2012年06月26日

「普遍的な人生の目的」らしきもの。

アシ夢

いい加減普遍的な価値や目的についてひとつ位はコレだ!と言えないとダメな年齢だとの自覚はある。

人はどんな価値観を持ち日々生きているのだろう?
勿論、一般化出来るような問題ではないので自分自身で想像力を働かすしかない。

好き嫌いが中心なのか、損得なのか、それともやりがいなのか。

人間も動物の一種であることは明白な事実。
当然他の動物の行動論理ともリンクすると考えるのが自然。


そこで私の仮説は、「生産的な行為を通じてしか生きる目的を感じることは出来ない」 とする。
今日の記事は100%私の脳内から出てくる言葉を連ねてのものなので参考文献などに頼る内容にはならない。
従ってどこを切り取っても私的な見解となる。 

生産的な行為とは何も子孫を残すことだけではない。
仕事を通じて生産的行為に関わる場合もあれば人脈作りも一種の生産的行為。
何らかの分野において実力を上げて行くことも生産的行為だとしたい。

では、非生産的行為とは何か?
いつも例に出してしまうが、過去にあった小学校での児童無差別殺傷事件の犯人の行為は間違いなく非生産的行為。
あそこまで極端でなくても他者を傷付けたり自分自身を傷付けたりする行為(心身の両面)は非生産的行為だろう。

もうひとつの非生産的行為としては、手段と目的があいまいな場合。
わかり易いところでは、収入を増やすことを目的とした場合にギャンブルを手段として選択するのは愚かな行為であるし目的を果たすことはノーベル賞を獲る位困難なことである(お前が言うか!との声が聞こえそう)。
客観的に見て明らかに芸能活動に適していない者がその分野を目指すのも生産的活動とは呼び難い。
つまりバカな判断と生産的なこととは相容れない関係。

これもいつも例に出して恐縮だが、あのマルクスは 「人間は自らが実現不可能だと思える目的や目標は持たない」 との仮説を示した。
しかし多くの人間がマルクスの期待を裏切り愚かな行為やバカな選択を繰り返し続けている。


実は今日、26歳前後の知り合いの男と少し会話を重ねた。
彼は私の知人の女性の息子さんなのだが、先日私のところに来て 「離婚届けの見届け人欄に署名をお願いしたいんです」 と依頼してきた。
その後色々とやりとりがあり結局は私以外の人間に頼むこととなった。

そしてその話の直後、彼が今度は就職についての相談に来た。
どうやら自分で飲食店を経営したいらしく、その前に焼き鳥のチェーン店の責任者募集の面接に行こうと考えているとの内容だった。
私が飲食店を経営してきたことを知っているので相談に来たのだが、切々と私の持論を述べた。

彼に対して、「恐らくイメージしている何倍も仕事内容はキツイよ。それをイメージし覚悟出来ないなら簡単に飛び込むべきでない」 と伝えた。
彼はリンゴを英語読みする会社にいたプログラマーだったので結構キツイ仕事はしてきたはずだが飲食業界は大手であれ法令順守を徹底し難い業界なのできつすぎる位の表現で言葉を紡いだ。

で、今日である。
「おう、結局どうするんや?」 と問いかけると 「やっぱりキャリアを生かし外資系の会社に面接に行くことにしました」 との返答。
聞けば私のアドバイスも参考にしてくれたようだ。
離婚が決まったとはいえ、まだ小学校にも行っていない息子さんは小学校に上がるまで元の奥さんの下で生活をし、小学校に上がった時に親権者である彼が育てることになっているとの事情もある。

離婚はするわ子供は居るわ仕事はないわと大変な状況だが、ギャンブルは一切しないようなのでそれはずっと続けろと声を大にして言っておいた(またまた説得力なし)。

微力ではあったかもしれないが、私の辿ってきた人生を詳細に伝えたことで何か感じるものがあったのだろう。
これも小さくはあるが生産的行為のように思える。

偶然は重なるもので、今日は元妻からも連絡があり相談に乗った。
ブログ内でも触れたが、彼女は今精神的な疾患と戦う毎日だ。
生活が苦しいことを語っていたが、その点はちからになれないことはないので私からは別のことで思いを述べた。
彼女は自分のポテンシャルを超える頑張りを続けたためパンクしたのだが、私は 「確かに君に負担が一身にかかってしまい迷惑を掛けたのは事実だけど、別にどこかに縛りつけたり監禁したりして労働を強制したわけではないのだから君がどこかの時点で音をあげることは可能だったんではないかな」 と言葉を投げ掛けた。

それに対して彼女は 「確かに当時の私は使命感ともいえる思いに縛られていたのかもしれない」 と言った。

続けるように私は 「それと、君は理想の自分を常に思い浮かべていると思うけど人間なんてそううまく行くわけではないのであまり理想にとらわれ過ぎるとそのギャップに苦しむことになると思うよ」 と言葉を掛けた。

子供達とのわだかまりや実の母親とのわだかまりも彼女の中では消えていないので日々自責の念があり薬の処方なしでは日常を過ごせていないのだが、夢も希望も淡々とこなす日常の中からしか生まれてはこないはず。
薬に頼らず淡々と日常(買い物をしたり掃除をしたり仕事をしたり)を過ごせるようになればまた新たなスタートラインに立てると信じたい。

彼女は今生産的活動とは少し離れたところにいるので生きる実感ややりがいや人生の目的・目標を持ち難いのは理解出来る。
でも、カラオケで唄うのが一年前より上手くなったと思えるだけでも生産的行為なんだと思う。
何か小さなことでも良いから前を向いて進んで欲しい。

母の日に、次男からの連絡でこっちに帰って来たら4人でカラオケでも行こうやと言われたとの事実を知って以来、私のカラオケ技術はウナギ登り(笑)だ。
今、吉田拓郎の 『流星』 を唄わせたら町内一(ちっちや)かもしれないぜ。ワイルドだろ〜

少し話が脱線して来たが、生産的活動・行為・事項 とは幅広い解釈が可能だ。
ほんの些細なことでも生産的な毎日でありたい。


そして 生産的な行為こそが普遍的な人生の目的に成り得ると考える。




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2012年06月23日

生きている実感。

アシ夢


明日は上半期の競馬の総決算であるGT宝塚記念。
長男が観戦に行くとか行かないとか言っているが今日4000円負けたようでテンションはやや下がり気味のようだ。

人は様々のことに興味を抱き様々な行動を起こす。
私が考えるにその源泉となる要素は、『生きている実感を味わいたい』 ではないだろうか。

リストカットを繰り返す者がよく言う台詞に、「流れ出る血を見ると生きている実感がある」 というのがあるが、
その感情を全く無視してよいものだろうか。
映像の世界では最近のトレンドとして、『仮想現実』 がある。

押井守監督の 『アヴァロン』 『攻殻機動隊』『イノセンス』 そしてマトリックス三部作、『JM』 『13F』 『ダークシティ』 『マイノリティ・リポート』などの歴史を経て、最近ではあのクリストファー・ノーランが 『インセプション』 を撮った(映画にそんなに詳しくはないので2003年〜2009年までの公開作についてはスルーします)。

日本のテレビドラマにおいてもリアルタイムで放送中の 『未来日記』 も仮想現実空間を描いている。

この仮想現実とのテーマは現代におけるインターネットの進化と密接にリンクしているのは間違いない。
何もインターネットに限らず映画の出現やテレビ映像の出現の時点で人々は仮想現実と触れてきている。
そもそも毎日のように夢を見ること自体が一種の仮想空間に自分が存在するわけであり、夢の中でなら無茶してしまうことも多々あるのではないだろうか。

