2012年07月30日

雑感−7

夕日−2


日本が太平洋戦争突入直前に 『総力戦研究所』 という機関を持っていたのは猪瀬直樹氏等の著書でも知られることだが、そこでの研究による日米戦争の予測の的確さは今更ながら驚く。
「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に日本の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」 という日本必敗の結論。

その結論は、近衛文麿首相や東條英機陸相らに報告されたが、机上の論理と指摘され日米開戦の道へと突き進んだ。

このエピソードを思い起こすだけでも日本人に合理的判断は下せないとの通説に疑問符が付く。
合理的でないのではなく、同調圧力や多数決による決議を避ける空気、そして声の大きい者の論理に流されてしまう個々人の意志や自己主張の弱さなどに見られる組織のあり方に問題があるように思う。
私は、日本人が本質的に持つ合理性や客観性が社会システムに生かされれば再生は可能だと思う。


先日、長男に対して、学生時代はどんなことが大事なんだろうか?と聞いてみた。
私は、学業も大事だが恋愛も同レベルで重要なことじゃないかなと意見を述べた。

すると長男は、「俺は一番は掃除、次に人間関係を学ぶことだと思う」 
社会に出て、当時に掃除を真面目にやっていたことが生かされていると強く感じるらしい。
放課後、先生もいない中で手を抜くのは簡単だがそんな中、こつこつとやっている者もいる。
単に勉強が出来る者は多いだろうが、無駄口も叩かず黙々と掃除をこなしていた奴はきっと社会に出てその精神が役立っていることだろう。

勿論、その話を聞いた私が翌日に身の回りをピカピカにしたのは言うまでもない。


社会学者の宮台真司氏が東日本大震災後の対談の中で、今の日本に決定的に欠けているものは何だと思われますか?との質問に対して、
「足りないのは心の習慣でしょうね」 と答えた。
そして欠けているものを補うためには危機感を持つことだと。
しかし実際は自己中心性が強い大人があまりにも多いため、自分の仕事や生活、そして家族を自分で守るという意識を持つ者が少ない。
これからは政府・企業に全面依存出来なくなる。更に経済面のことを起点に家族間の絆さえどうなるか不透明だ。

どのような心の習慣をつけるか。それは学生時代の掃除の時間に既に始まっていたことなのかもしれない。





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2012年07月28日

雑感−6

伴 杏里

今、サウナから更新しています。
オリンピックをテレビルームでゆっくり観る予定です。

今日は知り合いの女性からお昼でもどうですか?と誘われたのでランチをしました。
去年の誕生日にマグカップを貰ったお礼をまだしていなかったのでちょうどよかったです。
年齢が同じこともあり2〜3年に一度ほどご一緒するのですが社長夫人なので毎回何を注文するかドキドキです。

ランチが終わった後は、通常運行で競馬・ボートレースとハシゴをして今に至るです。

それにしても女性は 『直感』 に忠実で疑うことをしないんですよね。

直感との言葉を用いる時、私は主に [直感も・直感が・直感は] の3つの表現を使います。
このブログのメインタイトルも 『結果が大事』 であり、 [結果も・結果が・結果は] の内どの表現をするかで結果との言葉に対する考え方も異なって来ます。

今日の競馬で言えば、1レース目に8000円勝ち、2レース目で10000円負け、3レース目で20000円負け、4レース目で28000円勝ち、5レース目で6000円勝ちました。
流れ的には3レース目で負けた時点で4レース目に勝つ展開は自分でも分析し難いことでしたが、恐らくその瞬間に至るまでの時間の過ごし方や気持ちの保持の仕方から繋がったことのように思えます。

やはり私は現時点で、 「直感は大事」  との見解をとりたいですね。
同じように、 「結果は大事」 となります。
そして、 「自信は大事・愛は大事・優しさは大事・強さは大事……」 と大事なことばかりです。
結局のところ、 『物事はバランス大事』 なんでしょうね。

最近、、マイブームである吉田拓郎の 『流星』 の歌詞の中に {君の欲しいものは何ですか} とあり、複数の女性にマイクを向けると、 「私の欲しいものはお金ですとかダイヤですとか家ですとか服です」 と答えた女性がほとんど。
たった一人だけ 「愛です」 と答えた女性がいて、思わず抱きしめそうになりました。

何となくは思っていたことですが、女性の物欲の強さには驚くばかりです。

当然、オリンピックに参加する選手は、 「金メダルです」 と答えるのでしょうね。


物事が上手く運ぶのも運ばないのも紙一重に思います。
でもその紙一重は、偶然の産物ではなく日々の積み重ねに思います。
そして 『自信』 を持つことはかなり重要に思います。
ひょっとすると、 「自信大事」 なのかもしれないですね。


*写真は私の好きな伴杏里さんです。


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2012年07月23日

価値の話だぜぇ〜。

クッキー

一発タイトル気味のエントリーだぜぇ〜。

恐らく半年後には後悔しそうなタイトルだが、反省はしても後悔はしないのがモットーなので勢いでつけてみた。

使用価値だの交換価値だの言われ出したのは 『資本論』 が出版された頃からなので150年ほどしか経っていないが、日本人の大人の何%位が理解しているのだろう。

再三マルクスを持ち出す私も精通しているとはとても言えないので、池上彰の100分の1スケール程度で語って見るぜぇ〜(しつこい)


相変わらず周囲には未婚の30代が多い。
40代までいけば私も見方が変わるのだがやはり一度も結婚していない30代の男女については感じることも多い。
まして一度は結婚して現在は独身の私も彼ら彼女らと遠い存在ではない。
むしろ今後の可能性との視点で言えば限りない開きがある。

