2011年07月29日

何でもありかよ。

民主党政権の江田法務大臣が、死刑制度の議論を続行中に死刑の執行は出来ないと語ったようだ。
江田氏は「人間というのは理性の生き物なので理性の発露として人の命を奪うのはちょっと違う」
執行については「法務大臣に与えられた権限をどう行使するか世界の趨勢を睨みながら考えている」とも述べたよう。

ちょっと待てよ。権限はあるがそれは在職中の個人の自由意思に委ねられる性質のものなの?職務上の義務違反にはならないの?

人間が本当に理性的な存在であるならかつて仇討ちが認められていた頃から現在の死刑制度への移行は理性を背景とした進歩のはず。
江田氏が何が言いたいのか不明だが、ひとつは人間が頭で考えて行動する生き物と言いたいのだろう。

言葉とは、前提や定義があり初めて他者に伝わるもの。
理性という言葉を使うにあたっての前提や言葉そのものの定義を仮に「基本的に間違いは起こさないしより良き方向に進む機能を有するものが理性」とする。

となると、理性とは機能性を有する有機物になる。 つまり形あるものとなる。
理性が形あるもの??

いや、私の知識の及ぶ限り理性が形あるものと認識に至るような情報に触れたことはない。
江田氏が語る「理性の生き物」とは何のことなのか?
呼吸をする生き物とか栄養素を体内に取り込み不要物を体外に排出する生き物だ。とかなら理解可能だが、
「理性の生き物」って何なんだ。自然を征服し地球上の盟主となり過去から延々と人間同士の殺戮を繰り返すのが理性の発露なのか。

私個人を例にしてみても理性の生き物とは全く思えない。
本当なら年齢を重ねて経験を積めば積むほど成長するはずだが実感はない。
恐らく、経験が足し算であるならその和をゼロの解に繋げてしまうゼロの性格を帯びた要素をどこかのタイミングで掛けてしまうことが原因だろう。

(経験+経験)×ゼロ要素=0  が公式。

オリンピックのメダリストや入賞者がその後犯罪に走るケースもある。
芸能人として輝かしい経歴を持つ者の中にもやはり転落者がいる。
人間が本当に理性ある生き物なら過去に積み上げたものをゼロにはしないだろう。

子供の頃に積み木を積み上げるのもひとつの楽しさだが、同時にそれを崩すことも楽しさだったかもしれない。

私がこの場で何度も繰り返す、マルクス主義に代表とされる俗に言う「左翼」は性善説の立場。
一方、資本主義経済・自由貿易体制・私有財産制を堅持する者達は性悪説の立場。
江田氏についてどの立場か私が語る必要もないが民主党とて資本主義経済を維持する立場であるのは間違いない。

「理性」を語る場合、「欲望」と切り離すわけにはいかない。
資本主義体制の中では欲望は無制限に開放されてしまっている。
援助交際をすることで誰に迷惑を掛けてるの?と語る女子高生を説得する言葉は直ぐには出てこない。
体は大事にしろよと言う位が精一杯である。

かつてアメリカ合衆国に原子爆弾を落とされた我が国だが、米国に対して
「理性があるならお願いだから原爆を落さないでくれ」と言葉で何万回も訴えれば落ちなかったと言うのか。
小さな存在の私でも、「家族のことを考えるならお願いだから出て行く前に一度だけでも家族会議に応じて欲しい」と訴えたがだめだった経験を一昨年した。

かく言う私も元妻から、「お願いだから博打はほどほどにして」と言われても聞く耳をもたなかった。
結局お互い様だ。当時の日本と米国の関係も何%かはお互い様の部分はあったであろう。

足し算だけで前に進むなら個人も国家も確実に成長し進歩する。
しかしよからぬ要素を掛けてしまうためにそれまでの蓄積を無駄にすることがある。
江田氏が語る「理性の生き物」とは叶わないから敢えて言っているのだろうか。それとも…
民主党政権が私が計り知れないような大きなフリを見せていて今後その種明かしをしてくれるのならそれでも良い。
ただ、人生も国家も時は待ってはくれない。あまりに大きなフリなら完結するまでにタイムアップとなる。

死刑制度維持か終身刑を設けて死刑を廃止にするのか。人間が本当に理性ある存在なら簡単に結論は出るだろう。
もし出ないとすれば理性とは時間がかかるわりに正解も出せない粗悪品とも言える。

そうであるなら粗悪品でなく欲望に打ち克つことを目的としたもっと良質なものを活用してはどうか。

例えば 「個体維持本能重視への特化機能保持」

イギリス連邦はかつて大英帝国と言われた時代と比較すると今やほとんどの領地を失った。
しかし1982年に起きたフォークランド紛争ではアルゼンチン相手に勝利を収め領有権を確保した(私の知る限り)。
当時、サッチャー首相は巧みな外交手腕を発揮して米国大統領のレーガンや国連を味方につけ自国の権益を守り切ったのだ。
個人としての個体維持(個益優先)も国家としての国体維持(国益優先)も優先度をどう考えるかの点では共通するはずだ。

