2012年01月29日

理想<現実

下の写真は今日の昼間に路上で撮ったもの。
20代の自転車に乗る男が、走行中に投げ捨てた飲み残しのコーラだ。
捨てられたコーラは歩道のど真ん中に転がっていた。
私はあっけにとられたが、「これが現実やもんな」 との想いで一杯となった。

私は日頃から物事を奇麗事や理想や理屈で片付けがちである。
他者にはその点を指摘されることが多いが、自分の世界観で生きてきたし新たな世界観にならない限り大きくは変われないと思う。
今、世界はプラグマティズムで覆われている。つまり実用主義である。
実用主義とは、物事の真理を、実際の経験の結果により判断し効果のあるものを真理とするとの考え。

例えば、新薬の開発をするにあたり成功の可能性の、より高い対象に対して何十億・何百億もの投資をするわけで、儲かることに先行投資をする構図。
当然、リスクは伴うのだがチャレンジしないことには競争に勝ち残れないので、そのチャレンジ精神が結果として自己防衛にも通じる。
欧米先進国はほぼプラグマティズムを標榜しており、中国にしても実用的な観点から政策を進めてる。
最早、世界は理想を求める集団ではなく、効果や成果を出すための利益共同体が競い合っている状態。

そもそも人間が集団を作る目的は個人が生きて行くための道具であり、ひとりぼっちでは何も出来ないからだ。
それぞれが利用価値を感じるから共同体の中に存在するのだ。
婚姻関係もほぼ9割方は経済共同体と言える。
最近では、女が男のものになるのが結婚なのではなく、男が女のものになるとの理解の方がしっくりくるとの説が支持を集めている。


話を冒頭に戻すと、コーラを投げ捨てた若者に憤りを持つ私の思想は実用的かどうかの観点から見れば全く意味を持ち得ない。
そんなことに目くじら立てる暇があればせっせと仕事に励み一円でも貯蓄に励めば良い。

人間社会は長い期間をかけて物事の本質を表面上見え難いものに変えてきた。
その中で唯一女性達は男の作り上げてきた社会や文化を醒めた目で見ていて本質を見失わないまま生きてきた(ように見える)。
「人生の最大の目的が婚活です」 と言う女性がいたとすれば、私は、「大正解」 と声を掛けるだろう。

その点、男の人生の目的は曖昧過ぎる。あまりにも社会を複雑化し過ぎたために日本での義務教育は企業戦士予備軍育成状態になっている。
つまり、為政者や支配層達は愚民は何も考えずにだまって就職しろとの暗黙のメッセージ。
本来、教えるべきことは、「大企業が大量の広告で宣伝してものせられて無駄遣いするな」 とか 「ローンでは絶対に家を買うな」 とか 「結婚を前提にしない異性とのお付き合いはするな」 とか 「生きるとは食べること、食べるとは働くこと、働くこととは生きることであり遊ぶことではない」 とか教えるべきであり、小中学校の授業の半分位の時間をお金との付き合い方に費やしても良い位だ。


婚姻関係に例えると、基本的には自分の言うことを聞いてくれる異性を求めるのであり相手の言うことを聞いてあげることを優先する人間は稀だろう。
それと同じで、企業や国家も会社や国の言うことに従順な社員や国民を求めているのであり、企業は会社の宣伝に洗脳される消費者が多くなることをを望んでいる。


ミスチルの楽曲に『しるし』があるが、その一節に、「どんな言葉を選んでもどこか嘘っぽいんだ。左脳に書いた手紙 ぐちゃぐちゃに丸めて捨てる。心の声は君に届くのかな?沈黙の歌に乗って…」 とある。
私が何年も続けてこのブログで言葉を選び書き続けて何が自分自身の身になり何が変わったのだろう。
そんなことをするより、耳を澄まして世界の声を聞くほうが心に響くのかもしれない。
世界や社会は私に対して沈黙のメッセージを届けてきている。私はそのメッセージを上手く受け取れたのだろうか?
恐らくキリスト教を始めとする宗教を信仰する人達は神からのメッセージがあると信じて耳を澄ませているのだろう。
そしてそれが自律心を養う大きな手助けになっていることだろう。


