2012年11月30日

雑感−35

サウナから更新しています(正月にサウナで更新したのは覚えていますがもう一回位あったかも)

手元に大阪スポーツがあるが、3年間で28億7千万円馬券購入して30億円強の払い戻しを受けた男性が大阪地検から所得税法違反容疑で起訴されたらしい。
大阪国税局は6億9千万円を追徴課税するようだが、男性側は正味の利益は約1億4千万円しかないとの主張をしており、外れ馬券の27億4千万円分も経費に計上するべきとも述べているようだ。

所得税法では「収入を生じた行為のために直接要した金額のみが収入から差し引ける必要経費」としており杓子定規に当てはめた結果が今回の出来事。

この記事を見た者の感想はほぼ同じだろうから私も多くは語らないが、インターネットを利用しての購入だったようなので、派手な賭け方が通報される原因になったようだ。
主催社側には守秘義務があるだろうから大きく儲けた者を税務署に通報することはないとは思うが、捜査機関から情報提供を求められたら拒否するのは難しいだろう。

それにしてもばれなければ3年間で1億4千万円の利益を上げていたことに驚きを隠せない。
バクチで家は建たないと言われるが、1億4千万で建つ家は相当豪華な家だろう。
世の中が理想や既成概念で動くのでなく現実で動くとしたらこの現実は直視するに値するのではないか。


最近、『時間』 についてまた考え出しているので改めて記事にしたいとは思うが、人間が歳をとり老化するのは単に時間の経過と言うより、引力等の圧力にさらされ続けているからなんだろうなと思う。
つまり、時間に関係なく強い圧力にさらされ続けた場合は老化も加速するように思える。
極端に言うとF1のマシンに24時間乗り続けていたら(自動操縦可能として)人間はGの影響で生きてはいられないはず。
私が適当に話を持ち出さなくとも既にそのあたりは解明されているだろうが、自分の頭で想像力を働かせるのが楽しくもある。

これもありがちな話だがボールを壁に投げた場合、ボールと壁との間の半分をまず進み更にまたその半分を進み…… と繰り返したならボールは永遠に壁に到達しない。
あるいは時計の秒針が1秒から2秒に進む時、1秒と2秒の半分に距離を進み更に…… との例も同じようなもの。
理論的には慣性の法則などで説明出来るのだろうが、時間を1秒単位にするから時計として機能するのであり、時間の概念を100年で1単位とするなら人間一人が生きている間に時間は1単位も進まないことになる。
100年で1歳になるとするならば人間は永遠の0歳児となる。
便宜上細かく区切らないと何かと不都合が生じるためにそのようになっているのだろうが、その点に気がついてしまっている者は昔も今も年齢など大した要素とは考えていないだろう。

何せサウナからの更新なのでこのへんで終わりにします。
今日はこれから好きな女性のいるところへ行くかどうか悩みながら過ごしそうだがその女性がその場所にいるかどうかの確認はしていないので行ったとして居なかった場合は外れとして税務署に飲み代分を控除してもらおう(あっ?外れは控除されないのか!)


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2012年11月26日

雑感−34

酒井法子(以下人物名敬称略)が復活したり紅白歌合戦の出場歌手が発表されたりと芸能界の話題は尽きない。

昨日行われたジャパンカップについては、アンカツを応援するブログの管理人さんが仰るように
ルーラーシップの騎乗騎手が一定しないことがスタート出遅れを繰り返す一要因に思う。
勝ったジェンティルドンナの強さには脱帽だが、かなり長い時間二番人気を維持したようにファンの見る目の確かさにも驚きを隠せない。
注目していたダークシャドウについてはもう少しだけ前につけられたら…とは思うがそれは他の陣営も同じでありそこも含めて勝負なのだろう。
オルフェーヴルの強さも改めて感じたが真っ直ぐ走れないという致命的欠点を解消しないと今後も厳しいが兄同様有馬記念に期待したい。
それにしてもフジテレビの実況は酷かった。ジェンティルドンナとルーラーシップを間違ったらあかんやろ。実況のプロの自覚を持って欲しいものだ。

酒井法子は記者会見で 「再び薬物に手を染めることはないですね?」 と繰り返し質問を浴びたが、彼女は自信を持って 「二度と繰り返しません」 と言い切った。
言い難いが私は彼女のこの宣言を信用しない立場には立たない。

人間はあまりにも大きな犠牲が想定される時は踏み止まるだけの能力は持っていると考える。
芸能界に薬物使用を繰り返す者がいるのは事実だが、修復不可能なほど脳の機能が犯されていることによるものではないだろうか。
過ぎたるは及ばざるがごとしと言うが、24時間の内数分でもよいから自分自身以外の存在の気持ちになることが出来るならば脳は熱くいられるし熱いうちに自分の力で打つことで良い状態に出来るはず。
元ファンだけに何とか更生して欲しい ⇒ 僕も頑張りますから…

この前も書いたが、auひかりのTVサービスのコンテンツ視聴に忙しい(お前の勝手やろ!ですか?)
昨夜は日本映画専門チャンネルで深田恭子主演の 『夜明けの街で』 を観た。
2011年10月のロードショーの映画だが興行成績はパッとしなかった映画。
共演は岸谷五朗だったが、リアリティーを追求し過ぎて生々しくなったことがヒットしなかった原因なのかなぁ。
豊川悦司などを配役していたならもう少しはヒットしたのだろうか?

でも元妻帯者としては他人事に思えない場面が多くあった。
同じ会社で派遣社員で働く深田恭子演じる秋葉とバッティングセンターで会うことがきっかけで付き合うことになる岸谷五朗演じる渡部(妻子持ち)だが
もし自分の目の前で深キョンがニコッと微笑む状況を妄想するなら理性を保ち続ける自信はない。
ただ、映画上の渡部ほどもとことんのめり込みはしないと思うが…。

大きなお世話かもしれないが、深田恭子は女優として脱皮し損ねたようにも感じる。
思い切ってこの映画で脱いだ方が女優としてのステータスは上がったようにも思う。
確か今年30才になるはずだが(詳し過ぎやろ)あの吉永小百合だって1975年公開の 『青春の門』 で自慰行為を演じた(当時30才)。
同映画では大竹しのぶのヌードも話題になった(当時17才)。
吉高由里子も 『蛇にピアス』 で大胆な濡れ場を演じてその後若手女優の中では汚れ役も演じられる貴重な存在となっている。

話は逸れたが、男が仕事や家庭を捨ててでも追いかけるほどの女性に巡り合うことはそうない。
もし巡り合えたとすればそれは幸せなことなのかそれとも…
妻子のためと思い仕事一筋に生きても結果として妻に去られる場合もあるので男と女の関係は一筋縄では行かない。
そばに居て欲しい時に居てくれるパートナーに愛情を感じることが真理ならば愛情とは我が侭とイコールと言えないこともない。
互いが互いの我が侭を受け入れると共に互いが互いを思いやる。難しいけれどそんな関係が最高なのかもしれない。


12月はやはり日本映画専門チャンネルで 『モテキ』 テレビ版と映画版が放送されるので忙しくなりそうだ(仕事もしろよ!!)
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2012年11月25日