菅氏、江田氏は最早何でもあり状態。もしそのスタンスが国益優先なら問題はない。
しかしあくまで個体維持(個益優先)ならば現在の職業からアシを洗ってもらおう。
政治家は個益と国益を両立させるべきだしどちらかひとつを優先するべき局面では文句なしに国益優先だ。
一家の主も同じ。両立が望ましいがどうしても選ばねばならない時は家族益優先だ。

私は現在、経済的には私自身の身を賄えればよい状態になった。
携帯代も晴れて今月から5人分⇒1人分となった。この7〜8年はほぼ 4〜5万払ってきたなぁ。

個体維持目的に向けて肉体と精神の機能を特化させることにしばらくは力を注ぎたい。
そうすることで結果的に関係性のある人間に手を差し伸べる日が来る気もする。


経験そのものは何でもありでよいが、ゼロの要素を掛けて答えが0になることだけは意識して避けたい。
何を足してもよいが何を掛けてもよいわけではない。
個体維持本能を理念でなく有機物(実際体内に存在するもの)として意識し視野に入れないと中身は伴わないだろう。
人間は具体的なものからしか生体に反応しない生き物なのかもしれない。頑張るのひとことだけでは結果は出せない。












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2011年07月27日

久々の対談。

いつもの経済通の友人との久々の会話内容を少し。

例によって女性の訪問者がいらっしゃれば見ない方がよい内容となります。






で、今回も会話内容は経済を軸に社会や男女関係をシンプル捉えた場合の理解の仕方。

まず、金の無い男が女を好きになるのは非常識だし無責任だとの結論。

江戸時代あたりまでの正式婚姻率は男女ともそう高くなく当時から結婚は簡単に出来ないのだ。

正妻はあきらめて俗に言う御めかけさんになる選択をとる女性も一定数いた。

また、奉公人などは女性をめとれる可能性は低く、一生独り者で過ごす場合が多かった。

友人と私との間限定の本質論を語る際のマッチョ思考では、男は女に対して上から目線で何の問題もない。

女は人格・品格が壊れている存在であり完成系の人間としては捉えない(全女性を敵に回したな)。

マッチョ的には最近の女性の地位向上についての見解はこうだ(女の腐ったような男も含む)。

能力・実力・資質の無い者ほどプライドにこだわるし自己主張が強い。

北朝鮮の指導者が上から目線なのは、国家が貧した場合に残るのは歪んだプライドだけ故に。

そう、そんなプライドは本来の意味とは異質。貧すれば鈍する。

経済力のある女性は別。あくまで男にたかってすがって生きて行くしかない女性や30になっても親ががりの男達のことを指す。

ふたりの会話では、教師という職業に対しても割り切った考えがある。

プロレタリア(労働者)であるサラリーマン教師とて、労働力の切り売りでしかない。

生徒・学生から 「どうして教師を続けるの?」 と聞かれれば 「生活のためだ」 とはっきり答えればよいとのふたりの結論。

ふたりの会話ではいつも 「イイ女っているのかな?」 となり5秒後に 「いない」 となる。

勿論、男と女は表裏の関係なのでイイ男もいないとなる。

そんな視点で見るよりも、他者の良いところを一箇所でも見つけたらそこを評価し悪いところ探しはやめること。

他者のあら探しばかりしているとそんな自分もやがて嫌になるだろう。

女に人生を語る必要もないし財布の中身を見せる必要もない。サプライズの連続で喜ばせればよいとの結論。

女性に対して 「今の世の中どう思う?」 などの愚問は一切発せず

どこに美味いもの食べに行こうかとか、どこに旅行に行こうかとかの会話で十分。

欲望中心との観点で言えば、女性の性欲はへたすると男以上かもしれない。

究極的には外食代や服代などのために月30万程度使えるカードを渡しておけばそれでもよい。

断っておくが、ふたりの会話はあくまで世の中の要素の99%を経済基準で語る場合の本質的議論。

ソフトバンクの会長もユ二クロの会長も立派な人たらし。

労働者は頭が良い経営者に取り込まれるのではなく、自らに取り込まれたいとの潜在願望があるのだ。

物事はシンプルに捉えなくてはならない。

そいつがどう言ったかではなくそいつが過去と現在でどのような行動をとったかが基準となる。

客観評価とは何か?

一例を挙げると美人コンテストになる。

時代により美の基準は変わるが、最大公約数としての選ばれ方はしており、たったひとりの主観評価ではない。

マルクスは近代経済学で否定され続けているが、資本家と労動者をはっきりわけたように実にシンプルである。

マルクスの唯一の失敗は、人間を性善説で捉えたところ。性悪説の立場をとっていれば少しは結果が違っただろう。

マルクスを否定する学者は現在のアメリカ合衆国における実体を伴わない資本主義をどう説明するのか。

突き詰めれば男女関係なども経済を第一に考えた場合には飾りであり付録みたいなもの。

趣味にしても金のかかる趣味ほど快楽度が高い可能性がある。



胸に手を当てて考えよう。

金もないのに恋してないか?金もないのに投機に手を出してないか?金もないのに手作りでない食事ばかりしてないか?

金もないのにうろうろ出歩いてないか?金もないのに人にご馳走してないか?