醒めて欲しくない夢もあれば夢であって欲しい現実もある。
夢の中のギャンブルで大勝ちした時は醒めて欲しくないが、現実の世界で大負けした時は思わずほっぺをつまんでしまう(わけないか)。

私の個人的感想はさておき仮想現実を扱う表現者にほぼ共通する認識とは次のようなものだろう(一部ネット上の記述を引用)。


私達が一般的に現実と思っていることは実は 『幻想』 であり、私達の持つ自我が生み出したものに過ぎない。
現実や世界といった3D空間は私達の生まれる前から存在し私達が生まれたその瞬間にその3D空間に放り込まれ、私達が死んでもその空間は残り続けると私達は思っているが、実は自分自身が持つ意識を中心に3D空間が展開されているだけで私達の命が尽きると現実空間は閉じてしまう。

地球上に50億人以上の人間がいれば50億通り以上の現象世界があり、ひとつとして同じ現実空間はない。
勿論、共通認識に基づく空間部分は存在するため人はそれを持って同じ空間に存在すると誤認してしまう。
つまり個人個人が観察し認識したものだけが物質化するだけの話。
近くのコンビニに買い物に行き買い物終了後にその店に背を向けた瞬間に、それはその個人の記憶の中にのみ存在するものであり、その個人の現実世界には存在しないものとなる。
このことは量子力学でも 「人間が観察した時にあらゆるものの存在が確定する」 とされている。
極端に言えば同じものを見ていても見る物によっては違うものに見える場合があるということ。

世界を素晴らしいものと捉える者もいれば世界は醜いものと捉える者もいるだろう。
どんな困難な出来事に直面してもそれを 『幻想』 と捉え、自分自身でもう一度観察し直せば別の景色が見えるかもしれない。


以上が概略。もっと複雑に説明することは可能だろうがそれでは私自身が理解出来なくなる。

私が常にこのブログでも言ってきたように、「あなたを一番愛してる」 との言葉は一見美しい言葉だが、もし好きな異性と結婚して子供が複数生まれたらどう表現するのだろう。
このように一番愛していると思っていたはずの相手は実は永遠の一番ではないのかもしれないし永遠の一番のままかもしれない。
配偶者しか目の前にいなければ一番だし長男しか目の前にいなければ一番だし次女しか目の前にいなければそれも一番なのだろう。


話をタイトルに戻すが、では 『生きている実感』 はどうして得ることが可能なのだろう。
一般的には 『五感』 を通じて感じるものと言えるが、恋した時のときめき感などは五感とも少し違う。
そうするとやはり脳から何らかの物質が出た時に生きている実感を得られるのだろうか。
私個人で言うと 「時が一瞬止まり幸福感が永遠に続くような感覚になった時」 になる。
しかしそれだとひとつ間違えばドラッグ系の作用と似ていないこともない。
私がギャンブルにはまるのもそんな感覚になるからだろう(まさに仮想陶酔感だろうが)。

もう少し話をまとめると、生きている実感とは全ての呪縛から開放された時や、逆にあらゆる重圧の中にいる時に感じる感情なのではないだろうか。気の合う異性と5時間過ごした後に、ほんの数分しか経っていないような感覚になる時は、時間も超越しているだろうしその二人にとって現実世界に互いしか存在しないとの感覚になって不思議でない。
F1レーサーなどもコックピット内では時空間を越えた世界にいるのではないか。
推測だがレース前とレース後では一般人が1ヶ月かけて歳をとる濃度を1時間余りで果たす気がする(浦島太郎状態)。
総理大臣が短期間であっと言う間に白髪になるのも常人にはあり得ないようなストレスがかかるからだろう。

これも推測だが、脳内から出るナチュラルな快感物質と 『集中力』 は密接に関係するように思う。
生きている実感とは集中している状態の時に起きる現象と捉えると、前述のリストカットの話はリストカットの瞬間に極限の集中状態だったのでは?とも思える。

とにかく全てが仮説レベルでの話なので普遍化につながる結論は出ないかもしれないが、ナチュラルに集中力を持続することは大切なことのように思う。


因みに私の前に横たわる現実とは、通帳残高であり、鏡に映るそれなりに齢を重ねた自分であり、しがらみを極力排除してきたおかげで得た自由な時空間だ。
ある意味私の未来は常に白紙である。白紙の未来日記に何を描くかで生きている実感の度合いは変わるだろう。


最後になったが私のブログらしく宝塚記念の見解を少し。
第一感としては、6番エイシンフラッシュと7番ルーラーシップと15番トゥザグローリーの組み合わせのワイド3点。

ただ、私の贔屓馬であるエイシンフラッシュが出るのにエイシンの複勝1点と言えないのがもどかしいが、臨戦過程がベストとは言えないのがネック。
今日の阪神を見る限り内目の枠を引いた時点で終わりのような雰囲気。
そうであれば1番ウインバリアシオンと2番ショウナンマイティは消し。
問題はオルフェーヴルだが、私は博打においては「あや」のついた場合は極力狙わないようにしている。
従って私はオルフエは見送る(勝たれたら脱帽するだけ)。

この前の皐月賞のように、ワープ走法で内をスルスルと抜け出す馬がいるかもしれないがそれは結果論になるので考慮はしないこととする。

内外の馬場状態を考えると、臨戦過程に問題ないトゥザグローリーの複勝が狙えそうだが、陣営は良馬場を望んでいる。

やはり消去法だと蹄の状態が良くなり普通の調教が出来るようになり折り合いにも進境が見られ馬場にも注文のつかないルーラーシップしかないように思えてくる。
ウィリアムスの腕を見せつけられてきたし土曜日の競馬を見ても4角好位から馬場の良いところを抜け出してきそう。

現時点の私的見解としては、ルーラーの単勝2単位・エイシンとのワイド1単位・トゥザとのワイド1単位にしようかとの感情をぐっとこらえて、私らしくルーラーシップの複勝1点で(結局そうなんかい!記事1行でええやろ!とのつっこみはご勘弁を)。




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2012年06月22日

熱き日々。

私は生き方が前のめりなため過去を振り返ることがほとんどない。
しかし先のエントリーで説得力とは?と書き出したのがきっかけとなり20年以上前の思い出が甦って来た。

今までの記事と若干食い違う部分もあると思うが、私は一時期指導的立場で18歳の学生達と数年間過ごした時期がある。

それこそ毎晩のように数人の学生と朝まで語り明かす日々だった。
学生達が就職する際は、両親を呼び出して両親にまで説教するほど熱い男だった(方向性がおかしいが)。
当時からフリーター志向の学生がいたため私は一人一人に対してどんな規模でも良いから正規の就職をするように導いた。
就職後も私に連絡をくれたりして私にとっては本当に可愛い奴達だった。
警察沙汰を起こす奴や引きこもりになった末にヤクザの事務所に物を投げつけた奴もいたし、教師の息子でとんでもなく甘やかされて育って来た奴もいた。
そんな奴らを毎日どなり散らしながら私は共に日々を過ごした。