雑感−33

それにしても東京競馬場のレースは馬場状態に左右されるよな〜

今日の馬場状態も内目が伸びそうなのでペース次第では2分22秒台の決着もありえる。

馬主がサンデーレーシングの馬が、4番フェノーメノ・12番ローズキングダム・13番ルーラーシップ・15番ジェンティルドンナ・17番オルフェーヴル と5頭出走する。

これらの馬が上位争いすることは間違いないだろうが宝塚記念の結果だけ見てもとルーラーシップとオルフェーヴルが格上の存在。
フェノーメノに関してはダービーでの走破タイムがオークスでのジェンティルドンナより0秒2遅いだけに今回は厳しいようにも思える。
スローペースになる場合は、牡馬より牝馬の方が鋭い決め脚が使える。
その点ではペースが遅く4角を回りヨーイドンになった時にジェンティルドンナを無視出来ないがそのような展開にはならないとみる。

前走からの上昇度は10番ダークシャドウと13番ルーラーシップの2頭に目が行く。
印を付けないのが私の通常だが、もし付けるとすればオルフェーヴルとルーラーシップとダークシャドウの3頭になるだろう。

馬券を買う場合の私のスタンスだとダークシャドウもしくはルーラーシップの複勝または両馬のワイド、またはオルフェを加えた3頭のワイドボックス(オッズに応じて2・1・1の割合)、またはルーラーシップとダークシャドウの単勝とオルフェーヴルからルーラーシップとダークシャドウへの馬単2点を加えた4点 などの買い目になるだろうがこれだけ迷う時点で勝負に行くようなレースではない。
乗り替わりが多いこのレースを確信を持ち確実に仕留めるのは困難。

ウッドチップコースでの追い切りの効果で510k程度の馬体重で出走して来た場合は心の中でダークシャドウとデムーロに期待しつつレースを楽しもうと思う。


話題としては遅れたがリンク先のターフの真ん中、日曜日!BlOg のあらたさんが先週の競馬で79万強の払い戻しを受けているのに驚いた。
本命を頭に相手3頭の3連単で61万馬券を獲るとは凄すぎる。



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2012年11月21日

雑感−32

えっ??

ダークシャドウにデムーロが騎乗?

ナンテコッタ!!

ジャパンカップは観るレースで買うレースではないと思っているのだが理性が揺らぐ >>>


理性と言えば、最近のエントリーでも意志(意思)が大事だと主張している私だが

法律を守ろうとして実際に守れている個人としての現実は何により生まれるのだろう?

養老孟司氏などの脳科学者は人間は肉体の反応が先だとの説をとるが

それなら法律を守る行動より法律を無視する本能が勝ってもおかしくない

そうなると一番しっくりくるのは、このブログでも何回か話題にした 『メリットの法則』 かな

法律を守る方が自分にとってメリットが高いから法律を守るとの理屈

しかし、理性で理解が必要な法律を本能レベルのメリットとして肉体が反応することに疑問を抱く

この疑問を解く鍵は恐らく 『経験』 のように思う

あらゆる刺激による経験が知らず知らずに肉体にインプットされ複雑系の脳の判断システムに関与しているはず

そしてもうひとつの鍵を 『自分なりのメリット感』 と仮定してみる

自分なりのメリット感が客観基準から見ておかしな場合は、いつのまにかデメリットに転化しているかもしれない

自分の肉体がデメリットを単に 『刺激』 と捉えそれを 『快感』 に昇華させることで 『M』的な性質が形成される恐れがある

『痛み』 を快感とするのでなく 『征服感』 や 『達成感』 や 『一体感』 を快感とすることこそ本当のメリットと言える

ではどうすれば良いか?

それは 『良い経験』 を重ねることだ

もしわからなければ受験生や世界を旅する人にでも聞いてみるしかない

良い経験がわからないならばとにかく多くの経験を積む中で身体に覚えこますしか手はない


そんな思いを証明するかのように今日はサプライズな出会いがあり 輝くオーラを浴びたので風邪も治りそうだ わーい(嬉しい顔)


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2012年11月20日

雑感−31

福山競馬が廃止の方向で検討されているとのニュースを目にした。
福山市の市長が今年度で廃止する(来年3月末)との表明を近々するとのこと。
JRA開催のダービーの一着賞金が2億円になるとの記事を見た後だったため複雑な心境だ。
福山ダービーの一着賞金は約200万円。 平場のレースだと一着10万円程度しかない。
JRAの基準をそのまま当てはめるならば騎手の取り分は賞金の5%(騎乗手当除く)なので、JRAのダービーを勝てば1千万円で福山ダービーなら10万円。福山の平場を勝っても5千円しかない。
当然だが勝った騎手が5千円なのだから5着程度なら千円にも満たない(騎乗手当除く)。⇒訂正=[福山は平場(一般)レースの一着で16万円、四着で8千円。高知競馬の平場(一般)レースの一着で9万円。したがって福山の場合の一着の騎手の取り分は8千円、四着の騎手の取り分は4百円となる]
馬主も出走手当目当てに愛馬を毎週のように走らせるので最終的に福山競馬所属となった215戦55勝で地方競馬平地競走の最多勝記録を樹立したモナクカバキチ(アラブ牡13歳)のような馬も出現する。

そもそも法律で賭博を禁じている日本では畜産振興等の建前で実質はギャンブルの公営競技が施行されているわけだが、
民間に開放しないままで賭博運営が上手く行かないからと言って音を上げてしまう公的機関に問題はないのか。
勿論、日本らしい中央と地方の別運営などの問題はあるが、橋下氏並みに中央官僚に直談判した地方の有力者は居たのだろうか?
テラ銭(売り上げから主催者があらかじめ差し引く分)を建前25%(10円未満は切り捨てなので実質は25%を超える…本来209円の配当が200円)もとっていながら経営出来ないのは経営主体として向いていないことは明白。
賭博の完全自由化とまでは言わないが、議会制度だけでなく賭博運営もイギリスを少しは見習ったらどうだろう。
文化としての競馬として考えるとアラブ系馬が現役で走っていた福山競馬は貴重な存在。
JRAでも昔はアラブ系馬が62kや63kを背負って走っていた。
記録に残るところでは1951年10月21日の阪神競馬のアラブ系オープンレースでタマツバキが83kを背負って勝利している。
現代競馬でのスピード競馬も良いがアラブ系の馬が力強く走る姿は本当に美しかった(俺はいくつや!)。

結局最終的にはJRAの一人勝ちのような味気ない展開になりそうだが、そんなJRAだってカジノが解禁される頃(日本維新の会が頑張りそう)には苦しい展開が待っていそうだ。

資本主義陣営でありながら賭博については社会主義のような運営をして来た日本だが、何らかな形での民間企業の参入もそろそろ考える時期が来ているのでは?


