
さて、私の誕生月もあと数日で終わる。
何とかかんとか毎年最低ひとりからはお祝いの言葉をもらえているのでまた一年存在を忘れられないよう生きなければ…
激動の日になった24日を終え、今日はその事態の収束に向け大きく動いた。
私達は大きな犠牲を払い前に進んで行くことになるが諦めない限り未来に光は差すだろう。
今日、テレビを観ていると[最近よく観てるかも(笑)]辺見マリ、水沢アキ、西川峰子⇒(現在漢字が違う)の三人が出演し対談していた。
それを目にしての感想は 「えっ?なんで?どこ褒めたらええの?」
それぞれ全盛時はそれなりの容姿だったのだがここまで変わるとちょっと引く…
偏見かもしれないが私の持論は 「内面全体の最も外側にあるのが容姿」 なので彼女らの内面が透けて見えるようで悲しくなる。
私が目指す 「無駄に格好良い一般人」 とは対極と言ってよい 「何故か格好良くない有名人」 になってしまう。
生きる者全てが一日一日の積み重ねの上に現在を迎えている。
今現在どんな容姿で生きてどんな行動をしてどんな発言をしてどんな表情をしてどんな感情を持つかはそれまでの生き様の集大成である。
20才の時に撮ったスナップ写真、30才の時に撮った免許証の証明写真、40才の時に撮った社員証の顔写真。
自分自身の容姿の移り変わりを見て 「良い顔になったな」 と感じるか 「えらい劣化したな」 と感じるのか。
勿論、加齢による微妙な衰えは隠しきれないが、生き様や心掛け次第では他者から 「昔より魅力的になったね」 と言われる場合もあるだろう。
体形の維持などは努力の差でかなり個人差がつくだろうし肌質なども心掛け次第で維持可能に思える。
顔そのものだって苦虫を噛み潰したような顔ばかり続けていると長年かけてそれがその人の顔になってしまうだろう。
ボートレーサーに今村豊という選手がいる。
このブログでも記事にしたが、2010年のSGモーターボート記念は49才での優勝だった。
彼は冬場にスキーでのトレーニングを取り入れ、体幹やバランス感覚を強化するなど日々の鍛錬を怠らない。
スタート後の1マークでの全速ターンの先駆者でありながらいまだに第一線で活躍している稀な選手。
彼の信条は、毎レース毎レース感謝の気持ちを持ち走るということ。
確かに戦いの場であるので他者を倒していかないと勝利には近付かないのだが 「抜かせてくれてありがとう」 との気持ちで走っていると公言している。
そこには本当に戦うべき対象が自分自身であると自覚しているからであり、ひとり抜いてホッとすることで生じる 『隙』 を排除しようとしているのだろう。
一日をどう生きるか?
そんなことは自分自身で考えるしかない。もっと言えば一日は考える暇もなく過ぎて行く。
つまり考えなくても賢明な選択が出来るように心身を仕上げておく必要がある。
人間誰しも 『魔が差す』 こともあるし 『気を抜く』 ことだってある。
それでも 『自己責任』 で片付けられるのが大人の社会。
人間にとって一番尊いことは 「責任を負いそれを全うすること」 これは武士道精神にも通じる。
そして最も負うべき責任は自分自身の人生になる。
自信を持ち自分の人生に対する責任は全うしていると言えるだろうか?
もしそう言い切れないのならこれから始まる私の新たな一年に退屈な瞬間はない。