2011年06月30日

今年も後半戦へ…

さて、7月となり今年もいよいよ後半戦に突入。

元祖麻雀プロ(実質世界で最初のプロ)と言われる 田中健二郎氏は数々の名言を記して来た。
その中でも 「本当の勝負とは全財産か命を賭けること」 との言葉には重みを感じる。
本当に勝つ気で臨むのなら神経を研ぎ澄まし普段の100倍は集中するのが当然だと…

行為自体は、私もその端くれとして今まで過ごして来たのだが(麻雀プロの時期はないが)、
結果を出せたかとなると、結果との言葉の前提はどうなのかとの問への回答についてまずはっきりさせないとならない。
私が数十年賭け事をやって来て、「月間のプラスが10万円以上であれば立派なプロ」 との見解は、私の周囲のギャンブラーに概ね共通するところ。

では、月間10万円のプラスとは具体的にはどういった立ち回りとなるのだろうか。
また、例えば一時的な1万円のマイナスをどの程度の期間をかけてひとまずプラスマイナスゼロに持って行くかなどについては、非常に重要なことではないかと考える(こんなこと博打に興味ない人にはどうでもよい話だが)。
人間は、実は誰しもが年齢を重ねるうちに成長しているはずだが、一方では退化する部分もある。
つまずいたりコケたりする時は誰にもあるが、それが他者により倒されたとしても自力で立ち上がるしかない。

先日来、貯蓄計画をスタートさせると明言しているが、準備期間としては今のところはほぼ順調である。
飲む打つ買うの内、打つに関して保留扱いとしたのは、決意と実行力次第では打つの要素が必ずしも計画の障害にならないのでは?との希望的観測があったから。
どちらにせよ7月からは家計に関する収支はきっちり記録して行きたいと考えている。
人間関係については、一旦信頼関係を築いた方々とは少々のことではその関係性が変わらないことも実感しているので、飲むなり買う(広義)に関してもバランス良く対峙して行きたい。

私が日頃お世話になっている会社社長(例の前田オーナーの知り合いでもある)にいつも口酸っぱく言われるのが、「とにかく目的・目標を持ちなさい」 「あんまり難しく考えないこと」 
このふたつのことは何とか私自身も身につけたい。 極力シンプルに考えようと思う。

自分自身が本当に成長しているならば、今年の後半戦に成果が出るはずだし出したい。
久々に目標らしい目標を持てたので過去の成功体験にプラスして、アチラ(どちら?笑)の方の成果も出したい。


今度の日曜日は恒例の子供相手のイベントがある。
私は今年もスイーツ担当なのだが、今年は極上の串カツにもチョッカイを出す予定。
ところがうっかりとその事を例の気になる女性の耳に入れてしまったので、土曜日の夜に出前をする破目になってしまった(ホンマにうっかりなんかい!)。
まぁでも彼女は岩塩を炒って準備をしてくれるらしいので、「準備ヨロシク!」 と男らしく言ってやった(いきなり貯蓄計画の危機か?)。

その点は色んな意味で性長(あれ?字が)していると言うことでお許しを…



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2011年06月24日

上半期の総決算。

6月も終わろうとしているが、個人としてこの半年に何か進歩したのだろうか。
進歩でないが、印象に残ったエピソードで言えば、恥ずかしい話だが人から褒められた瞬間かなぁ。
よく行くダーツバーのマスター(20代後半?)にポツンと呟かれた一言が印象的だった。
「笑顔が素敵だなといつも思っていました」 と。
自然な会話の中での言葉で、女性2人男性1人と一緒に行っていた時のことだった。
この半年、逆に私が人に対して何か言葉をかけただろかと考えると、 う〜〜ん。 自信がないなぁ。

さて、競馬の方は宝塚記念が26日。ボートレースのSGグラチャンの優勝戦も26日。
どちらも上半期の総決算となるレース。

グラチャンの方は24日は4日目。各レースで注目の選手をピックアップしてみたい。

第1R⇒5号艇 吉田俊彦が1着勝負。4コースの石田がF(フライング)持ちなので石田の外から半艇身以上は前に出て1マークは捲くり差しでの突き抜けを期待。

第2R⇒6号艇 毒島誠が2着勝負。コースは6コースになるが機力は抜群。2号艇の地元岡山 平尾崇典が強敵で、2艇軸の3連系舟券。

第3R⇒2号艇 前本泰和が1着勝負。濱野谷・赤岩・池田などの強敵相手だが出足型の調整で1マークは決め差しでピン勝負に出る。準地元の広島支部だけに気合が入る一戦。

第4R⇒2号艇 吉川元浩は最低2着は欲しい。3号艇の王者松井繁が予選落ち確定なので4号艇の今坂の仕掛けに合わせて先マイ(1マークで誰よりも早く艇をバックに向けてハンドルを握る)して抜け出したい。

第5R⇒昨年の賞金王決定戦を制した3号艇 中島孝平が尻上がりに調子を上げてきた。4号艇の西島に3コースを獲られた場合は4コースカドから捲くり差しで勝負。5号艇の佐々木との2艇軸の舟券。