江戸時代も平成時代も何も変わっていない。

人間も所詮動物。弱肉強食。強い者が弱い者を支配する。男女間も資本家と労働者の関係も同じ。


人から散々理屈っぽいと言われ続けるが、難しく考えると考えないの定義(思考深度・判断時間・結果対応などの目安)を示してもらえない以上、

自分本位の考え方(自分勝手とは違う)で何も問題はないはずである。




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2011年07月22日

等身大。

この数日間で変われたこと。

人への感謝。そして有難さ。絆。

切れるからこそ絆と呼ぶ。との逆説的な言い方もある。

実は、独り身になって初めての挫折があった。

独りになっても変わらずやれると思っていた。

だが、対人関係に対して質量共にレベルが低下していた。

とことん落ち込んだ。

今現在の本業の方で、顧客を少しばかり怒らせてしまった。

会社は当然顧客の肩を持つ。

私は言い訳する性格ではなくある意味言われっ放し状態。

相手は、消火器をそのへんにばら撒くとか落書きでひとつのビルを埋め尽くすぞとのドーカツ。

理詰めに話を進める私の手法が裏目に出てしまい、懐に飛び込まない場合に見せる私の性格が相手を硬化させた。

でも、10年以上私のそばで協力してくれる仲間が私の気持ちを理解してくれた。

私は弱音を吐かずに自分ひとりで何事も処理することがよいと思ってやってきた。

ところが、今回のようなことがあり素直に協力して欲しいと10人を超える仲間に心を開いた。

僕に時間を割いて欲しいと言ってみた。

驚いたことにほぼ全員が手を貸してくれると言ってくれた。


本当に嬉しかった。

実は本音では自信を無くしかけていた。

妻に逃げられた男など評価されないと思ってきた。

でも、違った。

こんなにも人が温かいなんて…

結局、トラブルの相手も私に優しく語り掛けて欲しかったのだと他者を通じて知った。

何だか妻に出て行かれた本当の原因が理解出来たような気がして来た。


等身大でなかったのかなと。

しんどい時はしんどいと言うべきなのかな。

明日夜。そんな仲間と会合を持つ。

口には出さなくてもお前のためなら駆けつけるよと言ってくれる声が聞こえる。

私は人に対してそんな行動を起こして来ていない気がする。

遅すぎるけれど人の温かさに触れてみたい。

自分が変わらなければ自分に対する見方も変わらないのだと知った。

今回用事があり協力出来ないと言った友人は、どうして一ヶ月前に声をかけてくれなかったんだと言ってくれた。

いつの間にこんな関係を作れていたんだろう。

あまりに遅すぎる。

あまりにも遅すぎるが、人を頼りにして行きたいと思う。そして弱音も吐き、会いたい人には会いたいと言いたい。

やっぱり遅すぎる。

でも、今回のトラブルがあったからこそそのことに気が付けたことを感謝したい。

明日、会うことが楽しみで仕方ない。

何故か、メールを送りたい人に素直に送っていた。

今まで、肩に力が入っていたのかな。

今の会社は2社を天秤にかけ私の意向で選んだ会社。

どこかで上から目線だったようにも思える。

真摯な姿勢を忘れていた。

結婚生活もそうだったのだろう。

これからは力の出し惜しみをしたくない。

斜めに構えず等身大で明るく元気に謙虚に生きられれば最高かな。


やりがいの意味が少しだけわかった気がするし自分の失敗を生まれて初めて認められた気がする。

痩せた?












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2011年07月18日

本当の事は誰も教えない。

簡潔に語る練習の第2弾。

日本は第二次世界大戦に負けて、アメリカ合衆国から(GHQ)
「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」 という洗脳教育の洗礼を受けた。
内容は省くが日本人に対して戦争の罪悪感を植えつけ自立自尊の精神を削ぐ憲法も併せて計画を実行した。


