2011年05月29日

色々と考えさせられる2日間。

結局、日本ダービーの最終予想はアップ出来なかったためもし期待して訪問して下さった方がおられたらお詫びいたします。
理由は様々あるが、重馬場適性について最後まで明確な結論に至らなかったことが大きな要因だった。
デットーリの来日による単複オッズ等への影響や(オルフェーブルの単勝オッズが3倍を割らなかった等)、その他にも検討するファクターが多すぎて馬券で勝負するには不安要素が大きすぎた。
直前ではオルフェーブルの複勝が狙い目かとも考えたが高すぎるオッズにかえって怯んでしまった。

レースの方はご存知の通りオルフェーブルの完勝に終わったが、日頃は明るい池添騎手の涙には感動してしまった。
ダービージョッキーになるというのは騎手にとっては格別なものなのだろう。
道中後方に位置した池添騎手の愛馬に対する信頼感を想像すると熱いものがひしひしと伝わってきた。
人間同士の信頼関係が薄くなっていると言われる現代社会に照らし合わせると何かを教えてくれているようにも思えた。
とにかくオルフェーヴル号と池添騎手そして同馬の関係者の皆さんの努力に拍手します。そして感動をありがとう。

しかし気になることもあった。
リベルタスの件である。皐月賞・ダービーと2戦続けての不可解な結果。
間違いなく馬自身に何か重大な問題が発生していると思われる。
もし万全の状態で出走に臨んでいないのならば馬券を発売するレースに出走する資格も問われてよい件だ。
基本的には馬主や施行者の利益にために開催しているのだから、我々はイベントに参加させてもらえるだけ有難いと思えと言われれば引き下がるしかないが、道義的問題にももう少し敏感になって欲しいと思う。


信頼感と言えば、今日の夕方に長男が我が家に立ち寄った(何だかんだと毎日のように寄るのだが)。
私も話相手がいない境遇なので、ここぞとばかりに話かけてみた。
相手はまだ20歳そこそこなのでそれなりの話題からが適当かと思い
AKB48の総選挙にお前が投票するとしたなら誰に投票する?と聞いてみた。
因みに俺は高橋みなみやけどな! あの声と仕事に対するプロ意識は評価出来るなぁと言葉を添えて(エエ歳して気が引けるが…)。

長男の回答は 「まぁ小嶋陽菜かな」
「それにしても売り出す側の前田敦子推しには納得出来んなぁ、パーツが真ん中に寄ってるやん」
「増田なんとかは知り合いの一年後輩やわ」
やはり長男はアイドル声優好きだけあってビジュアルにはうるさいようだ。

まぁ前置きはそこそこにして、本当に聞いてみたいことを話してみた。
「お前と俺は結構似たとこあるけど2人で話しして何か今後のヒントが出るんやろか?」
それに対して、「人間て実は価値観を共有する奴に話をするケースがほとんどなんで、結局は互いの慰めあい・傷のなめ合い・愚痴のこぼし合いになりがちやな」 との返答。
私は、「そうか、それでもお前には話し易いんで日常と非日常についての考えを聞かせてくれへんか?」 私は話を続けて、
「俺は、基本的には仕事をして一定の収入を得ることが日常性のに大きな部分を占めていて、ギャンブルなどに関しては収入を得るためのものではない非日常性を帯びたもののはずなのにそれに関わろうとする多くの人間は例えば3万円突っ込めば4万円戻ることを前提に考えてるように見えるんやけどな」
「食費とギャンブル費の合計が5万円として、食費が2万でギャンブル費が3万てバランス悪すぎやろ!」

長男の返答は、「やっぱり何かを期待して何かを得るということが、日常であれ非日常であれ、その根本にある要素に思えるなぁ」
「ギャンブルの場合なら、3万円が6万円になるかも? との期待感が既に2万円分位の見返りになっているんと違うかな…」

私は、「そうか。ということは基本的には単なる無駄遣いというもんはなく、人それぞれの価値感の中で何に重きを置くかの違いだけであり、ギャンブル好きの人間はご馳走でお腹が満腹になったりお金で財布が満腹になったりすることよりも期待がもたらすワクワク感で胸を一杯にすることが幸せであり満足なのか…」 と言葉を返した。

そんなやりとりの中、頭の中に昨夜のことがふと浮かんだ。
仕事上のひとつの節目が昼過ぎに終わり、夜は少し羽を伸ばした。
何回かブログにも登場の気になる人の元へ足を運んだのだ。
去年あたりは毎週どころか週2位で足を運んでいたのだが、私には珍しく 『寂しさ』 との感情を
克服するという人間としての成長(何に限らず成長したことが珍しいということ)があったため、
月イチでも年イチでも我慢出来る状態に仕上げていた(表現?)。
しかし意外なことに、向こうからたまには顔を見せてよと5%?ほどの本気入りモードのメールが来るもので久々に腰を落ち着けて会話してきた。
大人のブログなのであえて言うと、それなりに親しい関係ではあったので誘いを断る口実が薄いのも事実。
私も深入りしないことを心掛ける限りは楽しく時を過ごせるので決して嫌な誘いではない。

先程の息子との会話に少し戻るが、息子曰く、「人間は目的を達してしまうと後は下降線を辿るんやで…」
「好きな異性と結ばれたとしてもその時点がピークやと思うわ」

で、昨夜の話だがとにかく無条件に楽しかった。
日が明けて、目の前に好きなギャンブルと気の合う異性と大好物の食材があったら何を一番に選択するのだろうとの想像もしてみたが、比べるとしたらその3つの要素は、どれもが一定のレベルにあり相対的に見た時の上下関係が発生するのではないかと…
私が今一番興味があるものを上回るものが表れた時、優先順位は変わるのだろう。
昨夜の相手との会話の中で、とにかく相手は笑いっ放しだった。そして私も別れる瞬間まで楽しかった。
しかし息子が言うようにそんな関係もある一線を超えたところで下降線を辿るのだろうか?
もしギャンブルへの興味が下降線を辿っていないのだとすれば、それはギャンブルに対しての目標を達成していないからかもしれない。