第6R⇒6号艇 魚谷智之が今節好調。4号艇の石渡との準優戦1号艇争いになるが、キャリアとテクニックで力の違いを見せつけたい。石渡は今節トップクラスのモーターだけに3号艇の若手レーサー平本を交えた三つ巴の戦い。

第7R⇒3号艇 瓜生正義は機力に問題はなし。準優1号艇を狙うには1着が欲しいところ。1号艇の秋山のスタートが遅いだけに1マークでのひと捲くりまである。相手は地元4号艇 柏野が瓜生のマークで追走か。

第8R⇒4号艇 山口剛(広島)も準地元だけに気合が入る。ここぞという時のスタート力は魅力。3号艇の吉川が捲くれば差しに構えるが、そうでなければ自ら仕掛けて頭勝負か。6号艇勝野が不気味。

第9R⇒5号艇 岡崎恭裕が前半レース次第で勝負がけ。強敵相手だが1マーク全速スピードターンでの1〜2着を期待。1号艇 池田浩二は最後に意地を見せて岡崎と2艇軸で。

第10R⇒ここも5号艇 魚谷に期待。3号艇 三角哲男はペラ作りが上手くいっているようで近況好成績。魚谷の相手として考えたい。

第11R⇒ここは1号艇 辻栄蔵(広島)と2号艇 瓜生(福岡)の戦い。2〜3着候補に5号艇 石野と6号艇 平本。

第12R⇒デビュー期に衝撃的な成績を残した1号艇 田村隆信も33歳。SGで久々の好成績の今節、ここは逃げ切りたい一戦。5号艇中島との2艇軸での舟券。


競馬の方はあまり熱心に予想はしていないが、ブエナビスタが春以降も現役を続けている意味は、今年一杯は牡馬相手に負けないだけのパフォーマンスが期待されている裏返し。
予想をする時、基本的能力に調子の係数を掛けた解が、2項目で単純計算した場合のレースでの期待度になるが、ブエナビスタの場合は基本能力はナンバー1で、上昇度で同等もしくは負けるのはアーネストリー・エイシンフラッシュ位か。
ルーラーシップは前走出遅れたため想定以上の脚を使ったので上昇度との点ではどうか。
ローズキングダムはキンカメ産駒特有のコーナー緩やかで直線が長いコースに適性がありそう。

単勝でも複勝でもない2着まで馬券があればブエナビスタを狙ってみたいがそんな馬券はない。
実際は、ブエナ=エイシン または ブエナ=アーネストリー あたりのワイドが狙いになるかなぁ。


上半期の総決算とは話がずれるが、本当の意味(自己の成長に繋がる)で他者性を感じる女との基準で言えば私に刺激を与えてくれるほどの女はこの半年で何人もは現れなかったなぁ〜  (1人?2人? それとも0人?)

人間にせよ馬にせよ私が本能を揺さぶられるのは圧倒的なパワーとスピード。
若者には無条件にそれらが備わっている。パワーとスピードと共に暮らせばそこに快楽も生まれる。
快楽があれば負の要素と向き合うことも少なくなる。漠然とした幸福感や安楽と快楽は違う。
快楽を味わうためには、時間も金も手間も暇もかかるし好奇心や冒険心やそれらを総括するリビドー(性的衝動を始めとする全ての本能のエネルギー)が必要。
人間社会は単なる生存競争と共に快楽を求める者達のサバイバルでもある。
どちらにしてもパワーとスピードが必要。 私が競走するものに興味を持つのもきっと何かの深層心理から来るものなのだろう(良いか悪いかは別として)。

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2011年06月22日

I'm Proud of you

過去の歌の中で何故か最近気になる曲が2曲ある。

ひとつは、華原朋美の 「I'm Proud」 もうひとつの曲は、くずの 「全てが僕の力になる」 だ。

耳に残る歌詞は、前者が

I'm Proid いつからか自分を誇れる様になってきたのは
きっとあなたに会えた夜から

後者の方は

君の声が聞きたいから君の笑顔が見たいから
何もかもを抱きしめたらそれが僕の力になる
全てが僕の力になる

人はどうしても自分の欲望や夢を実現させるために日々を過ごす。
誰かから誇りに思われたり誰かのことを誇りに思ったりすることが中心には成り難い。
米国では母親が子供を育てる時、I'm Proud of you と声をかけるとのこと。
私はあなたのことを誇りに思う。との意味になるのだが、子供側からすると自信に繋がる言葉だ。
日本の場合だと恐らく、「よくやったね」とか「頑張ったね」 あたりの言葉を使うのではないか。

どちらも我が子を認めていることからのメッセージなのだが、米国の言葉の方が他者性を意識させる。
社会は様々な人々が共存しながら生活するのだが、孤立する場合も多い。
そんな時に、あなたはひとりではないよとのメッセージが伝わり更に評価してくれたら勇気も湧く。

