2011年09月27日

=洗練=

くどいようだが今月は私の誕生月。

ブログ以外で誰かに言いまくるわけでもないが、4人からお祝いのメールが来た。
一人目は何故か元妻、二人目は行きつけのお店のママ、三人目は次男、四人目は同じ年齢の知り合いの人妻だった。

とにもかくにもメールをくれた人達には感謝の気持ちで一杯だ。
私がこの世に存在していることが社会的に証明されたのも喜ばしいこと。

こうして毎年誕生月を迎える度にこれからの一年は充実した生活を営もうと決意するのだが結果は言うまでもない。
同じことを繰り返すのも芸がないため今年は粛々と9月を終えようと考えている。
心に期することがないこともないが、結果を伴ってこその想いなので答えは10月が終わる頃に出ているだろう。

洗練とか都会的とかの表現は外来語(英語だがカタカナで表現するため)では [ソフィスティケイト(sophisticate)] となる。
ソフィスティケイトな音楽とかソフィスティケイトされた映画だとか政治がソフィスティケイトされた国だとか言うようだ。

その文脈から繋げると、私などはもういい加減に 『ソフィスティケイトされた大人』 になっていなければならないはず。

洗練されるということは、様々な葛藤や経験や歴史を経てたどり着く域だろうから洗練された後の状態だけを見ると 『シンプル』 に映る。
つまり洗練され都会的になるということはシンプルであるのに処理速度に優れ完成精度が高いことでもある。

個々人が生きて行く上では日々様々な決断・判断が求められる。
それらに対応するためにはほぼ同時多発的に思考し行動し物事を進めなければならない。
優先順位はあれどそれぞれの差などないに等しい位重要なことだらけの中を前に進むしかない。

私は日本に生まれて日本語を話して主に日本の友人や知人、職場の同僚そして身近な家族を中心にと接点を持ち生活している。
その中で培われた価値観や感性や知識や知恵を基礎としたものが生きる上での指針となる。

ベンジャミン・ウオーフの「言語学的相対性理論」によると、
言語は概念を表現(express)するものではなく、観念を形成(shape)するものであり、
言語体系を異にするとその世界像も異なったものになるとのこと。

レゾンデートルとは哲学用語だが、フランス語では [存在理由] とか [存在意義] との意味になる。
恐らくだがフランス人の多くはは己の存在理由や存在意義について一度や二度は語ったことがあるのではないか。

一方、歴史上日本に哲学が根付いたとの話はあまり聞いたことはない。
日本人はどうやって洗練された文化を獲得したり都会的センスを身に付けたのだろうか?
フランスで北野武監督が評価されることなどと関係するのだろうか(日本人の方が彼のセンスを理解出来ないのか?)

下にアップした写真は梅田界隈の高架下の飲食店の風景だが、何故か若い女性が串カツを食べている風景がマッチして洗練ささえ感じる。
先述の同じ歳の知り合いの女性が 「先に言ってくれてたら誕生日にお昼でも一緒に食べたのに」 と言ってくれた。
その女性は社長夫人なのだが、モスバーガーでお昼を奢るだけでも喜んでくれる女性だ。
3週間ほど前にも一年に一回ほどご一緒するカラオケ好き母娘から誘われた(都合が悪く断ったが)。
どちらの声掛けも大イベントとは言えないまでも私がライト感覚で生きている部分があるからこその接点だろう。

近所のラーメン店が餃子食べ放題(500円)のイベントを9月末までやっている。
それを見て長男を誘い行ってみたい気になっている。
だから今回の誕生月を迎えての心境の変化とは言わないが、小さな出来事に一喜一憂(出来れば一喜の方)してみるのも悪くはないのかなと思い始めている。



あっ!?

=洗練= のタイトルがどっかに行ってたあせあせ(飛び散る汗)

男から見たら女は不条理だし女から見たら男は不条理なんだろう。

それでも生きていれば楽しいことのひとつやふたつあるはず。

次男からの誕生日メールは 「平均寿命までは生きや」 だった。 相変わらず父を泣かせる奴…

多くの言葉を要しなくとも通じ合える関係も 『ソフィスティケイトされた関係』 なのかもね。



それにしても下のお店のどの要素に惹かれるのかなぁ〜


ps 洗練されている映画と決め付けている 『モテキ』 見に行くぞ!

洗練













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2011年09月19日

高齢化進む。

先日のニュースで国内の65歳以上人口が約2980万人に達したと報じられた。
国民の総人口に占める割合も23.3%と過去最高を更新したそうだ。

冷静に考えるとこれだけ多くの高齢者を支えるためには働き盛りの男性や男女問わず
若者がたくさん稼がないとならないが現実は逆方向に行ってしまっている。

今日はオートレースのSG第15回オートレースグランプリの優勝戦が伊勢崎オートレース場のナイターで開催される(午後8時35分位)。

オートレース界の2009年の賞金王は、110,278,350円を獲得した高橋貢(伊勢崎)⇒下の写真は昨日の準優勝戦の映像を抜粋。
2009年は2位の永井大介(船橋)も 101,116,950円と1億円を突破している。
2010年の賞金王は、98,819,100円を獲得した有吉辰也(飯塚)。
オートレースの世界も年々売り上げが減少しているため景気の回復やインフレが起きない限り1億円を稼ぐレーサーもいなくなるかもしれない。(追記:今日のグランプリで2着になった高橋貢は残りのSGの成績次第で1億を突破する可能性有り)
因みにスマップを脱退してオートレーサーになった森且行(川口)は2009年の20位で、35,258,950円を稼いだ。
彼らも高額所得者なので稼いだ分に応じて税金を支払うのだから一杯稼いでもらって一杯税金を納めてもらう方が国への貢献に繋がるはずだ。

