は死なないぜ!と子供達に強がる位だ。


謹んで亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。










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2013年01月08日

雑感−45

久々に非社会的な弾けた内容で…  立ち入り禁止の看板を見てあくまで守る方はこの先はご遠慮下さい爆弾





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2013年01月07日

雑感−44

それにしても私の周囲での家庭崩壊が目立つ。
今年に入っても、25才の女性が旦那と上手く行かずに実家に帰って来ているし、子持ちの女性と結婚して1才の子供を設けた30過ぎの男性も話し合いの末にその子供を引き取った上で親の家に戻るようだ。
11日にボランティア仲間との新年会があり、恋の歌のひとつも歌うことになりそうだが、そのうちに恋の歌を歌っても共感を呼ばない時代が来るのかもしれない。

昨日は日本映画専門チャンネルで 『少年メリケンサック』 を観たが、宮崎あおいが可愛いと思ってしまった私はやはり恋愛スキルが低そう(以下人名に敬称略)。
AKB48の指原や宮崎あおいの魅力は恐らく男女交際を重ねる中で人懐っこいフェロモンが熟成されたのだろうから親父達に人気があるのも頷ける。

のだめを演じる上野樹里理を可愛いと思ったこともあるが、宮崎あおいにあって上野樹里にないものは多そうだ。
岡田准一と仲良くなった宮崎あおいと、オリラジのチャラ男と仲良くなった上野樹里では男を見る目も違うのだろうか。

何だかんだで面白かった映画の主演女優を直ぐに気に入ってしまう私の節操のなさは何とか改善しなくてはあせあせ(飛び散る汗)

月刊文藝春秋の新年特別号に特別寄稿した伊集院静が書いているが、彼はこの十数年、海外に出る目的はほとんどが絵画鑑賞だそうだ。
夏目雅子を射止めたとの一点だけで私は彼を最大評価するが、ただの麻雀好き競輪好きのおっさんではなかったことに驚きを隠せない。
私になくて彼にあるものが何かを垣間見た気がした。

年末、ビートたけしが新聞紙上で述べていたが、文科省での対談時に数学界のノーベル賞と言われるフィールズ賞を39才の時に受賞した森重文に対して、
「何の研究でフィールズ賞をとったんですか?」 と聞いたところ
「代数多様体の極小モデル理論といって、球体における〇〇空間のそれを平面にしたブランク定数の…」 と答えが返ってきて頭が痛くなったとのこと。

司会者の文科省の審議官までも 「整数範囲の問題は昔からフェルマーとかみんなやってて…」 と話を続けたらしい。

私など未だに 「博打で勝つにはコマの上げ下げを熟慮することと勝ち逃げに徹するしかない」 との必勝理論さえ習得出来ていないというのに…(次元が違う)

私がこのブログ内でいくら理屈を並べても上には上がいるとの現実に直面するばかり。
ただ、それを自覚しているからこそ理屈を並べ続けているのであって、亀のような歩みであっても休むわけにはいかない。


そう言えばこの前、頭は確実に良いであろう巨大掲示板創設者のひろゆきと勝間和代が対談していた(ネット上で観る事が可能)。

その中でひろゆきは、「日本では、若い女性が夜道を一人で歩けるし水道の蛇口をひねれば飲み水が出てくる。安全と水が確保出来ることで十分に幸せな状態と言える」 と語っていた。
勝間和代は、「日本には流動性がなく若者にチャンスが与えられ難い」 と主張するが、ひろゆきは大企業がスケールメリットを利用して安価(例えば清涼飲料水)に消費者に提供している現状を肯定していた。

地頭の良い人同士であり男と女の対談でもあるので興味を持って観ていたが、それぞれの価値観に違いがあるので平行線に終わる議論が多いように感じた。
幸福を一般化したり一般論で述べるのは困難だが、ひろゆきは一定の見解を示したので私には彼の話に説得力を感じた。