華原朋美とかつての恋人との関係はこの歌を歌った後しばらくして破局に向かうのだが、
男女の持つ脆く崩れ易い関係だからこそ彼女の繊細な高音が心に届いたのだし、
この歌を歌っている頃は、互いが信頼し尊敬し合う関係だったはずだと信じたい。
どんな良い関係が続いてもやがて不信感が生まれる局面がやって来る。
そんな時、自分をそして相手を誇りに思えた瞬間を思い起こせば修正が出来るのではないだろうか。

くずは、吉本芸人の宮迫博之と山口智充のユニットなのだが出演番組と共に走り去って行った。
君の声とは… 
父の日に次男からメールが来た。大学生になっても父親にメールを送ろうとの気持ちが嬉しい誇れる。
何も親バカ振りを披露したいわけではなく、女性からの声が励みになる時もある。
誰かの声を聞き、誰かの笑顔を見て、それが自分自身の力になる。
ブログ仲間からのメールやブログ上のコメントで励まされることも多い。
いくつになってもくじけそうな心を救ってくれるのはやはり人の心に触れた時だ。

21日からボートレースSG競走の第21回グランドチャンピオン決定戦が始まった。
私は、福岡のエースである瓜生正義のテクニックにいつも感動させてもらっているし
愛知の池田浩二の豪快なウィリーモンキ−ターンにも魅了されている。
結婚後の山崎智也の活躍も目を見張るものがある。彼もまたボートレース界屈指の旋回技術を持つ。
22日の第11レースでその瓜生が1号艇。第12レースでは1号艇に山崎智也、3号艇に池田浩二。
第12レースは2連単1−3 一点で勝負したいところだがオッズ次第で3−1の押さえも検討。

こうして私は他者の様々な努力・頑張り・笑顔・励ましなどに日々勇気を貰い活力を得ている。
恐らくだが個人の成長とは、いかに他者を意識して聞く耳を持ち尊重が出来るかによるのではないか。
そして成長の足跡は出来れば他者が見てもわかる位のはっきりとしたものにしたい。
それがいつも私が強調する 『行動』 であり 『結果』 のこと。


私はそしてあなたは、誰かをまたは何かを誇りに思い誇りに思われているだろうか。

第21回グラチャン









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2011年06月18日

意思のバランス。

意思(または意志)についての私なりの解釈については以前より語ってきたが、
『自由意思』 の奔放さには振り回されるので、もう少し掘り下げたいと思う。

つい最近、鳴門市の給食費を扱う職員が不正を働いたとのニュースが報道された。
横領した金はお決まりの如くギャンブルでの散財(ボートレース・競馬)。
私などにとっては本当に迷惑な話なのだが、犯行者も己の自由意思を制御出来なかったのだろう。

英語では、 「私は生まれた」⇒「I Was born」 になり、 
日本語に言い直すと受動態である 「私は生まれさせられた」 になる。
つまり、当然だが生まれるか生まれないかの選択の自由は、生まれてくる個人は持てない。
しかし生まれてしまえば行動のかなりの部分が自由意思により反映される。
ただし、この人と結婚したいという自由意思と、この人とは結婚したくないとの自由意思は対等である。
つまり、〜を絶対したいとの自由意思を覆すためには〜を絶対しないとの自由意思でしか対抗出来ない。
この、〜したいとの意思と、〜しないとの意思との葛藤はそれぞれにとって過去も現在も未来も続くだろう。

俺は誰が何と言おうと絶対煙草を吸い続けるという人間と、誰が何と言おうと絶対吸わないという人間がいたとする。
そのどちらの方が意思が強い人間と言えるであろうか。

神は絶対に我々に対して請求書は出さないと言う人がいる。
なかなか含蓄にある言葉に思う。
恐らくだが純粋な価値観とは経済的なことから最も離れたところにあるのだろう。
資本主義社会では悲しいかな99%が経済を基本に語れてしまう。
金がないと結婚も出来ないし行きたいところへも行けないしそれ以前にまずご飯が食えない。
最近、ハワイにも事業所を持つベンチャー企業の社長と話をしたが、向こうの人は9対1の比率で、
だます人とだまさない人に分かれるらしい。弁護士資格を持っている人でさえボッタクルらしい。
その点、日本人は真逆の1対9の比率で、だます人の方が圧倒的に少ないと感じているとのこと。
世界標準では、タクシーの運転手も弁護士も神ではないし金を請求する教師だって神ではない(当たり前だが)。

日本人でも外国人でも何らかの価値観を元にして、日々判断・選択を繰り返す。
勿論、己の物理的利益のためにシノギを削るのだが、関わる以上はまっとうするぞとの意気込みは必要だと思う。
時には利益とは無縁のことだってあるだろう。

でも



やりたいことがあり、欲しいものがあり、会いたい人がいる。
こんな素晴らしいことはない。
仕事にしても食べて行くためのものでしかないかもしれないが、関わる以上まっとうするぞとの意気込みを持ちたい。
人類は多くの間違いを犯してきた。しかし奴隷からの開放を成し遂げた(ほぼ)ことは叡智だと思いたい。
自由な意思で自由な空間で自由な時間を使い、やがて下した結論に対しては誰からも何処からも請求書が来ないように心掛けたい(前述の不正を働いた者には莫大な負の請求が…)。
そして、社会の中での約束事が個人の自由意思よりも優先するということも常に念頭に置きたい。



