2011年08月28日

賭け続ける男(破)第39話

どうやらマサの方からテツに抗議の連絡があったようだ。


マサ‥おーいテツのおっさん。

テツ‥今いませんが…

マサ‥はぁ〜あんたは誰やねん!

テツ‥しがない博打打ちでございます。

マサ‥それやったら昨日の落とし前つけて下さい。

テツ‥えっ?お前ホンマに俺の予想に乗ったんか?

マサ‥あのねぇ〜 人間には誠意っちゅうもんが必要なんすよ。 そんなことじぁ友達無くしますよ。
何か人に聞いたらテツさんは第10Rの方で勝負したらしいですやん。どーいうこっちゃねん。

テツ‥ごめんちゃい。

マサ‥昭和中期のノリはええからさっさと今日の予想で汚名返上して下さい。

テツ‥わかったわかった。そう興奮するなよ昭和後期の若者よ。
今日の札幌メイン第11RはGT馬のジョーカプチーノが56kで出走なんて反則やな。
マンカフェとFコンコルドの配合やから洋芝はいけるやろ(マンハッタンスカイ・バランスオブゲームなどなど)
カレンちゃん(チャン)とのワイド1点と言いたいとこやけど、ジョーの複勝またはジョーとパドトロワのワイド1点でどうや。

MB記念は3号艇岡崎と4号艇瓜生のSGウィナーの旋回力が他を圧倒してる。
3連複の1−3−4と3−4−5が本線で3−4−6押さえでまずいけると思うで。

マサ‥わかりました。昨日のことがあるんで俺はテツさんの逆目でジョーカプチーノとカレンチャンのワイド1点で昨日の分取り返しますわ。

テツ‥おーこわ。はよ家帰って掃除でもしよ。休みは文字通り身体を休める日やからな。

マサ‥どの口が言うとんねん!


テツはこの前の食事の相手と仲良くしたので今年は会えた時の資金確保のために堅実に生活しようとしているみたいだ。
まぁ最終コーナーで落馬や落水しないことを祈るが…

競馬・ボートレース結果
競馬⇒1着 カレンチャン 2着 ビービーガルダン 3着 パドトロワ 
ボートレース⇒1着 4号艇 瓜生 2着 5号艇 峰 3着 6号艇 篠崎 
1号艇の出畑と3号艇の岡崎はフライングのため返還 全売り上げ12億強のうち10億強が返還。

テツはマサにまたも借りを作ってしまったようだ。
テツにしてみればカレンチャンとジョーカプチーノのワイドが1.6〜まで低くなったのでマサが直前でカレンチャンとパドトロワのワイドでも押さえで買ってくれていることを祈るのだが…

MB記念の方は1マークを回り4−3−5で決まりと思った瞬間、1号艇と3号艇にフライングのコール。4号艇の瓜生も00のタイミングでタッチスタートだった。
3−4−5の3連複でも10倍を超えるオッズだったので果たしてテツはその時どこで何をしていたやら。

ネットでは、フライングが出たことで AKB48の最新曲「フライングゲット」に引っ掛けて

A⇒あ K⇒かん B⇒ボートレース  
A⇒アホ K⇒カス B⇒ボートレース
A⇒オール K⇒九州 B⇒ボートレース
などなどと言われて皮肉られているが
テツにしてみれば
A⇒あっ? K⇒交通費損した B⇒ボートピア フライングゲット! と言ったところか。

岡崎はこれで1年間ほぼ記念レース(Gレース)戦線から外れる痛い勇み足だが主催者にとっても10億強の返還金売り上げに対して手元に入るはずだった2億5千万強の収入が消えたのは痛手。
レース終了後に出畑と岡崎がお偉いさん達に特大の説教を喰らっただろうことは想像出来る。

テツにとっては素敵な女性と食事が出来た上に更に博打でも美味しい思いが出来るほど甘くなかったということだろう。

それにしてもウサインボルトまでフライングゲットするとは…



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2011年08月27日

賭け続ける男(破)第38話

すっかり博打の世界からアシを洗ったように見えたテツだったが、
福岡のモーターボート記念の準優日の今日はどうもそわそわしているようだ。


テツ‥マサ〜元気やったんか?

マサ‥いや〜テツさん生きとったんですか。

テツ‥アホか。随分な挨拶やな。 ヘビーローテーションで頑張ってるわい!

マサ‥って、ひょっとしてAKBディスってるんすか?

テツ‥アイウォンチュー♪ って何でやねん! というか昨日の夜3回唄ったわい、文句あるんかい。

マサ‥別に…

テツ‥はーーお約束のリアクションな。おおきに。 まぁ今日のところはゴムゴムパンチで許しとくわ。
ま でも昨日は素敵なレディーとご飯食べたし大人の対応しとったるわ。

マサ‥あのー何にも聞いてないんすけど?