さて、価値の話を始めないわけにはいかないが極力わかりやすく話を展開したい。
もし(いや多分そうかも)誰もこのエントリーに興味がない場合は100%自分向けだったと納得しよう。

例えばリンゴとリンゴを交換しようと思いますか?
(高級リンゴと安売りスーパーのリンゴを交換することも出来るとの前提はなしで)
やはり交換するならリンゴ一個とみかん二個を交換するとの話になりますよね。

では、同じ様な性格の同じ様な顔の大して仲も良くない同性と丸一日過ごそうと思いますか?
これもやはり自分には無い要素を持つ異性となら過ごす気になりますよね。

それでは少し踏み込んで、女性は生ものと思いますか? *男目線限定
はい、そうですよね。やっぱり生ものですよね(異論は少しなら認めます)。
魚だって新鮮な魚は身もプリプリで眼も死んでないですよね(願わくば女性訪問者がゼロであって欲しいです)。

勿論、腐ったミカンとピカピカのリンゴを交換なんてしないですよね(異論は受け付けません⇒キリッ)。

というわけで、80点の男が付き合える女は80点もしくはそれ未満の点数の女ですよね(最早、世界中から賛同の声が…)。

とにかく相手が欲しがるもの(要素)を持っていないことには交換など求められないですよね。
つまり普段から自分の魅力を高める努力を怠らないようにしないと自分自身の恋愛市場での価値はどんどん低下して店頭にも並ばなくなりやがて廃棄処分に…

「僕はもてないんですよ」 と嘆く男は本当にもてないのだろうか?
そうです。本当にもてないんです。

同じもてなくても街に出て100人の女に声を掛け、その内にひとりが誘いに応じたとするとそのナンパ男の意気込みに関しては評価が出来る。
3日後位には家でじっとしている男と変わらない日常となるだろうが、やはりいつの世も男から女にアプローチするのがマナーだろう。

一体、何故自称もてない男はホントにもてないのか?
そう、やはり自信が無いのだろう。
女が求める要素を持ち合わせていない男は武器を持たずに戦場に行くようなもので瞬殺されるのがオチ。

少しだけ女性目線で語ると、そうは言っても打席に立って球を待っても一球も飛んで来ない場合と、球が飛んで来てもことごとく見逃す場合を一緒にして欲しくはないとの主張は理解出来る。

だが、それなら球が飛んで来そうなところに行くしかない。
生ものは日々鮮度を失う。ボーッとしていると一年などあっと言う間。

自分自身が水分を吸収しないほど乾燥して平たくなっている状態のスポンジだと自覚するなら、柔軟剤でも使用して何とか柔らかさを保つしかない。

本当に魅力がある存在なら全身からオーラも出るだろうし買い物に出掛けるだけでも振り向かれるだろう。

AKB48のメンバーの中で上位数名は上から目線でファンを見てはいないだろう。
自分自身の価値を理解している者が評価されるのは当然。
夢を売る存在である内は、お金を出すフアン>AKB48のメンバーなのだ。
AKB48のメンバーが仕事を離れひとりの女性になった時、どんな男性から交際を申し込まれるかで生身の彼女らの価値もわかるだろう(あくまで私見です)。

資本主義社会である以上、人間に価値が発生するのは避けられない。
己の価値を高めるために何をすればよいかは自分自身で考えるしかない。
一番確かな方法は仕事を精一杯やりお金の管理や健康管理をしっかりとすること。
もし高い評価を得ているなと実感した場合は自分で自分の価値を落すような行動は慎むべき。
自分自身を高めるためだからこそ他者の視点(視線)を無視するべきでない。


*写真は2月にマフラーをくれた女性に貰った手作りクッキーだぜぇ〜



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雑感−5

アシ夢

今日も自分語りのエントリーです。
早いもので独り身になってから3年近く経った。

もう一度恋愛のスタートラインに立つことになるとは予定外の出来事なのだが、この間はこのまま一生を過ごすのも味気がないので恋愛に関する感覚を取り戻そうと四苦八苦して来た。
それでも今年に入り徐々に自信のようなものも甦り思い出の一つや二つは残せそうな状況ではある。

独り身になるのがあと10年早ければ再婚も考えただろうが、一流芸能人でもない私が流石に今から結婚を前提にお付き合いして下さいとは言い難い。
そうなると 「結婚を前提にしないお付き合いをお願いします」 になるが、そんな失礼なことを言うつもりもないので結局は 「何にもしないから食事でもご一緒にどうですか?」 のような誘い方になるのかな〜   う〜ん 今風に言えば 「めんどくせぇ〜」 

まーでも実際にこの2年以上の間に知り合った20代〜40代の女性に対しては 「君には女として幸せを掴んで欲しいんで、それらしき話が持ち上がれば俺は一瞬にしてワープするぜ(迷)」 と言って来た。
当然そんなわけのわからないことを言う男の相手を本気でするはずもなく大概は 「自分から距離を離してどうするのよ」 とダメだしを喰らうことに…

そんなこんなで自分自身の20代の時の恋愛感覚と今の感覚の違いに再三愕然とするばかり。
そこで一念発起。遠慮はせず相手が結婚を決める当日までは例えライバルが何人いようが一人の好きな(一人がポイント)女性を追いかけるのも間違いではないのでは?と思うことにしようとし始めている。

ただここで問題になるのは果たして恋愛がそんなに素晴らしいもので優先するものなのだろうかということ。
実際、好きな女性がいる状態でもギャンブルもするし好きな女性がいないところへも行ったりするしエッチな媒体と仲良くしたりもする(あっ?)。