とは言え当時からやんちゃだった私は学生に麻雀を教えたりもしていたので神様がいたら時効として欲しい。

そんな日々の中、私が学生達に言っていたのは、「自分の人生のプロデューサーは自分自身。スケールの大きい人生を演出しようぜ!」 だ。

大きい声では言えないが、私はその考えを実践しているのでそこだけは当時の学生達(100名前後)に胸を張れる。
ただ、いつも学生達に言われていたのが、「ない袖は振っちゃだめ!」 である。
つらいことがあれば堤防べりでそらに向かって大声で叫べばいいんだよと言われたこともある。
18歳の純粋な奴ら(田舎の子がほとんどだった)に教えられることが本当に多かった。
言うまでもないが、ない袖を振り続けて来た私は肩身が狭い。
また、「読書は心の栄養だ!」 とも言っていたのでそこはまず合格点を貰えそうだ。
年に一冊も本を読まないような奴は顔を見ればすぐわかるし30秒ほど話をするだけで察しがつく。
とにかく人間的に中身がない奴との会話は弾まない。

思い出に浸るタイプではないので思い出話はこのへんで止めるが、今もし彼らに会えたならば胸を張って 「あの時も今も俺は人生を楽しんでるぜ!」 と言ってやりたい。
細かい話はさておき、その点だけは嘘がないし実践して来た。
「真面目に生きて来たぜ!」 とはお世辞にも言えないが、「自分を貫いて来たぜ!」 とは言える。

良いか悪いかは別として当時本気で奴らに接して来た自分と今の自分は何も変わってはいない。
損得よりも大事なことがあると信じて生きて来たが未だに結論は出ない。
損得を中心に生きて来た奴らに最後まで追いつけないかもしれないし不倫のもみ消しに億の金を出せる身分でもないが私は私の道をこれからも歩みたい。
いつ何時奴らに会っても 「変わってないよな」 と言われたい。 かな?
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2012年06月20日

限界効用と主観価値。

大げさなタイトルになってしまったが、別に私が近代経済学に精通しているわけではない。
単に、人々の欲望実現が主観によるものに大きくシフトして来ていることへの対処方法を考えるきっかけにしたかっただけだ。

私が受ける印象では近代経済学においては、人間は己の欲望充足を目的とする時、与えられた条件を最大限生かした上で合理的・効率的に振舞うであろうとの態度をとっているように映る。

しかし実際は個人の趣味・嗜好は様々であり客観的に見れば合理的選択に映らない行為を繰り返す場合も多いように感じる。
つまり近代経済学における価値の基準は個人の主観に委ねる部分が多いのではないだろうか。


具体的な例を示したい。

例えば20万円の収入があり、その内5万円を自由に使えるとする。

@自分の着るスーツを買う。

A親族の生活用品を買う。
追記:親族とは6親等内の血族・配偶者・3親等内の姻族のこと。配偶者の親は1親等の姻族)

B好きな女性に食事をご馳走する。

@〜Bの内どれを選ぶかは個人によりそれぞれだろう。
勿論、30万円の収入があり15万円使えるなら@〜Bまで一度に満たせるが、毎月15万円を自由に使える人間は数少ない。

限界効用の理屈だと、Cとして牛丼を食べるがあれば、3杯目には限界効用から限界非効用に移行して幸福感が苦痛に変わるだろう。
ところが、Dとしてギャンブルとの項目があれば、まず金が尽きるまで楽しむだろう。

Bの場合においても食事だけでは済まずにバックを買ってあげたりに展開する場合もありそうだ。
その際はバックを品定めしている最中に苦痛になっているかもしれない。

フリードマンなどが常に言っているように、選択の自由がある代わりにその結果を個人が受け止める覚悟がいるのが現実。

このように主観を重視する価値観が全盛の時代には客観的な価値観の押し付けや善悪の押し付けはそぐわない。
ある意味、損得さえも基準にはなり得ない。
もし客観基準があるとすれば、人は好き嫌いが行動動機であり選択基準であるとする位。

好きなゴルフのためなら休日の5時起きも苦にならないし好きな女の子のためなら毎日いくら費やしても会いに行くだろう。

近代経済学ではマクロ的には人々の振る舞いに合理性があっても個人を細かく観察すれば哲学もなく欲望に身を任せている者が山といるだろう。


さて、先程の@〜BプラスCDに対する私なりの考えだがひとまずCだけの欲望を満たした上でまず2週間ほど5万円弱を使わずに置いたままにするのが第一ステップとする。
そして2週間後に改めて何を最優先するかを考えてみる。
その時に、Eとして貯金という選択が出てくる可能性もある。
Eも含めてどうするかを考えるのが第二ステップ。
そこで結論が出ようが出まいが一ヶ月後の心境を自己確認するのが第三ステップとなる。

そんな流れの一ヶ月の中、15万円で日常生活を送るうちに5万円弱の最大活用プランについて何か感じるものがあるかもしれない。
要は自分自身にとって価値とは何かを冷静に考えるきっかけが必要だということ。
それは、自分が生きて行くにあたり何が必要なのかを考えることでもある。
お金を得るために働くのは当然の動機だが、そこで得たお金をどう使うかについては意外と考えていないのではないだろうか。

手段と目的について冷静に考えてみることは決してマイナスにはならないだろう。

そろそろ寝ないとブログをやる効用の限界と睡眠の効用とのバランスがとれなくなるので筆を置きます。
合理性が世の中を動かす原動力になっているのだから好きではなくても個人として合理性をある程度追求しないとしんどいかな。






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2012年06月19日

説得力。

それにしてもJRAがエヴァンゲリオンとのコラボで『JRA補完計画』を始動させたとの記事には驚いたというか何でもありというか…
早速テレビで「次回、宝塚記念」とかやってるCMを観たが、エヴァ好きな私の琴線を刺激された(思うつぼ)。
グッズを探しに行きそうで少し心配になる今日この頃です。


このブログでは以前から何度も書いているが、私が尊敬してやまない先輩の言葉が次の内容だ。

「頭の良い奴とは、説得力ある話が出来て自分の置かれている立場を理解し行動する奴だ」 

先日、25歳の男性が以前交際していた女性をわざわざ彼女の勤務先の和歌山まで行き殺害した上で自分も自殺したとのニュースが出た。

私が感じる範囲では、犯人は俗に『ボーダー』と言われたりする『BPD=境界性人格障害』の疑いもあると見ているが、双方が亡くなった今となっては真相のほどは不明。
BPDの疑いのある人間はアメリカ合衆国だけでも1千万人いるとされる。
昔であれば他人事は他人事で済まされたような問題でも過干渉といえる位に他者に対し執着する者が増えているように思う。

小中高生の間の裏サイトなどに見られる陰湿なイジメの問題や、ネットの中での過激なまでの個人攻撃などにもボーダーの気質を感じて仕方がない。

最近話題となった週刊文春誌上における現役アイドルのスキャンダル記事などもネタを売った男性の人格に何らかの問題があるし買った側の会社も「商売のためなら手段を選ばぬ」方針なのだろう。

これらの事柄に対し、私の尊敬する先輩ならば説得力の欠片もない話だとの評価を下すに違いない。

果たして現に生きる者の中で、「俺は(私は)説得力のある生き方をしている」 と言える者がどの位いるのだろうか。
私にはそう言い切る自信はない。
行きつけの飲み屋の女性がママに向かって暴言を吐いている最中に私は、「そんなエネルギーが残っているのならお店の閉店と同時にその場に倒れ込む位接客にエネルギーを投じるべきや!」 とのたまった。

しかしそんな私の日常はどうだろう。暴言を吐いた女性に、「俺は一日を終えた途端、倒れ込むように寝る」 と言えるだろうか。
もし言えたとしても博打三昧や飲み過ぎで倒れ込む位か。
そんな私に説得力は全くない。ただ、救いがあるとすればその女性に言葉を投げたその瞬間は本気だったということ。
一瞬であれ本気で生きていたのなら希望は捨てる必要はない。
その女性に本気で指摘したように私も本気で生きるしかない。