テツ‥あっ?そやったか? はっはぁ〜ちょっとした嫉妬かね君。

マサ‥やっぱり今年の夏の不規則な暑さにやられたんすね。お大事に…じゃまた。

テツ‥お願いマサちゃん俺を捨てないで。 ボートの話だけ聞いてくれたら僕満足だから。

マサ‥ぼぼぼ 僕?? もういいです。腹括るんでナンボでもどうぞ。

テツ
‥さすがマサ、物分りがええな。じゃ遠慮なく。
MB記念の準優やけど18人中福岡勢が6人進出して来よったわ。
福岡の施行者は昔から地元優遇の番組を組みよるけど今回もそう感じたな。
まぁ俺らは的中させるのが仕事やから割り切るけどな。
ほんで今日の第12Rや。

@瓜生正義  福岡
A岡崎恭裕  福岡
B赤岩善生  愛知
C今垣光太郎 石川
D山崎智也  群馬
E平尾崇典  岡山

節間圧倒的な強さを見せた瓜生。1・3・4・5の各コースで1着をとってるだけに死角はない。
出足・伸び足・回り足。全部抜群に仕上っとる。
さすがに岡崎は先輩の瓜生を捲くってつぶすことはないやろし頭は瓜生で堅い。
岡崎も順走したいところやけど3コースの赤岩がフライング持ちだけに今垣に先攻めされると苦しいな。
せやけど順当なら3連単で 1−2−4 か 1−4−2やろな。買い足すなら今垣不発時の 1−2−3か 岡崎がつぶされた時の 1−4−3 1−4−5 かな。
配分は 1−2−4 30% 1−4−2 30% 1−2−3 18% 1−4−3 11% 1−4−5 11% で。

瓜生は最近、論語を読み出してるらしいな。艇界一のテクニックにメンタルが備われば怖いもんなしやな。

マサ‥そうすか。そんなに自信あるんやったらちょっとだけ乗ろかな。

テツ‥おう、次なる目標に向けてがんばるでぇ〜

マサ‥(小声で)目標って、オネェちゃんと遊ぶこととちゃうんかいな。

テツ‥何か言うたか?

マサ‥別に…


とにかくテツは相変わらず変に前向きで逞しい。あの歳でAKB48の歌3回も普通は唄わない。
もし人生が楽しんだ勝ち勝負ならテツは間違いなく勝ち組だろう。

第12R結果 3連単 2−1−6 7320円(26番人気)
瓜生がスリットを先制して1マークを先取りするかと思われた瞬間、4カドからの今垣の仕掛けが
眼に入ったのか今垣を牽制する感じで1マークのブイを外したところを岡崎がズボ差し。
結局今垣を振っていったのは3コースの赤岩。赤岩が外からの仕掛けに反応するのはいつものこと。
しかし牽制しつつ旋回しても岡崎に差されないと考えたのか岡崎になら差されてもいいと思ったのかは不明だが、足が良すぎるための結果だったとすれば皮肉だ。 1マークの内が空いたところを2番差ししたのが直前気配で伸び足が更にアップしていた平尾で3着を確保。
ただし瓜生はこれで明日の優勝戦は4コース。かえってリラックスして戦えそうなので2着までに来る雰囲気はある。
さて、テツの方だがどうやら第10Rに間に合い1号艇の出畑から勝負して的中したようだが、
もし第12Rを見(ケン)しているようならマサに恨まれそうではある…
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2011年08月26日

幸せになれる方法。

更新が少し空いたが連日3けたに及ぶ方々に訪問していただき感謝します。

先日ブログに書いたオートレースの女性レーサーである坂井宏朱選手が初勝利を挙げたことにまずおめでとうの言葉を送ります。
それにしても東スポ(大スポ)の坂井ちゃん推しはかなりのもんやなぁ〜
ドジでノロマな女の子イメージで応援していそうだが、今時の女性はドジでもノロマでもないと思うけどなぁ〜

島田紳助のことは他のブロガーに任すとして、唐突だがタイトルにあるように「幸せになれる方法」を考えてみたい。

小林よしのりの著作に 『ゴーマニズム宣言 よしりん戦記』 があるが、
その中の特別寄稿として、小林氏の初代秘書である末永直海さんが語った文章が記載されている。

その冒頭に 「自分を客観的に見る」 「もしも幸せになれる方法がこの世にあるとしたらそういうことなんだろうなと思う」 と書かれていた。

う〜ん。 実際難しいよな。 難しいから葛藤し続けて生きているのかもな。

私は、生まれた瞬間から3〜4歳までは 「運」 が個人の幸福感や豊かさの大きな要素を占めると考える。
しかしそこから先は、末永さんが言うようにどれだけ自分自身を客観的に見ることが出来るかが大きな要素かもしれない。

犯罪者となったり精神のバランスを崩す者は、どこかで客観視する感覚を失っているのかも。

島田氏のことに少しだけ触れると、彼は大学の入学まで決定していたが本人の強い意志で結局通わなかったようだ。
本人が語るところによると、自分にとっては大学生活が意味あるものになるとは思えなかったそうだ。
当時の彼の考え・判断は正しかったのかもしれないが、やはり主観によるものであったことに違いはない。