まーそんなことを言っていても実際に女性から男として扱われないと一人相撲になるだけ。
そこは嬉しいことに知人の男から 「カッコいいですね」 と言ってもらえたり、やはり知り合いの女性から 「立ち姿が雰囲気ありますね」 と言われたりで自信を持てそうな環境が整いつつある。

この2年以上の間に特定の女性と10時間以上連続して過ごしたことはないが6時間程度ならないこともない。
一緒にボウリングをした時に、ベストスコアが120程度の女性のスコアが私と一緒の時には140オーバーした時など単純過ぎる想いで恥ずかしいがその女性が過去に一緒に行ったであろう数々の男達に勝った気分になった(流石に教えている方の私がスコアは上だったが)。
その日別れた後のメールで 「今日は全てが楽しかったです」 とか言われてしまいこっちはどれだけ前のめりになったことか。
でも冷静に考えてみると15才〜20才も離れている相手。会って話をしている時の内容も 「一緒に遊ぶことで自分にとって何か身に付くことがあるかもと思いこの場に来たんです」 的なものだったので、そこから話をどんどん発展させるようなことは博打中心の人生の私には中々困難なこと。
頻繁にメールを打ったり誘うのもどうなんだろうと思っているうちに2〜3ヶ月が経ちそのうち二回目の機会を設けることもなく終わるような展開もあったりなかったり。

私だけかもしれないがいくつになってもほのかな恋心は切ない。
だからこそ結婚していても切ない思いになること極力避けて来たし元妻への嫉妬心も抑制して来た。
だが結局そんなことも意味を成さず、切ない思い自体と無縁な状況を招く結果となった。
20代〜30代の女性に結婚を前提にしないお付き合いをお願いするのも失礼だし、40代の女性に対して割り切ったお付き合いをしましょうと声を掛けるのも生々し過ぎる。
いかに私が恋愛初心者であるかをわかってもらえたかとは思うがそれでも一度は結婚出来たのだから今後何度かは思い出の一つ位作りたい。


今日は特殊な仕事に関わったのだが、色んなことに気付いて恋愛ではない別の切なさを感じた。
年配に女性の腕の逞しさにまず切なくなり(どう考えても俺より筋肉量はないはずなのに太さが1.5倍増し)、やはり年配の男性が私に頼りきりなのを目にしてまた切なくなり、私以外の人同士の会話のチグハグさに切なくなり、スポーツにプロとアマがあるように人間自体にもレベルの差があるのかな〜との思いが湧き出て切なさはピークに。

そんな時、例えばスポーツに人生を賭ける者なら 「こんなちまちましたところで一喜一憂するのでなく世界を相手に戦うぞ!」 となるのだろう。

こんなことを言うのは日本一恥ずかしい男かもしれないが、今日現在の鏡に映る自分自身の顔を見て 「ようやくこのレベルの顔と体になれた」 と妄想出来るようになった。
所詮人間なんて勘違いでも自信を持った者勝ちならその点はクリアしてそうだ。
筋トレを中心としたトレーニングも2年半程度続いているのでそろそろ負荷を増したトレーニングに移ろうと考えている。
そうであれば肉体レベルは更にアップするはずなので(特に体幹部分)真剣に生きることによる顔を含めた佇まい(たたずまい)が伴えばひょっとすると3年ぶり〇〇回目のお楽しみも期待出来るかも。

モチベーションを高めるにはオリンピックが開催されるこの時期は絶好の機会。
取り急ぎ国内の同年齢の中では秀でた佇まいを持つ男になれれば最高だ。


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2012年07月18日

世界を動かすもの。

12年以上の付き合いのあるK君(このブログにも登場済み)が現在勤める会社の存続にかかわる問題と直面して退職の決断をした。
養うべき家族がいる中での重い決断だったとは思うが、私が何の力にもなれていないことが心苦しい。

K君は私の私生活を知る人間の中でこのブログをやっていることを知る2人の内のひとりだ。
匿名でやっているブログのせいもあり、ブログを通じて知り合った方々を除けば元妻や息子も訪問しないブログ。
何故そこまで口外しないかについては私の考え方や生き方も反映しているが極力自由に発言したいからでもある。

そんな中、K君は熱心に訪問を続けてくれており私にとって更新する意欲を後押ししてくれる存在。
間違いなく心が真っ白な奴だろうし今回の件も人間関係のドロドロした渦中に顔を突っ込みたくなかったのだろう。

この前の情熱大陸はIT系企業の猪子氏の回だったが、永遠の小四と自分を評していた。
K君は納得しないだろうが、私とK君も永遠の中二と言えるかもしれない。
以前から何回も主張しているように、男は11〜12才位までは母親に支配され14〜15才位からは他人の異性の影響を強く受けて生きて行くことになる。
精神的に本当に自由になれるのは12才〜14才の間の中での2年間程度しかない(個人により前後あり)。
その時期に何を想いどんなことに興味を持ちどう行動したかで、その後の人生に決定的な影響を及ぼす気がする。

私とK君は精神的自由を重視することに共通点があると勝手に解釈させてもらう(K君間違っていたら突っ込みを入れて下さい)。

とにかく今は将来について白紙のようだが、落ち着いたら一度話をする機会を持ちたいと思う。


さて、大津市の中学生自殺問題の波紋が広がりを見せている。
日頃はライトな発言をするタレントの中川翔子さんまでが、ブログの記事で意見表明をした。
加害生徒に対しては 「遊びだったというなら同じ目にあってみろといいたい」 と踏み込んだ発言をしている(実際にブログを訪問して確認した)。
彼女もイジメをされた側の経験があるらしいので沈黙を保つことが出来なかったのだろう。