私が最近目指しているのは、魅力ある人間になること。そして人間的に大きくなることだ。
しかし本当に魅力ある人間や本当に大きな人間は自分でそんなことを語らない。
例えば、「男らしさとは何ですか?」 との問いに 「男らしさとは何かなど質問しない奴こそが男らしい男」 と答える男が男らしい奴なのだろう。
ただ、そうは言っても自分に対して具体的に言い聞かせないと頭に残らないのも事実。
そこで、今日語ってきた結論として、『緊張感』 を大きなキーワードとしたい。

緊張感は、はかなさや美しさや強さに繋がる大きな要素に思える。
私自身、いつの頃からか緊張感に欠ける日々を過ごしてきた気がする。
現実は現実としてどうしてもコーラを捨てた人間を美しいとは思えない。
現実に対応すると同時に美しさも失いたくはない。

緊張感が無い人間には、沈黙の歌は聞こえてこないだろう…

ひとつの現実






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2012年01月27日

主要なこと。

テニスの錦織選手の活躍があったり小島貞博調教師の自殺があったりと考えさせられることの多い日々である。
錦織選手の活躍や日立製作所がテレビの自社生産の撤退を決めたことなどは、ボーダレス時代の象徴に見える。
ガラパゴスと言われる国内の携帯電話事業も転換点に来ている。
消費税論議も必然的に海外の国との比較が成されることになり幅広い視点で物事を捉えないと本筋を見誤る。

物事には主要なこととそうでないことがあり、当然主要なことを優先するべきなのだがどこかで方向性がおかしくなると修正がきかなくなる場合も生じる。
真面目な男だったとの評判であった上記の小島調教師が最後に自ら命を絶つしかなかったことには心が痛む。

私とて他人事ではなく、常に主要なことを念頭に置き日々過ごすことを心掛けてはいるが感情に流されることが多い。
最近はモチベーションをどう保つかに重点を置きかけていたのだが、モチベーションを保てないと仕事が出来ない奴は本質的には能力がない奴との説もあり物事は何でも限度というものがあるようだ。

男にとっての幸せとは妻や子供に尽くすことであり、女にとっての幸せとは男に養ってもらうことだとのひとつの定説については異論も多いが、私も最近では「そうなんかな」と思う時がある。
最近結婚が決まった数々の女性芸能人のあの嬉しそうな顔を見ていると妙に納得してしまう。

毎回毎回、同じことばかり繰り返して恐縮だが、外見は内面の一番外側だとの考えが正しいのなら年齢と共に容姿は衰えても人間的な魅力が言動や表情や物腰に出ても不思議でない。
もし年齢を経ても人間としての成長がないのなら年齢を重ねる楽しみなどないに等しい。
勘違いでも私はその一点に賭けたい。これからの私の楽しみは今後どれだけ自分自身が人間的に大きくなれるかだ。
誰しも過去の栄光があるし過去の素敵な思い出のひとつもあるだろう。
しかし今この瞬間、そして明日以降の未来が素敵である保証はない。どんな華やかな過去を生きた人もどんなつらい過去を生きた人もこの瞬間は対等に思える。
何を持って自分自身が幸せと言えるのかは自分自身で決めてよいはず。
今までが間違ったなどと思う必要はなく今までがあったから今があるのだし、自分自身のことを気にかけてくれる人はきっといる。

これもいつも言うことだが、今この瞬間を精一杯楽しむことは大事だけど同時に明日からのことを考えるのも同じ位大事なのだ。
何事もバランスが崩れると良くない方向に向かう。偶然なのかどうなのか錦織選手もサッカーの長友選手も体幹トレーニングに力を入れている。
それはまさしく肉体の中心部分の強化でありそれが肉体のバランスを保つ重要な要素となる。

目的のある人間には正解が存在するが、そうでない人間にとっては正解とか間違いとかの概念さえも持てないように思える。

今現在、従事する仕事が本来目指していた仕事でない人も多くいるだろう。
先に述べたことではないが、そんな人達の多くはそれこそモチベーションを保つことに四苦八苦するはず。
抽象的表現かもしれないがそれでも成長出来ているとの何らかの実感を持てれば前に進める気がする。
昨日より今日の方が、人の話を5秒だけ長く聞き続けられたなどでもよい。それもひとつの成長だと思う。
人の話が終わるか終わらないかのうちに自分の話をし出す人間は多い。たった5秒でも長く人の話を聞けたなら明日に向かって自信を持ってよいと思う。
成長なんてほんの少しずつしか無理なんだから焦る必要はない。
ただ、そんなほんの少しを積み重ねて行くことが重要に思う。