それはそうと何年振りかで本格的な風邪を引いてしまった。
まさに絵に描いたような経過を辿り今に至るだが治りかけからがまた時間がかかっている。
調子に乗るのが私の個性でもあるのだが健康に関しては調子に乗るのは控えないと今度は重大な事態を招きかねないので、
「忘れるな!あの娘と交わした約束を」 との歳末の標語を胸に気合を入れ直さなければ。


そんなこんなで自分の生活に追われる日々だが、政治の世界では風雲急を告げる事態となっている。
各党が様々な争点で論戦を戦わせているが私は少し視点が異なる。

このブログでも繰り返し主張しているように、国にとっては少子化こそが深刻な問題だとの認識は変わらない。
太平洋戦争(第二次世界大戦)終結後に 『自由・平等・公平・権利』 などの意識が高まり結婚も個人の自由だというのが当たり前の世になった。
お見合い制度は風前の灯火になり、結婚相談所が横文字化してパソコンで相手を探す時代。
小中学校で男女による差別・区別を無くすことで男女間の垣根が低くなり、インターネットの進化と連動して異性への幻想を抱くのは困難な時代になっている。

そして結婚に関して経済力が不可欠(今に始まったことではないが…)になっているのだから富裕層における婚姻者が5人も6人も出産するのかと言えばそうではない。
それだけに非婚・晩婚・少子化の波がおさまる気配はなく、今後与党となる勢力は中国などからの移民受け入れを真剣に考える時期が来るだろう。

もしこのような状況が戦後の日本人の望む姿なら問題ないがそうでないなら男女の関係のあり方を中心に新たな価値観や枠組みや仕組みや政策の構築が必要となるだろう(例えばフリーターとフリーターの結婚に対する補助や男女共用のシェアハウスを増加させる等々)。

こんな状況においても私がかすかな期待を抱くのが文化・芸術・芸能分野。
歌の世界や映画の世界や小説の世界では恋愛を扱うのが王道と言えば王道。
あなた無しでも生きられるのが今の時代。あなた無しでも家事に困らないし性欲だってパソコンの画面で事足りる時代。
それでも歌手達は歌う。 「あなたに会えない夜は切ない」 「あなたと巡り会えたことが奇跡」
AKB48が 「会いたかった 会いたかった 会いたかった〜 君に〜」 と連呼することで、ひとりでも多くの若者が恋に目覚めるなら国は吉田沙保里さんより先にAKB48に国民栄誉賞を授けるべきだったのでは?


少し(かなり?)古くなるが薬師丸ひろ子さん主演の 『セーラー服と機関銃』 のラストシーンの台詞に 「私、愚かな女になりそうです」 というのがあったが 「愚かな女最高!」 と言いたい。
悪い意味で計算高く賢い女性ばかりになる世の中では味気ない。
「同じ騙すなら命がけで騙し続けるような男について行く」 とは 村生ミオの「SとM」 という漫画に出てくる台詞だが、
女性には最後の最後(心の奥の奥)のところで素直であって欲しいと強く思う。
恋愛の世界だけは政治家が関与する分野ではないように思うしどうせなら色気を感じる政治家が多く活躍して欲しい。


「愚かな女大歓迎!」 と愚かな男は思っています。









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2012年11月18日

雑感−30

ひとつのものの中にはひとつのものしかない。

真実の世界に真実なもの(こと)がふたつあるならそれは真実の世界ではない。

無限の中に個があるなら無限は無限でなくなる。


私という存在はあなたではない。当たり前だ。
自分を金太郎飴に例えるならば、いくら切っても同じ模様である。
自分の実力以上の成果は出ない。

個人の魅力はどれだけの振り幅があるかにもよる。
時には破天荒な生き方が魅力に映る場合もある。

自分らしく生きたいとは言うが、そもそも自分のことを理解出来ているのか。
ニュートリノという素粒子は毎秒数十兆個の単位で人間の身体を通過している。
人間の体も約60兆個の細胞で出来ている。
何を持って私と呼ぶかは私次第だが、主に言えば自意識が、統一した 『私』 という概念をもたらすのだろう。

NHKのアナウンサーが痴漢疑惑で逮捕されたが、彼をそういった行動に導いた力学はどのように働いたのだろう。
60兆個の細胞の連携によりそのような行動に至ったのならば罪なことをする細胞群である。
私は以前にこのブログで、「意志は遺伝情報伝達システムの微細な網をすり抜ける高次元エネルギーである」 と語った。

ニュートリノが私達の肉体を簡単にすり抜けるように私達の意志もまたあらゆる欲望の網に引っかからずにすり抜けることが可能だろう。
何故ならば私達の肉体を構成する物質と宇宙を構成する物質の間に何の違いもなく、私達の持つ意志も無限の力を秘めているはずだから。
無限の力を秘めるということは、無限によいこともするし無限に悪いこともするということ。
太陽が発するエネルギーの恵みで私達は生命を育むことが出来るのだが一方では紫外線による有害性にもさらされる。
つまり生命やエネルギー体は微妙で絶妙なバランスの中でしかその状態を維持出来ない。
有り余るエネルギーをどう利用するかは我々自身が我々の肉体を通じて日々葛藤することでもある。
外部の問題は内部の問題でもあるのだ。

人間はパンを食べるためだけの存在であらずと昔の西欧文明人は語ったが、どこか上から目線でもある。
確かにそうではあるが、謙虚に表現するならば 「人間は正しいことをするだけの存在にあらず」 と言っておいた方がよかっただろう。
パンだけで満足出来ない結果、麻薬や原爆やその他アンモラルな文化を生み出してしまった。
今更反省したところで金太郎飴は金太郎飴なのだからマイナーチェンジ程度の変化しかないだろう。

『意志(意思)』 という高次元エネルギーを獲得したことが他の生物に対するアドバンテージになるならそれを生かせない一部人間の未来は暗い。
五体満足な人々が障害を持つ人々より満足度の低い生活をしているのならそれは宝の持ち腐れであり怠慢以外の何ものでもない。
精一杯生きるの本当の意味は、与えられたプラスエネルギーをどれだけ活用出来るかということに尽きる。

エネルギーを蓄えるためには仕事をして食事や睡眠をしっかりととり恋も必要だろう。
無駄遣いを繰り返したり犯罪すれすれの行為を繰り返したり他者に迷惑を掛けたりする暇は一瞬たりともない。
人間は蝉ではないのだから一週間で全てのエネルギーを使い果たすような生き方はどう考えてもおかしい。
結果として短い人生に終わったとしてもそれは結果であり、自暴自棄になったりやけになったりして生き急ぐことは避けたいものだ。



18日はGTマイルチャンピオンシップ。
各陣営がプラスエネルギー全開で勝負に臨むとは思うが、枠や天候は運にも左右される。
決め脚にかけるグランプリボスやストロングリターンにとって有利とは言えない状況にも映る。相対的に見れば脚質と枠からファイナルフォームとガルボに魅力を感じる。
ガルボは寒くなる時期の好走例もあり、ファイナルフォームは鞍上がルメールというのも心強い。
とにかくレース開始までに馬場がどのような状態で推移するかで着順が変わるようなメンバー構成。真ん中までの枠から先行する馬に有利になるのは間違いないが内目の方に追い込み馬が多いという皮肉なことになっている。
休み明けのマイルを1分32秒5で走破したファイナルフォームだけにGT馬とも差のないレースが出来るだろうしやや重馬場での好走例もある。
どうしても1頭に絞らないとならないならファイナルフォームの複勝になるかな。