そんなエピソードもあった女性も今は独立してお店を持った。
彼女は彼女なりに暴言を吐いただけでなく自分で落とし前をつけたのだ。
ある意味彼女も本気で暴言を吐いたのだろう。
私はといえばその女性に腹を立て殴りかかろうとするママを身体を張って止めたのだが、そんなママも今ではすっかり温和な女性になっている。
独立した女性からは頻繁に来店の誘いがあるが未だに行ってはいない。
私は、一日に自分が稼げる金額以上のお金を飲み代に使うべきでないと考えている。
行きつけの店が何軒もあっては3日で生活は破綻するだろう。
「ではどうして博打は例外なのだ?」 と指摘されて当然だが、本来は博打もそうあるべきなのでその点においても私に説得力はない。

4月〜5月、7月〜8月、そして12月。 この3つの期間は何故かお金がかかる。
もうすぐ7月が来るが、お金の出先が多方面になりそうである。さてどんな優先順位を付けようかと今から悩ましい。
説得力ある使い方が出来るだろうか。間違っても博打だけに使い切ることがないよう注意しよう。


テレビを観ていたら、アーチェリーのオリンピック日本代表候補の男性(27歳)が特集されていた。
近畿大学で学生にコーチをしながら自分も寮に入り一緒に練習しているとのこと。
一日の練習時間が8時間で、矢を600本打つらしい。
先日記事にした韓国のアマチュア女子ゴルファーの高校生も約8時間の練習だった。
イチローも小学校の時には既に元旦以外毎日バッティングセンターに通っていると聞いたことがある。
やはりそれ位ひとつのことに打ち込むと、結果を出していることに説得力がある。

これだけデジタル化が進むと益々個人がかけがえのない存在では無くなる。
前述の25歳の男性も彼女との交際が途切れた後、自分自身の存在価値を確認する間もなく衝動的で見境のない行動に走ったのかもしれない。

誰のため何のために生きてるのかがわかりにくい時代に私達は生きている。
ひとつ間違えば、企業のため資本家のために生きてしまう危険がある。
流されず己の価値観で生きて行くためには相当の覚悟と努力と意志が必要となる。
しかしその肝心な 「意志」 が消費社会の中では常に壊され跡形もない状態にされる危険がある。

ひとつしか意志がなければそれを壊されれば何もなくなる。
ひょっとしたら意志のバックアップ機能や交換用の意志が必要な時代なのかもしれない。


先輩が言っていた 「自分の置かれている立場」 とは単に職業や家族間の立場だけではなくリアルタイムの社会・世界の中での自分の立ち位置との意味も含まれているのだろう。

精神疾患の最大の敵は実は処方される薬らしい。
セロトニンをナチュラルに体内で生成するためには牛乳やバナナやヨーグルトなどの摂取が必要なのだが軽い運動も重要。
ナンバ歩き(ナンバ走法とも言われるが、基本は腕を振らずに前に進む。腕を振る場合は足と同じ方を前に振る‥右足を出す時に右手も前に振る  *江戸時代まではその歩き方が普通)などの方法で散歩するなどして体幹・脳幹を鍛えることも重要。
適度に日光にも当たるべきだし森林浴なども有効だろう。


私はあれやこれやと能書きを言うが、基本はしっかりと食欲を満たすことだと考えている。
その他の欲も無論無視は出来ないが、やはり食べるために働くとの基本は重要だ。
しっかりと栄養をとりしっかりと睡眠をとった上でその他のことを考えるべきだろう。
そもそも我々は何十億という精子との戦いに勝利した上で生まれて来ている存在だ。
競争心が強い者ばかりが存在していて当然の話。

健全な肉体を作るためにしっかりと栄養をとるべきだとの私の話に説得力を感じてもらえましたか?



さー 「次回、気になるあの人との食事。満足満足!」


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2012年06月15日

今日は深夜ラジオに注目。

どーもです。


『反省はしても後悔はしない』 が座右の銘のわたくしです。

さて、本日は深夜1時から始まるラジオ番組のオールナイトニッポンにあの秋元康氏がパーソナリティーをつとめます。
前田敦子さんを相手にトークを繰り広げることになりそうですが、あの指原さんも出る可能性があり話題となっています。

前田敦子さんといえば7月14日公開予定の『苦役列車』 に出演しており公開が楽しみです。

親しい人のほとんどが、「人生なんて深く考えたらきりがない」 と言っているのでそれが真理なのは間違いありません。

秋元氏は資本主義社会をシンプルにとらえた末に今に至ったのでしょう。

マッチョ志向の私の知人は、「男にとって女はアクセサリーやぬいぐるみのようなもんや」 と言い切ります。

確かに開業医の知り合いなどが連れ歩いている女性を見ると、「なるほどな」 と思います。

私はそこまでは割り切れませんが、きっとマッチョ系の女性も男のことをシンプルに捉えているのでしょうね。

そんな目線でAKBのメンバーを見る時、あなたはどんなアクセサリーがお好みですか?


それにしても明日の阪神競馬第10Rの2番スノードラゴンは鉄板ぽいですね。
あっ!? それと小室哲哉氏がツイッターで、「ゲットワイルドだぜぇ〜」 と本当に言ったのかな。
posted by tetsukazu at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月13日

えっ?日本の一夫一婦制って100年ちょっとの歴史かよ。

前にも少し言及したが非婚・晩婚・少子化の話について少し考えてみた。

一夫一婦制は日本人の特質に合っている制度なのだろうか?と考えて調べてみたら、えっ?と思えるような事実に直面した。

歴史的には江戸時代に、貞操観念を重視するキリスト教が伝来し、宣教師達により日本に一夫一婦の考えを根付かせようとしたらしい。

しかし明治3年に制定された 『新律綱領』 においても妻と妾(めかけ)を同等の二親等と定めるなどキリスト教の考えが広まることがなかった。

そんな中、福沢諭吉や森有礼(初代文部大臣)などが中心になり一夫多妻制をやめようとの動きが出てきた。

そして、刑法では明治13年に、戸籍法では明治19年に妾という表現は姿を消した。
その後、明治31年には民法により一夫一婦制は確立した。
また、伝統的に側室を置いていた皇室も大正天皇以降は側室制度を廃止した。


ざっと述べたが、以上のような経緯があり日本に一夫一婦制度が始まったのであり、たかだか100年ちょっとの歴史しかない契約制度なのだ(結婚を醒めた見方で表現すると民法上における婚姻という契約制度でしかない)。
それもキリスト教の影響(当時だと西欧)を受けたものであり、イスラム教の影響を受けていたなら別の方向に行った可能性もある(まーないか)。

2006年時点で世界のイスラム教信者は世界人口の19%。カトリックの信者が17.4%なのだから2006年時点ではイスラム教が世界のメジャー宗教と言ってもおかしくない。
そうであれば、一人の夫に4人の妻が認められるイスラムの常識こそが世界の常識でもおかしくない(まーおかしいか)。
イスラム教信者が多数を占める国家では、国法よりもイスラム教の聖典(コーラン)の教えが上位にくるといった不思議な世界が実際に成立している。

日本の場合でも遠い昔は一妻多夫制であり、通い夫が当たり前の時代もあった。
その場合は誰が子供のお父さんかがわからないため家系は母から子供に受け継がれる女系社会になる。