人間の歴史を辿れば、魔女狩りやユダヤ人弾圧やキリスト教布教に於いての踏み絵等々理不尽とも言える行為を繰り返して来た。
そのような問題と今回のようなイジメの問題を同列には扱えないが、被害生徒にとっては理不尽以外の何ものでもなかったはず。
そしてその後の加害生徒及びその親族に対する過剰気味のプライバシー暴露については別の意味で問題が生じている。

人権を含む様々な権利やそれらに伴う義務、そして法律上許容される自由については広範に渡り語られるが、今回のような例に当てはめると、[虐める権利・虐めを止める義務・通学の義務・通報の義務・生存権・言論と行為の自由・傍観の自由・自己保身の本能・他の動物と比較しての成長の遅さ] などのキーワードが私の脳裏に浮かぶ。

他の動物なら13〜14才なら立派な成獣だが人間はまだまだ成長過程。
そんな未熟な状態の中、20〜40人程度の生徒がひとつの教室に送り込まれる。
13〜14才の者がもし 「人を恨まず罪を恨む」 との達観した境地に達していたとしても被害側にとって心身に負う傷が軽減されるわけでない。


前回のエントリーの絆をキーワードにすると、母親が我が子を虐待し死に至らしめるケースがある中、他人同士が同席する場でどんな理想を掲げるかについて答えを見出すのは困難。
親子の絆も結べないのに他人同士の絆を結ぼうなどと呼びかけるのもどこか空々しく聞こえる。


ここからは私なりの仮説を持って話を進めるしかないのだが、社会や世界を動かす 『力学』 をポイントに考えるのもそのひとつ。
そしてその力学の中でも 『運』 の持つ要素の大きさは計り知れない。
自身の身に起こる全ての出来事を 『運』 で片付けることさえ不自然では無い気さえする。

次なる力学については難しいが 『努力』 との要素もかなり大きなものだろう。

あとは 『センス』 と 『スケール』 かな。
センスとは訳せば、『五感』になるが、 転じて美的感覚や感性のことを指す場合が一般的。
私の独断で 『直感』 を加えて 『六感』 のことをセンスとしたい。
つまり直感も含めた感性。

絆との言葉を使う場合にある一定のレベルで感性が共通する他者とは 『絆』 を結べる可能性も高まるだろう(個人・集団問わず)。


ざっくり言えば、運が良ければ災難に遭わないし努力やセンスやスケールも伴えば万全。
スケールの中には当然経済的な側面も含まれる(豊かな国に生まれ豊かな家庭で育つなど)。
個人の不断の努力により有形無形のスケール(人格・人脈なども含める)を得ることもあるだろう。



人生におけるあらゆる要素(国家的運命・経済的生活・仕事・恋愛等々)を [運・努力・センス・スケール]  の4要素だけで説明出来ないこともないとすることを私のひとつの仮説として今回のエントリーは終えたい。
とにかく社会や世界を動かす大きな力学の前で個人として可能なかかわりは限定される。
努力をしたりセンスを磨くことで運さえも味方に出来るならば少なくとも自分自身そして自分自身を取り巻く周囲に好影響を及ぼすに違いない。


最後に 『経験値』 との要素も大きいとは考えるが、この要素は年齢ハンデがありすぎるので今回の仮説からは省く(補うとすれば人並み外れた読書欲で先人達の経験を学ぶこと)。




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2012年07月11日

絆って何やろ。

アシ夢

最近一番感銘を受けた言葉が次のもの。

「感じる不幸を嘆くより、確認できる幸せに感謝の気持ちを添えるべき」

過去の歌の歌詞でももうひとつ。

「ここにあなたがいないのが寂しいのじゃなくて ここにあなたがいないと思うことが寂しい」

後者の方はマイブログのサブタイトルとも関連するので今更だが、含蓄がある。


男女の絆って何?

結婚した男女は法律上では絆を結んだ関係と呼べるはずだが、中には自らその絆を切る者もいる。

まして恋人までの関係でしかなければ明日お付き合いを解消したって何の違反にもあたらないしモラルを破ることでもないかもしれない。
あるとすれば相手の感情を尊重しないことになる可能性位。それは感情の問題であり個人差もある。


最近、ボランティア仲間が集団を離脱した。

私とは古くからの飲み仲間であり良き先輩でありある意味師匠的存在。

理由は色々あるとは思うが、笛吹けど踊らず的な想いがあり自爆に近い印象。

誰よりも奉仕精神があり、見返りなど求めないはずの人間だったが最後は力尽きたのかもしれない。

私が不在の中での離脱宣言だったのだが、強く引き止めたのはひとりだけだったと聞く。

人間の集団が長く円滑にやって行くのは難しい。

私達のボランティア精神の向かう先の大きな柱は未来を背負う子供達に対して大人が汗をかく姿を見せること。

離脱した先輩がその気持ちを失ったと思いたくはないが、子供達はこの冬も来年の夏も楽しみにしてくれているはずだとの強い気持ちは彼と共に持ち続けたかった。

つい最近も5歳の子供が親による虐待により命を落とした。

彼女は、「あなたがいないと思うことが寂しい」 との気持ちになっていくのだろうか。

結局、母親が子供よりお付き合いする男性を優先することによる悲しい結末に映ってしまうが、そんな女性ばかりだとは思いたくない。

お付き合いする男性より遥かに強い絆を子供と結べるかもしれなかったのにあまりにも切ない。

単にそばにいるからだけで絆が生まれるわけではなく、どこかに存在してくれていると思える気持ちが絆を結ぶことだってあるだろう。

物理的にはひとりでも気持ちが繋がる人間同士が同じ空を見て同じ空気を吸って地に咲く花を互いに美しいと感じ共に共通する唄を口ずさむなら深い孤独や絶望とは無縁でいられるはず。