このように庶民がギャンブルにお金を使わなくなるのも経済の影響が大きく、何とかして国内でお金を循環させないと取り返しがつかなくなるだろう。
私は娯楽産業が衰退することが、国力の衰退にも繋がるように思う。
現在の日本の問題は、江戸時代などと比較して150年位の間の2.5倍程度の急激な人口増にあると考えている。(訂正:1872年[明治5年]が3480万人、1904年[明治37年]が4613万人なので、平成23年現在の1億2792万人との比較では、140年前の約3.7倍 100年前の約2.8倍)
人口増が単純に国力アップに繋がる時代は過ぎた。 オートメーション化された時代にいかにして人材を活用するかの知恵比べの時代。
限られた財政の中、教育と科学技術に国家の予算を注ぐことが出来るかが差し迫った課題だろう。


経済通の知人と話をしていていつも話題となるのは、お金持ちほど人格が備わるの?とのテーマ。
確かに貧すれば鈍するであってお金が無ければ常識や礼儀も備わらないかもしれない。
だからと言ってお金持ちが全員人格者だとは限らない。

必要条件⇒絶対それがないとだめだけれど、それだけでは足りないかもしれない。
十分条件⇒必ず結論が成立するが、絶対にそれがないとだめなわけではない。

条件について上記のように仮定すると、人格形成にためにはお金は必要条件の範ちゅうだろう。
十分条件とするとひとまずお金持ちは全員が人格者となってしまう。

私は、ある程度の年齢に達した者には、「人格・風格・品格」 などが備わっているべきだと考える。
人を騙し続けた人間に、「人格・風格・品格」 が備わるわけがない。
ギャンブル競技のレーサー達も所詮バクチの駒だと言われればそれまでだし、一般のサラリーマンだって組織の歯車だと言えるかもしれない。
しかしそうであっても誇りや自信や使命感や勇気や希望や夢を持って日々戦っている 「プロ達」 もいる。
レーサーだってサラリーマンだって主婦だって、もっと言えば学生だってその道のプロとの意識を持って取り組めば結果も出るし備わるべきものも備わるだろう。

夕張市やギリシャの役人にもし 「国家の破綻と個人の減給のどちらをを選びますか?」 と聞いていたとしてその答えが 「国家の破綻」 だったとすれば日本の将来の向かう道は決まってくるはず。
とにかく今は耐える時である。個人の我侭は極力慎むべきだろう。
まず自分の食い扶持はしっかり確保した上で、不急の出費は慎むべきだろう。
ただしこれは一般庶民の話であり、必要以上に溜め込んでいる人達には逆に消費してもらう方向に行くべきなのでは。

地元のエース






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2011年09月14日

毎日が Q&A

今日は暑さが戻ってビールでも一杯やりたい気分ですね。

なんて飲めない人にとってはどうでもよい話であり、人それぞれに生き方や考え方は違う。

以前にこのブログで、生きていることの説明を先人達の言葉を借りて何点か書き出した。

=何もないところから何もないところへ、何事もなかったように通り過ぎて行く= 等々

人生に意味を感じたり感じなかったりは、人により違うだろうし同じ人間にも波がある。

ただ、共通するのはそれぞれに対して日々または瞬間瞬間に何らかの問いが、どこからかはわからないが発せられているということ。

それに対して一つ一つ答えを出す作業が個々人にとってほぼ永遠に続く。

そしてそれぞれが出した答えには常に 「結果」 が伴う。

「結果」 に対する評価を下すのは、自分でもあり他者でもあり世間でもあり社会でもある。

答えを出すということは、何らかの 「行為」 を伴う。

お金のかからない行為もあればお金のかかる行為もあるし、他者に影響のない行為もあれば影響のある行為もある。

私の場合は、 「目の前のレースに賭けますか?」 とか 「目の前の飲み屋さんに入りますか?」 との問いが多いが、どうも評価されない場合が多そうだあせあせ(飛び散る汗)

「この商品が本当に欲しいんか?」 との問いは数年に一度位しか発せられないがその一度が昨日やって来てしまい 「はい」 と答えたのが下の写真。

メタリックプレートの方は12種類のうち何が入っているのかわからなかったが、アスカなら当たりとしよう。

物欲




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2011年09月13日

本気?遊び?

私のことは本気だったの? それとも遊びだったの?

なんてことを本気で聞いているのかどうかは別として、ありがちな質問ではある。

人間が行なう世の中の行為の全てが本気か遊びにしか分けられないのなら何事にも答えの用意がいる。

通常、仕事などのお金を稼ぐ行為は本気だろうしスポーツに必死で取り組む者などもガチだろう。

しかし飲む打つ買うなどの行為は基本的に遊びだろうし、個人が休日に行なう趣味なんかも遊びと言えるかもしれない。

アメリカ合衆国の3歳の子供はレストランで走り回るらしいが、フランスの3歳の子供はじっと我慢して座るらしい。

そんな違いはあれどアメリカの親もフランスの親も本気で育てているに違いない。

アメリカでは個人の個性を重視して親は子供の自由・自主性に委ねる傾向にある。邪魔はしないで伸び伸び育て、明るい人間に成長させる技は世界一かも。

一方、フランスの場合は3歳にもなると大人に対して ムッシュなどと声をかけながら握手することが当然とする位躾が厳しい。 大学で遊ぶ暇など一切ない位に教育は本気。

では、日本ではどうだろうか?