そこで知人にこんな質問をしてみた。

「ネット社会である現代は、性欲の処理が簡単に可能なので男が生身の女を求めないのでは?」

知人の答えは 「それではあまりにもわびしい」 「やはり月に2万円でもいいから貯めて生身の女体に触れて欲しい。それが健全な身体ではないか」 

私は話を続けて 「では、エグザイルのHIROが上戸彩に近付くのは男として正しいの?」

知人の答えは 「人間は遠慮も大事や」

で、私は 「でも遠慮し過ぎも問題よな」 と感想を述べた。


何か残念な時代が来ているような気がする。
いっそのことベーシックインカム制度を18歳〜30歳の男女限定で導入し、その期間に失業しようがしまいが一人あたり月10万円程度の支給を保障すればカップルでの合計がどんな状況でも最低20万円になるので安心して結婚出来るのではないだろうか。
その世代の男女の合計数が1500万人とすると年間18兆円の予算が必要となるが、当然国民年金分は天引きにし、実際の手取り金額の中の余裕分は目一杯消費に回してもらおう。
とんでもない発想かもしれないが、非婚・晩婚・少子化対策のためだけなら効果があるだろう。
当面はお金に余裕がある高齢者に少子化対策国債でも発行すればよい。
もっと現実的な案ならばその世代の失業率を20%と仮定し失業中の者だけに月10万円支給すれば年間3兆円の予算で済む。
ついでにモテ男を対象に一夫多妻も部分開放してみよう。


制度は本来人間が作るものであるから人間が幸せになるものでなければならない。
それなのに幸せになれていないのならば制度は見直すしかないだろう。
あんなにもお手本にしてきた西欧諸国の惨状を見るとそろそろ日本人が独自の道を模索してよいのではないだろうか。

アメリカ合衆国にボロ負けした後、30年〜40年で世界の先進国に復帰した日本人はやはり有能に思う。
そのあたりの有能さはIPS細胞研究の山中教授などに受け継がれているはずだが政治の世界にも頑張ってもらいたい。
民主党もモナ男(訂正:細野豪志)を看板にしてサミットにでも参加すれば世界の評価も変わるのでは?


かつて女性はお嫁に行くしか食べて行く手段がなかった。
男女同権が叫ばれる今、男はどこへ向かうべきなのだろうか。
ひとまず毎月2万円貯めて考えてみることにしよう。






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2012年06月12日

女子力恐るべし。

ゴルフ界でアジアの女子選手旋風が吹いている。

国内では16才(高二)の韓国女子アマゴルファーのキム・ヒョージュが脅威的なスコアで優勝。
米国女子ツアーの今季メジャー第二戦では中国のフォン・シャンシャンが優勝。日本の宮里美香が二位となった。

キム・ヒョージュの日常は午前中で授業を終え、午後9時過ぎまで練習の日々。
辛口な一般人なら 「学生らしく勉強に比重を置くべき」 と指摘しそうだが、午後4時までみっちり学校にいる学生がどれだけ真剣に授業に取り組んでいるのだろうかと考えると、才能を伸ばす方向に時間を費やすことを単純には批判出来ない。

私はゴルフの技術的なことに詳しくはないが、スイング後の脚の体勢を見る限り体幹を鍛えているだろうな(膝から上の両脚の開きのなさからすると足の裏の外側部のアーチも出来ていそう)程度の理解は出来る。
宮里藍と宮里美香の目に見える違いは、手首のコック(スイング開始後の右手の甲のくの字)を宮里美香の方が早く整えその分コンパクトなスイングになっている印象。
体形的にも宮里藍はゆったり大きなスイングが合っていて、宮里美香はコンパクトなスイングが合っているのだろう。

試合と前後して、フォン・シャンシャンは日本ツアーへのコメントを出し、宮里藍はキム・ヒョージュへのコメントを出したが、フォン・シャンシャンは日本で戦う女子選手に対し 「目標とするスコアのレベルが低い」 と述べた。
日本ツアーでの試合では3〜4日間のうち1日だけ65〜66のスコアを出せば日本選手が追って来れないとも発言したようだ。
こんなところにも日本人の謙虚さが表れるのだろうか。


非難を承知の個人的見解になるが、女性は興味のある事柄には男性以上に熱心になる傾向があるように思う。
男性も興味にあることに熱心ではあるが、男性の場合は興味の先が複数になりがちな気もする。
タイガー・ウッズを例に出すのは気が引けるが、あれだけゴルフで活躍する中で下半身も大活躍している姿を見ると同性としてつらいものがある。
宮里藍や宮里美香がゴルフそっちのけで男性に走る姿は想像しにくい。

やはり家庭を守るのも女性が適任に思える(いきなり飛躍するが)。

唐突に話をオリンピック代表に移すが、100mハードルで木村文子が代表に選ばれた。
男目線的には久々に現れた逸材。
横浜国立大学出身で容姿端麗でアスリートって、一体天は彼女に何物与えるのか。
とにかく夏に向けて楽しみがひとつ増えた。

私自身の夏を迎えるにあたっての目標は 『無駄に格好良くなること』
いますよね。無駄に美しい電気メーターの検針員のお姉さんや無駄に綺麗な宅配便のお姉さん。
私も出来れば無駄に垢抜けたおっさんになれるよう努力を重ねたい [これが無駄に本気ですねん(笑)]

無駄に格好良くなることを目指す理由はいくつかあるが、ひとつは [女性>博打その他] の時期を作らないと後悔したまま人生を終えそうということ。
こんな私でもこの2年半は、女性とデートのひとつもしようと思った瞬間もあった。
それなのにデート以外の要素を常に重視してしまった結果、特定の女性と10時間以上連続で過ごした日は一日もなかった。
WINSとボートピアの掛け持ちで10時間過ごしたことがある事実が全てを物語る。
ただし、風俗にも一度も行っていないので性欲があるのやらないのやらややこしいが。
地味ながら入浴時冷水シャワーをある部分(秘)にあてる健康法も実践しているので今年こそ三大本能を満たすぞ!(善良な皆さんをドン引かせてスイマセン)


話が逸れすぎる位逸れすぎたが、私の信念のひとつに 「男を変えられるのは女だけだ」 がある。
それこそ 『無駄』 に遊び回った2年半だったかもしれないがお陰さまで女性との接点は出来た。
前述の女子プロゴルファーに限らず女性の持つシンプルな生き方に学ぶことは多い。
散髪に行くと言って途中でパチンコ屋に寄り道するようなことを女性はしないと思われる。
せっかくの人生なのだから小さな目標位は達成したいもの。

『無駄』 なことを散々やり続けた果てに 「無駄でなかった」 と言える人生になれば幸いだ。

http://photo.news.livedoor.com/detail/19530











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2012年06月08日

幸福段階論。

あなたは幸せですか?と聞かれた時、人はどう答えるのだろう。

一見、抽象的で曖昧な問い掛けのようだが一定の基準を示せないこともない。

まず衣食住が足りていれば幸せと言えるだろうし、それが自分自身の稼ぎによるものなら更に良い。

しかしそれは幸福の第一段階でしかないように思う。

では、第二段階の幸福とは?


私の答えは、[他者の喜ぶことをしたり他者の幸せ・満足のために力を尽くすことで喜びを得る]

例にはならないかもしれなが、ダメ男のためにお金を都合する女はある意味喜びを感じているような気もする。

ダメ男のために尽くす女を第二段階の入り口とすれば、出口に近いところにあるのは結婚によりパートナーや子供のために生きることだろう。
政治家なども本来ならば国民に尽くすのが本分なはずだが…

晩婚・少子化が問題になる近頃だが、国民全員が自分自身だけの幸福を追求する限り状況は変わらないだろう。

私も紆余曲折の末、今は一人で生きている。

今の私は幸福のどの段階に達しているのだろう?