私は、僕は、「それなりに努力している」 と言うのは自由。
問題は、客観的に見てそれがどれほどのものでどれほどの成果を出せているかだ。
昨年来、このブログで私の月間走破距離を語っているが、月間300kmの数字は客観的に見て私の年齢(20才過ぎの息子が2人いる年齢?)で言うと評価される数字だと自覚している。
残念ながら知的分野においては強く主張するものがないがそれでも主に経済を教えている大学教授と一週間と置かず議論を重ねている(彼は英語と仏語にも堪能)。
その教授からは次から次と推薦書の名前が出てくるがとても追い付けるものではない。
今年は英語とフランス語を同時進行で学んで見ない?と言われているが、えっ?と反応してしまった。
彼曰く、英語とフランス語は発音が異なるだけで基本構成は大して変わらないし言語を学ぶ時は2カ国語同時が理想だそうだ。

それでもその教授からは、「思索を重ねる者とそうでない者では顔付きに天と地ほどの違いがあるよ」 と言われているが、私のことは思索していると評価してくれているようなので期待に応えないと失礼だ。

そのついでに、「思索している人を具体的に挙げることが出来ますか?」 と聞いたら、
「まあノーベル賞受賞者はやはり思索していると思うよ。でも安倍現首相は思索している顔には見えんな」 とのこと。

「私は思索を重ねていて努力し続けていて限りなく正解に近い選択をし続けている」 と言い切れる人間はどの位居るのだろう。
出来ればその3点の要素のうちひとつでも自信を持ち明言出来るレベルにしたいものだ。



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2013年01月05日

おっさんテディベア映画。

『テッド』
1985年・ボストン郊外。いじめられっこにも相手にされない独りぼっちの少年・ジョンは、クリスマスにプレゼントしてもらったテディベアと、本当の友達になれるよう天に祈りを捧げる。翌朝、ジョンの祈りは通じ、魂が宿ったテディベア"テッド"はジョンと約束する―「一生親友だよ」と。それから27年。ジョンとテッドはすっかり30代のおっさんになり、約束通り"親友"として今日も自宅ソファーでマリファナを片手にB級映画を満喫。一時は「奇跡のテディベア」ともてはやされセレブになったテッドも、幻覚キノコで逮捕されてからは人気が急降下し、いまや下品なジョークと女の事で頭がいっぱいの中年テディベアになっていた。そんな中、4年間付き合っている彼女ローリーに、「あたしとエロテディベアのどっちが大事なの?」と究極の選択を迫られたジョンは、テッドから自立することを決意するが・・・。マーク・ウォールバーグ/ミラ・クニス 監督:セス・マクファーレン


しかしアメリカという国は懐が深い国やな。
テディベアをモチーフにしながらR指定とは(日本公開は1月18日でR15+指定)。

前のエントリーで輝く流れ星になるぞ!と気合いを入れながら過ごしていた矢先にこの映画の存在を知ってしまい気合いが3割ほど抜けてしまった(笑)。

と思っていたら武井壮が39才で100mを11秒フラットで走る姿を見てまた元に戻ったグッド(上向き矢印)




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流星。

ソーシャルネットワークを利用して頻繁に情報発信をする者は 「かまちょ(構って頂戴)ちゃん」 と言うらしいが、結構頻繁に更新する私もそうなのだろうか。
そうであるなら我ながらキモい…

行きつけの飲み屋さんでママから毎回、吉田拓郎の 「流星」 を歌わされるので歌うのだが、歌詞をかみしめるとなかなか深い。
♪君の欲しいものは何ですか? との歌詞の後にママにマイクを向けるといつも 「一軒家です」 とか 「お金です」 と歌うのだが、
年末に向けた時は珍しく 「愛です」 と歌っていた。
どちらが本音かはわからないが、人間は意外に本当に自分の望むことが何かを理解していないのかもしれない。

「流星」 の歌詞の中に 「流れる星は 今がきれいで ただそれだけに 悲しくて」 とある。
流れる星を人間に置き換えると、確かに真理をついている気がするし流れる星そのものを自分自身と考えると、例え結婚した相手だって別の流れ星になる。
「一緒に流れないか?」 と声を掛けても、どちらかが先に流れ切ってしまう。