ひと昔前なら勤勉さや親切心・親孝行などで国民性を表すのが日本だったかもしれないがどうもレストランの中を走る方向に進んでいる気もする。

だからと言って社交性に長けた明るい人材が次々と出て来ている訳でもなく(私が個人的に見て)どこか中途半端ではある。

アメリカの家庭は、子供が成人すれば一緒に食事をすることも少なくなるがフランスでは子供が結婚した後も毎日連絡を取り合い定期的に食事を共にするらしい。

ここも日本ではどっちつかずのような気がする。

アメリカのように本気で =個= を育むのか、 フランスのように本気でエリート育成などの型にはめこむのか。 そのどちらでもないのでは?

日本の親達は子供に対して何を 『本気』 で教えようとしてきたのか。

もし現親世代が本気で子育てに取り組んでいないとすれば現世代の親達もまた、本気で取り組んでいなかったことになってしまう。

なでしこジャパンのメンバーの受け答えを見る限り、男子の代表達より大人に感じる。

どうしてそう感じるのだろう? 彼女達に質問する者達の知性の無さが彼女らを通じて露呈しているようでもある。


話を戻そう。

私のことは本気なの? と聞かれたなら即答出来るのが一人前の大人の男である。

勿論、答えは本気または遊びのどちらでも良い(本気に越したことはないが…)

自分でしたことが本気だったか遊びだったかの確認は直ぐに出来る。

本気で取り組んだことは長い期間を通じて確実に成果が出るが、遊びだったものは一過性の楽しさで終わる。楽しさならまだ良いが苦しさを伴う場合も多い。


加護亜依さんのことはあまり語りたくないが、母親が子供に対して依存していた場合での息子の結婚後の母親の寂しさに通じるものを彼女の感性の中に見てしまう。

先日自殺した上原美優さんにしても母親が亡くなった後のショックは大きいものだったろう。

肉親も含め他者にある種の精神的依存状態になってしまうとそれを失った時の反動が大きい。

先に例に出したアメリカでの子育ては、他者依存ではない親離れも含めた自立心形成が大きな目的だろう。

フランスの方の子育ては、定常的・定型的なコミュニティー空間での所作やスキルの獲得をまず第一に考えてのことだろう。

一人前の大人の定義(削除前の数年前の私のブログ記事にも書いたが)をしっかりと意識した者による教育を受けなかった者は自分自身で培うしか手段はない。

なでしこ戦士に本気でインタビューする気のあるプロインタビュアーなら本気で取り組んだ上で事前に知識を積み上げておくだろう。

日本の国もそろそろ、本気で取り組むべきことは本気で取り組む精神性の高さと強さとそして知性を持った大人が格好いい奴として評価されても良い気がする。


長い期間をかけてしまったが、結果が大事とのブログタイトルが日の目を見るのだろうか。

あの無敗の雀士である桜井章一でさえ過程が大事だと語っている。

本気度が結果とリンクするならば、本気で好きだよ黒ハートと囁けば結果はついて来るだろう(あくまでガチで本気ですよ)

=本気=










posted by tetsukazu at 00:09| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月11日

施錠論。

国防や一般家庭の防犯を語る場合、全員が鍵をかけないのが平和状態なのか、それとも全員が鍵をかけるのが平和を保つ要因になるかが議論となる。

私は、当然の結論として全部の国・全部の家庭が鍵をかけるべきだと考える。
その前提の下に次なる議論の積み上げをして行けばよいだろう。
現在の世界のように一部の国だけに核兵器の保有が認められてその他の国には認めないといった枠組みは世界を平和に向かわせることが出来るのだろうか。

イランの指導者はアメリカ合衆国に対して、自国は核兵器を持ちながら他国の保有に文句をつける姿勢に反旗を翻し続けている。
現在の世界の軍事的パワーバランスに理屈をつけるとすれば、領土が広い国が覇権を握るということでしかない。
領土が広いと人口も多いし資源も豊富だしいざ戦火にまみれた時でも国土全滅は避けられる。
イギリスなどは植民地をどんどん手放したため今やアメリカと手を組むしかないのだが…
その点フランスは市民革命を起こした国だけに市民=(戦士)との概念が根強くあり本質的な民主主義の理念が残っているので世界では尊敬される地位を保つ。

日本はと言えば、今だに封建時代の名残りが残っており官僚達は民主主義を一種の道具として悪用している。
つまり、自民党に投票しようが民主党に投票しようが結果はさほど変わらない仕組みを作っている。
一部の党がアジェンダとして大きく掲げている公務員制度改革だが21世紀中に改革が大きく進むような気はしない。
ある意味官僚の個人防衛力は世界レベル。
選挙に行かない人を批判する場合も多いが、賢明な大人ほど投票行動に虚しさを感じ続けているのでは…


施錠論は、一般人が生活を続ける上でのひとつの指針にもなる。
何故ならば、他者の行なう基本行為は自分自身も行なっておかないと不利になることが多いからだ。
大半の人間が仕事をしているのならするべきだし、大半の人間が一定の貯蓄をしているのならやはり自分もするべきだ。