第二段階を既に終えたのかそれとも第一段階に逆戻りしたのだろうか。

もし第一段階に戻ってしまっているならダメ女に貢ぐことから始めるか…


いよいよ7月7日の七夕まつりの準備が始まる(写真もその一部)。

おそらくあるであろう打ち上げ二次会に向けての練習曲は小田和正の 『たしかなこと』 に決めた。

かたぬき




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賭け続ける男(破)恋愛編−1

テツは今年から来年にかけてを男としてのピークに持って行きたいようだが今までも博打で誤算続きのテツだけに果たして思惑通り行くのだろうか?
久々に 『ドリーム』 に顔を見せママに男自慢をしにいったテツの結末は…


テツ‥ママ、どーもです。

ママ‥あらあら、テツさん。生きてたのね。

テツ‥どうしてもママに会いたくなってね。

ママ‥それはないない、どーせKちゃんに会いに来たんでしょ。

テツ‥うん… いやいやお店が好きやから来てるんで選ぶなんてそんな立場とちゃいますよ。

ママ‥そんなこと言うけど2年半前に奥さんに出ていかれて直ぐ位にうちに来た時のことを考えたらイイ男になったわよ。

テツ‥えっ?ホンマ?
でも、よう考えたら最初は酷かったってことなん?

ママ‥あっ!? そうじゃなくて最初もイイ男だったけど更にイイ男になったと言いたかったのよ(汗)

テツ‥あー良かった。
ちょうど2年半前に知り合いの女の子から「最近のテツさん老けたんと違う?」と指摘されたんをきっかけに一念発起して今日まで男改造計画を進めて来たんや。

ママ‥あらそうなの。じゃあ当然私も貢献してるわよね!

テツ‥そうやな、ママ2割でKちゃん8割位かな。 あっ!? ごめんママ9割その他1割です。

ママ‥もう遅い。テツさんの気持ちはわかったわよ。どうせ若い方がいいんでしょ。
噂ではドリームの選抜総選挙でKちゃんに大量投票したらしいわね。投じた票は愛の証しだとかなんとか言って。
それに、「Kのことは嫌いでもドリームのことは嫌いにならないで下さい!」とかなんとかKちゃんに言わせたいと言ってるらしいじゃない。

テツ‥えっ?そんな話どこから仕入れたんすか? 

ママ‥そんなことはどーでもいいでしょ。テツさんは恋愛に関しては中学生並みよね。
そもそもうちの店で選抜総選挙なんて企画した覚えはないし、むしろ私達が顧客ランク付け会議でもやった方が有意義かもよ(笑)。

テツ‥「お金のことは好きでも僕のことも好きでいて下さい」

ママ‥「お金を持ってるテツさんはもっと好き」 「てゆーか、テツさんが持っているお金が好き(笑)」

テツ‥(泣)

‥何か盛り上がってそうですね。

テツ‥Kちゃん元気?昼に夜に毎日頑張ってるな〜 
そんな毎日でも幸せなん?

‥うん、元気で働けてるし両親も健在やし友達もいるし昼の仕事もやりがいあるしママも優しいし十分幸せです。

テツ‥そーなんや、じゃあ俺の出る幕ないな〜

‥そんなことないですよ〜。 美味しいもの一杯食べさせて下さいね。

テツ‥そっちかよ!
でも、幸せですかと人に聞くのもおかしいかもな。お昼ごはん食べた?ていう質問なら食べたか食べてないかで答えればはっきりするけど、幸せですか?は愚問やな。
抽象的で曖昧な質問や答えは意味がないかもね。
それを承知で、今の俺の男度が上がったかどうかは聞いて見たいから答えてーや。

‥では、ママが代表してお答えします。

テツ‥予算委員会かよ! 

ママ‥ただいまご指名にあずかりましたMです。
そーね、テツさんは人の悪口も言わないし何があっても口が堅いから信頼出来るところが男らしいかな。

テツ‥嬉しいこと言ってくれるなぁ〜。まさかホメ代を伝票に付けたりしないよね。

ママ‥ばれてーら(国分太一風に)。 うそうそ冗談冗談(笑)
この商売を長く続けてると、「あの女と昨日やったんや」なんてクソにもならない自慢をする男が多いことに嫌でも気付くのよ。
その点テツさんは…

テツ‥みなまで言うな、なぁーKちゃん。

‥コメントは差し控えます(爆)

テツ‥俺、最近思うんやけど好きになった女にとって俺がかけがえのない存在になれるやろかと。
もし俺の代わりがなんぼでもおるんやったら最初から人を好きになるのは怖いわ。

‥でもそれは女も同じですよ。恋愛に臆病になる時ってあるんですよ。
男の人から好きだと告白されても、ホントなのかなと思ってしまうんです。
やっぱり自分に自信を持てないからなんですかねぇ。

テツ‥Kちゃんはもっと自分に自信を持っていいと思うよ。
俺もこの2年半はやたら身体を鍛えたりして男らしくなろうとしたけど、結局物事に真剣に取り組むことでしか成長は出来ないし心の部分は人との関わりの中でしか成長は出来ないのかもね。
というわけで俺の成長を手助けすると思って来月中には食事に付き合ってね。

‥あらあら、そう来るか。 ま、美味しいもの食べられるなら考えときますね。

テツ‥即答ちゃうんかい!

ママ‥まーまーテツさんそう熱くならないで。何なら練習の意味で私と先に食事に行く?

テツ‥お気持ちありがとうございます。でもママからは十分鍛えてもらったのでママを通じての僕の伸びしろがあまりなくて…

ママ‥遠回しに断るってことでいいのね。Kちゃん伝票持ってきて。

テツ‥ちょ、待って。行きます行きます。 ママ⇒Kちゃん⇒Kちゃん⇒ママ⇒Kちゃんの順で。

ママ‥順番がおかしい気もするけどどうでもいいわ。楽しみにしてるわね。
でも悪いこと言わないからテツさんももう一度ちゃんと恋をしてみたら?
将来どうなるのかなんて考えたらきりがないから目の前の具体的な対象をしっかり見て地に足を付けて歩いて行けばいいのよ。
そうしたらきっと「人生は素晴らしい」と思える時が来るわよ。
人生を素晴らしくするかどうかは自分次第なのよ。わかった?テツ。

テツ‥そこで呼び捨てっすか。 でもアドバイスありがとうございます。
髪の毛もあって下半身も健在??であるうちにいっちょ頑張りますわ。 もちろん相手がいての話ですけどねるんるん

結局テツが興味・関心を持つのは博打と恋愛しかないのだろうか。やれやれ…




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2012年06月05日

見落しがちな声による魅力。

いつも多くの方に訪問していただきありがとうございます。
ブログ運営の中では、かなり地味なLOVELOGの中で、特徴のない日記カテゴリーで更新しているのに毎日ユニークユーザーで120〜160。ページビューで300〜450程度の閲覧を受けています。
恐らくリンク先のけいけん豊富な毎日のけん♂さんのブログの訪問者などに比べると推定30分の1位の規模でしょうか? いや、もう一桁違うかも (あくまで推定です。けん♂さんお許しを)。