日曜日の函館競馬メインの五稜郭Sは、ブリンツェン・ホッカイカンティ・リリエンタールの3頭立てと言ってもいいようなメンバー。3連複一点でどうだろうか?(または3頭から2頭を選んだワイド一点)

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2011年06月14日

至上主義の危うさ。

毎回、思いつくまま記事にしているが毎日多くの方々にご訪問いただきありがたく思います。
そこで調子に乗り私には不似合いの恋愛至上主義との要素を手ががりに色々と考えてみたい。

日本の国においては、第二次世界大戦後にマスコミの果たした役割や影響は過大なものがある。
お見合い結婚から恋愛結婚への流れ。盆正月からクリスマス・バレンタインなどへの流れ。
戦意発揚の軍歌から愛だの恋だの中心の流行歌への流れ。お芝居から映画への流れ。
柔道や剣道などの武術から野球・サッカーなどへの流れ。大家族から核家族への流れ。

その中でも恋愛至上主義とも言える男女の恋愛賛美の風潮は少し行き過ぎた感がある。
お見合い結婚が普通だった頃、夫婦は結婚後に互いを理解し尊重して生活する必要があった。
勿論、男偏重の社会であったため女の地位が低かったことは私にも想像が出来る。
それでも、恋愛しない者はどこか欠陥があるのでは?レベルの世論形成はマスコミの加担なしには起こり得なかったように思う。
ストーカーやDVといったものが恋愛至上主義の末の現象だとすれば副作用が強かったとしか言えない。

現時点でも女性誌などで、『モテ顔・モテメイク・モテファッション・モテ仕草』 などの特集があると少し引いてしまう。
そんなにモテるとストーカー被害に遭ったり、勘違い男からDV被害やセクハラ被害を受ける可能性を高めるように思えるのだが…
クリスマスに彼氏彼女と過ごすのが当然との風潮もおかしいしバレンタインのプレゼントが当然との風潮も違和感がある。
どれもこれも大量消費社会を煽る大企業とそれをサポートする広告代理店やテレビなどのマスコミの影響が大だろう。
もうひとつおかしいのが、それだけ煽って消費に使われたお金がどこへ行っているかだ。
日本の国家は誰しもが知る赤字財政だ。家庭であればとっくに破綻している。
某自動車メーカーは戻し税との名目で実質の課税についての恩恵を受けているしメガバンクはどんなに損失を出しても税金でカバーされる。
かつてで言えば、某鉄道会社(土地売買等手広くやっていた)グループは借入金で土地を購入することを繰り返すことで税負担を免れていた。
マスコミに煽られて消費一辺倒の庶民の手元にはお金が残らずに一部の富裕層の手元に滞留してしまう。
国家に入る税金は主に無駄遣いをする国民がお得意様。 所得と、間接税を含めた税負担のバランスで言えば富裕層はもう少し資産を吐き出すべきだろう。
市中にお金はあるはずなのに景気がよくないのは消費を煽る側の一部の富裕層の元に資産滞留が起きていることがひとつの原因に思う。

民主党のこども手当が総スカンを喰らっているが、資産移動をもくろんでいるとの観点で言えば方向性自体はまんざら間違いではない。
しかしこの赤字財政国家において 『大きな政府』 を維持するのは時期が悪かった。

恋愛至上主義から話がずれそうだが、本来は仕事をする行為は本能を充足させるための行為であり遊びのために稼ぐわけではない。
孫正義が恋愛至上主義だったなら今の地位はないだろう。
恋愛市場がこれだけ拡大したのは、本能のひとつである性欲が資本主義を熟知した勢力に狙い撃ちされたとも言える(あくまで私見)。
かつての歌謡曲でもよいし現在のJポップでもよいが、歌詞にあるが如く本当に一般人が恋愛のことをそこまで中心に考えているのだろうか?
AKB48のオシメンために何千枚もCDを購入するのもある種恋愛至上主義のひとつの形に思える。
ドリカムのボーカルにせよ今井美樹にせよ米米CLUbのボーカルにせよ恋愛についてはドロドロしたものを感じるし恋愛が綺麗事でないことをある意味体現した。
恋愛至上の状態になってしまうと対象となる異性の関係者を巻き込むこともありがちだ。
恋愛は一見、自分が相手の幸せをも願ってするもののように見えるが私には個人のエゴが前面に出ることが多いように映る。
どちらかと言うと、相手が自分のことを理解していてくれることが前提になり、理解していてくれているはずとの幻想も生まれがちなのではないか。
好きな相手に本当に幸せになって欲しいのであれば最大限相手の気持ちを尊重するべきであり究極には相手が別の異性を好きになった時はそれをも尊重するべきだ。
わかり易く解説すると、私に同居する女性がいたとしてその女性に好きな男が出来たとする。
私が最大限相手を尊重するならば彼女の意向に沿って動くべきだ。
また、彼女が好きになった男の立場であればやはり彼女の意向を尊重することになるのだから結果的にひとりの男から女を奪うことになってしまう。
しかしここで問題になるのは女の気持ち。女(女と言ったり女性と言ったり統一しないが)がもし好きな男の気持ちを尊重するとの思いがあるなら、同居していない方の男から自分に対して俺は身を引くと言われた場合は同居の男との生活を続けることになる。しかし彼女には同居の男への愛情が一度は無くなったのだから元のようにはならない。
つまり三者が三者共に相手の立場を尊重した場合にはかえってぎくしゃくすることもある。
元のさやに納まった女の立場はやはり微妙となる。