「流星」 の歌詞は次のように続く。 「流れる星は かすかに消える 思い出なんか 残さないで」

誰かが喜ぶために… と言うが、本当に相手が喜んでいるかなんて確認など出来ない。
基本的には自己満足。 流れる星が別の流れる星の輝きを増すために出来ることはない。ただ自ら輝くだけ。
その輝きに魅せられて寄って来る流れ星はあるだろうし、その輝く星に寄り添いながら流れる星もあるだろう。

資本主義はやがて自らのエゴで自壊するだろうと言ってきた経済学者や哲学者は多くいたが、それに変わる体制は出て来ない(社会主義の自滅)。
結局、人間はエゴイストであると自覚して社会制度を有効活用した者達が俗に言う勝ち組のような気がする。

流星の歌詞は最後に 「僕の欲しかったものは何ですか?」 で終わる。

私は男なのでそれに対する答えは 「自分の能力を最大限発揮した状態」 となる。
妄想レベルで言えば、女性の中の一部の人は 「そんな輝く男性のそばで見守りたい」 となるのでは? ホンマ妄想レベルです。

かまちょ(笑)と言われても私は結構ガチでブログを更新している。
3年前に私の人生の第一章は終わった。
3年のブランクを経て今年から第二章が始まると思っている。
年末に気持の上ではケジメをつけた。
実は周囲から密かに勧められていた元嫁との再婚は恐らくないだろうし子供達もそれは望んでいないように思えた。

頭髪は白くそして薄くなって行くとは思うが、肉体強化や内面の充実度を増すとの点においてはまだまだ進化の余地があると思っている。
子育て上の生活の安定を考えてある意味ダブルワークを続けていたが、外国人選手的契約で関係を持ってきた会社との関係もそろそろ見直す時期がきた。
子供達には二人共幼稚園から大学まで私立コースというあり得ないような過保護教育を施した影響で、つい最近まで収入のうちのかなりの割合で子供達の教育費の清算に当てていた。
あの時こうしていれば… 的な後悔はしたくない一心でそうしてきたが、そろそろ私自身の将来も見つめて良い時期かとも思う。


最後まで輝く星でいられるかどうか。自己満足だと言われてもこの記事を更新した後も筋トレに励む(爆)


それにしても今井メロが 「天海祐希さんのような女優になりたい」 とテレビを通じて言っているのを聞いてずっこけた。
突っ込みどころが多すぎるし色んなもんをなめてるやろ。 親の影響もあるだろうから一概に彼女を責めることは出来ないが、さすがに言い訳は出来ない年齢のはずだ。




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2013年01月03日

雑感−43

肉体強化グッズ

未婚率や離婚率の上昇により、2.5世帯で形成される住宅が増加しているらしい。
具体的には、親+親が産んだ子供夫婦+親が産んだ未婚の子供または結婚後に離婚して親元に戻ってきた親が産んだ子供(こぶ付きの場合有り)が同居のケースなど。

元嫁の親族にも母親がもう70歳を過ぎていて(父親は20年前に死亡)子供ふたりが未婚(長男が49才で長女が47才?)の家庭がある。
長男は特大企業に勤めるエリートでマンションも購入してそこに母親と妹も同居している。
もし長男が結婚したなら2.5世帯ケースになるのだが長男は結婚願望が薄いらしい(ひょっとすると妹のことを気遣っているのかも?)。
簡単に未婚・非婚・晩婚・少子化・離婚率上昇とは言うが、このような細かい問題も内包されている。

私の周囲にも色んなケースがあるが、私と同じ歳の女性の長女が結婚して子供ができた後、あっと言う間に離婚して実家に舞い戻ったが、
その長女は 「一瞬芸やったわ」 と語りあまり悪びれた様子もない。
やはり知り合いの女性の次男(長男は独身)は20代にして2度目の結婚をした(一人目の奥さんとの間に子供がいるが奥さん方に行った)。
どうやら2回とも出来ちゃった結婚ぽいが、私の周囲の若くして出来ちゃった結婚後の離婚率は75%位の確率のように思える。
離婚率は今や3組に1組位まで上昇しているようなので何も珍しくないが、子供の気持になるとそれで良いのだろうかと複雑な気持になる。