主要なことは何なのか? 常に念頭に置きながら前に進みたい。


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2012年01月20日

好きなことと向いていること。

久々に(そうでもないか?いつもか[笑])長文になるのでお急ぎの方はまたの機会にゆっくりと…


米長邦雄永世棋聖VSボンクラーズ というプロ棋士対コンピュータの将棋対決⇒電王戦が1月14日に開催されボンクラーズが勝利した。
ボンクラーズは昨年開催された『第21回世界コンピュータ選手権』で優勝した強者。
今回は公式戦として行なわれたので、歴史的な決着になったと言える。

そこで私の感想だが…
う〜ん。 人間って大した知能は持ち合わせてないんかなぁ。今回の例だと記憶容量や演算速度なので相当の差があったのだろうとの印象。
まぁでもボンクラーズは人間が作ったものなのでやっぱり人間は優秀なんかなぁ。
どちらにしてもコンピュータ相手に心理戦は通用せずアルゴリズムに呑み込まれた結果に。
米長氏は対戦後、「人間が作った自動車にスピードで負けたとしても陸上競技の値打ちは下がらないでしょ」 とのやや苦しいコメントを出したようだ。


私が小さい頃になりたかった職業は、体育の教師とアナウンサーと書店の経営者である。
結局はどれにもなれていないのだが、それ以外に棋士を目指していたとして今回のような事態に直面した時、コンピュータと対戦する気になるんだろうか。
どうやら羽生氏は対戦を避けたいようだが渡辺竜王は過去にコンピュータに辛勝した経験がある。
今回の対局でも渡辺竜王はボンクラーズの次の一手をほぼ予測出来た模様。

棋士とコンピュータの関係って人間とお金の関係に置き換えても何かを暗示している気がする。
つまり、勝てさえすればいいのか?金さえあれば勝ちなの? との価値観。

私は自分自身のことを基本的には『真面目』だとは思っているが『努力家』とは思えない。
だだ、そんな私でも人に負けないスキルは持っていると自負している。
それは『対人スキル』だ。 しかしコミュニケーション能力を獲得するまでの過程は、努力という要素がどれほどの影響を及ぼしたのだろうか。
結果としては、その能力が私が金を稼げている大きな要素になっているので人と会話することについて私は、「向いている」と言えるのかもしれない。

一方で、私はギャンブルが好きなのだが(小中学生時はゲームや外での遊び)好きなだけで向いているとはお世辞にも言えない。

先日、テレビを観ていると70才でマスターズ陸上を何連覇もしている男性の特集をしていた。
70才にして毎日腹筋300回、腕立て伏せ100回をこなしているようだ。
その方は現在仕事をされているかどうかは知らないが、仕事をしていたとしてそれが運動分野以外の仕事だったらアフター5に生きがいを見出しているタイプなのだろう。
仕事に生きがいややりがいを見出すのが一石二鳥なはずだが全ての人間がそのように上手くいくわけではない。

私のことばかりで恐縮だが、私の持つもうひとつのスキルは『運命を切り開く力』だった。
「だった」と表現するのは、現在に於いても運命を切り開き続けているとの実感を持てないから。
どちらかと言うと、投げやり気味であるし何かに逃げているようにも思える。
あの女子サッカーの澤選手も言っていたが、「宿命は変えられないが運命は変えられるはず」
女性に生まれたり男性に生まれたり、金持ちの家に生まれたりそうでなかっったり、子煩悩の父親の元で育ったり自分勝手な親父の元で育ったり。

前にも書いたが、私は小学校から中学校にかけての9年間というもの、顔面にかなりの病を抱えたまま過ごした。
それは外見上はっきりと認識出来るものであり、校則を無視してゲゲゲの鬼太郎のような髪型で通した(中学生の一時期に坊主を強制された時は絶望的な心境に陥った)。
両親といえば、失敗することを危惧して手術に踏みきらなかったのかそれとも関心がなかったのかは今となっては不明だが、その時期の9年間は女子生徒と会話した記憶がほぼない。

そこで高校入学寸前の3月に私にしてみれば一大決心で父親に手術をしたいと申し出た。
父親は渋々(私にはそう見えた)私に麻雀仲間の悪徳医師を紹介してくれ(私にはそう見えた)無料で手術を受けることになった。
しかし案の定そんな遊び人の医者の腕が良いわけがなく、3度に渡るオペの末益々症状は悪化して高校一年生の間中運動も満足に出来ない事態になった。
そこで16才の私はもう親を頼るのはやめ、貯めていた貯金と保険証を片手に大阪中の医者巡りをした。
あの松下電器産業(当時)系の病院にも行ったが、難病扱いをされ匙を投げられてしまった。