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2012年11月14日

雑感−29

「世界は数字で成り立っている」

世界には有能な物理学者が多くいるが、「世界・宇宙は実体はなく数学的法則が機能するだけである。」 と言い切る学者もいる。

私は、このブログを通じていつも語っているが基本的には人間社会も他の動物と同じで 『弱肉強食』 の世界だと考えている。
しかしそれでは無秩序でカオス(混沌)な状態が続くだけなので、人類は国家や法律や慣習などを活用して住み易い環境を作る努力を行ってきた。
そして数え切れないほどの同類の命の犠牲を経て民主主義と資本主義が 「よりましな体制」 として人類共通のものになりつつある。

ただしこれで人類の幸福が約束されたわけではない。
遠くない将来に 『水』 を巡る争いが起きるのは必至である。
中国が日本国内の水源地の土地を買い漁っているのもそれを見越してのことに違いない。

民主的な世の中では 『自由・義務・権利』 の三つの要素がほぼ同時進行で諸問題にかかわってくる。
ところが、それは綺麗事でもありその前に 『経済』 の持つ圧倒的影響力が世界を覆う。

そんなお金の価値を表すのはまさに 『数字』
人間の寿命も数字で表せるし一日も数字で表すし食事時間や睡眠時間や労働時間もほぼ毎日一定である。
冒頭で述べた学者の見解の根拠は 「宇宙の仕組みを維持する法則における僅かな計算値が狂うだけで宇宙はあっけなく消滅する」 だ。
人間もその中の存在なので何らかの規則性や法則性に基づいて存在していることを否定出来ない。

「いやそうでない。恋愛を数字で表せるのか?」 と反論する者もいるだろう。
しかしそれも性欲の量を数的に表せば必要恋愛量も示せるかもしれないし、恋愛を男女の距離感を縮める過程と考えればその距離感を数字に表せるかもしれない。
ただ 「好き」 との言葉で表すのではなく、一週間のうちに何日会いたくてあった日に何時間一緒にいたくてどの位の予算でデートをしてどの位まで個体の距離を近づけてどの位の交際期間をめどに一緒に暮らすことを考えどの程度の収入が確保出来ればどれだけの期間一緒に生活出来るか…
などなどの要素は、世の中に溢れる抽象的で感傷的な歌の歌詞に隠された具体的で数量的な現実に思う。
勿論、お互いがどれ位の年齢でどれ位の身長でどれ位の体重で右目と左目の距離はどれ位で…
などなども数字が関係している。


と、ここまで書いたが見ている方は 「こいつ頭逝ってるわ」 とお思いかもしれない。
それでもたまたま資本主義社会の世の中に産み落とされた個体である以上、一生数字のことなど考えないとの姿勢ではとても対応出来ない。
日曜日に トランス脂肪酸の毒性について語るテレビの出演者がいたが、パン祭りで有名な〇〇〇〇パンは昔から添加物を躊躇(ちゅうちょ)なく入れることが知られている。
その他安価なマーガリンも添加物でバターの代用になっており、蟻でさえマーガリンに寄り付かないとの話もある(蟻がマーガリンを食品と認識しない)。

私達は、〇〇〇〇パンにマーガリンをつけて美味い美味いと言って日々食べているが、もしそれが節約の一環と考えての消費行動であるならば、寿命の節約との皮肉な結果にもなりかねない。
お金を残すことが目的なのか長生きすることが目的なのかも深く考えるわけでもなく、収入が低いから安いものを選択するという理由だけならば単に買わされているに過ぎない。
やはり冒頭で述べた、民主的な世の中で与えられた自由や権利を行使するにも経済的裏付けがなければスーパーに行っての選択の自由もない。


日々、年齢という数字と向き合い、収入という数字と向き合い、無駄に使ったお金の量や時間の量と向き合い、努力不足だった膨大な過去の時間と向き合い、過去に犯した選択の失敗の数や大きさと向き合い、体のサイズと向き合い、髪の毛の量と向き合い、皺の本数と向き合い、仕事の量と向き合い、家族や友人の数と向き合い、私達は生きている。

何もかも捨てて恋に走ったとしても次の日から現実は迫る。
逃げることが出来ないならばそれらの数字(スケール)と向き合うしかない。
ギャンブルなどまさに数字以外価値はない。


規則正しい法則の中に存在する世界・宇宙の中に存在する我々はその力学から逃れることは出来ない。


某ドーナツショップのCMで 「この笑顔100円」 と言っているが、我々はどんなものにどんな価値を感じどんな笑顔を見せるのだろうか。
笑顔だけは物理的法則からすり抜けた特別なものであって欲しいと思うのは私だけだろうか。








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2012年11月10日

賭け続ける男(破)第59話

長男が突然変異のように就活の意欲を持ち出したため戸惑い気味のテツのようだが、
本人は相変わらずマイペースのよう…


マサ‥あと少しで今年も終わりですね。テツさんもさすがに少しは成長したんですよね?

テツ‥それがなぁ〜 長男の成長が急すぎて俺はちょっと引き気味状態や。

マサ‥それは喜ばしいことじゃないですか。

テツ‥まぁそうやけどな。次男が色々あったことに対して長男が 「俺が一発意見したらなあかんかな」 とか言うとるんや。
今までなら弟の方が兄に対して 「世の中なめとるんとちゃうか」 とか言うてたのに変われば変わるもんやな。
長男が就活に熱心になりだしてるのも含めて急にそんな風になったんは何かがあったんやろな。

マサ‥それならテツさんも今までのようにチャラチャラしてないで父親としてどっしりしないとだめじゃないですか。

テツ‥それはそうやけど俺は俺やしな。俺の中で恐らくこれからも生涯ナンバー1作品になる映画が 『竜二』 になると思うけど、
やっぱり俺はその映画の主演の金子正次の台詞ひとつひとつに共感してしまう。
前の嫁も言うてたけど、俺のことが好きになり始めた一つの要素は俺が自信過剰と思える位に自信満々やったところらしい。
別れた後に俺が弱気になってた時も向こうが 「あの時の自信満々で輝いてきた姿に戻って欲しい」 と言われて「ハッ」としたのを覚えてる。
いつの間にか男としての輝きを失ってたんやろな。

マサ‥わかりました。それで今テツさんはやたら鍛えたりして男を意識してるんですね。

テツ‥そんな心境の俺やけど気になる男がいるんや。

マサ‥えっ?誰ですか?

テツ‥ミルコ・デムーロや。

マサ‥そっちかよ!