さて、私の場合はやはりギャンブル至上主義がお似合い。
しかし当然ながら基本的にギャンブルは 『遊び』 である。
公営ギャンブルおいて、ひとレースに5万円突っ込む場合も遊びの金が基本。つまり戻って来なくても当然との意識が重要。
ところが私の場合、そこまでの割り切りはなく中途半端でしかない。仕事が別にある故の甘さが元にあるのは間違いない。
5万円という中途半端な金額ではなく給料全額突っ込むのなら本気度も違って来るだろう。

とにかく中途半端な至上主義はよくない。先に例に出した二股女(悪意はなく一般論として)にしても突き抜けていないし恋愛の本質を理解していない。

日本の国は経済先進国の中ではHIV感染者の増加数が極めて多いらしい(1日に4人が感染)。
公表されているのは累計で1万5千人前後のようだが、潜在的にはその5倍以上とも言われている。
若年層の性に関する知識が乏しいことも影響しているとは思うが、やはり一過性傾向にあるマスコミの力不足にも言及したい。
深田恭子と金城武が共演のドラマでエイズが話題になった頃が頂点で、その後は尻すぼみのように映る。
いつの間にか結婚前の性交渉は当然になりある程度の年齢まで異性との性交渉がないものはどこかおかしい奴扱いされてしまう。
『エッチ』 との言葉で肉体関係をライトに表すようになったのは私が記憶する限り吉本の大物芸人Sが使い出してからではないかと思うが、その彼がエイズの啓蒙活動を行なったとの話は聞かない。
私は別に聖人君子ではなくそれなりにアウトローな人生を送って来たが、性交渉についてだけは女性の体をいたわって来たとの自覚はある(その分ギャンブルでは自分の財布を全くいたわらなかったが…)。

話を原発にも及ばすと、ここにも原発至上主義の陰がちらつく。その背景には学歴至上主義も見え隠れする(東電を始めとする学歴エリート達の存在)。

当然経済至上主義の弊害もあるし戦前の天皇至上主義の危うさもある。

私にとっての現在の心配事はかつて一緒に暮らした女性の健康問題。
私がとってきた 『自分至上主義』 の結末でもあるのでこの件から逃げるつもりはない。
私が協力出来る範囲でのバックアップは惜しまない気持ちはある。
周囲からバカと言われても世話になった人間へのお返しをするのは損得でなく人間として当然だと思う。
年齢が増すから焦って事を成すのでなく日々が大切だからこそ後悔ないようじっくりと着実に歩みたい。
やがて意識が無意識の判断を上回れるまで…


それにしてもボートレーサーはみんな眉毛が細いわ。 細眉至上主義かよ!
それと毎週月曜日の深夜は読売テレビで、アニメのカイジが放映されるがまだもう少し起きとかなあかんな(眠)。

ボートレーサー










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2011年06月11日

女も結局…

このブログもどうも方向性が見えなくなってきたが、本来のブログの意義を果たしているとも言えるので構わず書きたいことを書こう。

村上龍氏がかつて 「全ての男は消耗品である」 と語って書籍化もされたが、
では、女はそうではないと言えるのだろうか?

山口もえさんの旦那が先日摘発を受けたのだが、彼女にとってもイメージダウンは避けられないことになった。(以下登場の著名人は敬称略)
彼女はまだ良いとして、陣内智則と結婚した藤原紀香などはどうして彼を選んだのか?
天海祐希や石田ゆり子は何故まだ結婚していないのだろう?
金曜日(10日)の夜にテレビを見ていたら小泉今日子が平井堅と出ていたが、男と女の匂いをほぼ感じなかった(色んな意味で微妙)。
小泉今日子と言えばバリバリのアイドルだった女性。なのに40代半ばの今、私には彼女から色香が伝わらない。
彼女のファンだった男の中にも複雑な心境の者もいるだろう。

男は半径500m位のところに自分と同じ程度の実力を持った者がいることを常に意識すると言われる。
女の場合は半径100m位のなかにいるのは基本的に自分だけで一番近くに存在する肉親や彼氏でさえ100m程度離れたところらしい(あくまで、らしい…)。
例外はあり子供を産むと自分自身と一体になるのだが一体であるが故に100m圏の視界にはない。

男の場合、村上龍の言葉を借りるまでもなく戦争などを想像すればどこかで消耗品の自覚はある。
しかし女にとっては消耗品との自覚は恐らく生まれにくいだろう。
それはそうだ。基本的には女は消耗品ではない。戦争で99%の男が死んでも残りの1%の男が頑張れば種は持続する。
ただ、花に例えた場合は美しい時期は短いかもしれない。
確かに実が成って熟した時も美味しいのだが食べ頃は限られる(ハイ、またまた女性訪問者が減る)。