私はへとへとになりながらもとにかく歩き続け、オペをしてくれる医者を求めて彷徨った。
そして運の良いことにそんなに規模の大きくない病院に名医は存在した。
あんなにもたらい回しにされた私の患部と数時間に渡る格闘の末(何十人と他の患者を待たせてしまった)、見事摘出してもらえた(頭部内の骨や神経を過度に圧迫しておりぎりぎりの状態だった)。

私はその時、「神は存在する」と生まれて初めて思った。その後そこまでの気持ちにはなっていない。
もしその先生に巡りあっていなければどうなっていたのかと…

私は当時から醒めている子供であり、親がそんな私の状況にもかかわらず結構淡々としている様子を見ながら、「人間なんてこんなもんやで」と思っていた。
だから親に何とかしてもらおうなどは思わなかったし、その後も経済的な事や就職に至るまで全部自分でこなした。
正直、高校生活の思い出は病院通いの思い出だけ。 例に漏れずその頃から人生は横道に逸れ出した。
手術に成功したら中学でやっていたバスケットを高校でも続けてスポーツに青春をかけるつもりでいたので、かけるものがなくなった私は博打と夜の世界へ…

20才を迎える前には、すっかり悪事もこなしきったためやり残した学業にも励んだ。
これも以前書いたことだが、通信教育学生・簿記の専門学院通い(独学で珠算も)・運転免許・調理師免許などなどを仕事を続けながら学び習得した。
自慢ではないが、それらの学びに於いては自分でも驚くほどの吸収力を見せ結果も残せた。
20才前からの数年間でそれらのやり残したことをやった貯金でその後の人生は歩めたと言える。
もし何でも親のせい世間のせいなどとのたまい自暴自棄のまま人生を送っていたら今の私はなかった(今の私が素晴らしいかどうかは抜きに社会生活は送れている)。

ブログを通じて知り合った方の中には私の年齢をほぼ知っている方もいるが、年齢も職業もはっきりとは言ったことがない。
それは飲みに行く店でも同じこと。
先程述べた私が考える対人スキルとは自分の情報を包み隠さず伝えることで得たものではない。
そうではなく、逆に他者の個人情報を私の心に留めていることで信用を得てきた積み重ねだ。
自分の情報を隠さないことや隠すことが重要なのではなく、他者のことをどれだけ尊重するかだ。
自分のことを包み隠さず伝えたところで、他者が秘匿して欲しい情報をペラペラと第三者に伝えているようではどうしようもない。


前置き通り長くなってしまったが、坂井宏朱さんのことを考えていると、好きなことと向いていることの区別について想いが及んでしまった結果が今日のエントリー。


好きなことをすることに基準を置くと、時に依存状態から抜け出せなくなる。
恋愛などは逆にその依存があるから結婚まで発展するのかもしれないが、趣味・嗜好については少し考えた方がよい。
「今している仕事はあなたにに向いていますね」 と一度でも言われたことがある人はもっと仕事にやりがいを見い出したらどうだろう。
向いていないのに好きだけで取り組んでいる事柄に振り回されているようなら仕事以外の事柄でも、「自分に向いていること」 に取り組んだらどうだろうか。
コンピュータには出来ない素晴らしくて感動出来ることがきっとあるはず。そしてやがては人に感動を与えることだって…
たったひとりでもいい。誰かに大好きだよと言ってもらえて、たったひとりでいいから大好きだよと言えたらどんなに素晴らしいことだろう。

坂井さんは最後までこの職業は自分に向いているのだろうかと悩んでいたはず。
残念ながらその答えが出る前にコースを走れなくなってしまったが、最後に走った日に良走路の最高上がりタイムを出せたことは確実にスキルを身に付けかけていた証拠。

私の勝手な思い込みだが、『人生を自分の力で切り開く人間』 であり続けたいしそんな人間をこれからも応援したい。







posted by tetsukazu at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月17日

それぞれの想い。

坂井宏朱さんの事故のことについてはまだまだ整理がつかないが、
彼女の所属先である船橋オートレース場の同僚選手や関係者、同期である第31期の選手、
そして勿論のことご家族のお気持ちを考えると悲痛なものがある。