そして

ながーーーい戦後を経て  我々現代日本人が育った。

人は時代条件と気分の中にしか存在しない。

それぞれが時代に恵まれ時代に見放されながらぎりぎりの選択を行い生きてきた。


=お金=

それ以外の価値を個人は見出せたのだろうか。

自分のため 自分のため…

女は言った。

頭の良い男が好きなのよ。

男は言った。

抱きたくなる女が好きだ。

離婚した男の一部には

あの体が忘れられないといつまでも言っている奴がいるらしい。

男と女は所詮動物なのか。

難しく考えないでいいのよと人は言う。

開催中のSG競走オーシャンカップに出場している池田浩二と平本真之の師匠が引退した。

上島久男(63)だ。

通算1534勝。優勝20回。通算フライング数94本はスタートが早かった証明でもある。

上島久男は難しくは考えて戦い続けてはいなかっただろう。

自分が選んだ道をただひたすら前に向かって進んで行ったはず。

明日はオーシャンカップの優勝戦。

男の戦いの場である。

当日は現場であやまんJAPANのライブもある(下写真)。

彼女らもまた戦っているのだろうか。

優勝戦は1号艇の地元赤岩と2号艇瓜生のマッチレースの様相だが6号艇今垣(訂正 今垣は5号艇)も意地を見せる。

まもなく女子サッカーのワールドカップ決勝戦も始まる。


結局、世界の本当の姿や人間の本当の姿は誰も教えてくれない。

日曜日に行なわれた新潟競馬場のアイビスサマーダッシュも混戦と言われながら1番人気が勝利。

自分を信じた者勝ちである。

好きな事、好きなもの、やりたい事、行きたいところ、見たいもの、会いたい人が一つでもあり一人でもいる限り生きる価値はある。

誰も何も教えてはくれないが誰も何も邪魔はしない。

自分自身が歩む跡に道が出来るだけ(猪木も言ってる)。

理屈っぽい男は嫌いだと日曜の朝に人気女優と人気作家が言っていた。その通りなんだろう。

あやまんJAPAN









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2011年07月15日

簡潔に語る練習。

私の書く記事は自分でも長いとの自覚があるし私生活でも「で、何が言いたいの?」と指摘されることがある。
出て行った妻のことを知人の女性に語ると「未練があるの?」と3秒ほどで会話が終わる。
では、うそでも「あなたのことが大好き」と言えば全てが伝わると言うのだろうか?

簡潔さの訓練と言いながら前置きが長くなりそうなので訓練開始。



菅首相を見て政治に対して感じることとその打開策とは。

本当の意味での賢者や有能な人物はどこに?

⇒裕福な者が賢者で有能? ⇒孫正義氏や柳井正氏に政治を任せるのが正解?

⇒麻生氏や鳩山氏が答えを出している。 いや出す時間がなかった? でも結果は結果。

⇒では、官僚に政策を丸投げにする? ⇒離婚後の第3号被保険者の件ではそれが裏目に。

支持政党なしが半数に達する国民は無責任?

⇒無責任には違いないが、政治に関心を持つより個人の稼ぎが大事との国民の反応への批判は合理的理由が必要。

真剣に物事に取り組む姿勢こそが最強?

⇒正直者がバカを見るとの俗説の検証は済んだの? 真面目な人ほどストレスが溜まることとのバランスは?

⇒真剣に物事に取り組む者が、バカを相手にしなければ成果を得られないなら?

やっぱり粘り強さや我慢強さが最強?

⇒粘り強さや我慢強さが評価の対象になりにくい組織にいる場合はスピード感を持つ者に勝てないのでは?

やはりイチロー最強説か?

⇒走攻守のバランスを高いレベルで持続させるプレイヤーが最強か。 


結論。
ひとまず政界には攻めにも守りにも強くスピードもあり、真剣に物事に取り組み、意外にしなやかでしたたかで、なおかつ財力も粘り強さも併せ持つイチロー的な政治家の登場を待つか。
パワーに難点はあるが、そこは側近にパワー型の政治家を置くことで補おう。


簡潔の意味を履き違えていそうだが、問題点を挙げ簡潔に結論を出すとの手順はこんな風なのかなぁ。


ボートレース蒲郡ではSGオーシャンカップ開催中。
明日は第4日目の予選最終日。

第5Rの5号艇で登場の地元愛知の原田幸哉は2走12点(3着・3着または2着・4着または1着・5着)が必要の勝負駆け。
2号艇の辻栄蔵と3号艇の重成一人も勝負がかかる。
4号艇の石野が今節フライングを切りスタートが慎重になるため原田は攻めやすい。
3連複2−3−5 と 1号艇の村田がスタートそこそこ行った場合の残り目も警戒して 1−2−5  も入れての3連複2点で。

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2011年07月13日

少し言い足りないので…

何故だろう? 
急激に生きる支えや生きる上での励みになるものが必要となってきた。
ホント何故かわからないが急にだ。

今時の若者(使い古した言葉だが)は恋愛も損得で考えるようだ。
男に言わせれば、女と付き合うにはイニシャルコストとランニングコストがかかり過ぎるらしい。
男と女の関係もコストパフォーマンスで語られるのか。
モノ・ヒト・コト問わず魅力無きものは廃れるのであり、魅力無きものは振り向かれないということか。

また、向上心とのワードも否定的に見られる場合もある。
分相応に満足して向上心を控えて満足感を養い
射精を控えて精(精力・精液)を養い
散財を控えて財を養う。
こうして力を溜めれば落ち込むことなく勇気凛々と力が漲(みなぎ)る。
快楽を求めるのは当然だが、その前に苦しみを避けることを求めるべきである。

リスクを極力負わずにメリットが薄い事柄とは関わることを慎むとの思想か。
まぁ確かに個体の維持だけで言えば正解かもしれないが、誰かのため・何かのためとの方向には向かい難い。
全力で物事に立ち向かおうとの台詞は最早精神論の類になったのか。

確かに、若くて豊満な肉体を持った君が好き!との男達と
稼ぎが多い貴方が好き!と内心で考えている女達との交差点の数は激減していそうではある。
肉体関係も 「愛情を確かめ合う手段」 とはほど遠いところにありそう。
ある意味動物としての原点に戻り、本能が色濃く残る者達限定での子作りの手段や快楽としての位置づけになっているのかも。
安定した世の中で、年長者が管理する社会になればなるほど若者の性のエネルギーはスポイルされるのか。