絶望は死に至る病であると言ったのはキルケゴールだが、絆を自らの手で断ち切らない限り常に希望の光は差してくることだろう。


昨日、行きつけのショットバーのマスターと偶然遭遇しその時彼から 「格好いいですね」 と声を掛けられた。

その言葉だけであと10年は格好よくいられそうだ(^_^)v


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2012年07月09日

雑感−4

アシ夢

昨日の夜に放送された『情熱大陸』は、あのメガヒット映画『テルマエ・ロマエ』の作者である ヤマザキマリさんの回だった。

6ヶ国語を読めるということを知った時点で尊敬してしまうが生き様もまたダイナミック。
若い時にイタリアに渡りそこで知り合った自称詩人(間違っていたらスイマセン)の男性と10年間暮らし、男の子も生まれた。
そして現在は14歳年下のやはりイタリア人男性(本人は45歳)と暮らしており子供も17歳となっている。

彼女は言う。「子供に伝えたいことはひとつ。人生はとてもエキサイティングなものだと私を見て感じてくれればいい」


素晴らしい!!


哲学の系譜の中では三段論法を使って説明することがあるが、
差し詰め彼女の考え方をそれに当てはめると、
「人間が生きて行くということは楽しく素晴らしい。そして私は人間である。よって私の人生は輝き続ける」 となりそう。

ただし、三段論法は前提の正しさに依拠するものなので人生が楽しく素晴らしいものでないならばこの三段論法は誤った結論を導くことになる。

「全てのカラスは黒い。しかし目の前にいる鳥は白い。よって目の前の鳥はカラスでない」
これも三段論法。例え白いカラスが存在していたとしてもカラスを黒いものとして考える方が楽に生きられる気がする。

きっとヤマザキマリさんも人生が楽しいとする前提に疑いを持たないことが賢明な姿勢だと無意識に思っているのだろう。
ありきたりの言葉で表現すればポジティブ思考になるのだが、パスカルがかつて指摘した次のアンチテーゼに対するひとつの答えでもある。 [幾何学的精神だけでは人間の生活に適応しない…つまり秩序正しい推論の継続による合理的認識に頼るには動かぬ真理といえる原理があまりにも曖昧なままだ』 つまり以降の表現は私の言葉も加え説明。


昨日から今日にかけて長男が将来展望を私に語ってきた。
半年前の時点では3年後に商売を始める(協力者と共同出資…400万〜500万程度)と言っていたので私もそれなりに協力しようと考えていたのだが、長男には共同出資者を頼り過ぎると計画が狂う場合もあるので極力自力で資金を貯めろと言ってきた。
その影響なのかどうか昨日から今日にかけては自己資金で3年後をめどにやりたいと相談してきた。
私は、それならこれからの2年間は立地調査や日別・季節別通行量調査を一緒にやろうと伝えた。
私も20代の時に一旦独立しているので息子には何とか成功に導いてやりたい。

で、会話の最後に 「俺の人生はエキサイティングに見えるか?」 と聞いてみた。
そうすると 「離婚も含めある意味めちゃエキサイティングやろ」 と言われた。
そして 「お母さんと生活している時よりある意味楽しそうに見えるで。だってスーパーで半額引きのおかずを買ってきて俺に嬉しそうに話す姿なんて昔は見たことなかったもん。」

そらそーかもな。息子にとっては今の方が人間らしく映るのかもな。


息子達には、 「やっぱり人生は素晴らしいし楽しいもんやで」 と単純に言い続けたい。



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2012年07月08日

雑感−3

アシ夢

しかし時代はあっと言う間に変化したよな。

インターネットが世界中に浸透して以来、基本的に隠し事が通用しなくなっている。
滋賀県の中学2年生の自殺問題にしても関係者の個人情報がどんどん出てくるしフジテレビのテレビ番組での加害者側生徒の個人情報黒塗り画像が処理され内容が識別されネット上に流されたなどの事態を考えると何が善で何が悪なのか混沌としているとの印象を受ける。

では、今の時代に必要なスキルとは?

このブログでは再三語っているが、まず大事なのは家の中を安全に通行し外に出てもケガなく歩き過ごすこと。
次に、食べるべき量はしっかり食べ、寝るべき時間はしっかりと眠り、出すものはしっかり出す。
そして仕事をして生活費を稼ぐ。

簡単では無いが難しくもない。とにかくそんな淡々とした毎日からしか何も始まらない。

パンダに子供が生まれたようだが、母親のシンシンは突然育児をしなくなったようだ。
飼育担当者によると、元々動物の母親は自分の生活を中心にするので時に子育てを意識しなくなることがあり極普通の出来事だそう。
人間の母親が同じような行為に及べば大バッシングに合いそう。
人間も基本は自分の利益に繋がることを中心に考えるのが重要な気がする。

私は今まで綺麗事として、恋愛においては互いが互いの幸せを望むことが理想の形と言ってきた。
その思いは変わらないのだがそれ以前に相手の気持ちや都合ばかり考えていては一歩も前に進めないようにも思えてきた。

例えば一週間後にデートの約束をしたとして、その一週間の間には予期せぬ出来事もあるだろう。
あんなにも楽しみにしていたデートのためにとっておいたお金を別のことに使ってしまった場合(ん?俺のことか?)、自分をろくでもない男として落ち込む。
そんな時、こんな男のことを相手は本当に気にいってくれるのかと心配しても仕方がない。
そこは何事もなかったように相手の前に現れればよい。