テツ‥天皇賞を制覇した後の騎士ののような振る舞い。そしてその後の抑制的で紳士的なインタビューの受け答え。
異国の男ながら惚れ惚れしたわ。
その男が騎乗する今日の京都メインのファンタジーSの13番サウンドリアーナに期待する。
牡馬との混合戦で揉まれてきた経験がここで生きそうやし沈むようなフォームも素晴らしい。
マイルを経験したことで1400m戦で末脚が鈍ることはまずないやろ。
ローテーション的にも問題ないし牝馬だけに強い追い切りは必要ない。
プリンセスジャックあたりが強敵やろうけどサウンドリアーナの複勝が1.6倍以上つけば狙ってみたいと思う。

マサ
‥結局テツさんの生活パターンは変わりそうにないですが、息子さんが遊びにきた時位は美味しい手料理でも作ってあげて下さいよ。

テツ‥マサ、ありがとうな。 馬で言うと8歳馬位の俺やけど何とか現役を続けてローカル競馬のGV位はまだまだ狙えると思ってるんや。
お言葉を返すようやけど手料理の方は好きな女に作る方が早いかもな。
それと年末年始の一回マサとも飲みに行きたいんで、どっちか儲けた方がおごるという約束でどうや。

マサ‥えっ?? それって結局俺におごれってことですか?

テツ‥なんでやねん! そんなことデムーロに聞いてくれ!

マサ‥アカン。やっぱり人間はそう簡単には変わらんよな。


何となくだがテツが変わるきっかけは息子達もしくは好きな女になりそうだ。
どちらの影響が強いかはこの数ヶ月でわかるかもしれない。
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2012年11月09日

雑感−28

どうなるかは運次第。
どうするかは自分次第。
誰に何と言われようと自分の道を進む。


最近目にした言葉や最近考えたことで頭に残しておきたいことをまとめると上記となる。

前記事では迷惑を掛けるか掛けないかが人格判断の基準になるとは語ったが、身体に障害を抱える者などは迷惑を掛けたくて掛けているのではないので迷惑との言葉だけで説明出来るわけでもない。

歴史的に見て国民・民衆に迷惑を掛けなかった指導者が居たのだろうかとも考えてみたがなかなか思いあたらない。
チベットのダライラマ14世がかなりそれに近いかなと思って知人にその想いをぶつけたところ、
「チベットは歴史的に見てもかなり酷いと言ってもよいほど農奴制度が固定され続けてきた国なんですよ」
「中国は建前としてはチベットの農奴解放を主張して進出してきたのだから当時のチベットでは農奴の解放が歓迎された側面があるんですよ」
「ダライラマは自主的にそんな酷い制度を変えようとしてはいないでしょ」 と反論を受けた。

そうなのか。と思って少し調べて見るとどうやらダライラマ13世の時代に中国との軋轢(あつれき)が生じたようなので14世の時代には既に大勢がが決していたのかもしれない。
ただ、そうであっても現14世はチベットの歴史も踏まえて中国共産党を批判しなければならないとは思う。
このように、世界を見る場合は一面的には見ずに極力客観的な視点を持ち観察するべきとの教訓になった。

資本主義と社会主義の関係だって一見資本主義の圧勝に映るが、本来資本主義制度の中では過剰な社会保障は必要がなく、自己責任の原則を貫くならば生活保護制度など必要のないものだろう。
しかしそれでは国内の治安が保てないため懐柔する意味で社会主義の良いところをお金で買い取ったと見るのが正しい見方に思う。
確かにソ連を始めとする社会主義陣営は風前の灯火だが資本主義体制側に社会保障制度を売り渡したと考えればユートピアを目指した理念自体が意味のないことだったとまでは言い切れない。

社会主義(共産体制)とは性善説を根本思想として人間の叡智に期待したものだった。
現在地球上でそのユーとピア(国民全てが公平で平等で倫理感を失わないことを前提とした自由な社会)を具現化しようとして孤軍奮闘頑張り続けているのはキューバだが、
アメリカ合衆国政府は貿易を通じてキューバを兵糧攻めにし続けている。
これは一種の虐めに近いものがあるし世界中をアメリカ型資本主義社会に染めたい願望の表れでもあるだろう。
そして違った形で社会主義社会を作り上げたのが日本。
健康保険制度は世界の中では優れたシステムだし現平和憲法は国連憲章に優るとも劣らない位誇るべき内容だ。
国民が銃を持つ自由が決して平和に繋がらないことを知っている日本国民は賢いと思う。
私はこのブログで時には自国の批判をするが、 『敗北を抱きしめて』 という名著が示すように太平洋戦争に負けたことを教訓に平和な社会を作るのだとの意思を持ちつつ努力を続ける自国の人々を誇りにも思っているのも事実。

自虐史観に対する批判を持って国内で揉め事を繰り返すのではなく、自己責任の論理が普通に共有され言行一致が原則となる風潮になれば日本は品格を持つ国となり経済面だけでなく世界からも尊敬されるだろう。

また、これからの世の中を生きて行くのに大切なのは 『リソース(resource)』 だと考える。
リソースとは私的に解釈すると、何らかの目的を達成するために必要な資源・供給源・要素・資金などであり、要素の中には動機・やる気・内的エネルギー・哲学・世界観なども含まれると考える。

自分自身の中に蓄えられていないものを取り出すのは物理的に無理だし空回りするだけ。
裏付けのある自信を武器に進むしかない。

そう、どうするかは自分次第なのだ。
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2012年11月06日

雑感−27

押井守氏や宮台真司氏が立て続けに、ネットを利用して他者に非難中傷を浴びせる者に対して意見しているようだが何故か上から目線に感じて仕方がない。
押井氏は、(ドワンゴの会長が語る最下層の人間がネットにぶら下がっているとの話を引用)日本は収入が低い層の人もネット空間を利用する環境なのでそのような弊害も生まれ易いとの考えに共感しているようだが、そうであれば収入の高い人達の問題点も指摘して欲しいもの。

例えば政党助成金などは明らかに憲法違反だろう。
憲法第19条の思想及び良心の自由の侵害になるし第21条の結社の自由も侵害する。
自由な思想・信条を持ち、国家から独立して自由に政党を結成した団体に対しその政党も支持しないし共感もしていない一般の国民が等しくその政党の運営資金を負担するのはおかしい。
共産党はこの点を強く指摘して政党助成金の受け取りを拒否し続けているが、マスコミが共産党の主張を大々的に取り上げた記憶はない。
国民も大多数が共産党以外の政党に投票するわけであり、遠回しにこの状況を是認していることになる。

冒頭で私があえて個人名を挙げたのは、彼らがこういった憲法にかかわることを発言してきたのかとの点。そして同じく憲法第14条についてどう考えているのだろうかとの疑問があるからだ。

憲法第14条は

1.すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地(門地とは家柄や血統を意味すると考えられている)により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

2.華族その他の貴族の制度は、これを認めない。

3.栄誉、勲章そのた栄典の授与は、いかなる特権も伴わない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。


以上となっている。


収入の低い者は上記の社会的身分との表現の範ちゅうに入ると考えるが、収入の低い者は日常においてストレスが溜まり易いため攻撃性を持ち易いはずだとのステレオタイプ的な話は、バカは金が稼げないと話を置き換えてもよい話なので全く的外れと言うわけでもないが、高度資本主義社会においては資本家と労働者の壁が厚く、その壁を打ち破るためには相当な努力を要する。
しかし皮肉なことに収入の低い家庭に育った子供ほど努力に欠ける傾向がある可能性が高い。