事故があった日曜日もレースであり当日のレースでは彼女としては上がり最高タイムを出していた。
そしてその日の全レースが終了した後の練習走行で悲劇は起きた。

事故直後、師匠(指導員)である永井大介選手らが駆け寄り、
「坂井、戻って来い!聞こえるか?」 と何度も何度も呼びかけたとのこと。
永井選手はオートレース界でもほぼ頂点を極めた男。
それだけに時には妥協を許さぬ指導もして来たことだと思う。
それを受けて彼女はバイクのフレームに師匠の言葉を記して乗っていた。
永井選手の心境を想像すると言葉もない。
彼は、「アイツの頑張りを一生背負って、俺はこれからやって行く」 とのコメントを出した。

少し前に薬物絡みで死者を出すという事件を起こした芸能人の例を出すまでもなく、
人間は自分基準の快楽を中心に生きて行く。
それが正しいか間違っているかなどと考えないからこその快楽でありそれを批判する資格がある者は少ない。
ただ、少数の者は理性を持って煩悩を制し夢に向かって不器用にそして真っ直ぐ進んで行く。
今回のことは運命との側面から見れば誰も責められないし残された者は彼女の死を無駄にしないために何がやれるか考えるしかない。

そんな中、それでもレースは開催され続け、昨日は飯塚オートで優勝戦、今日は船橋オートで優勝戦があった。
飯塚オートの方は第31期の中尾貴志選手(21才)、船橋オートの方も第31期の青山周平選手(27才)が見事優勝した。
表現が適切ではないかもしれないが、同期である坂井選手への最高の贈り物になったのではないだろうか。

船橋オートの方の優勝戦には師匠の永井選手(SG6回制覇)や指導員補助の池田政和選手(SG8回制覇)も出ていた。
こういう事が起きた後に平常心で走れと言うのは酷なこと。夜も寝られない状況のそれぞれの走りだったろう。

知り合いに連れられ川口オートレース場に行きそこでの永井選手の走りに憧れてオートの世界に飛び込んだ彼女。
27年というあまりにも短い人生だったけど、最後の最後まで夢を追い前を向き走り続けた。

そんな彼女のように私も走り続けられるのだろうか…


坂井宏朱さん。貴女の笑顔や勇気や真っ直ぐな心、そして周囲への思いやりの心は忘れません。ありがとう…安らかに眠って下さい。


http://hochi.yomiuri.co.jp/zoomImage/20120116-OHT9I00292.htm
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2012年01月15日

ショック。

つい先程パソコンを開いた時、驚きの二ユースが出ていた。
今日は夕方以降にもパソコンを開いた時間はあったのだがその時は気付かなかった。
ショックなことに昨年夏に 訂正⇒44年振りの女性オートレーサーのひとりとしてデビューし私のこのブログの8月14日分でも記事にしていた 坂井宏朱選手が所属先である船橋オートレース場での練習中に亡くなられたのだ。
言葉にならないのだが、事実は事実なのでこの場を借りてご冥福をお祈りいたします。

彼女は大手の旅行代理店のOLからの転身であり、バイク経験もない中でのプロデビューだったので常に危険とは隣合わせだった。
雨走路では一着をとったこともあったが晴れの良走路では苦戦していただけに練習にも熱が入っていただろうし焦りもあったはず。
しかし今更そんなことを言っても彼女はこの世に戻っては来ない。

私も彼女の近況は気にしていたためブログへの訪問は続けていた。
まだ20代でのこの事態に対して私に語れることは少ない。
知り合いの男性の応募がきっかけで彼女も応募したらしいが人間の運命なんてわからない。
あまりの驚きとショックでこの記事を書くことが精一杯だが、彼女のことを応援していたことだけは天国に伝えたい。
雑音も多い中、何とか男性レーサーに追いつこうとしていた彼女の想いや勇気の何十分の一かでも私がこの世に生を受けている間は心に留めて置きたい(合掌)


http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/images/20120115/dms1201152040010-n1.jpg

dms1201152040010-n1[1].jpg
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2012年01月14日

賭け続ける男(破)第48話

何やかんや言いながら土日が来るとじっとしていられないテツのようだ。


テツ‥今日の京都第6Rの牝馬限定新馬戦は期待の馬が多く出走してるな。
その中でも12番のメイショウジェーンと10番のアドマイヤキュートはやや他馬を引き離している印象。
どちらかをとるならメイショウジェーン。河内厩舎で松本オーナーで武豊となると期待は大きい。
距離が伸びても走れそうな感じがするので最後の脚が止まるとは思えない。