一方で、今日は次男からもメールがきた。
次男は私がギャンブルに関わることや元妻への配慮のなさに言及する位、真面目に物事に取り組む性格だ。
今回のメールも、親父は真面目にやってるんか?との内容だった。
それもあり長男に少しだけこぼしてみる結果になった。
でも結果的には良かった。次男にはしかられそうだが、長男とふたりでダメダメ軍の結成準備を約束した(話半分にどうぞ)。
ダメダメ軍でいくら戦略を練っても良い案は出ないとは思うが、何かを踏みとどまる結果は望めそうな気がする(少なくとも人生に絶望しての末の最悪の結果だけは直前に防げそう)。



人間は不完全な生き物である。
生命維持活動こそが本分であるはずの人間が何故か横道に逸れるのは、そんな不完全性が成せることであり、また一方では横道に逸れることが人間らしいことでもある。
昨夜の気になる人はヘビースモーカーだが(私はほぼ吸わない)いくらやめろと言ってもやめるタマではない。
私はそんな場合、やめろとは決して言わないし言っても無駄だ。
やめるやめないは本人が自覚して実行して初めて成立するもの。
そんなことは自分自身の胸に手を当てれば直ぐにわかること。

池添騎手とオルフェーヴルとの信頼関係、私と長男の似たもの関係、私と次男の良い意味での緊張関係、私と元妻とのある意味の細い絆、私と昨夜の人との楽しい関係、そして今日の笹川賞優勝戦の2号艇で出走したトップ女性レーサーの横西選手と夫で現役トップレーサーの山崎智也選手の絆(横西選手にとっては再婚であり昨年結婚した山崎選手は横西選手の子供と実子同然に接している)。

お金より大切なものは必ずある。しかしお金からも逃げてはだめだし人からも逃げてはだめだ。
大切なものは競馬場にあるわけでもなく財布の中にあるわけでもない。
きっと大切なものは目の前に存在する。
ブログ仲間にはいつも遠征してきてもらって負担をかけている。

私から出向くようになった時、多くのことは解決していそうだ……









posted by tetsukazu at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月24日

頂点へ!第一感。

一年半前位から様々な出来事があり、ギャンブルの記事に関しては
一定の距離をとり自重してきたが、中途半端ではかえって良くないので
そろそろ真正面から向き合おうと考えている。

さて、今度の日曜日は競馬の祭典 日本ダービーが開催される。
競馬界にとっては特別の日だが我々ファンにとっても熱が入るレース。
馬券を購入するしないは別として、気を入れて検討したい。

最近の国内のGTレースは上がり中心の瞬発力勝負になりがち。
出走馬も半数以上が社台系の馬達であり、馴れ合いのレースになっている可能性もある。
今回も例に漏れず、有力馬の多くが社台系。
1〜2番人気になるだろうオルフェーヴルとサダムパテックも白老ファームで社台系。
今回もそれらの馬が上位着順を賑わすことは想像出来る。

しかし私が出来る事前の考察は目に見える資料からしかほぼ不可能なのでインサイダーに
関わるような情報は抜きに検討したい。

まず、今年のGTの傾向として前走もしくは前々走のどちらかで1着をとっている馬に
注意が必要(アパパネは古馬や牡馬との対戦で連対外す)。
ヒルノダムールしかりエリンコートしかり。
やはり勝つということは競走馬にとっては大事なことであり、勝ち癖負け癖のようなものも
あるのかもしれない。
今回で言えば、連勝馬はオルフェーヴルとクレスコグランドの2頭。
前走勝ちはウインバリアシオンとトーセンレーヴだ。
サダムパテックも前々走GUで1着、前走GTで2着なので実績で劣ることはない。

次に馬券から見た狙いどころの馬についてだ。
ナカヤマナイトは皐月賞2番人気で5着。直線の伸びもさほどでなかっただけに
2ハロン伸びる今回で皐月賞ほどの支持は望めないだろう。
実績と人気のバランスから馬券の狙い目になる一頭。
調教師もナカヤマフェスタを送り出した二ノ宮師なので仕上げにぬかりはないだろう。
皐月賞時は2ヶ月以上開いてのレースだっただけに馬に気合いが欠けていた可能性も高い。
クレスコグランドも浜中騎手が騎乗との点で、成績ほどの人気はしないだろう。
サダムパテックの単勝あたりも馬券的妙味はありそう。

ローテーションについては、私見だが今年に入ってのレース数において3戦程度が理想に思える。
オルフェーヴル・コティリオン・ユニバーサルバンクの4戦は微妙なところ。
クレスコグランドの6戦、トーセンレーヴの5戦は明らかに多い。

私は、距離が伸びる戦いでは2000m戦でのラストの伸びを重視したいが
やはり圧倒的なのはオルフェーヴル。やや緩い馬場で上がり34.2秒は圧巻。
オルフェーヴルに次ぐ34.4秒の末脚を見せたデボネアにも注目している。
デボネアは5戦連続2000m戦で走っており、2400mへの適応も問題なさそう。
サダムパテックのラスト1ハロンの脚も目立ったが、2400mのラスト2ハロンではどうか?
サダムパテックはフジキセキ産駒でもあり終わってみれば2000m迄の馬だったとなるかも。
オルフェーヴルも兄貴譲りのピッチ走法だけに抜け出す時の脚は俊敏だが、位置取り争いに課題。
ウインバリアシオンの青葉賞の上がり33.6秒も脅威だが今回は前が有利な展開も考えられるので後ろ過ぎる位置取りだと苦しいだろう。
コティリオンも同様に位置取り争いで苦戦しそう。

調教についてはダービーを勝つためには坂道オンリーではラストの踏ん張りに問題が出そうに思う。
サダムパテックについてはそのあたりに不安を感じる。
その点、デボネアは皐月賞前までは脚元に不安があったため強い負荷はかけられなかったようだがここに来てCウッドコースなどでも調教出来ているので皐月賞以上のパフォーマンスが期待出来る。
ナカヤマナイトについても皐月賞後はかなり負荷をかけているようなので上昇が見込めそう。


当日の馬場状態が不明なので第一感でしかないが、現時点で注目するのはまずデボネア。
次にナカヤマナイト。そしてオルフェーヴル。
サダムパテックについては弥生賞のラスト100mの脚色がオルフエーヴルの皐月賞ほどで
なかった点が2400mでの戦いでの差となるように思える(あくまで現時点の感想)。