桃栗3年柿8年と言うけれど、真面目3年夢8年との言葉があってもよい位。

原発の放射能拡散情報をドイツのテレビ局が流してネットの世界では話題となっているが、これからも政府・マスコミ一体となり重要な情報が隠蔽されるのだろう。
これからの時代は今までに増して国民は高度なリテラシー(情報などの評価・識別能力)を持って生きて行くしかない。

考え事をしながら歩いていて何かにぶち当たった記憶がある者も多いだろう。
公道を歩く行為は実は慎重さや知性などがが要求されることでもある。
人生を歩いて行く過程ではなおさら気を抜くことが許されない。
頭を打ち付けて痛むのは自分の頭だ。 

国が防衛力を持つことが極当然のことならば個人が生活や身体の防衛手段を持つことも当然である。


話は脱線するが、提灯みたいな少し長めのホットパンツって何て呼ぶんやろ?
その格好にハイソックスなんかを身に着けていられた日には、電信柱にぶち当たる率激高やで目


posted by tetsukazu at 13:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 私的本質論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

賭け続ける男(破)第41話

夏も終わろうとしているが、色が黒くないテツに夏はあまり似合わないようだ。
かといって冬も似合いそうになく、誕生月の9月から10月位にかけてのの短い季節が精神的成長の数少ないチャンスかもしれない。


テツ‥それにしてもマサには悪いことしたなぁ。
案の定、連絡が付かんようになったわ。ぼやぼやしてたら今年も終わってしまうし温泉も行けずじまいになりそうや。
博打以外の収支は問題なく推移してるんで何とか遊び代位はアウトサイドで稼ぎたいな。
母親が死んでからさすがに派手な遊びは控えて来たけど、あれからもう1年過ぎたしそろそろ許してくれるかなぁ〜
それにしても俺も最近は女に対してガツガツせんようになったよな。
その副作用かどうかわからんけど性欲に関しては本来の状態である自然現象となって一定のペースで欲望が湧き上がる感じやな。
睡眠も結構とれるし、寝られるということは身体が若い証拠かもな。
散々やんちゃして来て自然に身を任せるなんてキザな言い草やけど遠回りでも正解に辿り着いたらまぁええやろ。

明日の競馬(阪神メイン セントウルS)の方もシンプルに予想してみるか。

メンバーを見渡してみても上位のクラスで完全に1200mに特化しているのはダッシャーゴーゴー位。
ダッシャーゴーゴーに勝てる可能性のある馬は、スピード能力に非凡なものを感じるエーシンヴァーゴウ位かな。
今の阪神の芝はミスプロの血が入っていることが有利やろし。
あとの馬達はこのレースで勝ちきるイメージは湧かんな。ラッキーナインが不気味やけど59kの斤量とマイラーの可能性があることが割引やな。

馬券は単勝で、14番のダッシャーゴーゴーが70%、9番のエーシンヴァーゴウが30%。

俺は、田中健二郎さんが言うように全財産を賭けて何かに取り組むタイプや。
それで失うものも山ほどあるけど得るものも山ほどある。1000人いたら998人までは俺のようには生きられへんやろ。
普通は日々の生活のため計画的に生きるし、定期的に洋服の一着も買うやろ。
間違ってたかもわからんけど俺が普通の人生を歩んでたとしてもどうなってたかはわからん。
大臣を辞任したばっかりのオッサンみたいに格好悪いことになってたかもわからんし何が唯一の正解かなんてないやろ。

毎年誕生日を迎える度に今年からは…と気合を入れるけど気合通りにいったためしがないしな。
今年の誕生日は平常心で迎えて、福山雅治の Heart でも唄って過ごそかな…



どうやらテツは最近、福山のラジオを聞いているらしく自分と同じ独り者つながりで勝手にダブらせているよう。
勘違いもはなはだしいが、今年の目標である温泉いい気分(温泉)が無理な場合は夜景の綺麗な近場のシティホテルのBARバーでいいから相手をしてくれる女性ムードを思い浮かべる妄想の日々のようだ。

都会の夜景





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2011年09月08日

父子、人生を語る。

日付は変わったが、水曜日は息子2人が元妻と久々に会った日だった。
関東方面に行った元妻なので関西に出て来るのも1年に1〜2回しかなく今回は子供2人共の都合がついたので久々の母子対面となった。
私との対面はスルーとなったが(いつものこと)次男からの話を聞く限り特に大きな変わりはなかったとのこと。
彼女にとって子供と会う喜びが100とすれば私との再会は0.1位のレベルなので接触がなくても問題はない。

まぁそんなこんなで次男がその後に我が家に泊まりに来ることになった。
どうやら木曜日に大阪で用事があるらしくホテル代わりに我が家を利用した模様。
それでも私も次男とは久々の対面なので歓迎して晩御飯を作った(豚ロースの香味焼きチーズ風味)。
食べてる最中に私が焼酎を飲みだすと次男が 「俺も飲もうかな」 と言い、カフェオレ割りで飲み出した。