馬券はメイショウの単が53% アドマイヤの単が47% の割合で。


*1月15日 20時33分 
結果⇒メイショウジェーン1着(オッズ3.0)アドマイヤキュート6着(オッズ3.2)

テツ‥それにしても博打は難しいな。俺がのめり込むだけのことはあるわ。
勝つには勝ったけど人気薄の2着馬とは首差やもんな。
毎日何レースもやってたらトータルで勝てるわけないな。
かといって好きでやる限りは多くのレースに手を出したくなるしな。
研究を重ねて経験を積み強固な自己コントロール力を獲得することで、100%勝てるという確信を持つ時がある。
通常の人生なら100%の努力で70〜80%程度の成果は得られる。
でも博打の場合は成果は100か0のどちらか。
だけどよく考えてみると成果が0である時の努力の量はきっと100%にはなっていないはず。
ただの遊びというには一回の賭け金が万単位なのは大き過ぎる。
納得出来る店に飲みに行って万単位の金を払うことと脳内から出るドーパミン量はほぼ等価。
博打で万単位の金を突っ込んで一円の見返りもない時には絶望感だけ(異論は認める)。
金を出すから快感を得られるわけでない。
金を出すに値する事柄に対し対価を得るための戦略・戦術を持ちそれを実行し事前に成果を確信するからこそ一歩踏み込める。
通常の快感だけで満足出来るのなら食欲や睡眠欲を満たし大人しく仕事をして病気に備えて健康的に過ごしていればええんや。
自分の人生の値打ちは自分で決めるしかないんや。
自分の生き様が間違いではないとの確信を持てる時が来た時、そこから新たな旅が始まるような気がするわ。
その確信を持てるのは明日かもしれないし10年後かもしれない。
ただ言えるんは俺にはその確信が持てる日が絶対来るという自信があるということや。





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2012年01月10日

普通という奇跡。

生活保護を受けている人の数が200万人を突破して第二次世界大戦後の
混乱期さえ上回る現実には戦慄を覚える。

そこで、生活保護以外の要素で何らかの問題を抱えている人間の数を調べてみた。

身体障害者数⇒351万人

知的障害者数⇒45万人

精神障害者数⇒258万人

要介護認定者数⇒490万人

糖尿病患者数⇒247万人(予備軍2200万人)

高血圧疾患者数⇒780万人

喘息患者数⇒109万人

脳血管疾患者数⇒136万人

悪性新生物疾患者数⇒142万人

白内症患者数⇒128万人

アルコール依存症患者⇒80万人(予備軍???)

ギャンブル依存症患者⇒推定100万人(予備軍???)

アルコール以外の薬物等物質依存症と認定出来る者⇒(ニコチンを含めると推定1000万人単位)

ギャンブル以外の行動依存症と認定出来る者⇒(買い物・セックス・ゲーム・ケータイ等含めると推定500万人〜1000万人単位)

*行動依存とは、その行動を起こした時に脳内で興奮作用を引き起こすドーパミンが過剰に分泌され、その時の快楽気分が記憶されてしまうことから始まる。


その他としては離婚経験者数も調べかけたが、現存する日本人のこの瞬間の元既婚者数を計算するのはほぼ無理。
最新のデータとしては結婚するカップルの約30%がどの時点かで離婚するということ。
一年間の離婚件数は約25万組なので一年に約50万人の元既婚者が生まれることになる。
つまりその元既婚者がそのまま再婚しないとするとこの瞬間に400万人〜500万人程度はいるのでは?

病気についても歯に何らかの問題を抱えている者だけで数百万人単位でいるので調べたらきりがない。



こうして書き出してみると全部の数字を足す気にもならない。
複数の要素に引っかかる者もいるだろうし問題を抱えることと幸不幸が直結するわけでもない。


このようにこの世に存在する限り人間は何らかの問題を抱えつつ生きているのが現実。


今日は退屈な一日だったなぁ〜 と呟くそこのあなた…


それは普通に過ごしたという奇跡なんですよ!