第二次世界大戦後、日本の国では表現の自由(精神的自由権)を主張することは当然とされてきた。
しかし表現の自由にも価値の高い自由(政治的・文化的・芸術的表現等)と
価値の低い自由(わいせつ表現・自己中心的快楽選択・他人への暴力的表現等)がある。
いざ裁判になれば価値の低い表現の自由へは一定の制限を持っての基準となる。
声高に価値の低い自由を主張する者への抵抗手段は裁判以外の方法では非常に困難である。
ある意味、そんな輩と関わる運命を嘆くしかなく嵐が過ぎ去るまで耐えるしかない(理不尽さと総合利益との天秤)。

恐らく若い奴らはこのように理不尽な経過を辿るような事柄を予め避けて行くことへの知恵が付いているのだろう。
結婚を考える際に既に離婚時のデッメリットまで考えているとすれば未婚率上昇は自明の結果。

このように現代に生きる者の過半が個人の利益を中心に考えていると仮定すれば、信じられる者は己とお金だけ(+ペットもか)となっても不思議でない。

モンスターペアレンツや各種のクレーマーなどの存在も時代が生んだ必然だろう。
あげくが、行き過ぎたセクハラ問題や行き過ぎた医療過誤問題に派生した医者不足。そして教師達の精神疾患。

一瞬、子供達の存在を頑張るための糧にしようとも考えたが、息子も例に漏れず 「メリットを生まない奴は切って行く」 との醒めた発言。
私は既に時代に取り残されたのか?
普通は仕事でつらいことがあっても 「〇〇のためにも頑張る」 とかになるのだが、
連れ合いに出て行かれて以来、子供が大きいこともあり心の枷(かせ)への意識が薄れてしまった。

ここ数日、改めてそのことについて考えてみたが、今時の若者のように 「俺のために頑張る」 となかなかなれない。
それが理屈ではない現実。 物欲があまりないこともひとつの原因なのだろうが熱くなれない。
きっとギャンブルにあらゆる感情を依存していたのだろう。 やってさえいれば特にいらないことは考えずに済んだ。
皮肉なことだが依存からの脱却のために別の依存を探している気分。
こんな不器用な生き方は普通はしないのだろうが、私の場合は生育過程での屈折度合いが半端でなかった。
大人になるまでだけで数えられない程の引越しの連続。結婚してからでさえ10回近い移動。
最早遊牧民のようであり末永き友人を作る間もなく移動の繰り返しだった。
ようやくひとところに留まったと思ったら今度は人だけが移動してしまった(泣)。

誰かのために作る晩御飯は頑張れるが自分のために作る晩御飯が頑張れないのには気が付いた。
元妻はそれにも疲れ果てたが…

先日、誰かのために串カツを作ってみて充実感はあったが疲れ方も半端でなかった。
仕事をしながら特定の人に手作りの晩御飯を作り続けるのは至難の技。

あー このままでは今時の草食男子路線まっしぐらになるのかなぁ。
最近少し思うのは、クラシック音楽の存在と意義について。
歌詞がある歌は確かに思い入れは持てるもののその点が裏目に出て妙に感傷的になってしまう。
その点、クラシックやフュージョンやジャズなどは心の安定に繋がる気がする。
休日に整頓された部屋でそれらの音に包まれながら時を過ごすことをちょっと想像する自分がいる。
間違ってもガーデニング路線には行かないだろうが…


スマップの中居君が結婚しないのは、女性がみんな金目当てに見えるらしいからだそうだが探せばイイ女は居ると思う(あくまで探せば)。
彼ほど稼いでも 「俺のために頑張る」 になるのかなぁ。

ルパンやゴルゴ13は何のために頑張ってるんやろ。寅さんは? イチローは? 菅直人は?
シンジは綾波のために頑張るの?
宮崎駿は父親目線であり庵野秀明は息子目線で物語を作るそうだ。
大人は現実の中で戦い、子供は理想の中で戦う。それを見守る女性は強さこそ優しさだと語る。
現実と理想の中で強くしなやかに生きる。守るものとは? 自分なのか? 愛する者なのか?
映画では崖等で片腕一本で他者を救い上げるシーンがある。
しかしもし現実にそのようなことがあったら救い上げるのはまず難しいだろう。
本当に人が人を救えるのだろうか? 人は人のために生きてそして死ねるのだろうか?
宮崎氏や庵野氏がメッセージを送り続ける目的は自分のためなのか他者のためなのか?
そして出したメッセージにより何が生まれ何が変わったのだろうか?
少なくとも次男にとってはエヴァンゲリヲンの存在がなければ人生に絶望していたかもしれない。
それほどに一時の彼は精神的に疲弊していた。
今次男は芸術系の大学に通い技術を磨いている。
彼の通う大学の女子学生は在学中は恋人を作る暇もないと聞く。課題を仕上げるのに日々追われるかららしい。
きっとそんな環境の中で4年間を過ごせば大きく成長するだろう。
学長は言う。最近の学生は地図を見ての移動が苦手だと…
地図に沿って移動するためには上方から俯瞰して広い視野で見る必要があると。
これからは私が息子達に教えられることも多いはず。
反面教師であれ私が彼らの近くで他者性を持って存在することで彼らの人格形成の一助になればそれはそれで私の存在意義がある。
ひょっとしたら私の生きる励みは? などと肩肘張るのでなく私が元気に毎日過ごすことで気が付かないうちに息子以外の人の役にも立っているのでは?