あるアンケートによると、世界に誇れる日本人との設問に対する解答は
1位⇒イチロー 2位⇒松下幸之助 3位⇒坂本竜馬 だった。

また別のアンケートでは、
1位⇒イチロー 2位⇒北野武 3位⇒宮崎駿 だった。

成功者がもし幸せを実感していたり心身の豊かさを実感しているのであれば、上記の人間は己を客観視する視点を持ち合わせているはず。

自信過剰にならず、自信過少にもならず、前向きにしっかりと着実にしなやかに明るく生き生きと歩みたいものだ。


PS.明日は幸せ気分を味わって来ますぜい…フフフ。るんるん





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2011年08月19日

恋愛とエントロピー。

時間の問題と言われていた内野聖陽と一路真輝夫妻の離婚が発表された。

だからでもないがたまには恋愛についても少し語ってみようと思う。

と言いながら 『エントロピー』 などという話を煙に巻くような用語のタイトルになってしまった。

エントロピー増大の法則の説明は誰も聞きたくないだろうから、ネット上で見たわかり易い例だけ上げてみる。

@熱湯の中に氷が入っている場合は時間と共にぬるま湯になりその逆はないということ。

Aコーヒーにミルクを一滴たらすと時間と共にコーヒーと完全に混ざり合うがその逆はない。

B整理整頓された部屋はそのまま自然に任せておくとだんだん乱雑になるがその逆はない。

つまり、自然(世界)は秩序から無秩序に進むとも言えるしある意味では元の状態は無意味な平衡状態とも言える。


で、無理やり恋愛の話に持って行くと次のようになる。

男女それぞれを 「差異秩序を発生させる存在」 ⇒(影響潜在力) とすると

出会う前に持ち合わせていたそれぞれの秩序は知り合ってから崩れてくるし単独のエネルギーも半分程度にはなるが

互いの情報交換を通じて恋愛中期においては情報量も最大になり互いのエネルギー交換によるエネルギー燃焼効率も最大になるはず。

つまり、丁度良い温度の風呂・丁度良い味のコーヒー・程よい乱雑さの空間になる。

エントロピー増大を薄まって行く過程と捉えると男女間に置き換える場合に問題がある。

オセロの黒面が男で白面が女だとして、どちらかが圧勝して同じ色で盤面を埋めても美しくはない。

盤面でそれぞれの色が均衡して模様を作り出しそこにふたりの色彩が生まれる。

恋愛においては完全に混ざり合わない方が美しい状態かもしれない。

ただ問題は、エントロピー増大の法則に逆らってしまうこと。

そこは互いのポテンシャルを使い果たしたところがエントロピー最大地点としてそれまでは駆動装置の両輪としてフル稼動したいものだ。
posted by tetsukazu at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月17日

単純に言うと…

ブログで能書きを言い出して6年以上になるが

人間を 『超単純』 に表現すると

タンパク質に電気が流れることにより考えたり行動する存在

人間は所詮タンパク質の塊だし電気回路次第でどのようにもなる。

人間の身体の70〜80%は水分と言うが、実際は血液がそのほとんどを占める。

そして脳から微量な電気信号が流れ、行動したり思考したりする。

しかし電気は金属が媒介しないと流れないため血液は鉄分を含むタンパク質が成分。

つまり鉄分の水溶液。

そう考えると人間も多様性を持つ物質であることがわかる。

私の個人的な見解でしかないが、このような仕組みの人間の思考を変化させるためには

思考回路を組み替える必要がある。

そのためにやるべきことは思考を止めないこと。

忍耐力などは思考を抜きには全く身に付かないだろう。


結論から言えば、良質のタンパク質を摂取して現実に対応するための最適合な思考回路を形成することに尽きるのだ。

以上。 たまには短い記事で…


posted by tetsukazu at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 私的本質論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月15日

終戦記念日。

戦争はこれからも無くならないのだろうか?


まずそのことを考える際の前提として、個人単位で人間を観察する必要がある。

例えば2人の人間が何らかの交渉を行い意見が対立するとする。

その際、通常であれば自らがとる行動に対して負うリスクを理解し暴走はしない。

しかし、行動リスクを理解している場合でも衝動を抑えられないケースがあるだろう。

そう考えると、対人関係においては暴走を食い止める確かな手段はない。

一般論としては、そのような場合であれ [法の統治に基づく信義則の拘束力] が働くものだ。

信義則を無視すれば当然、民事・刑事問わずペナルティーが課される。

信義則を無視する相手に有効な手段は数少ない。

相手にとっての上部構造といえる存在により圧力をかけてもらうか褒美を与えるしかない。

目的はひとつ。そのような相手の攻撃(暴走)本能をフリーズさせること・

理性無き相手に理性の力で本能を制御させる機能を期待するのは困難。

それよりも本能そのものの機能を停止(凍結)させることを優先するべきだ。

だが、そこまで知恵を絞って対応しても相手の暴走を止められない場合、最後は相手の信条(心情)にすがり祈るのみ。

信条(心情)とは?

それは、神や教祖や組織などに対する絶対的忠誠心もしくは他者性に対する絶対的愛情になる。

表現がやや抽象的だが、最終的には人間が人間をコントロールするのは不可能。

そこから学ぶべきことは立場を自分自身に置き換え考えること。

ヨーロッパ諸国は、第二次世界大戦の経験を糧として戦争の愚かさを学び教訓とした。日本もまた同様。

現在においても売られた喧嘩を買うのは、アメリカ合衆国・中国・ロシアなど当時の戦勝国(中国は実質被害大だが)

それらの国々は国連の常任理事国でもあり軍事力を武器に外交交渉を有利に進めているのが実情。


話を戻して、個人の交渉事を国単位に広げた場合、先に挙げた国々が衝動を抑えられていないことに気付く。

アメリカについては、ご覧の通りの経済状態であり自国の経済リスクを考えているようには見えない。

アメリカ自身が立ち直るためには、信義則に沿って振舞うか真の意味で宗教心に目覚めることだ。

誰しも自身にとっての上部構造が欠落する場合、己による判断で行動に移す。

その時、確かな行動原理や行動原則を持ち合わせないと破綻の方向に向かうのは自明であり必然。


戦争や争い事、そして個人の中での混乱がこれからも続くかどうかは自分自身(組織自体)を理性に基づく絶対的存在と捉えないことが重要なポイント。

理性で本能を制御することを考えるより、よからぬ本能をフリーズさせる知恵と意思が必要に思う。


余談だが、第82回選抜高校野球大会で君が代を独唱した野々村彩乃さん(現在大阪音大生)の歌唱力は半端でないわ。









posted by tetsukazu at 19:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月14日