デボネアの複勝馬券あたりを握りしめてデットーリに声援を送るのが楽しいかもしれない。

24日からはボートレース尼崎でSG第38回笹川賞競走も始まる。
公私共に良い意味で何かと忙しくなりそうな予感がする。






posted by tetsukazu at 03:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月21日

賭・考察(1)

久々になるが、公営ギャンブルの核心に迫るために真面目に考察してみる。

歴史と言うと、まず思い浮かぶのは『事実』の集合体とのイメージ。
しかし、現在に生きる者全てが過去の歴史認識を共通のものとするのは困難だ。
ゲーテは、過去の出来事は『象徴』でしかないと言ったし、エルンスト・ベルトラムは
歴史は結局、『伝説』であると言った。
そうであるならば、公営ギャンブルの歴史もその当時に遭遇した者にしか理解出来ないことが
多いに違いない。
レース場の自然条件などの影響次第で、レースそのものの条件が同じであっても
単に羅列された着順やレースタイムだけでは語れない場合も多く
過去の記録だけに振り回されると収支の面でのマイナス要因を生みかねない。

大数の法則を持ち出すまでもなく、普通に賭け続けたなら公営ギャンブルで賭ける側の収支は
控除を除いた還元率前後に収まるだろう。
それでももし本気でプラス収支を目指すならば、自分以外の賭け人は友人も含めて全員が敵だ。
私の直感では、競馬にせよ競艇にせよインサイダーに限りなく近い投票が一定割合で含まれる
との印象を持つ。
つまり基本的には、自分自身が第一感として事前に想定していた人気(売れ方)より過剰に
売れている組み合わせ(単勝の場合は単独で)には何らかの根拠があると考えるのが合理的だろう。
それでも先に述べたように、過去は過去でしかないのだから同じ様な過剰投票だからと言って
同じ様な結果になるとは限らない。
私が主張したいのは、他者による投票行動を無視することは賢明ではないということ。

次に、各賭け人の投票行動のトータルがオッズを作り出すのだが、最終的に表れる数字は無機質であり、賭け人にはそこに肉付けする作業が待っている。
と言っても、その肉付け作業を怠る賭け人も一定数存在するはず。
オッズに対する肉付け作業だけでなく、レースが始まる前の分析においてもその作業を怠る
賭け人が存在する。また、同じ人間でも努力にムラがありながら各レースに臨むこともあるだろう。
そう考えると、事前作業が可能な項目を怠らないか怠るかにより、レースが始まる時点において
個々の人間の持つ期待収支が異なることになる(事前作業が期待収支に影響すると合理的に考えた場合)

それではもう少し具体的に考えてみる。


例えば、1番人気の組み合わせが400円、2番人気が600円、3番人気が800円とする。
このような分布をとるレースで、1〜3人気の組み合わせの3点張り均等買いを行なう場合
的中時の平均回収率は200%になる⇒各人気が均等に発生と想定(投入金額の2倍)。
もちろん合成オッズになるように各組み合わせに強弱をつけバランス買いをすれば約185%。
つまりこのようなオッズ分布のレースでこのように買い続ければ2レースに1レース的中すれば
収支はトントン。つまり回収率100%になる(バランス買いの場合に50%の的中率ならマイナス)。
しかしもし公営ギャンブルに手を出す目的が、利益を得ることならばほとんど意味のない行為。
恐らくだが私も含めて多くの賭け人が、利益目的だけでない目的を無意識に持っているのだろう。
1億円以上の金を横領して全て競馬に突っ込んでほとんどを失ったとの事件もあるが
冷静に考えたらその1億円を持ったまま何もしなければ1円も減らないのだ。
1億円は大げさなのでもう少しリアルに説明すると、20万円の自分の給料袋(古)から自分で
2万円借りるとする(表現はおかしいが)。
自分の金なのでどう使おうと構わないのだが、その2万円がゴルフなどと同じで、単なる出て行く
だけのお金なのか給料袋に戻すことを前提なのか、それとも2万円増やして22万円にすることが目的なのかで内容は大きく違ってくる。

公営ギャンブルの場合は、賭け人が直接走るわけではないため賭け人が努力可能な部分は限定される。
それだけに努力可能な部分を怠ることは致命的に収支結果に反映してしまう。

3点買いの話に戻すと(基本的には私論でしかないが)、的中に関してどれだけの期待を持てるかをレース毎に導き出すための方法論をある程度確立させないと、同じオッズ構成のレース同士の比較を行なうための技術・感性が身に付かない。
投入金額の2倍になる買い方をしたレースを3レースに2レース的中させれば当たり前だがプラス収支。
長くやっていると(競馬の場合)1.5〜1.7倍程度の単勝支持率の馬に対してどの程度の信頼を置けるかはおのずと感じるものがある。
しかしここがポイントなのだが、過去と現在と未来のレースを並べて1.5〜1.7倍の支持がある馬の信頼度を比較してレース選択を行なうのは不可能(過去は物理的に無理)。
そうなると現在のレースと未来レースの比較になるのだが、未来のレースに狙いをつけて未来が来た時、その時点になると過去のレース(比較した瞬間は現在だったレース)の方に信頼性を感じてしまうというような事態も有り得るだろう。
そのようなことも考慮すると、短期的には(競馬の場合)直近の土日のレースにおいて
ある一定基準に達した馬(組み合わせ)が存在すると考えるレースを視野に入れ、レース自体を
絞った上で、基準プラス直感や自分自身の調子等も考慮してその週に勝負するかどうかを判断し確信を持てない場合は無理に勝負するのではなく翌週以降に勝負を持ち越すことも必要。

さて、ここまで書いてひとつ位は具体的戦略を示さないと次の考察にも繋がらないので頑張ってみる。


私はご存知に通り、競馬の場合は複勝が中心で競艇に場合は、3連複または2連単中心。
しかし何故そういう投票行動をとるかは、やはり先に述べた事前作業や資金事情や当日のレース間の間隔(次のレースまでの物理的予想時間)の影響もある。
本当に数は少ないとは思うが、日本国内に存在しているであろうプロ(またはセミプロ)馬券師の中の一定数の賭け人は 『単勝戦略』 をとっている(周知の事実)。
もちろん資金量等により勝負に行く間隔(毎月1回・半年に1回等々)は異なるだろうが
本気で利益を得ようとするなら恐らく数少ない戦略になる。
こんな私でも1年に何回かは、「このレースでこの馬なら5馬身はちぎってもおかしくない」
と言えるレースは発生する(競艇ならどう考えても1号艇と2号艇の一騎打ちなどのケース)。
しかし、そんなレースが来るまでだまって他のレースを見逃し続けるほどストイックには接していない。
人よりはストイックに振舞って結果を出したいとは思っているが、中途半端な決意でしかない。
知人から誘いを受けて楽しく観戦しましょうよと言われた時でも簡単に3〜4万突っ込む自分が居る。