私はこのブログを始めて7年(多分)を過ぎたはずですが、途中で一度記事・コメントを全削除したため多くの方に迷惑を掛けてしまいました。
それでも復活した後に古くからお付き合いをいただいている方々に現在も立ち寄ってもらえていることには感謝の気持ちで一杯です。

私の記事を当初から見ていただいている方なら共通する意見になると思いますが、私のブログの内容は唯一無二の個性を持っているはずです。
ギャンブルに狂っているかと思えば突然、哲学的なことや時には恋愛も語り出す。
成長、成長と言い続けている割りには成長の跡が感じられない点等々…

冒頭に書き出した数字については3年目位からはほとんど変わっていないので、あくまで推測ですが同じ方が繰り返し来られているイメージです。
そうであるならば益々我が道を行ってもついて来ていただけるかもと思う今日この頃です。


世間では若作りは正義だ!などのアナウンスもありがち。
6日にあるAKB48の総選挙の盛り上がりなども若さこそ素晴らしい!!との風潮に合っている。
フランスなどは大人の女でないと人気は出ないらしいが、日本のアニメ文化などの影響もありそのうち世界中で若さは正義だと言い出すかもしれない。
どちらにしても欧米人に比べて日本人は男も女も10歳程度若く見えるらしい。
ハリウッド映画のセックス・アンド・ザ・シティのミランダ役のシンシア・ニクソンなども1966年生まれなのでまだ46歳なのだが、日本で言うと中森明菜や藤田朋子や沢口靖子や小泉今日子と同世代。
どちらがどうとかは関係なく今後も日本の男達は 「可愛いは正義」 と言い続けるのだろう。


そこで今日は、『声』 をテーマに若さや魅力について語ってみる。

去年あたりから 「声も年齢と共に老化する」 とあちこちで言われ出した。
一般的に、幼い子供の声は女児で350ヘルツ、男児で300ヘルツと言われる。
思春期の声変わりを経て成人になると女性で270ヘルツ、男性で150ヘルツ。
そして更に加齢が進むと女性は約180ヘルツに下がる、男性は逆に160〜170ヘルツに上がる。
どうしてそうなるかは、女性の場合は閉経を境に女性ホルモンの分泌が低下して声帯が男性化し太くなるためで、男性の場合は加齢により声帯が痩せて細くなるかららしい。

では、声の高い低い以外で老化と関係するのは?
ひとつは粘膜の若さの問題。声帯は、声帯筋という筋肉のの表面を軟らかい粘膜が覆う構造になっている。
粘膜内にヒアルロン酸が低下したり長年の声帯の酷使で声帯に細かい傷やポリープが出来ると声帯が滑らかに震えることが出来なくなり声に雑音が混じりざらついた声の印象になる。
それプラス声帯の開閉は喉周辺の筋肉によって行なわれるので加齢で筋力が衰えると声帯が緩み振動しにくくなりかすれ声になる。

ではどうすれば声の若さを保てるのか?

まず、声も足腰と同じで使わなければどんどん衰え老化するらしい。
先程、長年の酷使はよくないは言ったが、適度に使うことは重要。
人と会話をしたり、カラオケなどで適度に声を出すのも必要。

次に、喫煙は敵。喫煙者の声帯は常に腫れてぶよぶよになっている。
飲み屋のオネエさんがよく「酒やけなのよ」と言うが、タバコやけが正しい。

3点目は、加湿と水分補給が大事。
加湿器を使用するなど喉の乾燥には注意。こまめな水分補給も重要。


とここまで書いたが、基本的に魅力的な声は存在する。
女性なら松嶋奈々子さん。男性なら福山雅治や向井理などがそれに当てはまるか。
マニアなところではケンドーコバヤシなど。

声の魅力は人に指摘されて気付くことも多く、無意識に好意を持っている場合、それが声の魅力だったりしているかもしれない。

自分に自信を持てない人がいるなら一度自分の声について興味を持ってみたらどうだろう。
好きな芸能人がいたとしてそれは声の魅力に惹かれていた場合も過去にあったかも…


最後に、今年も恒例の七夕祭りぴかぴか(新しい)の運営に関わることになる。
今のところ、自分の持ち場はダーツともうひとつは型抜き(昔ながらの遊び)でいこうと思う。
毎年、自分で自分の持ち場の企画を練るのだが、型抜きは数年前に一度上手くいかなかった思い出がある。
それは子供が相手だけに型を抜く時に針は使えないなとの一心で爪楊枝や長楊枝を使ったのだがやはり強度が不足して成功者が少なかった。
そこで今年は、フルーツなどを食べる時に使うカラーピックを使う予定。
7枚入り128円する型抜きで試し抜きを重ね本番は100枚入り840円のものでいく(1枚あたりの差ありすぎ)。
景品は自腹になりそうなので今からお金を貯めなければあせあせ(飛び散る汗)


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2012年06月03日

賭け続ける男(破)第54話

成長のスピードがコマ送りのようなテツだが、何とか前へは進んでいるよう。


テツ‥マサ〜世の中を一言でどうぞ。

マサ‥はぁ〜? いよいよ痴ほうの初期ですか?

テツ‥それは資本主義です。

マサ‥あのね。ええ歳して愛だの恋だの夢だのといつものたまってるおっさんが何言ってるんすか!

テツ‥そんなん言うけどみんな財布を持って楽しそうに街に繰り出してるやん。
焼肉屋の前を通った時に感じた空気が世の中の全てを語ってる気がしたんや。

マサ‥えっ? じゃーこれからは世界がどうだとか日本がどうだとかは言わないんですね。

テツ‥まーまーそう熱くならずに。

マサ‥あの、熱くもなってないしテツさんの話に興味もないですし。

テツ‥えっ?えっ? そうなん。 人生の先輩の話を聞こうとは思わんのか?

マサ‥で、そんな世の中のことに精通した人の出した成果と結果を教えて下さいよ。

テツ‥いやいや、それはこれから出そうと思ってるで。

マサ‥これからかい!

テツ‥じぁー三歩譲って今日から結果を出すわ。

マサ‥三歩でも散歩でもいいですからさっさと安田記念の予想でもして下さい。

テツ‥そーか、そんな聞きたいのならお前だけに教えたるわ。

マサ‥ていうか、むしろこっちが教えましょか。

テツ‥ちょ、待ってくれ。そこは空気読めや!
しかし今回の安田記念は駄菓子屋の当て物みたいなレースやな。
10回走ったら10回勝ち馬が変わるようなレース。
俺は当初からストロングリターン狙いなんやけど、去年は京王杯で1分20秒2で走り本番は1分32秒0の2着。
今年は、京王杯で1分20秒2なんで本番は1分32秒2〜3位では走りそうやな。
6歳馬になったわけやから年齢的な上積みは望みにくいんで1分32秒を切るような馬が出てきた時はお手上げかもな。
それでもコース実績や調教師の手腕や4番枠からの発走との要素を考えると3着までに来る可能性の一番高い馬かな。
骨折明けをひと叩きして今週の調教も俺の見た感じではナンバー1の気配やし体調に関しては上積みが大きそう。
サダムパテックが56k⇒58k ストロングは57k⇒58k。 今回は互角の戦いになるやろ。

馬体の良さでアパパネ、順調さではシルポートかな。 末脚が一番怖いのはマルセリーナ。
実は5番枠を引き当てたことでラッキーナインを狙おと思てたけど、拳が評価を下げるのが気になってなー。
拳は海外の競馬事情にも詳しいし、ラッキーナインのマイルでの持ち時計の無さの指摘を無視出来んわ。

という訳で、ストロングリターンの複勝1点で。 外したとしても4着か5着までには来るやろ。

マサ‥そうすか。 種牡馬でのマイル実績は1位がキングカメハメハで2位がシンボリクリスエスなんで、俺はキンカメ産駒のアパパネとシンボリ産駒のストロングリターンのワイド1点でも買おかな。
話戻しますけど世の中は資本主義と言い切るテツさんは今日膨らむ予定の財布を持ってどこへ繰り出すんですか?