オートレース界の華。

オートレース界にも今年2名の女性レーサーが誕生した。
今回取り上げるのは 坂井宏朱(さかいひろみ)さん[以下敬称略]。

元OLでバイクの経験もないのだが船橋所属のレーサー永井大介に憧れレーサーを目指すことになったとのこと。
運の良いことに師匠が永井大介となり先月のデビュー後も熱心な指導を受けている。
永井大介と言えば昨年にSG全冠制覇を果たしたばかりの超一流レーサー。
デビュー戦は多くの課題を残す結果となったが今後の努力次第では初勝利も見えてくるだろう。

上記の坂井宏朱の名前のところをクリックすると彼女のブログに繋がるが、今時の20代の若者(27は微妙)を感じさせる内容。
男性ばかりだったギャンブルスポーツの昔の新人のような悲壮感はなく、オフの日はリラックスして過ごしている姿がリアルに伝わる。

オッサン目線で語ると、上手くなるまではもう少しストイックに過ごしたらどうか?とは思うがプロ野球選手の新人なんかもこんなノリなのかなぁ。

デビュー年齢を考えると、2〜3年が勝負になるのは間違いない。
ロードレース世界選手権で1995年・1996年に 125ccクラスの世界チャンピオンを獲得した青木治親のデビューが2004年8月で28歳の時。
彼はその後、2006年・2011年の2度GTレースを制している(SGは未冠)。

青木治親でさえ2度のGT制覇しか果たせていないのだから一般戦であれ坂井宏朱が優勝するのは遠い道のりかもしれない。

昔、横山やすしが競艇好きとして有名だったが、彼は元来アマチュアのボートレーサー。
現役のボートレーサーでアマチュア出身で有名なのは愛知の池田浩二と群馬の秋山直之。共にコーナースピードでは艇界屈指である。

私もやはりギャンブルレーサーを目指そうとしたことがある(競輪)が、募集条件に満たない部分があり断念している(その後条件が変わる)。
本当は賭ける側でなく賭けられる側になっていたかったというのは本音である。
今回の彼女のデビューを目にして改めて自らの肉体で競い合うことの素晴らしさや充実感に思いを重ねた。

明日は、母親の初盆でもあり妹が僅かな間ながら我が家に来る。
妹の旦那は今年大きな病気にかかり大変な思いをしている。
妹が結婚して以来(私より先にした)20年以上になるが、この20年間で実際に妹と時間を共にしたのは合計で3日間ほどかもしれない(父と母の葬儀の時含む)。平時には会うことも電話することもまずなく明日(14日)もあっと言う間の再会になりそうだ。
ただ、一瞬だが10代の頃の私に戻れるのもその瞬間。
純粋にスポーツに打ち込んでいた時や熱心に勉強を教えていた私を覚えているのも妹。
出来れば次の再会までにはステップアップした姿を見せたいものだ。

話を戻すと、坂井宏朱のデビュー戦の映像を見る限り今後男性レーサーと対等にやっていける姿は想像出来ない。
それでも過酷な世界に飛び込むだけの根性は見上げたものだし、師匠の永井大介も「そのへんにいるあんちゃんより遥かに根性はある」と言っている。

私が生きてきた道はこれでよかったのだろうか。自分の肉体を使って出来ることがまだまだあるのではないだろうか。
地方競馬界で女性騎手として最多の勝利数を上げた宮下瞳騎手の引退も決まったが彼女の意思を次ぐ者は出るのだろうか。
今後は女性競輪選手のデビューも控えており、男だからとか女だからとかと言っている時代ではない。
宅配便の配達員の女性比率も目に見えて上がっている。

ウォッチャーやゲストやベッターでなく何らかの形でプレイヤーとして活躍したい気持ちが盛り上がるこの夏である。


追記: それにしてもボートレースの女子レーサー達といい坂井選手といい女性アスリートはオフタイムを満喫してるよなぁ(見習うべきなのか?)


posted by tetsukazu at 01:47| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月13日

waruzie 悪知恵も知恵なのだろうか。

今日から4日間休みなのだが、自宅に親族が来る予定だったりとあっという間に過ぎそうだ。

3月の震災があってから自分自身の生活レベルを考えたり過去の自身のブログ記事を読み返したりと
何か指針になるような大テーマが見つかるのでは?と日々過ごしていたが、
当然の如くそんな大事なテーマやテーゼが降って湧いて来るわけもなく、欲望と雑用に流されつつ生活を続けていた。

経済通の知人とも頻繁に話をするが、毎回最後は99%が金の問題だとの結論になるため残り1%の要素を熱く語り合うしかない。
そんな時知人は、「世の中は善人が報われる構造やルールが基本にはなっていないよな」 と決まって語る。
第二次世界大戦でアメリカ合衆国が日本に対して行なった都市への無差別攻撃や原爆投下は明らかな国際法違反。
それなのに日本の軍人や政治家ばかりが裁かれ、勝てば官軍とばかりに勝った側の国にほとんど裁きはなかった。
旧ソビエトにいたってはどさくさに紛れて終戦直前に侵攻し北方領土は未だに返還されない。

私は以前 「資本家はドSで、労働者はドMだ」 と記事に書いた。
賛否はあるだろうが、ある意味核心をついた表現だったと今でも思っている。
人間も動物なので、強者生存の原則(摂理)から言えば 「引いた者が負け」 だ。

物事は二項を対比させると見え易くなる。
エヴァンゲリオンに流れるテーマも 「生と死」
平穏である母体回帰なのか、勇気を持ち変わり続けることを受け入れあきらめない強靭な心で生に希望を持つのか。
そして生きることを選択した者は、他者と濃密に関わるのか距離を置くのかの判断に迫られる。