もう一度言うが、私にも年に何回かはこれは確実と思えるレースに出会う。
しかし長期戦略で10万程度の利益を得るのなら、長期戦略で実業に専念した方がずっと効率的。
公営ギャンブルで利益を得たいとのスケベ心は短期的に(最短で5分程度)10万程度の利益を
得たいからに他ならない。 そうスケベ心が敵なのだ。
一ヶ月必死に仕事をして20万前後の収入を得られることを考えるとそんな安直に10万もの金が
稼げるわけはないのだ。

私における過去は確かに事実の羅列なのだが、そう象徴であり伝説であるとも言える。
既に過去の収支を数字で表すことには大きな意味はないのかもしれない。
未来に向けて努力の象徴や勝利の伝説を残して行ける可能性はゼロではなく、ゼロからの積み上げは私次第である。

見送る余裕。分析する能力。選択への自信。勝負する勇気。結果への達観。
実人生で必要な要素はギャンブルの世界でも要求される。勉強や仕事が出来なくても博打は達人は幻想。
ギャンブルで結果を残す者は実人生でも結果を残せるだろう。

マルセリーナの単勝は勝負するに値するのだろうか? 単勝1点では今の私には怖くて勝負出来ないしその馬券に確信を持てるだけの事前作業も怠っている。
どんなことでも試されるのは常に自分自身である。










posted by tetsukazu at 02:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月14日

賭け続ける男(破)第37話

すっかりギャンブルでは下降線に入ったテツだがこの程度でへこむタマではない。
土日が近付くに連れてうずうずしているようだ。


マサ‥テツさん。この前はすんません。儲けてもらおうと思ったんすけどダメでしたわ。

テツ‥ドンマイ、ドンマイ。

マサ‥は? どこの高校生ロボコンやねん。 まードンマイケルと言わんかっただけましやけど(笑)

テツ‥そんなことよりボートレース界がえらいことになってるで。
13日のボートレース若松の優勝戦に第108期生で今回がプロデビュー戦の
江崎一雄(福岡)が何と3号艇で出場しよったんや。
準優勝戦では見事6コースから快勝しての優勝戦進出。
現場では凄い盛り上がりやったようやな。
デビューの舞台での優出は14年振り11回目(1960年以降)とのこと。
福岡の地元では、瓜生の後継者やら濱野谷の再来やらと言われているらしいけど
今迄も大器と称されてだめになって行った選手も多いだけに江崎には頑張って欲しいな。

マサ‥へぇー。そんな凄い選手が出てきたんですか。 競馬界も三浦がデビューした時は
盛り上がりましたけど、斜行などで制裁を受けるうちにスケールが小さくなってる気もしますね。

テツ‥そやな。このままやと関西の川須あたりにも追い上げられそうやな。
若手には負けないレースより勝ちに行くレースを心掛けて大成して欲しいな。
そらそうと土曜日の京王杯SCはどの馬が良さそうや?

マサ‥そうですねぇ〜。 別定戦なんでGTを勝った馬には少しきつい条件ですね。
エーシンフォワードやショウワモダンは斤量との戦いになりそう。
その点、サンカルロの57kは有利な気がしますね。ガルボより1k重いレースで
ガルボに先着してるのに今回同斤量ですからね。ただ5月頃からの成績が
もうひとつなのが気になります。
シルポートの58kも有利とは言えませんが前走1600m戦での1400m通過タイムが
1分20秒4ですから今回の条件でも展開利を味方にして逃げ切りもありそうです。
ジヨーカプチーノはスワンSで1400mを経験してますけど時計勝負と言うほどのものでは
なかっただけに、今回シルポートが残り3ハロン位から仕掛け気味に逃げた場合は
なし崩し的に脚を使わされる気もします。
ガルボは外国人騎手騎乗で人気しそうですが、どうも暑くなって来る季節は苦手っぽい印象。
ドリームバレンチノやラインブラッドも面白そうですが57kではきつい感じです。
馬券を狙うなら、シルポート⇒サンカルロの馬単本線で、シルポート⇒ジヨーカプチーノの馬単と
サンカルロ⇒シルポートの馬単を加えた、馬単3点ですかね。

テツ‥なかなかやな。 俺もシルポートとサンカルロの単勝2点張りが堅実かなとも思てたけど
シルポートの単40%とシルポート=サンカルロのワイド60%にしよかな。
そらそうと上原美優さんが亡くなられたけど、精神を鍛えるのはやっぱり難しいんかな?

マサ‥そうすねぇ。 でも石川遼なんかは精神力が年々確実にアップしているように思いますね。
理由は恐らく 『勝ち味』 を知っているからでしょうね。
上原さんなんかはコンプレックスを克服する過程での成功体験の獲得が上手く行かなかったのでは?
どちらにしても故人のご冥福をお祈りします。

テツ‥俺もマサも子供の頃から経済的には楽ではなかったけど、人と比べることだけにエネルギーを
費やしてはいてへんもんな。普通に生きてるだけでホンマは結構忙しいもんやで。
悩む暇があるのはある意味贅沢なことやし悩みの原因を作るのも自分自身なんかもな。
「あそこであんな判断をしてなかったら…」 などと思わんで日々過ごせるようお互い頑張ろな!

マサ‥ウイッス! 

テツ‥あっ! そやそや、人妻からお茶のお誘いがあったんやった。またな!