そんな私だが、年末に元嫁がそれこそ一瞬芸のように子供達と待ち合わせて会いそして去って行ったが、子供達にとっては大感動の瞬間でもなかったよう。
私に似たのかどうかは不明だが、何ともドライな息子達だ。母親の土産だったはずの実物大ガンダムの写真やクリスマスプレゼントも私の家に忘れて行った位。
母親は命掛けで育てたというのにこのギャップは何なのだろう。
自責の念で何度も命を絶とうとした母親のことを知ったら子供達は何と感想を述べるのだろうか。
想像だが 「ただのメンへラやん」 とか言いそうだ。
彼女はこれからも子供達の幸せを祈り続けるのだと思うが、子供達は母親が元気に働き楽しい毎日を送ることを望んでいるのではないだろうか。

次男のことだが、昨年は人生を左右するほどの出来事があり私もその渦中に巻き込まれたが、何とかバイトも再開して日常を送っているようだ。
年末ジャンボ宝くじを1枚買ったとニヤニヤしていた位なので何とか前向きに暮らして欲しい。
大学生活については遠回りになってしまったが、これも良い意味で私の性質を受け継いでくれているなら打たれ強くしぶとく凌いで卒業に向かってくれると信じている。

長男は相変わらずもがき続けているが、彼は友人という貴重な財産を持っている。
私が教師になれなければ反面教師でも良い。本人が後悔しない人生を歩んで欲しい。
私は、周囲の人間に対してポツンと一言投げ掛けるだけでくどくど語りはしない。
子供達に対してもそのスタンスは変わることはなく私の後姿を見せているだけ。
どんな後姿になっているかは不明だが、自分の下した選択に対して言い訳や後悔はしたくないと思って生きてきた(反省はする)。
誰しも自分のことを最優先に生きるのだが時には他者を優先することで廻り廻って自分に還ってくる場合もある。
何が正解なのかは一生わからないが、不正解なことは何となくわかる気がする。
不正解かどうか判断するのは直感が重要。その直感を磨くのは経験であり努力することだ。

元フジテレビの女子アナ(旧姓千野)が人身事故を起こし相手は死亡した。
絵に描いたようなセレブ人生を送っていたはずの彼女でさえこういうことがある。
森(元)首相の息子も若くして命を落すことになったし、今回の衆院選挙の近畿比例区で当選した西村議員(日本維新の会)の息子さんも以前に飛び降り自殺をしている。
世間では一般的に経済的に成功すれば幸せに繋がるとされるが、当事者もしくはその親族に幸福感を問うとまた違う意見を聞けるかもしれない。
とは言え、20万ほどの給料の独身男性が、家賃を5万払い食費その他で10万位かかるとして残りの5万でどうして彼女を作れるというのか。
風俗で思いを達するにはマックスで1回約3万程度。デートしてもトータルだとやはり一日3万位はかかりそうだ。
男としての本能に忠実に生きて月に2回だけ女体と接するだけで貯金も出来なくなってしまう。
私が結婚出来たのも、結婚相手が年中の喫茶店デートだけで我慢してくれたからであり他の女性とお付き合いしていたなら数百万の金はたちまち無くなっていただろう。

私の今年のテーマは前のエントリーで藤山直美さんが語っていた 「捨てること」
何かを得たいなら何かを捨てないとならない。
ここ数年で私が得ようとしてきたのは 『鋼の肉体』
好きな女性がいることもあり飲み屋さんに頻繁に通ってきたが、一度行くと2〜3日は確実にトレーニング量が減少する。
恋も筋肉も手に入れたいと考えてきた結果、今のところどちらも完全な形では手に入れられていない。
不純な動機かもしれないが、鍛え出したのも 「男女のお付き合いの末のあの神聖な瞬間」 の時に無様な肉体を晒したくないとの思いがあったから。
幸か不幸か(多分不幸?)まだその瞬間はきていないので、コンビニで偶然目にした肉体強化グッズを衝動買いした(爆)。
この歳でこんなものを衝動買いする奴は全国広しと言えどほとんど居ないと思うが他人は他人であり我が道を行くだけだ。