昨日の七夕祭りの打ち上げでは例により私が酒の肴の中心になってしまった。
俗に言うバツイチの私は突っ込み相手として適当なのだろう。
珍しく参加者の娘さん(ブログに登場する私のカラオケ仲間の母娘の娘)が打ち上げの場に参加したためいつになくお父さん連中がにやけることになった。
29才の彼女はコンパニオンのようにお酒を注いで回り、注がれるおじさん達も嬉しさを隠せない様子だった(えっ?お前が一番喜んでたやろ。ですか?)。

その29才の娘さん曰く、「〇〇さんが私を見る目はいやらしくないんだけど△△さんの私を見る目はそうでないのよ」
△の正体はご想像にお任せします(笑)。
えらいもので、私はこの集まりでは10数年ピエロ的な役割を演じてきたつもりだったが、世間の人達は想像以上に純粋なため、ちゃらいイメージが定着してしまった。
そうは言ってもちゃらい面が全くないのにそんな役回りは出来ないので完全否定はしないがそろそろ軌道修正をしないとただのエロいおっさんになってしまう。
正直に言うと私にだって選ぶ権利はあるはずだが世間の女性はアンタに選ぶ権利はないと思うらしい。

私の妄想になるが、波長の合う女性と毎日デートが出来ればその他の楽しみなんていらないはずだが、私の経験上、波長の合う女性と出会うこと自体が10年に一度レベル。
そしてその女性と親密になれる確率を考えると30年に一度レベル。

えっ?ちょ待てよ。 一生に2回しかチャンスが無いやん。
そのうちのワンチャンを逃したのだから私にはもうワンチャンしかないのか?
そこはプラス思考で考えて、波長の合う女性と出会うことを5年に一度とし親密になれる確率を10年に一度程度に短縮して希望を持つことにする。
確率論から言ってもそろそろ私の前にそんな女性が現れて不思議でない(というか既に現れているかも)。

私が浮気症だとすればその理由は、ひとりの人に絞って振られてしまうと傷付いてしまうから。
ギャンブルなんかでも事前予想と違う買い目で買うのは信用し心中する気がないから。

本当に自分がしたいことや自分が欲しいものは何なのかはっきりした方が良い気がする。

この前行きつけのお店で唄った 吉田拓郎の 『流星』 の最後のフレーズのところが、僕の欲しかったものは何ですか? なのだが、
私はそこを 僕の欲しかったものは 『♪男らしさ♪』 と言いかえて唄った。

『男らしく』 なれたかどうかは今年中には報告出来るかもです。
少し前にブログで宣言したように 人生の間に一度でも一定期間において 気になる女性>ギャンブルその他でありたい(結婚生活の全部がそうであったなら今の状態にはなっていない)。

今年始めに放送された小泉今日子と中井喜一主演の 『最後から二番目の恋』 という連続ドラマを最後まで観たが、常に最後から二番目の恋と思えば勇気を持って相手に飛び込めるかも…(ホンマに俺のエントリーか?)

私は昔から 「お前は何がしたいんや」 と言われ続けてきた。
東証一部上場企業に勤めていた頃は、外食部門の部署でどんな肩書きが欲しいんだと創業者社長に言われ、「わからないんです」 と言ったら、とりあえず係長でいいだろうと言われ翌月には名刺を貰った。
その社長からは、「お前は〇〇組の構成メンバーだから自覚しろよ…〇〇は社長の名前」
銀行系から役員が送り込まれた際も私は社長を守るために頑張った。
連日のように上野の夜を一緒に過ごしたのだが、「お前は色で言ったら真っ白だ。真っ白な奴は真っ白な故に足を引っ張られる。俺を近くで見て学べるところは学べ」 と言われた。

その〇〇組のメンバーの一部を紹介すると、
1年間休みは一日もなく、顔が土色になり私と社長室に呼ばれた席上で社長にお前顔色悪いんと違うか?と言われ、やってられるかよと捨て台詞を残し社長室を出て行った若頭(いやいや例えればですよ)。
その姿を見て私に笑いながら 「あいつ何であんなに切れているのだ」 と言った天然の親分(だから例えればです)。

仕事は8時半〜17時のはずなのに、社員全員が帰ってからが仕事だと言って午後8時頃から集中しだして12時過ぎまで働く設計室の子分(繰り返しますが例えです)。

そして、職場が神田(本社ビル)なのに電車が走らなくなる深夜まで仕事をして連日タクシーで鎌ヶ谷まで帰る私(強制でないので3回に2回は自腹)。
土曜日と日曜日はビルが閉まっているので警備の人に事情を話して毎週のように土日も仕事をした私。
そんな行動を知っていたのは社長とあとは社長に極近い1〜2名の人間だけ。

たった数人で立ち上げた会社から東証一部上場企業まで登り詰めた社長を見て勉強になる部分が多くあった。
社長が心配していた通り、銀行系の役員が送り込む年棒契約の超エリート軍団と全面衝突してしまった(最初の刺客との戦いには勝ったが最後は数の力に屈した)私だが、それでも社長は最後まで私をかばい、震災後に妻の親族のいる関西に帰りたいとの希望もかなえてくれ暖簾分けのような形で関西に職場も用意してくれた。

元妻からは数年前に、当時もっと上手く立ち回っていれば今頃役員にはなってただろうにと言われたが、関西に帰ってきてからも嫁子供を喰わせるだけの仕事はして来たので後悔はしていない。



ただ、もし今親分(訂正、社長)に 「お前は何がしたいの?」 と言われたらはっきりと答える準備はしていたい。
真っ白な自分を貫いてきたことに後悔はない(自分で真っ白と言う奴もきしょいが)。


どうしても答えないといけない時は、「ひとりの女を愛し続けたいです」 と言えれば最高だ。


結局、昔も今もひとりの異性を愛し続けることが出来ることこそ必要なスキルに思う。


自分語りのため5割引き位で読んで下さい。




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賭け続ける男(破)第56話

アシ夢



恒例の七夕祭りのお世話係を無事に終えたテツの心境は?