カイジに中に出てくる 『地下帝国』 での男達の生活も何かを示唆して興味がある。
日本核シェルター協会によると、核シェルター普及率はスイス⇒100%、アメリカ⇒82%、日本⇒0.02%らしい。
この数字だけとっても日本という国の一般国民に対する姿勢が読み取れる。
形の上では民主主義体制で国民一人一人が主権者になっているが、戦後60年以上経過しても国民一人の命は軽い。

その地下帝国では、借金のため強制的に地下帝国の労働者として送り込まれた男達に対して、1日3500円ほどの報酬を与える。
しかし利息の返済や食費などの経費を引かれて男達の手に残るのは1日僅かに350円程度。
1ヶ月26日労働として月収9100円。
ほとんどの男達は元の世界に戻ることをあきらめ、空気の悪い環境の中で体を壊し死んで行く。
精神力の強い者は1日外出券などを獲得して外へ出るが、完全に元の人間社会に戻る例はほとんどない。

報酬をもらう際にはビールや焼き鳥が目の前に出され、多くの男達はそれらへの欲望を抑えられず僅かなお金も消えて行く。


漫画(アニメ)の世界とは言え遠い世界の出来事とはとても思えない。
例えばビール会社で勤めていて、自宅へ帰ってからも飲み屋に行っても自社のビールをがぶがぶ飲めば儲けた以上のお金が出て行くかもしれない。

『資本家はS、労働者はM』 改めて考えざるを得ない。
ある意味でダブルワークのうちの給与生活者の顔の方では、知らない間に手取り額が減っている。
あまり明細はじっくり見ないのだが、保険や年金や市民税などの天引き額が増えているようだ。
そうして一般国民は真綿で首をゆっくり絞められたりぬるま湯の温度を序々に上げられたりするのだろう。

いつもこのブログで語るが、ローンで家を購入したとしても喜んでいられない。実質の所有者は金を貸した方なのだ(例えば銀行)。

金を使わす側と使わされる側。正に対極の存在。 SとM。

S⇒「ほらほらもっと使えよ…」 M⇒「これも欲しい、これもしたい。でもお金がない。まぁいいか後で考えよ!」


前回の記事で、学問と向き合うことが重要と述べた。
学ぶ過程では当然知恵も付く。しかし知恵には悪知恵もあるだろう。
先にも述べたが、二項で整理するなら 「知恵がある者とない者」 のふた通りしかない。
生に良い生や悪い生もなく、良い人間や悪い人間との表現も主観的なもの。

昨日まで大金持ちで今日は一文無しの場合なら、他者からすると昨日まで一文無しの人間と同じ。
本気で成功したいなら成功し続けることが重要。

芸能人で真鍋かをりや小倉優子がいるが、彼女らが普通の精神力の持ち主ならとっくに潰れている。
彼女らほどとは言わないが、一般人もある程度の精神力を持ち合わせないと資本主義の波にあっと言う間にのみこまれるだろう。


[知恵のある者] [知恵のない者]
どちらの立場として生きるかで行き着く先は全く違うところになるだろう。


大切な誰かのために生きて、新たな物語を作れるのだろうか。

大切な誰かのために











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2011年08月11日

恒産なくして恒心なし。

孟子が 「恒産なくして恒心なし」 と説いたのは今から2000年以上前のことだが、
現在に至るまでその理念は生きている。
『恒心』とは正しい心構えや考え方で、『恒産』とは安定した職業または一定の収入のことを指す。

孟子は『性善説』を唱えたことで有名。一方、荀子(じゅんし)は『性悪説』を唱えた。
両者の主張は一見真逆だが、努力して学問することを通じて人間が良き徳を身に付けるとの視点においては同じである。
孟子が[人間の主体的な努力によって社会全体まで統治できるという楽観的な人間中心主義に終始した]のに対し
荀子は[君主がまず社会を制定して型を作らなければ人間はよくならないという社会システム重視の考えに立った]

孟子の考えは後世に『主観中心主義』の道を開き、荀子の考えは法家思想に繋がって行く。



豪農の家に生まれ、倒幕攘夷運動に奔走した渋沢栄一は皮肉にも徳川家に仕えることになったが、
パリ万博に行ったことをきっかけに西欧文明に触れる機会を得て、帰国後には大蔵官僚を経て
第一銀行・王子製紙・キリンビールなどの民間企業の設立や早稲田大学・慈恵会医科大学・日本赤十字社などの設立にも参画。日本近代化の父と呼ばれた。

大正5年(1916年)には『論語と算盤』を著し 「道徳経済同一説」 との理念を打ち出した。
また、数々の訓言も残し 「葉のためには枝を、枝のためには根を養え」 など慧眼を持って人々に影響を与えた。

私は日頃から大きな疑問があり未だにその答えが出ない。
それは、「人間は何故大事なものや大事なことを粗末にするのか?」 との疑問。

大事なものや大事なことを粗末にしないための秘訣がもし 『持続力』 であるなら
結婚生活を20年続け(終了したが)ブログを6年以上続けている(全記事削除前含む)私がお金を粗末にすることと矛盾する(自分基準)。

躁鬱病患者の先生が患者に説明する時、患者の3人に1人は自殺する可能性が極めて高いと言うそうだ。
それを聞く患者は何とか残りの2人に入ろうと努力するらしいが、その努力に取り組む前段として次のことを伝えるとのこと。

「とにかく前を見て生きなさい。目の前に広がる世界は決して輝かしくはないかもしれないけど目を背けないで欲しい」

大事なものや大事なことを目の前にして、人は本当に直視しているのだろうか?
少なくとも過去の私は余所見をしていたように思う。
例えば現在地点が給金をもらえる関所だとして、次に給金をもらえる前方1k先の関所までに寄り道ばかりしていないだろうか。

前述の渋沢栄一の言葉を借りれば、『お金』 が 『葉』 にあたるならば 『枝』 や 『根』 は何なのだろう?