マサ‥やっぱりこのオッサンは石川遼にはなれんな…


どうやらテツは、寂しいとは全く思わなくなったようだが、楽しい事探しの方は度を増しているようだ。




posted by tetsukazu at 03:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月10日

可能性と不可能性の狭間。

下図は私がオリジナルで考案した図ではないが、以前からの研究テーマである
必然と偶然の関係について図を基に考えてみた(左右の必然性から偶然性の黒点に向かい線を引いたとする)。  
  
必然性----------------------------必然性
              
            
             
            
            可能性  
          
                          
   
不可能性----------●----------不可能性
           偶然性

私は長くギャンブルに親しんでは来たが、その世界とは必然と偶然が織り成す
混沌とした状態(カオス)であるのは間違いない。
だからこそのめり込めるのであり、ある意味では食欲や性欲を上回る魅力がある。
明日、美味しいものを食べるのと好きな異性に会うのとギャンブルの場へ行くのと
どれが一番の楽しみかと問われれば今迄は確実にギャンブルだったように思う。
勿論その代償は大きく、財産や家族まで失ったのかもしれない。
しかし幸い懲役を食らうまでには至らず、ワル中のワルと呼ばれるほどでもない。
一言で言えば中途半端な遊び好き程度なのかもしれない。

さて、上の図の説明になるが、三角の中がひとりの人間の持つ可能性を表す。
逆三角形になっている意味は、偶然性を現実・事実と捉えた場合、底にあるのは
三角形の頂点であり今を表す点が現在・過去・未来の可能性を支えているとも言える。
このあたりの説明からは我が道を行くため訪問者の方は脱落自由です(汗)。

ギャンブルに限らず日常のあらゆる現象・事象は必然と偶然が重なり成立している。
しかし個人に与えられた必然性を帯びた諸条件の持つ比率が圧倒的に高いため
通常、偶然性は [ラッキー]または [アンラッキー] 程度の要素にしかならない。
図は逆三角形ひとつで表しているが、実は偶然性を頂点とした正三角形が対称形で
接しているとの仮定で話を進めることとする。

もうひとつの三角形とは偶然性の部分で接点を持つため、両三角形の可能性を示す
三角形の中の部分の要素がある点で一致しないと偶然性を媒介としての接点は持たない。

例えば、日本人として生まれ、サラリーマンを目指すとする。
自分自身の資質を考慮した上で、最大限まで可能性を広げて求職をした場合も
最終的に選択するのは一社のみ。
その一社との接点は正に偶然なしでは語れない。
会社側もあらゆる人材に向け、ウイングを広(拡?)げる訳であり、一個人との
接点は、最終的には偶然性との要素が左右する。

図では必然性も表しているが、必然性の幅(長さ)は個々人または個別要素で異なって来る。
その幅(長さ)があればあるほど可能性の面積も大きくなるため必然性の中身は非常に重要。
就職戦線を渡るにあたり、どのような学校や機関で学んだかや従事したかが問われる。
俗な話だが、東大を出るのと無名の大学を出るのとでは、必然的に選択の幅の違いが出るだろう。
勿論、学力だけでなく人格や体力や人脈等の総合力も問われる。
これも一言で言えば 『実力』 と呼ぶのが適当か。
つまり 『実力・能力』 が高ければ高いほど大きな三角形となり偶然性を表す黒点も大きくなる。
他の三角形との関わりも可能性の大きさの分だけ関わる三角形の数が多くなるため
良い偶然と巡り合う確率が高まると言える。
偶然の確率を上げるとの抽象的表現は、ギャンブルを嗜まない人間にとっては理解しにくいだろうが
流れの良い時や流れの悪い時を再三に渡り経験するギャンブラーにとっては偶然とかたまたまとかの一言で片付けられるものではない。

図ではまた、不可能性も表したが、可能性を追求した末には知らぬ間に不可能性の領域に入る場合がある。
少ない可能性を追求すればするほど小さな領域での勝負になるため、可能性の追求は偶然性との出会いを避けられない。
知らぬ間に不可能性の直線上を行ったり来たりする状態に陥る場合もあるだろう。

利用(想定)可能な必然性を根拠に高い可能性の領域で勝負または存在する場合は、偶然性に頼ったり不可能性に足を踏み入れることは少ないだろうが、劇的な人生や刺激的な人生を送れるかとの観点からは平穏な人生に終始する可能性が高い。
偶然性は何も三角形の頂点にばかりある要素ではないし小さな三角形であればあるほど偶然性の黒点の領域が占める割合も大きくなるだろう。


話が長くなりかけてしまっているので一定の結論は出したいが、まとめられそうにはなく
今後に繋がるヒント程度らしきもの位は何とか導きたい。

ひとまず成功可能性を高める必然の要素を集めるだけ集めて偶然に立ち向かうことを手始めとしたい。



成功可能性を高めるための必然要素とは?


努力・人格・財力・人脈・健康 などだろうか。

偶然努力はしないし偶然人格者にはならないし偶然財力も持てないし偶然人脈も出来ないし
偶然健康も獲得出来ない。当然、偶然それらを培うための持ち時間も増えない。


昔の人は言った。

「人事を尽くして天命を待つ」

果たして人事は尽くせているのだろうか? 不可能性の直線上をウロウロしていないだろうか?

一度胸に手を当てて考えたい。





posted by tetsukazu at 01:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月08日

掛け続ける男(破)第36話

テツの予想力が冴えているわけではないがGTの日ともなると
だまって座ってはいられないよう。


テツ‥土曜日もあかんかったな。マイナス16kて…
まー気を取り直してNHKマイルCの予想だけはしとこ。
自信満々に予想とはいかへんけどトライアルの直線の脚を見る限り
エーシンジャッカルが直線で伸びない姿は想像しにくいわ。
関東馬は震災の影響で微妙に調整に狂いがあるやろから
ここは騎手込みで同馬に期待するわ。
サンデーの父系プラス母系にミスプロとノーザンダンサーの血が入っている血統も買えるしな。
買うならエーシンジャッカルの複勝100%かな。


さて、テツにとっての勝負の流れはどのレースから変わるのか?
posted by tetsukazu at 14:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月07日

掛け続ける男(破)第35話

テツは昨年から体は鍛えているようだが心の鍛え方はまだまだのよう。


マサ‥テツさん!久しぶりっす。

テツ‥おーっ!!マサやんけ。なにしとってん。

マサ‥あのね。普通はテツさんみたいに自由には生きてないんですから
暇を作るのも一苦労なんすよ。

テツ‥ハイハイ、早速のお小言ありがとね。

マサ‥あれっ?なんか器が大きなってません?