結局、それでは私も押井氏と宮台氏と同意見になってしまうがそうではなく、私は人格や人間性を収入の高低と切り離して考えるべきだとの立場だ。
収入が低くても政党助成金はおかしいと声を上げる人間の方がずっと真っ当ではないかと思う。
そしてピラミッド型のようなイメージで国民を当てはめるのも私は嫌悪感がある。
確かに尼崎の殺人事件の容疑者などを見るとレッテルを貼りたくなるのは理解出来るが、絵に描いたような権力者にも相当酷い奴がいる。

個人的には、自由が約束された社会なのだから稼いだお金は自由に使って良いと思う。
しかし、20万円の収入の内、15万円をパチンコに使ってしまったのでは家賃も払えなくなる。
となると、家主に迷惑を掛けるわけなのでそれはただ 『我が侭』 なだけになる。

冒頭の話にしても、収入の低い者がネットを利用することに問題はないが他者に迷惑を掛けることが問題に思う。
知名度の高い有識者はそこまで踏み込んで発言して欲しいと願う。

何故私がここまで絡むかと言えば、それは正規社員と非正規社員の扱いのあまりの違いに納得していない点にもある。
政府や企業や国民がこのような状況を是認し続けることに私は憤りを感じる。
底辺の人間がネット空間で暴れることを問題とするのでなく、底辺層が生まれ難い社会を実現させるために努力することこそが俗に言う 『インテリ層』 の役割ではないんですか?

このままではますます非正規社員の割合が高くなるだろう。少なくとも仕事の中身に応じた賃金体系に改めるべきだし政府(役人含む)・企業は改善に向けて努力するべきだろう。
前のエントリーで、経団連が法人税40%は高いと言っているが大企業は実際にはそれほどの負担はしていないと書いた。
実際にキャノンで約16%程度。大手銀行に至ってはほぼ0%(公的融資を受けたことなどによる)だ。
近年に派遣法の改正はあったが、正規社員の割合が大きく増したとの話は聞かない。
何故そうなるかと言うと、経営者側が労働組合に対し解雇権の緩和を要求すると必ずその要求を蹴られるからでもある。
つまり労働者側が自分で自分の足を引っ張っている側面があるし公務員組合や大企業の組合の幹部が現状の正規従業員の保護を優先しているからだろう。

20代や30代の非正規社員の今後のためにも、ある程度の解雇権緩和とセットに努力出来る立場の大人達は状況改善に取り組んで欲しい。

追記=私が以前のエントリーで、日本の繁栄を考えると大企業が世界の市場で勝つことと書いたことと矛盾するようだが、国策に近い形で世界に通用する企業をバックアップした方がよいとの考えなので全ての大企業を優遇した方がよいとのことではない。


繰り返すが、どんな立場であれ個人として成すべきことは、自由を謳歌しつつも結果として他者や社会に迷惑を及ぼすことのないよう日々心掛けるべきだ。



最後に、一票の格差も第14条に反していると判決が確定しているのだからさっさと仕事して下さいね。国会議員の皆さん。


お詫び=押井守氏のことが学氏となっていたため訂正してお詫びします。押尾と押井でとごっちゃになっていました。
内容についても押井氏が別の人の話を引用していた部分が抜けていたので一部変更しました。





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2012年11月04日

雑感−26

連休もあっと言う間に終わろうとしている。
二日も休んでCSの番組でJUJUの歌が連発されているのを目にすると恋愛話のひとつもしてみたくなるのでオッサンの恋愛話が 『♪UZA♪』 の方は今日のエントリーはスルーして下さい(汗)。

浅田真央さんがグランプリファイナルシリーズの中国大会で優勝したが、今までのように難易度の高いジャンプに比重を置くのでなく全体の構成で勝負する方向にシフトしたように見えた。
フィギュアスケートは元々芸術性が高く評価されるべきであり回転少女的なところにスポットを当てていると14〜16才位が全盛期になってしまうのは当然のこと。
浅田真央さんは一時期競技を続けようかどうか迷ったと思うが、安藤選手がほぼ不在なだけに浅田選手の現役続行は喜ばしいことだし更に進化した演技を見るのが楽しみだ。

噂では安藤選手のスランプ(精神的?)の原因は前コーチの男性との関係にあると言われているが、もし本当に前コーチとの公私に渡る関係の消滅により精神が不安定になっているならそれは 『依存』 と人間の密接な関係が色濃く出ているような気もするので、彼女にはつらいだろうけど自分自身と向き合い孤独と折れ合いをつけて欲しいと願う。
逆に浅田選手はこれから恋愛もするだろうけどお前のことが何よりも大事だと言ってくれてその想いをずっと持ち続けてくれるような男性と出会って欲しい。


引越しにより長男の自宅が私の自宅から自転車で気軽に通える距離でなくなって約1ヶ月と少し。
引越し荷物の手伝いで一度だけ会ったがそれ以外は私の自宅に誰一人訪問があるわけでもなくずっと一人の生活である。
私は昔から友人と一緒に出歩くタイプではないので(仕事終わりに行動することはあった)いまだに休みの日に誰かとどこかへ行くこともない。
それだけに余計に私は妻と子供に依存してきたのかもしれない。
独身になってから約3年になるが(私は印鑑を捺しただけなので元妻が一人で行った届出提出日を正確に覚えてはいないが役所から自宅に届いた用紙の日付が3年前の11月)3年前の離婚成立日にブログ仲間のご夫妻に寄り添ってもらったことだけははっきり覚えている。

当日は大阪梅田の夜の街を目的もなくぼーっと歩いていた。
そしてこのまま歩き続けていたらろくなことがないと思いそのご夫妻に連絡をとり、来ても構わないとのことでお伺いした。
前にも書いたと思うが、ご夫妻は私の悲しみと涙をだまって朝まで受け止めてくれたので本当に救われた。けん♂さん、けい♀さん。 あの時のことは感謝します。 
他人の離婚直後のそれもオッサンが汚い涙を流すそばで嫌な顔もせず居続けることが出来る方などそういないと思う。

そして3年。
結論から言えば起きた事態そのものは吹っ切ることが出来たが寂しさ自体はやはり無くならない。
現在進行形で好きな女性もいるが年齢はかなり下であり、独身であるその女性にふさわしい男性は私よりずっと年下の男性だろう。
とは言え、その女性の邪魔になるまでは相手してくれれば幸せでもあるし生活の張りにもなる。
これが私が妻子持ちならまた別だが中途半端な時期に中途半端に独身になってしまったものだから相手の都合の許す限り一緒に時を過ごしたいとの気持ちをどんな形にすれば良いかに戸惑う。
余談だがその女性が、空気を読めない女性に対してSKY(スーパーに空気が読めない)と表現したのにはウケた。SKY48がデビューしないことを祈ろう(笑)。