テツ‥今年も無事に終わったな。大人の女にはイマイチ支持されない俺も子供からは圧倒的な支持を受けるので年々大人の女が魔物に見えてくるわ。
今年はビンゴゲームの進行役(ガラポンを回して数字を読み上げる)もやったので俺の役割も増すばかり。
で、終わった後に打ち上げが延々続きいつものようにカラオケのお誘いがあるのだと決め付けてたら何故か今年は解散になったんで拍子抜け。
結局、ひとりカラオケに行くはめに…
離婚直後に行って以来人生2度目のひとりカラオケやけど寂しささえ紛れれば人目なんてどーでもええ。

と、気合は入れたけどUGAの精密採点で何回唄っても75点位しか出ないんでテンションは下がる一方。
最後のチャンスと 『離したくはない』 を唄ったら感情表現が98のSと出てようやく元気を取り戻した。
その勢いで尾崎の 『I LOVE YOU』 を唄ったら感情表現96のSと出て満足のまま店を後にした。
財布の中身が乏しくなったんでコンビニでお金を下ろそうとしたら今は土曜の夜から日曜の朝までは下ろされへんことに気が付き飲みに行くのは断念して自宅に帰った。
帰ってラジオをつけるとオードリーが喋っていて、若林の話に聞き入ってしまった。
読書好きな俺には若林に共感を持ってたんで、「そーやそーや」 と一言一言に納得した。
若林が言うには、売れる前と売れた後では明らかに周囲の目が違ってきた(特に女)と。
今でも若林はブランド物とか 「クソ」 と思っているが仕事上はそんなこと言ってると支障があるんでそこは空気を読むらしい。

そんなこんなで昨日から今日にかけて感じたのは、たったひとりでいいから理解し合える人間がいれば人は幸せなんだろうなということ。
朝起きたら長男が別の部屋で寝てたんで理解し合えているはずの奴を叩き起こして今日の競馬の予想を聞いた。
中京メインのプロキオンステークスの7番シルクフォーチュンの複勝圏は堅いと言うから、「いやいやまだまだお前は甘い。スタート直後が芝の中京1400mダートならファリダットの複勝圏の方が堅いで」 と言ってやった。
長男が、俺はお金の管理が苦手なんやと言うから、そういう奴は金銭感覚のしっかりした女と早く一緒の暮らすべきやでと伝えておいた。
長男に、さっきの話の理解し合える人間がひとりでもいれば幸せになれるんやと言葉を投げたら、「極端に言ったら結婚しなくてもそんな相手は見つかるような気がするけど…」 と言われた。

こうしてこれからも傷をなめ合いながら息子とは付き合って行くんやろな。

中京第11R 9番ファリダットの複勝100ポイント。



結局、テツは寂しさを埋めるために何かと理由をつけているだけかもしれない。
果たしてテツにとって理解し合えるパートナーは死ぬまでに見つかるのだろうか?
posted by tetsukazu at 14:22| Comment(0) | TrackBack(2) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月06日

雑感−2

虹−1

虹−2



「強い人間ほど腰が低く威張らず言葉づかいもきちんとしていて他者に優しい」

この言葉は格闘技の指導者がよく語る内容である。

果たしてこの言葉に説得力があるのかないのか。

本格的な拳銃を発明したのは欧米人だとは思うが(詳しくは調べていない)、
一撃で勝負がつくその攻撃力は日本刀での戦いに比べてわびさびに欠けるのでは?
と一旦思ってはみたものの、よく考えるとかなり昔からある毒矢なども一撃の威力を
秘めていそうなので日本刀と拳銃を比べることにあまり意味がないように思えてくる。

どんな強い人間でも丸腰であれば武器を持つ普通の人間にかなわないケースがほとんどだろう。

最近の私は、「男らしくなりたい、強い人間になりたい」 と繰り返すが何に対してどのように強くありたいのか少しは理解する必要があるだろう。

基本的に防御力を高めることが必要なのは間違えのないところ。
飛び道具を持つ者に狙われないことも重要だ。
飛び道具とは物理的な武器だけでなく、人間関係における敵もその範ちゅうに入る。

最近、10数年来の付き合いのある年配の女性3人と話す機会があった。
簡単に3人と言ってしまったが自分が発言する隙間を見つけるのは相当な運動神経がいる。
旦那の我が侭に苦労しているのは3人の共通点のようで話し出したら止まらない。

Aさんが 「昆布とカツオで出汁ををとり味噌汁を作っているのに旦那にまずいと言われるのでむかつく」 と言えば、
Bさんがすかさず 「味噌汁の出し汁は煮干しだけで十分なのよ」 と言ったかと思えばそのBさんも
「いまだに旦那が医者に行く時は私が一緒に行って私が問診票を書くのよ。それだけならまだしも書き終わったらさっさと帰れと言われるの」 と。

CさんはCさんで、「ぬか漬けの具が2ヶ月も3ヶ月も大根ばかりだと文句を言うから、つぼごと旦那に投げつけてやろうかと思ったわ」 と。

主婦も相当のストレスのようだ。Bさんの旦那はここ10年以上毎日午後5時に夕食を食べるし1分でも遅れたら機嫌が悪くなるそう。
一人でいる時も含め自宅の電話はただの一度も出ないなど、想像を絶する我が侭旦那。

そのくせ3人の旦那全てが奥さんが同窓会に行くと言うと行かせないなど独占欲と嫉妬心のかたまりのようだ。
私はパートナーには一切細かいことを要求しなかったので異世界の出来事のよう。