今の小泉今日子には色香は感じないが、何故か貫地谷しほりや いとうあさこに色香を感じることがある(俺、大丈夫か?)。
そのふたりは男の視線などを良い意味で意識し続けているように見えるし、憎めないところがある。
う〜ん。俺も歳をとったのかなぁ〜。

ひとつ前のエントリーで言及したように、お金のかかる事柄を整理しようと思ってはいるが、この1年位仲良くさせてもらっている女性だけにはひとこと言っておくべきだと思いそれらしきことを伝えた。
今の私がその女性と連絡しなくなれはほぼ女気はゼロとなる。
半年ほど前に飲んだ勢いで、かなり迫ってしまい今となっては少々恥ずかしいが酒の力はなかなかのものだ。
いつも何かの勢いで同席しているので、改まって昼間から会った事はない。
今回の決意をする前に、1年越しで食事の誘いをしていたのだがそれももういいかと思いながら念のため最後の連絡のつもりでメールを送ったのだが(その後しばらくしてメルアドは変更)少し尾を引く返信が来た。
日本人は世界の中でも珍しく、遠くの肉親より近くの他人を重視する傾向にあるそうだ。
日本の国で圧倒的に職場恋愛が多いのもそのせいかもしれない。
私にしても前述の女性とは、頻繁に会ってる時はまた直ぐに会いたくなるが、2週間も空くとその時の感情がうそのように薄れてくるように思える。
それってどういうことなのだろう?
アメブロなんかでブログに参加している女性芸能人の記事を見ても思うが、ゲームをしてクリアしたことが嬉しかったとか、今日食べた夕食が無茶苦茶美味しかったとかの内容を見ると、じゃあ男なんていなくても十分楽しいやん!と思ってしまう。
まぁ恐らく天海祐希も石田ゆり子も小泉今日子も美味しい物を食べて結構満足しているのかも。

私が2週間空けて感情が薄れた頃にポツンとメールが来ると何故かリセットされることが多い。
この現象も面白いよなぁ。私は特定のパートナーと20年以上暮らしたが、最後はリセット機能が働いていなかったんだろうな。

タイトルの 「女も結局…」 がどっか行きそうだが、20歳のキョンキョンと今のキョンキョンを較べるとやはり女にも賞味期限があり、閉店間際の食材のようにディスカウントされてしまうのかなと思わざるを得ない。

こんな私でも気になる女性と会う時には少しはオシャレをしようと思う。
従って異性を意識することは何も悪いことでもなく良い面も無論ある。
ただ、毎日一緒に生活するとなるとそうそうオシャレもしていられないしお金も使ってられない。
さて、今回の貯蓄計画は結果としてどこへ向くのだろう(プロギャンブラー種銭?一軒家キャッシュ買い?はたまた再婚相手探し?)。

で、気になる女性の返信は、「私のこと忘れちゃヤダよ(笑)」と「あなたが思ってすることを見守ることしか出来ないカナ」 だった。 ちょ!あかんやろ!
女も確かに消耗品的なところがあるが、女の魅力を無意識に理解している女は一生現役でいけるわ。
芦田愛菜を見ても思うが、女は生まれた時から女なんよなぁ〜。これからも私は振り回されそうである。


最後に、日曜日の阪神メインCBC賞は晴れ雨兼用で上り調子のエーシンホワイティの複勝が150円つけば損はないだろう。
文句あるか男ども!





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2011年06月09日

お金の話。

散々使うばかりの生活をしているのにお金の話をするのも気が引けるが、
今後のこともあるので敢えて記事にしておきたい。
今日は私にすれば短い内容になるのでご訪問の方にお手間はとらせません(笑)


さて、独りになってからはこれといって人生設計を立てていなかったのだが、
最近、あることがきっかけで思うことがあり少し計画的に過ごして行こうと決めた。

過去を振り返ると、私は28歳で事業を立ち上げ結婚もしたのだが、
勿論それなりの蓄えがあったからこそ可能であったこと。
10代の頃からやんちゃの道を究めた私が一念発起して貯金をし出したのが24〜25歳の頃。
それからは物凄い勢いで貯めて行った。
月換算にすれば10万円ペースオーバー。1年で100万円は優に越えた。
結婚相手が金融機関だったので定期ノルマの際も協力して彼女を行内のベスト3にしたことも…

では、何故そんなに貯められたのか?
答えは簡単で、使わなかったからである。
4年前後は仕事仲間とただの一度もお茶のひとつも行った覚えがない。行ったのは結婚相手のみ。
今から考えると彼女はよく我慢してくれたものだ。デートと言えば喫茶店でお茶するだけだった。
当然、仕事上の分は別としてひとりであれ人とであれお酒を飲みに行くこともなかった。
新聞も全く買わないしとらないし、外食もほぼなし。
仕事が終われば自宅へ一直線だった(彼女が毎日職場の近くで待っていて自宅までがある意味デート)