先日、中井貴一と小泉今日子主演のドラマ 『最後から二番目の恋』 のスペシャルを観た。
連続ドラマとしてやっている時にかかさず観ていたので今回も楽しめた。
中井貴一は50才の役で妻とは死別の役。 今回のスペシャルでは、 「この歳だからこそ女性とそういう関係になることを大切にしたいんです」 との台詞があった。
私もこの3年はチェリー状態なのでドキっ!とした台詞だったがかなり共感度は高かった。
周囲の男からは 「さっさと彼女を作れよ!」 と言われるが特定の女性とお付き合いすることがこれほどハードルの高いものとは…

3年があっと言う間なのか長かったのかはわからないが、時なんて所詮過ぎた過去はあっと言う間であり未知の未来は手探りで前に進むものなのだろう。
安藤美姫さんは有名人なので彼女の苦悩は身近に感じるが、普段外を歩いている時に行き交う人が苦悩を持っていたとしても気がつくはずもなく一見悩みがないように見える。
でも、30〜40才位で一度も結婚していない人はそれなりの葛藤もあるだろうし私のように恋愛に一歩踏み出せない人もいるだろう。
それはやはり安藤選手のような結末があることを深層心理の中に感じているからでもあるはず。
好きになればなるほど相手を失った時のダメージは大きい。
大恋愛の末にその恋が結婚までに至らず、尚かつ相手のことを嫌いで別れていないケースなどはなかなか次に進めないしその大恋愛以上の恋に巡りあうことは難しいだろう。

そんな一度も結婚していない人に比べれば私が寂しいなどのたまう資格はないのだが、人を好きになり切ない気持ち(去って行かれる不安)になることは人間らしくなれる瞬間でもある。
異性を追い掛けなくても楽しいことは山ほどあるとの意見に対して否定はしないが、私の未熟な経験を踏まえると女性を追い掛ける以上に充実感を得られることなどそう多くない。
私の経験上では、事業の立ち上げ時にそれに近い達成感はあったが次の日からはそれが日常になるので苦しみの比重も高くなる。
その点、好きな異性と居る毎日なら一緒に食べる食事のたびに喜びを味わえる。
そんな異性と巡り合えることだけでもラッキーなのだが更にお付き合い出来るとなればこれほどの幸せはない。
一度結婚した私がその環境を失った上での見解なので少しは説得力があるのでは?
今お付き合いしている人が居たり結婚されている方はどうぞ相手の方を大事にして下さい。
人間はモノではないので失ってしまうと代わりはそう現れません。
今日あった何気ない出来事をだまって聞いてくれる人が存在する有難さは他には代えられないものです。

これも私が今まで生きてきた中で思うことですが、私を大きく変えてくれた存在は女性。
自分自身より大事なものがあると思える瞬間があるなら私にとってそれは女性だろう。
もしこれから特定の女性と仲良くなれるなら常に声を掛けスキンシップも大切にしたいと思っている。
その関係性も依存関係ではなく、互いが刺激し合い尊敬し合い励まし合うことで、日々に張りややりがいや生きがいが生まれるのが理想。

そして最後から二番目の恋でなく最後の恋だと相手に言えたら最高だ。
posted by tetsukazu at 22:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月03日

雑感−25

米国の格付け会社でシャープやパナソニックの評価が大きく下がって来た。

企業に浮き沈みがあるのは当然だが、パナソニックは5年前に手持ち資金が2兆円と言われていたのに5年間で大変な事態となっている。
円高が企業業績低下の主要因と言われてはいるが、私の見方は違う。
経団連などは日本の法人税が高いと繰り返し主張しているが、租税特別措置の恩恵を受けるため課税対象額そのものが抑えられるので大企業の実際の税負担は軽い。
都合の悪いことがあるとしか思えない位、大マスコミも政府もそのことについては一切触れない。
みんなの党などは消費税アップの前にすることがあるはずと主張しているがこのあたりのからくりを熟知しているからこその意見だろう。

日本の大企業(主に製造業)は中国など人件費や土地代の安価なところの生産が中心なのだから本来であれば韓国企業などに価格競争で大負けするのはおかしい。
しかしこの点はやはり円高の影響もあり外国企業のホワイトカラーのドル換算年収と日本企業のホワイトカラーのドル換算年収では差があり過ぎる。
因みにパナソニックの従業員は約33万人で平均給与は年800万円。ドル換算では約10万ドルになる。
米国では平均給与を出した統計が少なく推測するしかないが、調べた限りのデータでは例えばシアトルでの男性の年収は約4万ドルとなっている。
い1ドル(米ドル)80円で換算すると約320万円。
大企業以外の会社も含めての日本人男性の平均年収は約500万円。ドル換算では約6万ドル強。

やはり企業体トータルとしての経費が日本企業に重くのしかかっていそうだ。
パナソニックにしても7000億円の巨額赤字が発生しているのだから年間10万ドルもの給料を支払っている場合ではない。

と、ここまでが今日の話の前置きであり、本題はここからになる。
以前のエントリーで物事には主要なこととそうでないことがあると主張したが、定期的に自戒を込めないと意識から外れるので久々に語ってみる。

最近のヨーロッパの退潮は加速度的と言ってよい位急激なものだが、私にはその理由がなんとなくわかる。
つまり人間という生き物は、基本的に 『どうやって食べて行くか』 が主要命題でありその他のことは刺身で言えば、大根の[けん]や わさびのようなもの。
それなのにヨーロッパの多くの国は、 『文化・芸術・ジョーク』 などに力を注ぎがちに見える。
勿論、マグロのぶつ切りをいきなり目の前に出されても美しくも何ともなく刺身には 『つま』 や盛り付ける器も重要なのだが肝心のマグロがしょぼくては話にならない。

宗教的にも戒律の厳しいカトリックの影響が強い国は商売がへたに映る。
フランスなどはカトリックの影響が強く、イギリスは俗に言う英国国教会でありカトリックとプロテスタントの両方の良いとこ取りみたいな側面がある。
ドイツはプロテスタントのルター派の影響が強く、スイスも経済的にはドイツと密接な関係にあるし宗教もカトリック教徒とプロテスタント教徒の数が拮抗している。
同じキリスト教と言っても最早カトリックとプロテスタントは異教徒と言えるだろう。
北欧諸国も商売上手だが、ルター派教会はオランダ・デンマーク・スウェーデン・ノルウェーなどにも発展していった。

イタリアはローマにバチカンがあるのでカトリックの本場とも言えるが、イタリア人自体は快楽主義的なところがあり、『信仰心が厚い快楽主義者』 のイメージ。
お金儲けを是認しているプロテスタントの影響が強いドイツ人が堅物のイメージなのも面白い。

どちらにしても世界中が資本主義社会に染まっていった今、個人も企業も国家も生き残るのが主要命題。
残念ながら経済的な都合や目的の中では 『倫理・道徳』 は先程述べた刺身のつまに過ぎない。
それどころか 「恋愛で飯が喰えるかよ!」 との捨て台詞も間違っていないと言うしかない。