楽しいことがある一日も素晴らしいけど何もない一日もそれと同じ位素晴らしいはずだ。







posted by tetsukazu at 23:18| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月08日

世界の捉え方。

久々の更新が本年初エントリーとなりました。
本年も宜しくお願いいたします。

さて、下にアップした写真の通り正月はサウナ三昧で過ごし5日は初馬券となった。
今年の馬券購入がこれで終わりなら今年の収支はプラスで終了だが人間の煩悩をなめてはいけない。
サウナで久々に闇金ウシジマくんを読んだが主人公のウシジマは何故彼女を作らないのかが気になった(そこなんかい!?)。

いつも話をする知人がこの前語っていたが、福山雅治やKinki kids は恋愛の負け組ではなく、真面目に恋愛を捉えた場合にかえって結婚などに二の足を踏むのではないかと…

私は昨年の後半から今年の始めにかけて意識的に人に話し掛け接点を持つようにした。
そうすると、世界をシンプルに捉えている人が圧倒的に多いことに気付いた。
この前、テレビ番組の中でAKB48の高橋みなみさんが漫画・コミック以外の単行本で今まで読んだのは窓際のトットちゃん位かなぁと言っているのを観て少し衝撃を受けた。
彼女がワンピースの熱烈なファンなのは知っていたが20才を過ぎたのだから少し位は一般書を読んでいると思っていた。
まぁそれでもあれだけの人気があり私より稼いでいるのだから問題はないのだろう。

あのユーミンが松浦亜弥(さん)と対談した時に松浦亜弥(さん)から次のような質問を受けた。
「私も自分で作詞をしたいのだけどどうですかね」
それに対してユーミンの回答は、「人はやりたいことを既にやっているのよ。作詞しようなんていう人は小学生のころに既にやってるわよ」 と。

もし日本人の読書に対する意欲が低下しているのなら読書は生理として内心から湧き上がるような感情に基づくものでなないのだろう。

最近テレビで観た「約30の嘘」という映画だが以前にもレンタルで借りて面白いと思ったので今回も興味深く観た。
中でも伴杏里さんという女優さんが魅力的なので改めてアメーバブログの彼女のブログを確認した。
新年はニューヨークで迎えたようで、さすが芸能人だなぁと思った。
このようにそんなに知名度のない芸能人でも年に何回か海外に行くし美味しい物を食べたといっては写真をアップしている場合が多い。
アメーバブログを見ている限り高橋みなみさんのような人も多くいるのだろうしブログに訪問する人達もこんな書物を読みました的な記事より見易いのだと思う。
藤田騎手の男道でも読書に関する記事はあまり目にしない。

つまり多くの人は世界を難しく考えているのではなく、今従事する仕事や家事を精一杯こなし美味しい物を食べ好きな趣味に親しみ気が合う仲間と遊ぶことが中心なのだ。
私のように長年ブログであーでもないこーでもないと言っているような奴はさぞかし「めんどくせー奴」に映るだろう。

私の周囲には28才〜40才の独身の人間が多くいるが、彼ら彼女らの中には自分から人を好きになったことがないと言い切る人もいた。
私にとっては興味深い意見であり、その女性(28才)は今後どういう道を歩むのかが気になる。
どうやらお店を持ちたいようなのだが貯金をしている様子はなく漠然とスポンサーを探しているようなことを言っていた。
その女性の母親は、宝くじに当たったならお店を出してあげるわと言っているが…
その母親曰く、私はSで娘はドSなのよとのことなので飲み会で同席すると物凄い弾が私に飛んでくる。
そんな調子で男性と接しているのなら余程我慢強い男性でないと続かないだろうな…
母親と同居しているその女性は家ではほぼ家事をしないようなので私には彼女が人の奥さんになるイメージが湧かない。

大人の男女が交際する最大の目的は子孫を残すことだろう(遺伝子の戦略)。
もし子孫を残すこと以外を目的として男女が交際するならばその関係が不安定なものになるのは避けられない。
肉体的に受身の女性が精神的な面で受身になっていないならば現在の非婚化・晩婚化のトレンドは続くだろう。

私が今、子孫繁栄のためとして女性を意識出来ないのなら私に交際する資格はあるのだろうか。

本を読まなくてもAKB48は輝いている。独り者になって2年の私は何で輝けるのだろう?
もし今、ユーミンに質問出来るとしたら彼女はどんなアドバイスをくれるのだろう…

ウシジマならこう言うはず。「死ぬ時は誰だってひとり。困った時には誰かが手を貸してくれるなどとは考えるな。孤独に耐えろ

振舞酒

獲るか獲られるか

初戦






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