テツ‥ゴホン。ま-勝負の世界に生きるもんは我を失わんもんや。
正論と不屈の精神を胸に生きてるんで、世間の声はBGMみたいなもんやな(キリッ!)

マサ‥??? ひょっとしてまたなんかありました?

テツ‥えっ? どうしてもと言うなら話すけど。

マサ‥じゃあ〜言わなくていいです。

テツ‥やっぱりそのパターンかよ!今日はもうノリ突っ込みはやめるわ。
でもやっぱりちょっとだけ言うてもええ?
実は7月か8月頃にある人にご馳走することを約束してしもたんや。
でも約束した途端に金が出て行くわ出て行くわで大変なんや。
人助けと思って土曜日の京都新聞杯の予想を教えてくれ〜。

マサ‥あのね。東北の人が大変な時にテツさんのことを助けてる暇はないんですよ。

テツ‥そんなこと言うなよ。明日にはいよいよ俺の家に残ってた息子の荷物がほぼなくなり
名実共にロンリーライフになるんやから飯友のひとりも必要やろが!!

マサ‥はいはい了解。長い髪の飯友ですね。
しょーないから腐れ縁と思って予想しますわ。
レッドデイヴィスがダントツ人気ですが、調教気配からは出来落ちはなさそうですね。
母父がトニービンで2200mにも対応出来るでしょう。
前に行ける脚質もあり連対は間違いないでしょうね。
相手は実績と騎手からユニバーサルバンクですけど調教が物足りないですね。
押せ押せで来た割に皐月賞に出られず歯車が狂いかけている気もしますね。
目についたのはルイーザシアターとテンペルですかね。
ルイーザは青葉賞にも出走しようとしていた位なので陣営の期待度がうかがわれますわ。
好調のアンカツ騎乗も怖いですね。
テンペルは素質が高そうですね。枠が外過ぎるので展開上は厳しそうですが折れ合いに
問題はなさそうなので池添騎手お得意の3角付近からの仕掛け通しの騎乗が見られそうです。
クレスコグランドとダノンフェニックスは前走同じレースの1、2着なのでレースレベルを
どう評価するか次第で両方買うか両方買わないかの判断が必要でしょう。
馬場が悪いレースだったんで良馬場での評価はこのレースが終わった後にするとして
今回俺は買いませんわ。ただしダノンの母はディープインパクトの母の妹の子なので隠れ良血かと。
レッドセインツは前走は展開が嵌った感じですね。33秒台までの脚は使えてないので
レッドデイヴィスやユニバーサルバンクが34秒5前後の上がりを出すと届かない計算です。
それなら藤田が騎乗するサンビームの先行の方が面白い気がしますね。調教も良さそうです。
パッションダンスも好素質馬ですが体質が弱いので本格化はまだ先でしょう。
サウンドバスターは前走強かったですが、タイムがもうひとつですね。

長くなりましたけど馬券を買うなら
レッドデイヴィス⇒ユニバーサルバンクの馬単と、レッドデイヴィス=ルイーザシアターの馬連の計2点。
オッズ次第で、レッドデイヴィス⇒テンペルの馬単やレッドデイヴィス=ルイーザシアターのワイドも。

テツ‥サンキュ。とり合えず飯友とのデザート代だけでも稼がせてもらうわ。
たまには三連単でも買うてみよかな?
レッドデイヴィスの1〜2着固定で、相手1〜3着候補にルイーザ・テンペル。
2〜3着候補に ユニバーサル。3着候補にダノンフェニックス・クレスコグランド。
合計で20点かな。 レッドデイヴィス⇒ユニバーサルからの三連単だけ単位を2にしたら
合計で24単位でいけるやろ(1単位100円なら2400円)。

マサ‥テツさんも自分のスタンスはくれぐれも守って下さいよ。
気がついたら好きでもないもんから言い寄られてホイホイと付いて行ったらだめっすよ!
目的が同じ場合は向き合うのでなくて横に並ぶのがコツですわ。そしたら後ろ姿も見えますしね。

テツ‥ガッテンだい!

マサ‥???


どうやらテツは昔からの知り合いでシングルマザー暦25年の女性と久々に会ったようだ。
どんなに仲の良い夫婦でも最後はひとりになるもの。楽しげなその女性を見て何か感じた様子。





posted by tetsukazu at 03:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月04日

自分の足で…。

今日、大学近くでひとり暮らしをしている次男が用事で私の家に立ち寄った。
長男もひとり暮らし中なのだが彼もその時偶然家に居た(長男は何かと立ち寄る)。

次男は昔から大人しい性格のためひとりで京都の山の奥深くに生活させるのは
心配だったが、親の心配をよそに元気で生活してくれている。
次男は妻が去った直後の進学だったため本人も相当悩んだと思うが
とにかく決まっていたことだし学びたいことがあるのだからと後押しした。

長男と次男は性格が正反対というか、長男は読書などまずしないのに次男は熱心に読む。
長男は社交性があるため高校に入って直ぐにアルバイトを始めた位だが
次男の方は大学に入り冬を迎える頃ようやく重い腰を上げバイトを始めた。
きっかけは、私が次男に対して金銭的援助を削減すると伝えたこともあるが
私は次男に対して今まで一度もアルバイトを強制したことはない。
そのスタンスは長男に対しても同じで、私は子供達には決して価値の押し付けはしない。

ふたり共に一時期、不登校と呼べるような事態に発展したのだが
その時の私の対応に対して、当時一緒に暮らしていた妻が不満を持っていたのは間違いない。
私は事態が起きた時、どちらに対しても一切干渉はしなかった。
妻は知り合いの塾の先生などに相談して自宅にまで迎えて息子の説得に当たったが
息子は部屋から出ては来なかった。

妻が出て行った理由のひとつは、こういった私の無関心さ(妻からみれば)にもあった。
しかし私が無関心を装うのがそう簡単ではないことを妻には理解してはもらえなかった。
また、私も理解してもらおうとも思わなかったし妻から罵声を浴びても反論しなかった。
私は、会社勤めの時から部下には結構罵声を浴びている。
そのほとんどが、私が部下に対して思いやりを持っていないからとの内容。
時には経営者に直談判する時もあった。
そんな時、私は経営者に対して部下の悪い点は一切告げずただだまって経営者の話を聞いた。
ある時、そんな不満を持った部下が会社をやめる時、経営者に対して
私が悪口を言っていたのではないかと問いただしたらしいが、経営者は、私がその本人のことを
逆に褒めていたよと彼に伝えたとの後日談を聞いた。
別に私の自慢話をしたいわけでなく、私が人に対して意思を伝えることに不備があるとの
ことを言いたかったのだ。