とは言え、社会の中で生きて行くためには体裁(ていさい)や建前だけは保たないとならない。
若くて綺麗な女性がお金持ちに近付くとして心の中では 「一生楽して暮らすわよ」 と思っていても表面上は 「あなた無しでは生きて行けないの」 と言うべきである。
男の場合はやはり脳を極限まで使い脳内のネットワークの網を細かく張り巡らせて少々網が破れても代わりの経路が生きているような状態にしておく必要がある。
そして実際に頭を使っているのかどうかは鏡を見れば一瞬で答えは出るだろう。

さて、現在の国内の状況だが日本の国はポーカーで言えば手の内にフラッシュかストレート程度の手は揃っている。
それを無理してストレートフラッシュにしたいためにカード入れ替えようとしたが(自民党⇒民主党)ソフトバンクなど一部の企業を除きこの3年で大企業中心に株価は暴落した。
さて次の選挙で国民はどんな手にしたいのだろうか?
橋下氏が主張するように手の内の5枚のカードを全て取り替えロイヤルストレートフラッシュでも狙うと言うのだろうか。

本題と言っても結局は経済の重要性を語っただけだが、フランスの経済学者であり思想家でもあるジャック・アタリ氏(菅直人前首相が在任当時に書店で彼の著書である=国際債務危機=を購入したとの報道がなされた)が述べていることも、
マルクスが言ってきたことの用語を変えただけで、哲学と経済と政治が軸となり国家や組織はより良く運営されると分析したに過ぎない。
哲学的素養や政治的センスがなければ経済力も生まれないわけであり、個人においてもそれは言える。
特に政治的センスについては説明がし難いが 『まとめる力(総合する力)・バランス力(攻守の軽重や物事の優先度の見極め)・先見性・責任力・交渉力・分析力・人間性・人間力などを備えること』 により豊かな生活を生むことにつながる。
結局、富は意識し過ぎて追いかけ過ぎると逃げるような気がする。
ひたむきに真っ直ぐ物事に取り組むことの連続により少しばかりのご褒美を貰えるのではないだろうか。



土曜日の競馬はあえて狙うなら京都メインの京洛ステークスだが、ツルマルレオンをデムーロに任せ6番のハクサンムーンに騎乗する小牧騎手には逆らえないように思う。
母父サクラバクシンオーの血に加え、京都内回り芝1200mのBコース使用初日であり枠も3枠6番で偶数番の後入れという先行馬にとっては願ってもない好条件。
2枠4番のツルマルレオンと5枠9番のサドンストームも人気するだろうから複勝で130円つけば狙う価値はあるしツルマルレオンもしくはサドンストームとのワイド1点狙いも考えられる。
ツルマルレオンとハクサンムーンとサドンストームの単勝3点買いの合成オッズが投資金額の1.3倍以上になるようならハクサンムーンの複勝1点より賢い選択かもしれない。

投資額の1.3倍という少しばかりのご褒美を貰えるだけの努力をしたと言えるのなら結果はついてくるだろう。


追記
おいおい!! トシキャンディ!!!
逃げ争いはええけどテンのスピードで負けた時点でちょっとは引けよ。
陣営の指示もあったのは理解出来るが、あれでは人気馬を潰しただけの競馬。
ハクサンムーンを交わしきったならまだしも騎乗馬は4角で既に脚がない始末。
麻雀でもよくあることだが、3万5千点前後で競い合う2人がいる場合、ラス目で5千点の奴は余程の好手が入らない限り場を汚すことはしない。
麻雀は4人でやるゲーム。そこはやはり暗黙の紳士協定があってもおかしくない。
大リーグでも大差がついた終盤で勝っているチームが盗塁しても記録にならない。
例えが悪かったかもしれないがトシキャンディはあそこまで人気馬に喧嘩を売った以上馬券圏内に入るべきだと思う。
結論から言うと私はハクサンムーンの馬券は買わなかった(展開に危惧を感じたことと人気3頭の単勝3点買いの合成オッズが1.15倍程度にしかならなかったため)。
ただ、もし当ブログの見解を少しでも参考にされた方にはお詫びします。
それだけに意見を言う資格はあると思う。 喧嘩を売ることに文句があるのではなく共倒れになったことで国分恭介騎手に勝負への美学を感じなかったから。

今日は、auひかりのTVサービスでミュージックON!TVのカラオケランキングベスト50を視聴していたが、6位がStory、5位がキセキ、4位がハナミズキ、3位がヘビーローテーション、2位が栄光の架け橋、1位が女々しくて(ゴールデンボンバー)だった。

そうか、確かに1位の曲は盛り上がりそうやもんな。
個人的にはStory ( AI )の 「自分だけのStory作りながら生きてくの だからずっと ずっと あきらめないで…」 の 「ずっと ずっと↑」 のメロディーラインに痺れる。
6位、5位、4位、2位の4曲についてはどれも奥深い世界観(恋愛観)を感じるので幅広い層に支持されるのは理解出来る。
今日の深夜1時30分〜3時30分はスペースシャワーTVプラスでSKE48の2時間スペシャルを視聴する予定(オッサンいくつやねん!とのツッコミはご遠慮下さい=笑)。 


完全に引越した長男からメールがきて、東西のメインの勝ち馬を両方1点で的中させたとの内容だったのでネタ交じりで、「金貸してくれ」 と返したら 「千円位なら…」 と返ってきた。
さすが我が子。金銭感覚が優れている。ふたりの息子には100円の大切さを繰り返し伝えてきた。
20才を過ぎたふたり共が健全な金銭感覚を持っていることにホッとする。
因みに長男は秋の天皇賞でダークシャドウの複勝300円とトーセンジョーダンの単勝100円とカレンブラックヒルの単勝100円を買っていたようだ。
GTを500円で楽しんでくれていることを知り少し心が和んだ。
そして少なくとも私はひとりで生きているわけでないことも実感した。

先日から嬉しそうに語っている 『100万回生きたねこ』 大阪公演のチケットが2枚届いた。
公演があるシアターBRAVAは1100席強の劇場なのだが、横に40席位並んでいて2階席は1階席の中央あたりにかぶる程度にせり出していて舞台上から2階席最後部までの平行距離が26mほどしかないらしい。
とれたチケットは縦列だと1階席の中央付近になるがそれでもかなり臨場感がある中で観ることが出来そうである。
一緒に行く女性にも伝えたが楽しみにしてくれている。
私にしてみれば行く頃にその女性が心変わりしないことを祈るばかりだが、こんな心境になるのもある意味悪いことでもないかもね。


明日はずっと続けているボランティア清掃を行う日だが、年配の女性(女性版ライオンズクラブの方)から一緒に活動していいかしら?と声を掛けてもらえた。
前回の清掃時はやはり年配の男性(身体的に障害をかかえている方)に新たにお手伝いしていただいたのでこうして毎回ひとりでも協力者が増えることは私にとっての喜び。
別にこちらからお願いしているわけではないが自発的に協力してくれる方が存在することを実感することで世の中まだまだ捨てたものでないということに気がつく。
12月は餅つきの行事もありそろそろ忙しくなってきそうだ。
私自身が、人の温かさに触れることこそが何よりも幸せなことだということに気づいた時、自己満足に終始する日々も終わるのだろう…
posted by tetsukazu at 03:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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