長男の分もついでに洗濯してるし白飯もついでに炊いてる(今だにちょくちょく帰ってくる)。
無意識にはやっているがこんなことでも元妻には羨ましいのだろうか?
こうして書き込んでいるうちに長男が姿を見せ横でオカキをほおばっている。
私が元気に過ごすことで例え少しの人のためであれ反面教師も含め僅かな支えになっていると妄想すれば頑張れるかも。
宮崎氏や庵野氏のように…








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2011年07月11日

戦う顔を見て。

女子サッカー日本代表の活躍や女子プロゴルフの宮里藍・宮里美香選手の活躍を目にすると
嫌でも自分自身の現状と向き合うことになってしまう。
思うことがありブログの更新もスローにしようとしていたので何日か振りにパソコンを開いたが、
多くの人が訪問して下さっていることに感謝の気持ちを新たにした。

私にもかつて、活躍中の女子選手のような目標だけを見据えた眼をしていた時期があったはず。
今でも私なりには目標を持っているつもりでいたが、ピントがずれているように思えて仕方ない。
「outstanding!」とは、飛びぬけて素晴らしい!と訳すようだが彼女達を見るとドンピシャの表現。

一昨年の終わりに離婚を経験した時、私は転倒して大怪我を負ったとの自覚はなかった。
転倒したけれどそのまま走り続ければ完走出来ると漠然と信じていた。
しかし走れど走れど前に進まない。
新たな恋にもチャレンジしようとしてみたが、どこかで割り切れない自分がいた。
私が生きているのに何が支えになっているのだろう?とも自問自答してみたが、
好きなギャンブルをしたり読書をしたりテレビドラマを見たり歌を口ずさんだり
友人・知人と話をしたりと、それらが合わさって支えになっていたように思う。
考えて見れば若い頃に、この女性を幸せにするために一生のパートナーにしようなどと
よく考えられたなと思う。 この歳になると余程の経済力や包容力がないと自信満々には求愛出来ない。

女子プロゴルファーの不動裕理さんの結婚が決まったが、彼女が一日中男のことばかり考えて生きて来たなら
現在の成績は残せなかっただろう。
やはり何かを得るためには何かを犠牲にしなければならないというのは一理あるように思う。
男でも女でも、充実した生き方にするための順番とすればまず自分自身の持つ能力を最大限に伸ばす努力からだろう。
その努力とは、良い顔になるために外面・内面を磨くことや秀でた技術を習得すること、体力を付けること、人格を形成すること等。
次に、やはり生きて行くには経済力が必要なので置かれている状況により、自ら蓄財するか他者の力を借りるかが必要。
技術力・経済力と共に、人脈も広がるし世界が外へ開かれて行くことになる。

話を戻すと、このへんで離婚時の状態に一度戻ろうと思う。
気持ちとして転倒して怪我を負ったとの自覚を持ち直してこれから歩むべきではないかと…
まず怪我をじっくりと直してから再度レースのスタート地点に戻り、リスタートするのが正しい気がする。
負傷した箇所が癒えるのに10年かかるかもしれない。
でも一度転倒したという現実と冷静に向き合わない限り誤魔化しながら走り続けることになる。

この1年半自棄酒も含めて飲み歩いたことで勘違いかも知れないが自覚出来たことがある。
営業トークも込みだとは思うが、5人いたら4人からは包容力がありますねとか優しい人ですねと言われた。
嬉しさついでにお店を出てから次の店に寄った時にわざわざ褒めてくれた女の子を呼び出したこともある。
勿論、お金がなけれが相手もしてくれないのだが向こうも生身の人間なので少しは本音も混じっていると信じたい。

こんなところで自慢話をしても仕方がないが、恐らく離婚時には私のそんな部分も消えかけていたように思う。
元妻も私のそんなとこに信頼を置いてくれたからこそ結婚に踏み切ったのだろうし。
それを考えると長い期間をかけて自分自身の長所を自分で台無しにしていたとするとぞっとする。

そんな訳で飲む打つ買うと上手く付き合いながら前に進もうとしていたが、心の治療を終えるまで元の自分を取り戻す期間としようと思う。
ブログとはどう付き合うかだが、ギャンブルに関しての記事については予想などにとられる時間が多くなるので極少なくなるだろう。
その他、雑感に関するものは不定期に更新すると思う。

仏壇に手を合わせる時には父と母のことを思い、大学から通信物が来れば次男のことを思い、
突然長男が家に姿を表せば長男の将来を考えてしまう。
アルコール依存症で治療して戻ってきた直後のコンサートでベロベロになりツアー中止になった海外アーチストもいる。
私は100人いたら上位3人位に入る位個性が強いし我も強いしのめり込みが激しい。
何と戦っているのかわからないが常に何かと葛藤している。エネルギーが過剰なのかもしれない。