次男と飲むのは人生で2回目だが2人で飲むのは初(あれ?次男は20歳なってたっけ、まぁ今年中になるしOKか)。

飲み出したのが午後7時半位で終わったのが午前0時半。
ここ5年間の合計会話時間を上回る位の長い時間を過ごした(桃鉄除く)。
次男は芸術系の大学に通っていて現在2回生なのだが彼が我が家に入る寸前にご近所の知人とばったり出くわした。
知人曰く、 「7〜8年振り位かなぁ〜息子さんと会うのは」
「それにしても真面目に生きているような顔をしてるよねぇ〜、顔見ればわかるわ」

親ばかかもしれないが、何故かほっとした気持ちになった。
自分で言うのも何だが次男は今、奨学金を受けバイトをしながら完全自活状態で通っているので私でなくても努力を認めるだろう。。
家賃の方は1回生の頃は私が支払っていたが現在はそれも自分で支払ってくれている。
奨学金も学内で僅かしかいない無償の対象になるほど頑張ってくれているので、隔世遺伝か?と疑うほど。

話をする中で現時点での次男の人生観も聞いたが、以前と変わらずお金が全てとは考えていないようだ。
学内には金持ちの子息も多くいるが、彼ら彼女らが無条件に幸せな人生を送るとは思っていないようだし、そもそも他者の人生に過敏に干渉する気はないとのこと。

そのあたりは私の人生観を受け継いだようで、長男共々良い意味で他者の見解を絶対視しないメンタリティーを持つ。
悪く言えば物事を客観視するあまり可愛げがないのだが、余程のことがない限り一喜一憂して他者に振り回されることはないだろう。

次男が取り組む絵画などについて何をやりがいとしてやっているのかとの質問に対しての答えは、
「人それぞれだけど俺は完成した作品が他者から高い評価を受けた時に達成感や自己実現の感覚を覚えるなぁ」
「親父は自己実現の感覚を持つ瞬間がある?」 と聞かれしばし絶句。
「事業を始めた時以来そこまでの感覚はないし、極個人的なことで他者から絶賛されることもないなぁ」 と答えるのが精一杯だった。

私は次男に対して、 「決して裕福な家に生まれ育ったわけでもないお前に結婚しろよとは言わない。
もしずっと独り者で過ごすならば、裕福な家庭の奴が結婚して家庭を持つのと同程度のゆとりある生活が出来るだろう。ただし独り者でいたとしても欲望の向くまま生きてしまえば家庭は持てないわ独り者なのに余裕はないわの人生になりかねないで」 とひとまず言葉を投げた。

それに対しては、 「具体的な目標を常に持ちそれを実現させることに力を注ぐつもり」 との返答。

私が、 「じゃあ夢リストを作ってノートにでも記しておけばどう?」 と提案すると、
「確かに、美術館などに行き刺激を受けた後に感想を書きとめたりしない場合はその時の感動などが2〜3日で消える時があるなぁ」 と。
「親父は何かから刺激を受けた時にどうしてるんや?」 と問われたので、
「ブログなんかに書き記してるかな」 と答えた。
とは言え、やはり私も2〜3日でその時の感動や戒めが消えている気もする。

私は話を続けて、 「お前もこれから様々な判断や決断を繰り返すだろう。しかし下した結論については自分で責任を負い他者の責任にはするなよ」 と語りかけた。


ドラマなどを通じて妄想はしていたが、実際にさしで飲むと感慨深いものがある。
父と子は一生通じてそうそう語り合う関係にはなり難い。 それはお互い男同士で対等な関係に発展するからだろう。
私は今回の機会位しか言うタイミングがないと思い私の10代から20代にかけての心の動きと実際の行動を話した(後にも先にも今回が最後かも)。
タンカを切って仕事でケツを割ったこともあるが、そんな時こそステップアップする気持ちを忘れないで実際そうしてきたことも話した。
人間らしく生きることと目標を達成させることを両立させることの困難さも説いた。
何かを犠牲にしてでも進みたい道があることは素晴らしいことでもあるので自分の能力と照らし併せて判断するべきだと。


私は、 「子供のためなら死ねる」 とは今後も言えないし言わないだろう。
ただ、 自分の生き様を間違ったとはこれからも言いたくないし子供達にもお前達の生き方が間違っているとは言わないだろう。

人間はそんなに立派なものではないし自由以上の価値観を持てるのかは疑問だ。
今回、次男からは、 「親父、自由なんて一瞬でもええなら簡単に獲得出来るもんやで。それよりも実力や能力を反映させた末に何らかな足跡を残すことで自由を超える価値を得ることも可能ではないかな」 とも言われた。


いつの間にか単純に人から褒められることへの嬉しさを忘れていたのかなと強く感じたひと時だった。

親子酒











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2011年09月05日

勝者のメンタリティー。

ロンドン五輪アジア最終予選でなでしこジャパンが3連勝を果たした。

彼女達は既に 「勝者のメンタリティー」 を獲得したのかもしれない。

「勝者のメンタリティー」 とは、サンフレッツェ広島をJ1復帰へ導いた元ブラジル代表のセザール・サンパィオが 「勝者の証」 という著書でも記した言葉だが、勝ち切るための意志の力とか心理的な強さを表す言葉。

いつも会話を交わす知人とは毎回同じ結論になり進歩がないのだが、
結局は、金持ちの子は金持ちで貧乏人の子は貧乏人で終わるとの結論となる。
何故そんな身も蓋もない結論になるかというと、余程でないと遺伝子や環境に逆らえないからだ。
亀田兄弟の様なケースは稀であり(賛否あるが)、貧乏遺伝子や貧乏ワールドの中ではそもそも 「努力・忍耐」 の概念自体がない。
這い上がろうとする時の動機としては、反骨心が考えられるがその他の要素はあまり思いつかない。
私がいくつになっても 「のむ・うつ・かう」 の世界から離れられないのかを考えても納得の行く結論は出ない。
ただ気が付けばそのような勝者(強者)的でないメンタリティーになってしまっていたということ。