いくら相手のことを思ってあえて何も言わなくてもそれが相手に伝わらなければ
思っていないのと同じである。

今日の話に戻るが、たまたまふたりが居合わせたので著名人の名言をひとつ伝えた。

有名な投資家ある ウオーレン・バフェットの言葉だ。

ベースボールプレイヤーであれば、際どいコースのストライクには手を出すべきだが
投資家はそれではだめだ。

プロの投資家は、際どいコースのストライクを3球見逃して三振になっても構わない。

「我々は、ど真ん中の絶好球を 待てば良いのだ」


先程の不登校の話ではないが、良くも悪くも自分自身の人生である。
他者のアドバイスや他者の 打て のサインにばかり従う必要はない。

私は、人間は生まれた瞬間から乗る列車が異なると考えている。
新幹線に乗り人生をスタートさせる者もいれば各駅停車の列車に乗る場合もある。
そしてそのまま多くの人間が乗り合わせる列車に乗り続ける者もいれば
どこかの駅で下車したり、時には駅と駅との間の風景につられて飛び降りる場合もあるだろう。

大切なことは 『自分の足で歩くこと』 だ。
何も障害者差別をするわけでなく比喩的に表現するとそうなる。

私のようにギャンブルに親しむ者は、他者の頑張りに己の利益を委ねる場合が多い。
そして結果が出ない時に、一体何が足りなかったのかと考え込んでしまう。
しかし冷静に考えてみれば、公営ギャンブルでの選手や騎手達は自分達が努力しての
結果なので、例え負けた場合にでも次に繋がる。
一方、賭ける側は自分で走るわけではないのでやはり楽して利益を得ようとしている。
そんな行為をお天道様が見逃すわけがない。
楽して儲けようとする奴には必ず(100%)天誅を下す。
せっかくそうして何かを教えてくれようとしているのに喉元過ぎれば何とかである(自戒)。


ご縁があり始めたこのブログでは散々御託を並べて来た。
しかし成長らしい成長をしたと言えるのだろうか?

やりがい、夢、希望、喜び、不安、哀しみ、幸せ、愛情 等々山ほど語って来たが
子供達に伝えるだけのものを身に付けられただろうか。

もしお天道様が許して下さるのなら次の言葉を子供達に伝えたい。


真の幸せや真の喜びは、自分の足で人生を歩いて行けることにある。     と…


彼らにとっての絶好球が来るまで、私は三流コーチにならないように気を付けたい。
もちろん私も素振りは欠かさないようにするけどね人影


あとがき 次男がポツンと 「金持ちの家に生まれることが幸せとは思わんけどな」 と。
何故か少しだけ救われた気がした。 そろそろ帰るわという次男に 「体だけは気を付けろ」 
とだけ言葉を投げかけ交通費として千円をそっと渡した。

posted by tetsukazu at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月01日

永遠の矛盾。

昨日から自分のブログに入るのもブロックばかりだし訪問者等の情報を確認しようにも
アクセス解析のクリックがエラーになるしパソコン自体も超重いしで
更新のテンションもかなり落ちかけている。 下記に追記あり

天皇賞も結局、トゥザグローリーとエイシンフラッシュのワイド1点で撃沈。

こんな時は逆に哲学者になれるので想いを書き連ねてみる。

生物を単細胞生物・微生物にまで対象にすると、1個体で何万年も生きるケースもある。
追記ニシキ貝の貝殻化石に存在する超微小生命体のソマチットは約2000万年以上も生き続ける不死不滅の生命体である。
人間なんてたかだか100年位の寿命なのだから生物の最強位決定戦があるなら
下位争いがよいところかもしれない。
人類が種として地球上に存在するのも1億年はまず続かないはず。
たまたま太陽の恵みや海や大気の恵みを受け呼吸が出来ている存在と言える。
その割には、感謝するどころか自然と戦うことばかり考えているのも人間。
太陽が燃え尽きた場合、恐らく超低温状態になり地球自体がどこかの惑星の近くへ
飛んで行くのだろうが、そうでなくてもほとんどの人間があっと言う間に滅びるはず。
原子力潜水艦の乗り組み員は僅かに長く生きそうだが科学の最先端である原子力も
少しの時間稼ぎにしかならない。
今回の原発事故についても他の生物から見ればあきれた光景だろう。


さて、タイトルの永遠の矛盾とは?

ブログの一時閉鎖前の記事で、形而上学と弁証法の違いを解説したが
つまり水と氷は別物と考えるのが形而上学で水がやがて氷になるとの考え方が弁証法。
神は神、人間は人間とか善は善、悪は悪とか生は生、死は死との考え方が形而上学。
(間違っていたらすいません)
一方、弁証法の考え方だと物事は全てに繋がりがあり尚且つ矛盾を内包していると説く。

オギャーと生まれ落ちた瞬間から生命の火を燃やし続け成長を続ける存在であると共に
確実に 『死』 に向かう存在にもなる。
こんな理不尽で切ないことはない。まして100年程度しか生きないのだからあっと言う間。
やりたい事をやり遂げるには余りにも時間が短すぎる。
そして、有限の生が故にあせって事を成そうとし失敗を重ねるという矛盾。
生を目指すのに死が待っていたりという矛盾。

1日の終わりに睡眠に入ることを小さな死と表現する者もいる。
一生も1年も1カ月も1日も1時間も凝縮するとの意味で言えば同じとも考えられる。
アインシュタインは相対性をわかり易く表現すると、苦痛な時間は長く感じ
好きな異性と居る時間は短く感じるということ。と語った。
今日出来ないことが10年後に出来るということでもない。
今日出来ないことは10年後にも出来ないかのしれないのだ。
逆に(逆にの使い方が間違っているかも)今日出来たことは10年後にも出来るということ。

幸せを目指すのに不幸せが持ちうける場合も、生を目指すのに死が待っているのと同様。
人間は生まれながらにして永遠の矛盾を抱えてしまっているのだ。

私は、パートナーに出ていかれた瞬間、ある意味死んだ状態。
だからと言って生まれ変わったわけでもない。
生まれ変わるなどと言う表現は理性的に語るとただの言葉遊びでしかない。