葉の先には花もあるだろうが、それらに比べれば枝や根は地味で目立たない存在だ。
つまり、目立たない地味な部分にこそ大切な要素が隠されていそうではある。
ありきたりの言葉で表せば物事に対する『姿勢』 『態度』 それらを包括する 『心構え』 となるのだろうか。

渋沢栄一はそれら基本精神を「私利私欲ではない公共心」とした。
また、思いやりの精神が重要であるとも言った。
喜びや楽しさも人と分かち合えば2倍にも3倍にもなると…

『学ぶこと』 『喜びを分かち合うこと』 持続させることはまだまだ多くありそうだ。

うめぼー





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2011年08月08日

表現すること。

サッカー元日本代表の松田選手が亡くなられた。
故人の功績を偲びご冥福をお祈りいたします。

松田選手もまた昨年に離婚したばかりとの話を聞き偶然ながら私の最近の記事に繋がってしまう。
彼も奔放に生きてきたとの話を聞くし、良い意味では純粋なのだがある意味不器用だったのだろう。

人間関係は意外に気持ちが相手に伝わらないことが多く、それがストレスの原因ともなる。
友達が欲しいと思っていてもそれを何らかの表現で表さないと人には伝わらない。


村上龍氏がいつも 「自殺する位なら売春しろ 」と女性に語るように、私も 「犯罪を起こす位なら持ち金を使い尽くせ」 といったところ。

私が10代の時に心に固く誓ったのは、兄のせいで妹が結婚出来ないようなことにならないようにする。ということ。
高一の時の3者懇談時に、先生から言われたことは 「ヤクザにだけはならないように」 だ。

結局、妹は結婚出来たしヤクザにもなっていない。
このふたつのことを守れただけで私としては思い残すことはない。
本当に私が人の道から外れなかったことは奇跡に近い。
それどころか家庭も持ちふたりの子供も育てて下の子が年末に20歳になる。
恐らく年末が私にとってのある意味の転機になる気がする。
きっと本来の自分を取り戻すための長い旅が始まるのだろう。

大阪の池田小学校の生徒を殺した殺人犯が言っていたことと同じようになるため自分で言うのも何だが、生育環境が少し違っていたら違う人生になっていたかもしれない。だがそれはそれで出世争いに疲弊していたようにも思う。
何が幸いとなり何が災いとなるかなんてわからない。
仕事の関係で、阪神大震災が発生する少し前に私は新神戸の大日というところに住んでいたのだが、これも仕事の都合により関東方面に転居することとなり難を逃れた。
もしそのまま住んでいたら被害としては最大級の場所だったので命さえ危なかったかもしれない。
不思議なことに地下鉄サリン事件が起きる数日前に関西に戻ってきたのもまた奇跡的(地下鉄にも乗った)。

世の中には憎しみのために人を傷つけたり自分を傷つけたりする者も多い。

私は個人的に憎しみの感情は持たないように意識している。
私とて深層心理としては何らかのわだかまりはあるはずだが、憎しみからは前向きな感情は生まれないように思う。

人は 「表現する存在」 だ。
別に表現している気はないのだが、人間の存在そのものが何かを表現してしまうのだ。
何もビジュアル面だけではない。経済的なバックボーンにしても個人を表現することになる。
「チャリンコに乗る貴方よりベンツに乗る貴方が好き!」 的な〜

化粧をしていない場合の女性の美貌にそんな大きな差は感じないが、気合が入った時の女性の美しさには見とれる。
化粧もファッションもひとつの表現だし、語り方や声のトーンや仕草や表情も表現手段。

歌を歌うのも表現。どんな買い物をするかも表現。ギャンブルも飲酒もデートも表現。どこかへ行くのも表現。
ある意味仕事も表現手段。こうしてブログ上で記事を書くのも表現。

最近、ひとりでバーへ出向くことが増えた。
そうするとやはりひとりでカウンターで飲む人に出会う。
ここ最近だけでも、旦那が居る女性(朝4時頃まで飲んでいてボン・ジョヴィを唄えと再三言われた)、口笛の世界で著名な男性、バツ一の女性で現在お付き合いしている男性がいる人、四国出身のOLでひとり暮らしの20代(朝7時まで飲んだ後相手が寝てしまいチャリンコで送ることに…)、Mっ気のやたらある気さくな女性とその彼氏っぽい若作りの50歳のオッサン。
そして女にほとんど興味のない元美容師の嫁有りのマスター(自分からは体に触れずイザという時は奥さんが乗ってくるらしい)。
そんな楽しい時間を過ごすとたちまち次の日の仕事にやや影響する(仕事関係でこのブログを知っている人は内緒にね!)。
人間らしいと言えばそうだが、一緒に飲んでいた相手も同じこと。

どうも楽しみをギャンブルだけに特化して人生を歩んで来た私にとっては何もかもが新鮮に映り帰り時がつかめない。
いつまでも人と触れ合っていたい気持ちになる。
これはブログ仲間(勝手に仲間扱いしてしまったが)と会ってる時にも感じたことだが…


こうして記事を書いている最中に長男が(1週間振り)久々に顔を見せた。
昼に洗濯物を頼まれてたのでそろそろ来るとは思っていたが気分転換にはなった。
長男は大学を中途退学して以来俗に言うフリーターを続けているのだが私がたまに 「せめてもう少し稼ごうぜ」 と言うものだから
最近は日当が出る派遣の会社にも登録して引越しの日払いとかの仕事もやっているよう。
長男は無理すると持病の喘息が出るので私もプレッシャーは与えないように注意はしてきたが、彼なりに思うところがあるようで言わなくても成長してくれている。