そんなスパイラルから抜け出すためには 「自助努力」 しかないのだが、それは無理してブルジョアジーの世界に入れてもらうのではない。
なでしこジャパンのメンバーだって裕福な家庭に生まれた女性ばかりではないだろう。
そんな彼女達が 「努力・忍耐」 そして 「勝者のメンタリティー」 を身に付けたのは 「自助努力・自己啓発」 によるものとしか思えない。

努力出来ている人間がどうか自己確認するのは明日一日あれば答えは出る。
戦い続ける人間には絶望もあるが希望もある。
どんな目に遭っても未来を信じて希望を持てるのは自分自身に 「活力」 が残っているから。
そんな気持ちがなくなれば何もやる気がなくなる気がする。
「のむ・うつ・かう」 は褒められることではないが、ある意味健康な証拠かもしれないと自己弁護しておこう。

信じる未来へ





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2011年09月03日

経済基準の評価。

今日の日経新聞には恒例の記事が掲載されていた。
知人との会話でもいつも話題になる歴代内閣と日経平均株価の関係である。
     
    退任時日経平均     在任中の騰落率

海部 24950円86銭  ▲28.1
宮沢 20493円05銭  ▲17.9
細川 19725円25銭  ▲ 3.7
羽田 20643円93銭    4.7
村山 20377円92銭  ▲ 1.3
橋本 16201円60銭  ▲20.5
小渕 20462円77銭   26.3
森  13973円03銭  ▲31.7
小泉 15557円45銭   11.3
安倍 16435円74銭    5.6
福田 12115円03銭  ▲26.3
麻生 10270円77銭  ▲15.2
鳩山  9537円94銭  ▲ 7.1
菅   8950円74銭  ▲ 6.2

在任中の株価の動きだけで言うと小渕首相と小泉首相が合格点といったところか。

私は最近書いた記事で、刑務所の中では食事が三食確保されると言ったが、
フィリピンあたりではそうでもなくて、受刑者に面会に来た人間などが差し入れをするなどしないと行政機関からの調達はあてに出来ないらしい。

アフリカ諸国の一部は各国からの援助なしでは経済が立ち行かないがそれでも子供は多過ぎる位生まれる。
貧しい国ほど娯楽もなく資源といえば人的資源になるため生殖活動が盛んになるのかもしれない。

日本の国では長らくデフレが続き職にあふれる人間もいるにはいるが、そんなアフリカ諸国や北朝鮮人達から見れば贅沢な話だろう。
曲りなりにも生活保護などの制度が確立している我が国では、単純に飢え死にする人は少ない。

菅首相が在任中に経済政策や少子化対策について熱く語ったとの記憶はないが、晩婚化の傾向は深刻な問題だと思う。

どう考えても自分自身の個体維持だけの観点から言えば、現在の日本に住む日本人男性が結婚に踏み切るメリットは薄い。
結婚しないと生活を維持出来ず世間体も悪いなどという時代ではないし、結婚しないと出世出来ないという通説も実用性に欠ける。

生命の歴史を紡いで行くとの崇高な精神から言えば、男は損得抜きに女性を求めて子供を産んでもらうべきなのだが、
悲しいかな資本主義社会が成熟すると、正に損得を超える基準が見えにくくなるという皮肉。
理屈抜きに生命のバトンを渡して来た人間が、ある意味理屈しかない資本主義の中で戸惑っているのが現状だろう。

資本主義社会は力のある者が力のない者を支配する。
例えば経団連のお偉い方達が経営する企業(トヨタ・キャノン等々)やメガバンク(旧財閥系)の企業グループは国の支配層だろう。
ある意味では皇室や政治家もそれらの支配者達の手のひらで踊らされているのかもしれない。
ただし救いがあるとすれば封建社会とは違い、表面上は暴力を持って民を支配するわけでないところ。

為政者による徴税については私が日頃疑問に感じていることがふたつほどある。

ひとつは、個々の住宅事情により課税が成されない点だ。居住する住居にかかる負担に応じて税を課すことを当然としている国も存在する。

もうひとつは、ローンが払い終わった住宅に対して固定資産税をかけ続け、それが払えなくなると住宅が取り上げられる点。
本当の意味で私有財産制が機能しているというのなら固定資産税制度は国の土地を固定資産税と言う名の家賃で貸すかのような制度でおかしい。

長く国政に携わっていた自民党の政策にも疑問を感じる。
ローン減税などで国民をあおり無理なローンを組ませる持ち家政策をとり続けたからだ。
恐らくだが、持ち家を持つということにモチベーションを感じさせることで成人した男達が仕事に励むだろうとの魂胆が見え隠れする。
しかし結果はどうだ。 たっぷりと金利も払い込んだ末に完済した住宅に費やした総金額と、賃貸で長年住んだ後にローンを完済した中古住宅の隣の部屋をキャッシュで購入した場合との比較をすると答えを出すまでもない結論が出てしまう。