完全体の肉体になった時にお見せするお相手が居なかった場合は鏡を見てにやけるしかない(笑)。






posted by tetsukazu at 15:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月01日

明けましておめでとうございます。

年越し桃鉄

新年明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いいたします。

さて、年末年始の風物詩?の親子桃鉄ガチンコバトルも無事終了した。
長男から 「親父はホンマクソ弱いよな」 と挑発され 「ク?ク?クソ弱いやと〜 俺もなめられたもんやの。そろそろ大人の凄さを教える時が来たな」
と、言い返したものの 次男から 「親父、結果残してから言った方がええで」
と、冷静な突っ込みが入り、戦いの火蓋は切られた。

今回は桃鉄USAでの対決となったのだが、ハリケーンボンビー初登場バージョンのものなので一部のマニアからは鬼畜版と言われる。
農林物件戦略をとっても容赦なくハリケーンボンビーに壊滅されるし、現金重視で行ってもキングボンビーや黄色マス(カードマス)でスリにすられたりマリリンモンローの出来損ないが登場して勝手に対戦相手にプレゼントされたりする。

ある意味誰にも終盤で逆転可能なゲーム性を持つそんな今回の土俵で終盤(15年目まで)まで私の大人力が爆発した(8億ドルほどリード)。
桃鉄は調子が良いプレイヤーの口数が多く、調子が悪いと口数が少なくなるわかり易いゲーム。
妨害系のカードを使用する時は、相手を指定するかお任せにするかで今後の人間関係にまで影響してしまうある意味罪なゲーム。
とは言え、同情しているとあっと言う間に逆転されてしまうので、若い人間に啓蒙するとの観点ではハドソンの開発者は国民栄誉賞に値すると思うのは私だけか?(そう、あなただけですby天の声)

で、結局16年目からお約束のように私はボンビラス星3連発の目に遭い心は完全に折れたもうやだ〜(悲しい顔)
優勝は大本命の長男で、単勝1.1倍のがちがちの本命レース。2着も次男なので3連単150円レベル。

悲しいかな今年もゲームでは父親の威厳を保てなかったが、年越しそばも作ったしピザもとったし生ハムメロンも喰わしたしやることはやった(どこが?)

テレビのチャンネル権の方は今回も子供達に奪われガキ使が延々流れていた(桃鉄は11時過ぎから開催)。
それでも、SKE48とももクロは見せてもらうぜと恫喝(笑)したら長男が 「きゃりーぱみゅぱみゅ一択やろ!」 と。
次男は元々ラルクの熱烈なファン(佐藤健のファンでもある)なので紅白にはあまり関心がない。

仮眠をとり朝11時頃起きたら、長男はおらず次男も昼からバンガードのカードバトル大会に行くと言って出て行き、僅か一日足らずの賑わいに終わった。
ん?ちょ、待てよ! お雑煮作る前に誰もおらんやんけ!
結局、ひとり寂しく(実はそうでもないー笑) 長男の手土産の菓子パンをかじる私だった。

することもないので、テレビを観ると上沼恵美子と藤山直美が対談していた。
藤山直美が上沼恵美子に向かって 「人が強くなるにはふた通りあるんですよ。私のように捨てて強くなる人間と、上沼さんのように手に入れて強くなる人間とに…」

藤山直美は独身で上沼恵美子には夫も子供もいる。どちらが幸せでどちらが不幸という問題でなくそれぞれの生き方の違い。
それでも藤山直美は語る。 「必死になって結婚を望んだわけでもないし必死になって拒んだわけでもない。きっとこれからもそうだと思う」
「ただ、これからは手に入れて強くなる部分が出てくるかもしれないし上沼さんは捨てて強くなる部分が出てくるかもしれない。でもそれも何とも言えない」


男であれ女であれ強く生きることは重要だが、優しさや思いやりを持つ心は失いたくない。
posted by tetsukazu at 14:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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