テツ‥マサ、それは愚問というもんやろ。そんなもん俺のことを好きって言ってくれる奴に喜んでもらうためにつかうに決まってるやん。

マサ‥あの、その肝心の好きと言ってくれる人はいるんすか?

テツ‥  ??? ほんじゃグットラック!

マサ‥おいおい。


良い様に言えば恋多きテツなんだが(どうやら最近のAKB48の推しメン島崎遥香らしい)、人生も恋も結局はシンプルに捉えた方がうまくいきそうだと思うようになったようだ。


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2012年06月01日

システムこそが最強なのかA

前回のエントリーで書き残したことを書き足す予定で考えてはみたが、過去のエントリーでも大きなくくりの中で使う用語は違えどシステムについて断片的に語ってきているので、極力重複しないように書き連ねてみる。


システムのことを語る前に、まず大前提としてお金についての定義をしておきたい。
資本主義体制の国が大半を占める現代社会では、人も含め交換価値のあるものこそが有益なもの(こと)とされる。
その代表的なものが貨幣であり人そのものとなる。
中でも価値比べでの貨幣の占める地位は天井知らずであり、お金を上回る魅力を持つものは数少ないと言える。
あえて言うならば子供を育てる行為はお金を稼ぐ魅力を上回りそうだ。
ただそれもお金の裏付けがないと成立しないので価値の中にお金を含めると話が1秒で終わってしまう。

そこで貨幣さんについては『空気』と同列に扱うこととする。
つまり身の回りにあるのは自然であり当然であるから、何を語る場合も当然あるべきものとして話を進めたい。


さて、さすがにそろそろシステムについての個人的見解を展開しないと。

最先端の経済理論は新古典派を中心とするマクロ・ミクロ経済学だが、私が注目するのはレギュラシオン理論(フランスで誕生した経済学理論だが英語だとレギュレーションとなり規制となるのかな)。
レギュラシオンと表現する場合は『調整』を意味する。

ここからは極力私の言葉で話を進める。
社会の中での制度・構造の諸形態とそれらの相互間の結びつきなどを称して『調整様式』と呼ぶ場合、その様式は国家間でもそうだし一つの国の中での時代差の中でも異なるはず。

私がこの2回に渡ってタイトルとした、 「システムこそが最強なのか」 をもう少し細かく言うと、現存のシステムに対するシステム作りも含めた話となる。
システムが強固であればあるほど、生半可な知恵ならば玉砕するだけだ。

私が愛してやまないギャンブルにしても、例えば公営ギャンブルの場合だと約25%のテラ銭(売り上げから主催者が25%差し引いた上で顧客に還元する)。
そのシステムにただ乗っかるだけでは、大数の法則通り99.9%の人間が敗者となる。
システムに乗る奴が利口なのではなく、当然ながらシステムを作る側が利口なのだ。
とは言え、一部の公営レース場は撤退を余儀なくされており、共存共栄のシステムも重要となる。

冒頭で述べた通り、現代では交換価値のあるものこそが残って行くので魅力のある者・物・モノ・事・コトでないとやがては淘汰される。

では、優れたシステムとは何か?
今の世界を眺めてどこが豊かな国と呼べるだろう?
賛否は別として、一般論で言えば 『アメリカ合衆国』 になる。
根拠としては、国土の広さは当然だがもっと大きなのは大都市が分散している点。西海岸にも東海岸にも北部にも中部にも南部にもそれなりの規模の都市が存在する。
次に軍事力が強大である点。そして人材が集まる点など。
経済のことはこれも冒頭で述べたようにあえて語らないこととする(GDP第一位と言うより国民一人当たりの所得金額比較をしないと根拠とならないが各国における購買力平価の算出は困難)。

しかしそんなアメリカでさえ全てのシステムが優れているわけでない。
人種差別も脈々と続くし貧富の差もなくなる気配がない。
ただ、よりましな国としては世界の中ではトップクラスだろう(日本もよりましな国として考えられる)。

以前であれば南北問題があったが(主に北半球と南半球の経済格差)、最近に及んではアジア諸国のトータルのGDPがヨーロッパ全体のGDPを上回る規模になっている。
ほんのひと昔前まではヨーロッパの列強国の植民地だったのに時代も変わったものだ。

それらは国と国との競争でもあるが、システムとシステムの競争でもある。

公道を自動車が普通に走る。
それは普通でも何でもなくて、自動車内部の精密で複雑なシステムがあってこそ。
特に日本車の優秀さは現時点においても他国をリードしている。
コマツなどの企業も現在においても世界の中での勝負に勝ち続けている。
日本の新幹線システムも人間が死んでいない点など世界の最先端システムと言える。
会社が従業員に給与を支払いながらも利益を上げるのも優れた企業運営システムに裏付けられたもの。

チャップリンが映画モダンタイムスで人間が巨大歯車に巻き込まれる映像で示したかったひとつの要素がシステムと人間の関係なのは推察出来る。
かくして第一次産業革命後の世界は、システムと切り離しては語れないことになった。


システムの中における調整とは?

恐らくだが、資本主義は過去に何回か臨界点が来ており、ある時期における社会主義・共産主義の台頭もその象徴だろう。
しかし冷たく言い放てば、残念ながらそれらは資本主義に対するサブカルチャーにしかならず時代のあだ花でしかなかった。
今ある資本主義は資本主義CなのかDなのかはわからないがマイナーチェンジしただけの資本主義システムだろう。
そしてまたギリシャ危機を見てもわかるように臨界点が来ていて資本主義Eあたりにマイナーチェンジしそうだ。


少し話をずらして商品価値の問題を考えてみる。
資本主義体制では基本的には商売の自由が保障(保証?)されるため付加価値込みの商品価格となる。
同じ酒もディスカウントショップで1000円の物がホストクラブでは2万円だったりする。
需要と供給の関係が成立していればそれもありなのかもしれないが、支払う金額に見合った幸福度を得ているケースばかりではない。
何故そうなるのか? 答えは価値を正当評価することに無知でバカなことの表れだから。


様々なシステムに適応するためには、交換価値について正しい認識をすることがこそが最重要であり、バカはシステムの中に埋没しやがて呑み込まれることになる。
気が付けば巨大歯車に巻き込まれてしまっているとの自覚があるならチャップリンが映画ライムライトで語るもうひとつのメッセージを思い出してみるべき。


誤訳されているケースが多いのでしっくりくる訳を引用し私が加筆してみた。


「人生は素晴らしい。人生を恐れるな。そして人生で大切なものは勇気だ。夢(想像力)を持ちそれを形にしようとする勇気を持ち、それを実現する勇気を持ち、それに向かう勇気を持ち、どんな困難に遭っても前に向かう勇気を持ちなさい。 あっ?それとお金も必要といえば必要かもね。」


何だかシステムが良いと言いたいのか良くないと言いたいのか混乱してきたが、自分がまいた種は自分が刈り取ることになるのだから、現実をしっかり見つめて幸せを掴むべきと言いたいのだ。


2回目でも話が終わらないので再度エントリーします。










 
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