このようにあらゆる事柄が透明化された現代においても生命は受け継がれて行く。
こんな時代でも損得抜きに結婚して子供を育てて行くカップルもいるだろう。
本能が本能のまま機能する限り男は女を求め女は男を求めるだろう。
しかし、経済力のある男を求めるとの条件付きであるのなら我が国の少子化傾向に歯止めはかからないはず。

トンデモ話だが、公務員と大企業に勤める男性には結婚を義務付けること位しないと解決の糸口は見えない。

野田内閣では、消費税等の増税路線を念頭に置いているようだが、これも経団連を喜ばせる政策。
大手の輸出企業にとっては消費税がアップしても影響は少ない。戻し税と言う形で企業に戻ってくる仕組みなのだ。
その点、国内で商売をする中小企業は痛手。
仕入れに関しての消費税分は申告の段階で経費として計上されるが、売り上げに対するものは預かり金としてそのまま徴税される。
中小企業の中には金庫の中にわざわざ純粋な売り上げ金と、預かり金の消費税を分けていないところもある。
そんな企業は消費税の滞納となるため既に経営状態がギリギリのところもある。
そこで更にアップされると致命的なことになる。


世の中の不思議なところは、ベンチャーと言われて始まった業界がことごとく大手の寡占状態となってしまうところ。
アウトサイダーの世界でさえ〇〇組など大手数グループの独占と言ってよいし、芸能の世界でもY興行やJ事務所などがマスメディアの多くを抑えている。
TT企業と呼ばれていたところもサイバーエージェントなどは残ったが生き残り競争が熾烈だ。

何故プロ野球の世界に人材が集まったかは高収入が得られるからであり、運動神経の良い小学男子はたいてい野球部を目指した。
官僚の世界も天下りを含めて生涯賃金が高いから秀才が集まったからであり、今後どうなるかは何とも言えない。

昨日、新人ながらデビュー以来負けなしで優勝したオートレーサーの青山周平選手もやはりモトGPの世界で食べて行くことに限界を感じたのだろう。


野田新総理がどのような経済運営を行なうかはわからないが、株価の推移には注目したい。
私の個人的な意見は、インフレターゲットを定めて政府紙幣を発行する位の大胆な手を打って欲しいのだが(金持ちは猛反対するが)…


結論になるが、今後個人の生き方は二極化すると考える(支配層除く)。
稼いだ金を基本的に自分自身及び最小限の周囲のためにつかったり蓄えたりする人間と、資本主義の仕組みにしっかりはまって良い意味で共存共栄で吸われ続ける人間に分かれるだろう。
言ってしまえば切なくなるが、損得抜きに使命感や本能で結婚する者やローンで家を買ったりローンで旅行に行ったりする者がこれからも国家を支えるのだろう(生き方の問題だけで悪いわけではない)。



家賃を払わず光熱費を払わず満足な食事もとらず満足な医療も受けず最低限の保険にも入らず年金や健康保険料も払わず大事な人と月に一回のデートもせず月に一回の外食もせず様々な知的文化にも触れず、それらを差し置いて支払うべき先などないはず。あるとすればそれは幻想だろう。

国にしてもあらゆる企業や個人事業主にしても特定の個人からぼったくるわけではない。
何も自分自身がそのターゲーットになり犠牲になる必要はない。
資本主義社会の中で笑って過ごせる方法を知っている人は強い。
過去の総理の中でもそのあたりの哲学を持っていた人がどれ位いたか?
知らないならば学ぶしかない。失敗したら更に学び更にやり直せばよい。
この世の中は現実をしっかり受け止めて腹を括った者が強いのは間違いないのだから…







posted by tetsukazu at 19:03| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

賭け続ける男(破)第40話

マサにしてみればテツの機嫌次第で振り回されることがストレスになるはずだが、
テツのことはどこかで気になるようで結局また連絡を取り合っているようだ。

マサ‥もしもし

テツ‥はいはい

マサ‥何か言うことは?

テツ‥昨日、女子やり投げで9位になった日本選手が投げやりにならないことを祈るわ。

マサ‥おととい来て下さい。
そんなことよりしばらくテツさんの予想で買うのやめて自分で考えますわ。

テツ‥お好きにどうぞ。

マサ‥投げやりなんわアンタやがな!
まぁいいです。今日の小倉第9Rは先行する5番ウインドミネーターが安定していて軸は堅いですね。
相手もダートだと腕が確かな小牧の乗る3番スカイスクレイパー、ウインドミネーターと同馬主の1番ウインベルカント、あとは実績のある15番モエレジュンキンの計3頭で。
配分は、馬連で3−5が60%、1−5が20%、5−15が20%で。
どうやら雨模様なので、3番より5番軸が正解の気がします。
恐らく投入金額の1.7〜1.8倍程度の払い戻しになりそうですが、3−5のワイドよりは返りが多そうです。

テツ‥頑張ってや。俺もちょつとだけ乗らしてもらうわ。
それにしても昨日は船橋オートで新人の青山周平がデビュー13走(13戦13勝、デビュー後35日)でいきなり優勝しよった。
彼は、モトGPの世界からオートレースの世界に乗り込んで来たけどハングリーさが半端でない。
モトGPの実績なら兄の方があるがこのハングリーさはオートレーサー向きやな。
俺もハングリーさを持って今年の勝負戦線を突っ走るで!

マサ‥何の勝負やら??