思い返せば私は離婚前にも一度精神的に大怪我を負っている。
自分で起こした事業をたたんだ後に子供が2人生まれたのだが、年中無休の大手居酒屋チェーン店の責任者(カラオケ店の責任者も兼務)を
していた頃は家族と一緒にご飯を食べた記憶もほとんどない。
そして疲れも頂点になった頃、未成年の飲酒疑惑で店舗が摘発に合い、私は全面的に責任を負うことになってしまった。
その頃からは歯車が狂い始めギャンブルにも再度のめり込んだのも事実。ギャンブル関係のブログも少し経って始めた。
妻はそんな私に対して将来が見えなくなってきたと言ったし昔の輝きを感じなくなったと言われた。
実は摘発時に私は大暴れをしてしまい右手に致命的な後遺症を負ってしまい飲食関係の仕事を続けるのは困難になった。
何故そんなことになったかなのだが、未成年の予約(引退する高校3年生のクラブ打ち上げ)をとったのはフロア担当社員の一存。
当時、その高校生が騒ぎまくったことに怒ったり他のお客さんが、フロア担当社員に対して今から警察に通報すると言い残して店外へ出た。
私は、その社員に対してどうして報告してくれなかったと言ったが後の祭り。
その社員が高校生をカラオケ店に隔離して隠蔽工作を行なったことが裏目になり事態は最悪の展開に…
そのような時、絶対に怒っているお客さんの気持ちをそのままにして帰してはだめ。
ましてまだ来ていないオーダーの分まできっちりお金をとって帰らせたと聞いて私は爆発してしまい鉄の扉に拳を叩きつけて複雑骨折の憂き目。

その時に思ったことは、これって私が決断・判断してきたことへの結果なのか単なる運命なのかということ。
その答えは未だに出ないが、早朝突然に刑事に踏み込まれ自宅から連れ去られたことは忘れることが出来ない(他の店でも同じことあるやろ…)。
お客さんが警察に飛び込んだ際は、隠蔽工作を含め厳重注意に終わったのだが後日何故か私のところに…

何で自分の店だけが…との思いが残りつつ波及効果で高校生のアルバイトによる高校生へのアルコール提供まで問題になり就職を控えたアルバイトの子にまで迷惑を掛けた。

その後は店を追われるように転職をしたのだが急遽の転職後(何故か引越屋の営業)も週一の休みの度に警察での取調べ(結局は不起訴)。
フロア担当社員も退職することになりアルバイト達も半数がやめ、一本の予約電話が数々の人間の人生を変えてしまった(無論飲みに来た高校生自身も学内で処分)。

このように生きていれば自分以外の人間が起こした出来事でも間接的に関わることで自分自身の人生に影響することもある。
私達の離婚後に子供達の人生も変わった可能性もある(特に長男が大学を辞めたこと)。

ロウソクに火を灯しても灯しても人に消されると、火を灯す気も萎えてくるがそれでも諦めると負けなのだろう。
現実から絶対に目を背けてはならない。

少なくともなでしこジャパンのメンバーや全米女子オープンで活躍する選手達は、くじけることなく前に前に進む奴ばかりだろう。
彼女らの戦う目を見ながら、私も何度目かの再点灯のために力を蓄えたい。


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2011年07月06日

感謝する心。

最近、少し調子に乗りかけているのでこんな時こそ冷静になろうと思う。

日頃親しくさせていただいている方が昨日亡くなられた。ご冥福をお祈りいたします。
そのこともあり、いつもお世話になっている会社社長に少し時間をとっていただき話をした。
その社長は山陰地方から裸一貫大阪に出て一代で財を築いた方だ。
私が心が折れそうになった時にいつも話を聞いてもらえるので本当に感謝している。

妻に去られた時も相談に乗ってもらえたし現在の彼女の病状についても心配してくれている。
で、その社長に 「今まで心が折れそうになった時は、何が支えになりましたか?」 と聞いたところ「感謝の心が大事だと思う。自分のことを罵倒した奴でさえ自己の成長にプラスになっているはずだ」
との答えが返ってきた。
また、男らしさとは何でしょうかと聞いたところ
「やはり相手の女性を経済的にも精神的にも支える気概を持っているかどうかではないかな」
「中には母性が強い女性もおり、なよっとした男に対して、私が食べさせてやるといった気持ちをもつこともあるわな」
「ただしそんななよっとした男は相手の女性に対しては優しい場合が多いように思う。そこは男女関係の面白いところやな」

不覚にも話の途中で涙を浮かべてしまい恥ずかしかったが、確実に心に響いた。
いまだに出て行った元妻の体調を心配する私を見て 「それは君の優しいところだよ」 と言ってもらえたので救われた。

そして、チャンスは自分で掴まないと。とも言われた。
魚だって餌をつけて釣るわけなのだから、事業にしても対人関係にしても何らかな仕掛けが大事だと。
対人関係については、関係の密度を深めたい相手とは何とか会う機会を設けるために知恵を絞るべきだとのアドバイスを受けた。

寂しくはないが人恋しい時はある。感謝の対象になるのは主に人だ。
感謝するべき対象がある限り、ひとりで思い悩んでも仕方がない。
反省もするし後悔もする。ただ、自分の下した判断・決断は受け止め認めた上で一歩一歩前に進みたい。
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2011年07月05日

未婚率の上昇が止まらない。

平成22年に実施の国勢調査の速報値(1%抽出速報)において、
35〜39歳女性の未婚率が22.4%で10年前に比べて8.4ポイント増。
40〜44歳女性で16.6%(7.9ポイント増)、30〜34歳女性で33.3%(6.8ポイント増)だった。