冒頭の言葉に戻ると3人の女性の旦那はとても強い男達に見えない。

その3人の主婦からは会合の後、今度飲みに行きましょうよと言われた。
どうやら私と話をするのはストレスにならないようだ。
私の女性への防御力はレベル400程度にはなっていそうだと妙に納得した。
とにかく味噌汁話だけで30分以上は続いた…


そんな話の最中に私が、「気の合う女性とデートの計画を立てること以上の幸せなどないと思います」 と言ったら、Cさんから 「私なんてときめきを随分前に卒業していまや男みたいなものよ」 と返された。
Cさんが普通なのか私が単純過ぎるのかどちらなんだろう。
あんなにも博打三昧な私なのに7月4日の午後7時〜7時10分までの10分間の間に出たあまりにも美しい虹に感動して思わず知り合いの女性に 「今虹が出てるよ」 とメールをしたほどロマンチストな自分のことを嫌いでない(笑)。


『疑うより信じていたい。たとえ心の傷は消えなくても…小田和正(たしかなこと)』


強い人間ほど優しくなれると信じていたい…




posted by tetsukazu at 01:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月02日

今日の雑感。

小規模ながら山あり谷ありの毎日だが、大きなことを成し遂げる人もいる。

LPGAツアーで日本の宮里藍さんが優勝した。2位にも宮里美香さんが入り、世界の舞台での日本の女子選手の活躍が目覚しい。

それに比べて日本の男子プロゴルファーは世界の舞台では力が劣る。
その差は一体何なのか?

強い相手を前にしてその雰囲気に呑まれる。
圧倒的なパワーを目の当たりにして自分自身のスイングリズムが狂う。
などなど理由はあるだろうが、一番の理由はミスを引きずり下を向いてしまうことではないだろうか。
これは日本人全体に言えることかもしれないが性格が内向的で陽気さに欠ける点。

勿論、性格を変えればよいというわけではなく実力が伴うことが大前提。
技術力とメンタル力の両方を兼ね備えた選手が世界に出た時、ゴルフにかかわらず日本男子の活躍を見ることが出来るだろう。
そしてそれらの要素は一般人である我々も身に付けるべき要素に思う。


話は少しずれるが、男と女は地頭(じあたま)的にどちらが優れているのだろう?
灘中学や開成中学は男子のみしか入学出来ないが、その理由は12〜13歳位までは圧倒的に女子の方が成績が良く、共学にしてしまうと男子のモチベーションに影響するかららしい。

ただ、思い切って言うと私個人の意見としては20歳を超える頃からの女性が持つ知的好奇心は驚くほど減退するとのイメージ。
個人差はあるだろうが、社会や世界への好奇心から、ファッションや旅行やグルメや異性への好奇心へと見事に変化するように映る。
何も直感で言っているのでもなく、実際に複数の女性に聞いたところ学生時代には年に数冊は一般書を読んでいたが、就職した頃からすっかり読まなくなってきたとの話。
これも私の私感だが、体が本能的に出産に向けての準備に向かうため無駄なことにエネルギーを注がなくなるのでは。

ハイ、これでまた女性の訪問者を減らしてしまった気がするが元々いなさそうなので気にしないことにする。
少しだけフォローをすると、年に一般書を一冊も読まない男は可愛さで異性を和ませることが出来ないのだから同じ様に読まない女性の100分の1の値打ちしかない。
男達、街を捨て書を読もう(笑)。


再度話をずらし、では世界に通用するような男は日本にいるのかなと想像してみたが現実の社会にはなかなか見当たらず、武論尊原作・池上遼一作画の 『HEAT−灼熱−』 の主人公である唐沢辰巳位しか思い付かなかった。
「何言うとるんやオッサン!」との声が聞こえてきそうだが、まー今日の雑感ということで気楽にお付き合い下さい。
喧嘩は強いし男前やし頭は切れるし女にはもてるし根性は座ってるしで、男として生まれたからにはあんな器量を持つ奴にあこがれるが、せめて100分の1スケールでも目指したい。
皆さんは本宮ひろ志系の主人公とどちらに共感しますか?

というわけで私のブログ記事史上最もとりとめのなさそうなエントリーを終えるぜ! ワイルドだろ〜爆弾






posted by tetsukazu at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月01日

賭け続ける男(破)第55話

「男には負けられない戦いがある」 との台詞をよく聞くが今日のテツはそれに近い心境のようだ。


テツ‥ふぅ〜。 金儲けを目的にするならギャンブルを手段にするのがおかしいこと位はさすがの俺でもわかるけど、俺の大きな目的はもうひとつある。
それは自分の能力を確かめることや。
たかがギャンブルやけどされどギャンブル。真剣に取り組まんと何事も結果は出されへんと思う。

今更引き返せるわけではない。フリーターで30歳前後の奴がよく言う台詞は
「俺達は人生を振り返った途端にビルを駆け上がり履物を脱ぐしかない。とにかく前を見て走り続けるしかない」

俺も彼らと同じ様に走り続けるだけや。

今日の函館第5レースの新馬戦。
実質、1番・4番・7番の3頭立て。
その中でもゴールドシップと同じようなローテーションを念頭に置く須貝厩舎の牝馬である7番のダブルファンタジーに期待する。
馬連の 1−7 に150ポイント。4−7に70ポイント。
勝負はこのレースだけの予定やけど、あえてもうひとレース勝負する場合は函館メイン第11レースの巴賞の 2−12 のワイド1点かな。



いつになく早起きして集中力を高めているテツを見るのは久し振りだ。
posted by tetsukazu at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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