職場の仲間からは、なんて付き合いの悪い奴だと言われていたし彼女の友人からは、
あんな面白くない変な奴といつまで一緒にいるんだと陰で言われていた。
それでも私は独立したいとの目標があったので全く耳を貸さなかった。
本来は、独立資金用に貯めていたのだが何年間も耐えてくれた彼女から「身を引く」との話があり、私は、即座に独立も結婚もすると決心した。
結果から言えば、そんな大事なことを一年にふたつも行なったのだから無理が生じるのは当然。
事業の方は傷の浅いうちに撤退を決めた。


その後は、子育てや社会情勢・会社の都合等々に振り回され(時には女性に)あっと言う間に時が過ぎた。
そして先日、ブログにも多々登場の経済の専門家(大学講師)の知人に改めて相談してみた。

「やはり男は飲む打つ買うに関わる限り蓄財は難しいかなぁ?」 と聞くと、
「そやな。俺の友人にも30年間で3000万貯めて株に手を出したが0円になった奴がいるわ」
「やっぱり株もギャンブルよなぁ?」 と当たり前のことを聞いたら
「あほか、そうに決まってるやろ。いくら30年間女も知らんまま(事実)蓄財してもこの始末や」

で、知人に私が過去に集中して貯金したことを伝えると、
知人は、「お前はまだまだ前途があるで。今からでもコツコツやるべきやろ」
続けて、「資本主義では金が金を生むんや。1000万あれば今でも年利10%程度の金融商品はある」
私が、「でもそんなコツコツやってても毎日面白くないやろ」と言うと、
「何を甘いこと言うんや。金がないと飯も食えんし光熱費も払えんし愛も語れんやろ」
「まずまとまったお金を貯めることが先や。1000万の金利で遊べばええんや。元本は手をつけるな」 と。

その知人はいつも財布にあふれるばかりの万札を入れているが、人とお茶する時はマックの100円コーヒー。
私は毎度毎度、マルクスだのマクロ経済だのと大学の講義そのままに2〜3時間話を聞きっ放しだ。
お陰様で人よりは経済に明るくなったが、博打経済学が専門のため研究費がかさむ(当たり前やろ!)。

元妻のことも相談しつつある程度吹っ切れたので、知人と別れてから今の私がどの程度貯められるか計算してみた。
驚くことに、飲む打つ買うをやめたとすると若い頃と同じく月10万は余裕で可能だと気付いた。
えっ?? ということは? ありゃ?? 馬にニンジン。髪の長い子悪魔に貢ぎ物。色のついた水に毎月〇万円をつっこんでいたのか?
今更月10万円貯めて何に繋がるのかは不明だが経験則のある3〜4年程は恐らく続けられるだろう。
そのためには準備が必要なので、まず飲むと買うから縮小するために動き出した。
あとは 『打つ』 だが、こればかりはなかな手怖そうだ。ギャンブルブログ界の上級者のように、
収支プラスを続けてそのプラス分が手元に残れば問題ないのだが…(私の場合何故か手元から消える)

あっ!? 結局結構長くなったわたらーっ(汗) お茶でもどうぞ喫茶店


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2011年06月07日

価値と対価。

独り暮らしもそろそろ慣れて来たと思っていたら週末に気になることが発生してしまった。
私が撒いた種でもあるので知らん顔も出来ず対策を考えてみたが自分ひとりでは完全と言える結論も出ないため暫くは葛藤が続きそうである。

そうは言っても元来の前向き思考は変わらず、日曜のGTに気持ちだけ参加した(下の写真)。
私にとっては最小単位とも言える金額を賭けたのだがやはり負けたこと自体が悔しいのは同じ。
気が付かれた方もおられるだろうがいつもなら1番のストロングリターンの複勝を買っていたケース。
自分のペースをあくまで守るならそれでも良かったが、いつも訪問させていただく馬券師の方々に少しでも近付くためには自分の殻をいつまでも破らないのもどうかと思い、金額的にもチャレンジしてみた(ワイド2点でチャレンジとは恥ずかしい)。
結果はご存知の通り、狙い馬のストロングリターンは2着に来たが、相手の8番アパパネと13番ダノンヨーヨーのどちらも4着以下になるのは誤算だった。
Sリターンの複勝オッズは2.8倍〜 アパパネとのワイドが4.9倍〜 Dヨーヨーとのワイドが7.9倍〜 軸1頭で2点張りなら両方的中まである。
券種選びは、1頭を導き出すまでの作業で終えるか更に作業を進めるかの分岐点にもなるが、
『価値』 と 『対価』 を考えることでもある。

人生を歩んで行く過程では、それぞれが何に価値を感じどんな対価を得ようとするのかと意識的であれ無意識的であれ向き合っているはず。
お金をキーワードにするなら、どんな事柄に対してどれだけの金額を投じる価値があるのかどうかを考える局面があるだろう。
私の場合は、趣味の最高峰がギャンブルであり、それに対抗し得るのは3大本能のひとつである異性に対する興味である。
今に至るまでには良いも悪いも趣味がリードしてきたわけだが、その理由のひとつは一方的にお金が出て行くかどうかである。
女性に対しては失礼になるのかもしれないが、やはり女性にお相手をしてもらうためにはお金がかかる。
例外は、イケメン補正が入る場合だろうが、イケメンを維持するには自分自身に対する投資も必要なので、ブサメンが思うほど楽ではないというのが真相ではないか(いつからイケメン評論家に…)。