これって様々な要因があるとは思うが、女性から見た場合のイイ男が少なくなったのかなぁ。
それとも男女共同参画社会の弊害なのだろうか。

昔は、猿のように(猿さんゴメン)性的な欲望が強い男がいて、容姿にはそれほどこだわらず女性と見れば片っ端から口説いていたから女性が婚期を遅らすことも少なかったと言うのは暴論か。

日曜日の七夕イベントは無事に終了したが、恒例の打ち上げの中で40過ぎの女性がポツンと言った言葉が耳に残った。
それは 「シャルケで活躍するウッチー(内田)のことが好き過ぎて困ってる」 との一言。
彼女は旦那もいて子供も一男一女いる。しかし旦那との関係はかなり冷えており子供が心の支えのようだ。
また、同じくイベントに協力をしてくれた20代の旦那持ち子供ふたりの女性からも聞き捨てならないことを耳にした。
それは、結婚後4年ほどなのに既に夜の関係の方は1年近くご無沙汰らしい。
聞けば、子供が出来てからは旦那が寄って来るのがうっとうしくて仕方ないとのこと。
子供が居なかったら恐らく夫婦関係は続いていなかったとも言っていた。
では何が楽しくて日々過ごしているの?と質問をしたところ 
「幼稚園で長男が、ママが一番可愛いよと言ってくれるのよ。こんな嬉しいことはないわ」 だそう。

おいおい! 旦那のことはどうなるねん。 この1年間あっちの方の処理はどうなってるんや。
旦那からしたら、子供を作れば子供に目が行くし作らなかったら別れてるはずと言われ逃げ道ないやん!

はぁ〜。女心が益々わからんわ。

30代の未婚率80%程度になれば男の復権もあるのかなぁ〜


個人的には土曜日の夜11時過ぎに串カツを配達した相手から 「メチャ美味しかった」 と言われたことが幸せだったので、
女性から貰えるパワーも捨て難いとは思っているのだが。
とは言え、金曜日から100g1000円の牛サーロインを買ったりと、とにかく土曜日の完成までは
ひとりの女性を喜ばせるのにこんな時間と手間と費用がかかるのならこれっきりにしようと決意したのだが、
いざ感謝のコメントを貰った途端に、次は何して喜ばせてやろうと思っている自分がいた。
こんな感覚は久々なので、自分でも驚くがひょっとすると今の10代〜20代の男からしたら
「アホちゃう。何で女にそんな気を使ったり喜ばせなあかんのや」 となるのかな。
とにかく実感としては、ひとりの女性に気にかけてもらうには相当のパワーが必要なのだと…
でも、串カツの作り方を色々と事前に指定されていたのでその意見を100%実現させたことで抜群の仕上げになった。
最初は、何でそんなに細かい指示をするんやと思ったが、結果としては私のプラスにもなったし感謝している。

さて、貯蓄計画のほうは順調に推移している。
7月に入り財布からお金がほぼ減っていない(仕組みは秘密)。
打つの方も順調に行けばプロと言われる月間収支の70%〜100%程度にはなりそうだ。
やはり目標を持つと持たないでは大きな違いが出る。
ジュース1本にいたるまで収支をつけるのは忙しいが、お金が減らないのはなかなか楽しい。
こんなこと言っても一部の方以外の方からは胡散臭い話と思われるだろうが、私のキャリアを素直に生かせばこの程度の推移は不思議でもない(どの口が言うんや?ってですか?訂正はせんぞ〜)。
問題は停滞期を迎えた時だが、大きな波ではなく小さな波の中で常に浮き上がっていたいと考えている。
家族(元も含め)達には既に経済的自立を求めたので、打つでの収入がゼロでも月額6桁の貯蓄は普通に可能だろう。

少し前に関西ローカルのテレビ(中部などでもやっている?)で見たが、第二次世界大戦で伝説の飛行士と呼ばれるパイロットが登場していた。
彼曰く 「このフライトで米軍に打ち落とされるかも?」 などと言った奴は100%近く本当にそうなったらしい。
その伝説の飛行士は 「絶対に生きて戻って来る」 と公言して実際にそうなり続けたらしい。
やはり奇跡は起きるのでなく、奇跡は起こすものなのだろう。

月曜の報道ステーションでは女子プロゴルファーの宮里美香さんの特集をやっていたが、
彼女もまた 「Yes,I Can!」 と常に思っているようだ。
世間は宮里藍さんの方に関心が行くが、美香さんもまた人知れず努力を積み重ねて来た結果が今の姿に繋がっている。

「私は出来る」 結局そう信じられる者が勝つのではないか。

未婚率の話からどんどん遠ざかるが、結婚そのものが大きな目標になっていない可能性もある。
漠然とした目標では、実現したらラッキー!程度のものにしかならないのではないか。
こんな小さな存在の私でさえ、目標を持つことで日々具体的行動・思考に繋げられる。
まず、小さな成功体験を積み重ねて大きな成功に繋げたい。それはイチローも常に言っていることだ。


PS 土曜日の深夜に偶然帰って来た長男がサーロインの串カツに感動していた。ただし余ったから余分に作ったとは言えなかったのは当然…
posted by tetsukazu at 00:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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