長男が力仕事をする姿は想像出来ないが、負荷をかけることでかえって肉体強化に繋がるかもしれないと前向きに捉えよう。

長男が例によりポツンと… 「俺は親父に似てるからなぁ〜」 

おいおい!どういう意味やねん。 つまり計画性に欠けるっちゅうことかいな。
まぁでもやっと先月末から携帯代を自分で負担する気になったことは褒めてやろう(大甘な親)。

次男の中では私の存在感が薄れてきているし、元妻も食べること自体は何とかなっているようだ。
こうしてたまに長男と適当な会話をしている程度で今後は日々過ぎて行くのだろう。

今後、私は何を表現して暮らして行くのだろう。
表現するべきことなどは特にないのだろうけどそれは誰しも同じこと。
口笛の達人も言っていたが、その方は52歳だが結婚は一度もしていないそう。
聞けば若い頃から酒好きで、背も低く顔にも自信がないのでひとつ位特技がないとやってられんやろと言っていた。
私が、一曲やって下さいと言ったら 「男と女」 の他洋楽で数曲口笛演奏してくれ、実際の歌声も洋楽で数曲披露してくれた。

私に対しては、「貴方は私からの会話のボールを何の躊躇もなく素直に投げ返してくれる。中々そんな人はない」 と言って褒めてくれた。
で、私も18番の 「Goodbye Day」 を披露したら男前に唄うなぁと褒めてくれた。
聞けばマスターとは7年来の付き合いとのこと。寂しいから毎日人に会いに来るんやとも言っていたのが印象的だった。
彼にとっては口笛がひとつの表現方法であり個性なのだろう(日本の半分の地区で一位らしい)。

そうこうしているうちに長男は洗濯物をとりシャワーを浴び冷蔵庫のブドウをつまみあっと言う間に去って行った。
次男には内緒だが長男とはこれからも本音で話が出来そうだ(次男は優等生タイプ)。

この前串カツを持っていったお姉さんが気になり続けていたが、チャリンコで送った女性も気になり出した(メルアドと電話番号聞けたし)。
私が警戒心を抱かないタイプに見えたのか本当に自宅まで送り届けた(彼女の判断は正しい…はず)。

でもそんなこんな言ってても、私が 「人」 ではなく 「モノ」 や 「コト」 の対して表現を続ける場合は、接点も少なくなる。

「コト」 の中には 「浮気」 なども含まれる。 「人」 への表現とはもっと純なものでありたい。

完全地デジ化以来テレビは全く見ないでラジオが友となっている(回りからは え? と言われるが)。
それで初めて福山雅治のオールナイトニッポンなるものを聞いた。
なるほど! 奴が人気ある理由がなんとなく理解出来た。
別にモテようとのスタンスではないのよな。確かに容姿や声に恵まれてはいるけれど自然体なんよな。
恐らく同性にも好かれるやろし人間として魅力あるわ。 「人」 へ自分を表現してるわ。
福山一座で全国を回り出し物は歌と芝居(清水の次郎長)の2部構成で…等の下りで30分引っ張りよった。
ただの男前ではないわ。恐るべし抱かれたい男ナンバー1。

その福山が現在も独身で、この俺は嫁に逃げられたにせよ子供をふたり育てた。
それって?  何が勝ちで何が負けとか何が正解で何が不正解などということはないということか?

これからも世の中に生きる者全ては何かに対して表現を続けるだろう。
そして 「金」 を本来の意味である手段に出来た時、 初めて 「目的」 が見えてくるのだろう。

母の命日を迎えたばかりだが、偶然にも通夜の夜に花火大会があり会館の方の配慮により親族一同でバルコニーから見学出来た(母も喜んでくれたと思う)。
そして1年。今度は私の自宅近くでの花火大会にひとりで行った。
来年は誰かと見にいってるのかなぁ。

地元の花火























posted by tetsukazu at 01:33| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月04日

背中の砂時計。

以前にもブログで書いたことがあるが、元プロ競輪選手の松本整氏が現役時代に、
「人は皆、背中に砂時計を背負っている。いつどのタイミングで砂が落ち切るかはわからない」
と語ったのだが、奥が深い言葉だ。

まずイメージ出来るのは「寿命」になるが、他のことにも当てはまるように思える。
かつて、隆盛を誇ったダイエーグループの総師である中内功氏は最後の最後に落日の日々を迎えた。
成功という砂が落ち切っているのにまだまだ上に残っていると勘違いしたのだろう。
しかしそれも無理はない。もし背中の砂時計が彼のような成功者でも見えないのなら万人が同じ条件。

余談になるが私が若い頃に勤めていた企業がダイエー系列で、私は中内氏の数メートル前で社訓を読み上げた経験がある。
中内イズムとは、24時間仕事のことを考えろとの意識付け。船上から始まる海外での管理職研修は有名。
従業員に対しては、タイムカードを押す5分前から掃除を行なわせタイムカードを押した後の5分間で再度掃除を行なわせるといった労基法スレスレの手法。

そこまで合理化を徹底してスパルタに近い社員教育も行なったのにあるタイミングで儲け止めをしなかったことが裏目に出たのだ。
彼でさえそうなのだから、凡人が欲にかられて調子に乗り経済的破綻や人間関係の破綻や健康面での手遅れに見舞われることは普通だろう。