週末の件があり、親しくさせていただいている人生の先輩と3時間ほどお茶の時間を過ごしたが、予想通り学ぶ事柄が多く実りある時間だった。
男論・女論などにも話が及んだが、その方は X JAPANのYOSHIKIの大ファンとのこと。
私が、優しさの定義って何なんでしょうね?と質問した時の答えの中にYOSHIKIが出てきたのだが、その方曰く、「優しさは強さの中からしか出てこないんじゃないかな」 
確かに彼は今回の大震災でもいち早く支援のための活動をしている。
巷でも意外と男っぽい骨のある奴との評価が浸透している。
ドラムを叩くのだってかなりのエネルギーがいるしピアノを演奏するのも相当な訓練や技術がいる。
話が飛ぶかもしれないが、AKB48の主要メンバーだって相当なプロ意識の持ち主だろう。
強くなければ優しくなれない…
それは言い方を変えれば、強くなければ人に優しくする資格がないと言えるかもしれない。

自分を大事に出来ない人間が人を大事にすることなど出来ないと言うけれど、自分に優しくするということもそれに含まれるのならそれは自分に甘くするということではなく、自分が強くなるための方法論を持つということではないのだろうか。
価値に対して対価が生まれるとすれば、対価という結果は価値を正当に評価するのかもしれない。
私が何年も前に 『結果が大事』 とのタイトルにしたこともその 『価値』 に気が付いた時改めてかみ締めることになるかもしれない。

余談になるが、お茶を一緒にした方に対して、僕はルパン3世に出てくる不二子が好きなんですよと言ったら、その方からは 「ドロンジョもいい味出してるわね!」 と返ってきた。
私より年上の方であり2杯目のコーヒーも奢ってもらったのだが、漫画やアニメや戦闘機好きだとの意外な面を知り良い意味で裏切られた。
そんなこんなであっと言う間の3時間だったが話が合う人って世の中にいるのだなぁとの感想を持った。
色々と日々葛藤はあるが、人との交流で癒されることが前へ進む原動力にもなるなと思った。

PS 勇翔(またの名)にも感謝します。

2011 安田記念




posted by tetsukazu at 01:16| Comment(0) | TrackBack(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月01日

理屈抜きに…(2)

以前のエントリーで、海外有名サッカー選手の奥さんがあまりにスタイル・顔共に素晴らしいことに対して、理屈抜きにこれは文句の言いようがないと感想を述べた。

その後、男にとって理屈抜きに…とはどんなことに当てはまるのかを意識するわけでもなく過ごしてきたが、ふと思い立ったことがあった。

それは、「理屈抜きに戦略的であること」 との言葉。

映画監督界の巨匠であるゴダールは、他者に迎合しない・簡単には受け入れないという頑なさの上に、表現者の命である 『オリジナル』 を生み出した。
「なんだこいつ」と思いながらつい会いに行ってしまうような元祖 『ツンデレ』 の存在。

ゴルゴ13にしてもルパン3世にしてもカイジの登場人物にしても、流れるテーマは 『勝つこと』 であり 『サバイバル』 であり 『戦略性』 である。

理屈抜きとの表現と戦略的との表現は一見矛盾するが、そもそも人間の存在自体が矛盾する。
2次元の世界では主人公が歳をとらないので一定の戦略をとれば勝利を得られるが、3次元の世界では物事の流動性があるため常に戦略の見直しに迫られる。
しかし流動性と断裂は全く違う。過去を引きずりつつ変化して行くもの。
理屈抜きだけの要素で日々流されながら思うがまま生きる者もいるだろうし、確実なものだけを信じて慎重に生きる者もいるだろう。

道具の作り手が必ずしも道具の使い手になるわけではない。
我々に与えられたフリーハンドをどう使いきるかは各々の才覚である。
理屈抜きに人を好きになったり理屈抜きに何かに興味を持ったりするのは人間として自然なこと。
ただ、結果論としての戦略性は必要である。
無意識に戦略的に生きられればそれはそれでよいが、意識しないと戦略性を持てない者は、
正に 「理屈抜きに戦略的であること」 を常に念頭に置くべきだと考える。

ゴダールはきっと理屈でなく前に進んで行く過程において後から理屈がついたのだと思う。

ここから先は女性の方は見ないで下さい(出来ればご遠慮下さい)。












マルクスは、結婚というものを、男により女性を買収するものだと分析した。
戦略があるから買収するのであり、何百年前から男という生き物は 『天然』 だけでは生き残れないのである。

下の写真は 東日本大震災支援チャリティーの缶バッジで100円のガチャガチャで出したものです。


東日本震災支援 缶バッジ

posted by tetsukazu at 13:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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