今年のオートレースの新人は女性レーサーのもうひとりの佐藤摩弥も含め話題のレーサーが多い。
テツは刺激を受けて再びトレーニングを開始(左腕負傷で一時ストップ)したよう。
今年は温泉に行くことも目標にしているようだがさて一緒に行く相手はいるのだろうか?

小倉第9R結果
1着1番ウインベルカンプ 2着6番ライブリシーラ 3着3番スカイスクレイパー
馬連1−6 52990円 3連単 1−6−3 321090円

マサはレース後に口がポカンと開いたようだ。6番のスタート後から5番を突っつく不自然な位な気合いを見て
ガチンコのレースには見えなかったよう。結局、同馬主に人気薄の方が来たことも??
わかっているとはいえテツがたきつけた先週からの勝負には疲れた様子。しばらくはテツからの誘いはスルーしそうなマサではある。
posted by tetsukazu at 13:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月01日

自由の扱い方。

世界陸上(俗称)も佳境に入ってきたが、棒高跳びの女王と呼ばれるイシンバエワが2大会連続でメダルを逃した光景などをを見るにつけ 『メンタル』 の重要性を知らされる。

このブログの2010年1月27日のエントリー記事にて、マズローが分析した欲求の段階を説明したが、
第一段階である生理的欲求の中に資本主義社会特有の 『フェイク(偽物)』 が混じっている気がしてならない。
マズローは第五段階を 『自己実現の」 欲求としたが、その実現のためには 「文化に対する依存性の低さ」 も必要な要素とした。

しかし文化は時代や国により常に変容するもの。
本来であれば 『食欲』 や 『睡眠欲・休息欲』 が優先されるはずの本能分野に、消費欲や似非快感を誘発する遊戯・遊興・嗜好が溶け込むのが欲望が無秩序・無制限に開放された 『資本主義社会』 である。

例えばの話が、犯罪者となり刑務所に入った受刑囚の食事と寝床が確保されて、犯罪者ではないが家計の収支に問題がある一般人が三食喰えない構造はおかしくないか?

刑務所にないのは勿論 『自由』、 シャバ(俗世間)で起こす殺人などの犯罪が仮に個人の自由意思の下に起きているとすれば、
自由を行使することにより自由のない刑務所に入るとの矛盾が生じてしまう。
人は一体、自由をどう扱いたいのだろうか?

稼いだ金を自由に使ってしまったが故に刑務所の食事環境より劣る生活になったり、年金生活者の食事環境が刑務所のレベルより劣る場合はどう説明がつくのか。

『自由』 の獲得は食欲を制限しても得るべきものなのだろうか?


一昨年出て行った元妻がよく言っていた台詞に 「我が子のためなら死ねる」 がある。
一見、美しく崇高な精神を感じる言葉だが、時によっては子供にとってマイナスになる場合もあるだろう。
子供を捨てて出て行った女性が、自責の念を持った末に命を落としたとしてそれが 「我が子との関係性の中で死ぬ決意をした」 のならばどこか整合性に欠けないか?

自由に人を愛するのも結構だし、人のために死ぬのも自由かもしれない。
ただ、愛する対象はひとりではないはず。2番目も3番目もいる。
例え我が子が1番であっても自分自身が2番で自分の親が3番で自分の兄弟が4番ということだってあるだろう。

愛する人のために誰かを傷つけて刑務所に入った場合、それはどんな自由を行使してどんな自由を犠牲にしたのだろうか。


マズローもここまで自由の範囲が広がることは予測不能だったであろう。
普通は、第一段階である生理的欲求と第二段階である安全の欲求に日々追われて、第三段階である所属と愛の欲求や第四段階の承認(尊重)の欲求まではなかなか辿りつけないもの。

しかし現代社会では 『個人の尊重』 が大きな要素となっていて、個人が持つべき自由(幻想なのだが)を最大限尊重するべきとの意見に異論は挟み難い。

食事に関して言えば、シャバにいる場合は 「メニューを選ぶ自由」 がある。
恋愛に関して言えば、特定空間以外のところでも相手を選ぶ自由がある。
仕事で言えば、選択したくない職業は避けられるし一定期間仕事から距離を置く自由もある。

つまり 「選択の自由」 が個人の持つ最大の自由権である。

ここに自分で稼いだ1000円があるとする。
その1000円を自由に使えと言われたらどうするだろう(自分で稼いだ金だから自由に使えて当たり前だが)。

住む家があることが前提なら、ある程度は自分自身の食事代となるだろう。
しかし自分自身の食事代より優先するほど大切に思えるもの(これも幻想に近い)があればそちらが先になるだろう。

女性の一流アスリートの中には、結婚よりも競技を続けることを優先させる考えの者もいるだろう。
それはそれで自由ではある。
しかしひとつの自由を選択したために他の自由が制限されるなら自由というのも意外に汎用性のないものかもしれない。

ほとんどの者が無自覚だとは思うが、実は 『自由』 とは選択したことに対する結果を受け入れる 『覚悟』 が本当の姿なのではないか。

『覚悟』 なき自由の行使は結果として 『後悔』 につながる気がする。

刑務所に入る覚悟なしに犯罪に手を染めるべきではないし、孤立する覚悟なしに組織から飛び出すべきでもないし、三食共喰わない覚悟なしに好きなことをするべきでない。

当然人を愛する場合にも覚悟が必要だし、本当に相手の幸せを祈るなら自分勝手な結論は出すべきでない。













posted by tetsukazu at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 私的本質論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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