私は最近鏡で自分の顔ばかり見ている。
こんなことは数十年なかった。
理由は自分でもわからないが、何となくだが男も女も他者の顔を見ることで
多くの感情を持つのではないかと思っているから。
確かに、お金が人との関係の中で重要なことは間違いない(特に女性に対する男性の甲斐性)。
しかし、何となくだが 『顔』 って大事だよな、と思うようになった。
歌手の広瀬香美は俳優の大沢たかおと婚姻関係にあったが、彼女は異性を選ぶ条件は
顔100%と公言している(ある意味素直な女性に思う)。

私がギャンブルにこだわるのもお金に対するこだわりがあるからだが、もっと 『顔』 に
こだわりを持ってもいいかなと思っている。
何も男性エステに通うという意味ではない。
実は筋トレをやり出したついでにこっそりと顔面のリンパマッサージも続けている。
その効果が出てきたのかもしれないが確実に見た目が5歳は若返ったように思える(自分で言うか)。

先日、知人にこんな質問をしてみた。
「どうしていじめっ子は他人にばっかり興味を持って干渉するんやろ?」
すると知人は 「それは自分のコンプレックスが強く、攻撃される前に先に攻撃するからや」 と。

私が必要以上にお金にこだわるのもお金に関するコンプレックスがありある意味お金に対して
『喧嘩』 を売っているのかもしれない。
そうなると顔へのこだわりも同じ結末になりそうだがそうではなくて
どちらに対しても、必要以上に意識し過ぎない代わりに必要な分量は意識することが重要なのでは?

結論ではないが、生と死が隣り合わせと同じで、自信とコンプレックスも紙一重。
生を意識し過ぎたり、死を意識し過ぎたりは良くない。エロスとタナトスの 『バランス』
自然体が良いと言ってしまえばそれまでだが、出会いと言っても狭い世界の話。
たまたま先に出会った人と仲良くなったとしても後に出会った人が魅力的な場合もある。
私はたまたまギャンブルという魅力的なものに出会うのが先だったが
山登りに先に出会っていればそちらにのめり込んだかもしれない。
運命のいたずらなのかもしれないが、人であれ物事であれ 『たまたま・偶然』 はある。
そして自分が選択したことに対して結果をどう受け止めるかも自分次第。

『たまたま』 生まれ 『偶然』 に何かに出会い、何かを選択して行く。
難しく考えて生きようが難しく考えないで生きようがそれは精神の自由。
しかし難しく考えようが考えまいが精神的な病を患うことがある。
それはやはり最初に述べた通り、人間が生まれながらにして矛盾を抱えた存在だから。
深く考えれば考えるほど矛盾の渦に巻き込まれ精神が分裂してしまう。
しかしそこで気をつけなければならないことは自分が被害意識を持ち過ぎないこと。
そして受動的態度をとり過ぎないこと。

前にも語ったことだが 「あんなひどい行為に走る奴は最低」 と述べる自分自身こそ
そんな最低な奴のことを思いやれてはいないのだ。ここにもやはり矛盾がある。

私達は死に向かっているとの意識も不幸に向かっているとの意識も持っているわけではないはず。
なのに過度な浪費、過度な飲酒、過度な労働、過度な嗜好を繰り返す。
何故なのか?

それはやはり無意識に 『死』 の瞬間に恐れを持つからだと思う。
だからこそ日々後悔したくないためやりたいことをやり切ろうとしてしまうのだろう。
その考えやその行為は間違いではないが正しくもない。
そう、生きるということは客観的に正しいとか間違っているとかの問題でなく
『究極の個人問題』 なのだ。
ただし 『主観』 を全面的によしとするなら殺人や略奪なども自由となってしまう。
ここにも 個人の問題と社会の問題の矛盾が生じる。殺人に遭った犠牲者の親族に
報復が許されないのも社会制度を維持するための制度でしかない。
しかし制度はとても重要であり制度から逃れることは出来ない。堀江氏も当然逃れられなかった。

私達は、そんな強固な社会制度の中で個人の自由をどう表現して行くべきなのか?

私は思う。 それは 『僅かな差』 をどう付けて行くのかを考えることだと。

よく考えて欲しい(自分に言い聞かせているのだが…)。

人間同士なんて見かけも能力も大した差があるわけでない。
いくら長生きしても100年。50年の人生の倍程度でしかない。
他者のことばかり気にしていたらあっと言う間に一生が終わる。
人生を終える瞬間が、人をいじめている最中だったり、浮気中だったり、パチンコ店の中だったり
万引き中だったりしたら嫌だろう。

ゆっくり生きても生き急いでも万人に死はやって来る。
いつ死ぬかわからないから日々好きなことを好きなだけやる者と
いつ死ぬかもわからないけどとり合えず生きていかないとならないのだからと一歩ずつ進む者。

よい歳をした私が語るのも何だが
たったひとつだけしか心掛けられない不器用な人間は、せめて 『自分』 を愛すること。
自分を愛するということは、自分の未来に向かって生きること、自分の幸せに向かって生きることだ。
もし少しだけ器用なら、たったひとりでよいから誰かを愛すること。
愛する気持ちはきっと生への希望や喜びにつながるだろうし幸せの具体的イメージも生まれるはず。

日々明るく元気にそして美しく生きて行くためには、自分をそして他者を愛する気持ちが最重要だ。



いつ死ぬかもわからないから好きなことをやるのでもなく
好きなことをやっているからいつ死んでもよいでもなく
愛してくれて心配してくれている人がひとりでもいることも忘れないで生きること。

そう、もうひとつの矛盾とは、人はひとりで生まれて来たわけではないということ。

たった1日でもよい。今日は生き生きと生きて美しく生きた顔をしていると鏡を見て思えたら。

それが明日につながり命を燃やすことにつながる。

万一世の中でひとりだけでも鏡に映ったそんな自分のことを美しい(心が中心)と思ってくれたら超ラッキー手(チョキ)

せっかく生まれてきたのだからスカッと爽やかコカコーラのように生きようわーい(嬉しい顔)









posted by tetsukazu at 19:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 私的本質論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。