私がいつも語る通り、時間は常に不可逆性の性質があり時間は戻ってこないしひとつの失敗についてやりなおしも出来ないのだ。


先日来、話に出している友人が最後に言った台詞は 「そろそろ身辺整理に入ってるんや」
どうやら奥さんに不思議な目で見られながらも物を処分したり各種の学会の会員を下りたり儀礼の先も縮小しているようだ。

私も一昨年の出来事があり、ふたり(途中から4人)で山を登って来たのが頂上の手前で 「私は別の山に登る」 と言ってどこかの山を目指して私の視界から消えた。
途中参加のふたりも自分の足でどこの山でも登れるようになりやはり私の組むパーティーから離脱した。

さて、突然8合目あたりで取り残された私はこの先どう歩むべきなのか。
松本氏が語るように背中の砂時計が見えない以上、新しい山にチャレンジするだけの時間が残されているのかどうかはイメージするしかない。

最新の報道では、東海テレビの朝の番組「ぴーかんテレビ」でとんでもないことが起きたようだ。
同番組内で視聴者プレゼントとして用意された岩手県産ひとめぼれ10kgの当選者として
「怪しいお米セシウムさん」 「汚染されたお米セシウムさん」 との名前が流されたとのこと。
どうやら仮の当選者として本番前に作ったものだそうだが、全く笑えないセンス。
確実にそのような思考で日々生きている人間がいるとのひとつの証しだしそれを承知でこれからも社会の中で生きるしかない。

つい最近、元プロ野球選手の伊良部氏が自殺したとの報道があった(自殺直前に離婚)。
少し前なら当時民主党の永田議員も自殺直前に離婚をしている。
やはり男の方が生き物としては脆弱で寂しがりやで単純バカなのだろう。
彼らはそのまま山を登るでもなく、新しい山にひとりで登るのでもなく、やけくそでローリングストーンとなり下山途中のどこかでぶち当たり命が尽きたのだろう。

さて、私も恐らく転がる石となり猛スピードで下山している状態。
このままだと間違いなく大怪我の末哀れな状態となるだろう。
何とか途中で何かにつかまりまず立ち止まり次の進路を決めなくては。

確かに背中の砂時計は見えない。だからやけになるのでなくだからこそ諦めないでやれることを確実にやって行くことが重要なのだろう。

ローリングしたお陰と言うか怪我の功名と言うか、上手く行けば人間が丸くなっているかもしれない。
新たな形で新たな山に登ればまた違った美しい景色が見えるかも。 下の写真のような存在に巡り会えたりして…

萌えっ!



posted by tetsukazu at 20:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月02日

=苦行=

相変わらず多くの方にご訪問いただき感謝いたします。
この前に引き続き友人との対話第2弾として少し語りたいと思います。

私が友人に対して、やっぱり人生は楽しまなくちゃね!と語ったら
即座に「人生は苦行やで」と返ってきた。

弁証法的に表現すると、事物は量的変化がある段階まで蓄積されると質的変化に転化する。
友人にしてみれば20代〜30代には思いもよらなかったことだが
一喜一憂しながら過ごしてきた結果、人生はそんな面白おかしいものではないとの結論に達したよう。

世界基準で見るまでもなく国内基準で見ても、3食を満たすことそのものが最高に幸せな状態で感謝するべきだと。
因みにこの平成の御世の中で、年金暮らしをする高齢者の中には日々2食が精一杯という人もいるはずだと。
過去に思いを至らせても、高齢者は姥捨て山に連れて行かれた時代もあった位で僅かな年金を貰えるだけでも進歩したと。

友人に言わせると、結婚などは苦行の最たるものだそうだ。

では、何故人生を苦行と表現するに至ったのか問うと、
それは理不尽さの連続に耐え続け我慢する中で、最終的には自分自身が悪いのだと結論付けなければ前へ進めないことだと。

自分は何も悪い事をしていないのにどうしてこんなに苦難の連続なのだとなってもそれを他者のせいにして切り抜けられる程甘くない。
社会は他者や他物との関わりの中で成立しているのだから、それらに対する自分自身の認識の甘さが悪状況に繋がるとも言える。

とにかく謙虚になることが重要だと。
会計事務所で働く人などは非常に優秀な人も多いがそんな人間でも手取り月収が17〜18万円であることもざら。
生きて行く上では自分以外の全員が自分より優秀であると思う位の心構えが必要と。

とにかく定期的な給与収入があるならそれは煌く宝石のようなもの。
江戸時代あたりの庶民からみれば、現代日本人のサラリーマンは神のような存在に映るかもしれない。

友人はこうも言った。
マラソンでゴールした選手が「沿道の声援があったから完走出来ました」とコメントするが、
あれは観衆に対する礼儀のようなもので実際には完走との因果関係はないはず。
なでしこジャパンの頑張りに触発されて私も頑張ると言う奴がいるが、人の頑張りで自分も頑張るなんてことない。

私にすれば夢のない話に聞こえたが、超現実主義である友人にしてみれば個人がそんなことをきっかけに飛躍や進歩は遂げないとなる。

そうとは言え、こうして私のために真剣に応対してくれる友人にはいつも力を貰える。
私もその何分の一かでもお返しが出来ればと思う。

友人は繰り返し語る。「給与所得に優る金儲けはない」 そうして得た虎の子のお金は粗末に扱うべきでなく投機などに手を出すべきでない。


確かに沿道の観衆と選手の直接的関係性は薄い。だが身近な人間による適切な言葉はやはり心に響く。
実際は苦行ではないかもしれない。しかし気を抜き楽観視していれば欲を発端とした魔の手が自分自身に伸びてくるだろう。








posted by tetsukazu at 21:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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